第108話・アウロ・ペルニカの攻防 その6

 はやる気持ちはありますが、アプロに落ち着けと言った手前、目の前に出されたお茶と茶菓子をひっくり返して「はよ話進めんかい!」とねじ込むわけにもいかないのです。…ていうか、緑茶に茶菓子がどら焼きて。そういえばいつぞや英国式アフタヌーンティーを饗されたこともありましたね。

 まあこんなことしてる場合じゃないんですけど、ここで慌てても仕方ないので、とにかく用意されたテーブルにわたし、アプロ、ガルベルグに加えて…いえ、ベルはこの場にはいませんでしたので、ベルはどうした?と訊ねたら体よく無視されました。このやろー。


 「食わぬのか?」

 「毒でも混ぜられてたらたまったもんじゃねーし。アコも食うなって」

 「ほんなふぉほいっはっへ……んぐ、そのつもりあったらわたしたちとっくに殺されてますって。ところでわたしお腹空いたのでアプロの分ももらっていーですか?」

 「………やんない。食べる」


 わたしの手が届きかけたアプロの前の皿が遠のきました。アプロが食べたことのないものをわたしが美味しくパクついてたので、興味を持ったんでしょうね。きっと。

 それどころじゃない、のは分かってますけど、空腹には勝てません。どーせガルベルグが話すつもりにならなけりゃ話も始まりやしないんですから、と口の中のものに集中したわたしに、なんだか既視感…いえ、既味感…というか、なんだか記憶にある味。

 …どら焼きなんてどこの店でも一緒だろう、などという不届き者も世間には結構いるようですが、最近は餡の中身も粒あんやこしあんに限らず、栗がごろっと入っていたり栗きんとんになってたり、カスタードクリームに生クリームなどという変化球はさておくとしても、中身だけじゃなく皮だって黒糖使ったりと工夫されてるものなんですよ?

 で、わたしが今口にしてる一品。お味の確かさもさることながら、しっかりした粒あんの甘味とそれをやさしく受け止めるふんわりとした生地の、控え目な甘さ。

 日本の実家の近くにあった香徳庵のお味に相違無いと思うんですが。

 そういえば、と改めてどら焼きの表面をまじまじと眺めると、真ん中に確かに見覚えのある「香」の字の焼き印…間違いないですね。

 じろっとガルベルグの顔を睨みます。わたしの思惑など知ったことかと…あーいえ、わたしが視線を向けてることすら気付かぬようにへーぜんと、湯飲みのお茶などすすっておりました。


 「………」


 うーむ。まさかとは思いますが、日本に行って買ってきたんでしょうか。おもてなしの一環と思えば悪い気はしませんが、なんか裏にろくでもない事実が潜んでいそうで、正面切って問い質すのもためらわれるわたしでした。


 「…ふん。不味くはねーけど」


 そうしているわたしの隣でアプロは、さっさとどら焼きを平らげて湯飲みまで空にしてました。そー言ってるわりには気に入ってるんじゃないですか。まあわたしの定番のおやつでしたから、とーぜんではありますよね、ってそんなことはどうでもよくって。

 わたしも慌てて、懐かしき実家の味と惜しみつつもどら焼きをかっ込むと、それっぽい話の雰囲気を出そうと、居住まいを正しました。


 「アコ、口の端に黒い甘いのついてる」


 …締まりませんね、我ながら。

 アプロに口の端をひょいと拭われて、ってその指をそのまま自分で舐めないでください。ガルベルグの目線に呆れかえった気色が漂ってますってば。


 「…で、てめえは私たちをここに連れ込んで、どんな話をしようってんだ」


 そして慌ててるわたしを余所に、アプロが物騒な声色で話を始めます。


 「こちとらお空の遊覧散歩ってわけじゃねーにしても、確かに撃ち落とされたのは油断だ。で、私たちがてめーの敵だってんなら、そのままにしておいても全部終わってたはずだろうが。何を企んでやがる」

 「言った通りだが?真面目にやれ、馬鹿者共が。そんなことで世界を救う勇者の任が務まると思うのか」

 「おめーに言われたくねーよ…けど、どうにも解せねーな。私たちがいなくなった方が都合がいいんじゃねーのか?」

 「考えの浅い人間の言いそうなことだな」

 「…なんだと?」


 あー、アプロ。仇敵を目の前にして熱くなるのは分かりますけど、すぐそーやって剣に手をかけるのはやめてくださいって。

 …そういえばさっきアプロに一撃くらってるはずなんですけど、ガルベルグも平然としてますね。なんなんでしょ、この存在は。


 「我は何度も言っている。人の世に遍く存在を知らしめるべく、我は在る。そのために貴様らの働きが必要だというのだ」

 「そのためにミアマ・ポルテを襲って何人もの人を犠牲にしたってのかっ?!」


 その通り、と口にこそしないものの、アプロの糾弾を否定もしないガルベルグです。こちらを見もせず静かに佇んでいる姿に、アプロは「くそっ!」と怒鳴って浮かせかけた腰を下ろしました。


 「…アウロ・ペルニカを襲うのも同じ目的で、か」

 「言わずと知れたこと、と言いたいところだが少しばかり違うな。ミアマ・ポルテという人の集う地を襲わせたのはまず貴様に本気になってもらうためであり、此度については貴様と…その、石の針を使う娘の名を上げさせるためよ」

 「そ…」

 「そんなことのために何やらかしてくれてるんですか、あなたは!」

 「…え?」


 顔色の変わったアプロが、椅子を蹴倒して立ち上がったわたしを唖然と見上げてます。

 そりゃあね、アプロが怒る理由は分かります。わたしだって腹に据えかねてますよ。

 でもわたしが憤っているのは、アプロとは理由が違います。わたしが怒っているのは…。


 「あなたが何をしようかなんてそんなこと知りませんけれどね、アプロにあんな顔をさせておいて何が『存在を知らしめる』ですかアホらしい。いーですか?わたしにとってはアプロが悲しむような真似をするくそやろーは全部敵です。ミアマ・ポルテを襲ったことでアプロが辛い思いをしたのなら、それはわたしには許せないことです。そしてアウロ・ペルニカにおいてなら、わたしだって思い入れあるんですから許せなさは倍どころじゃねーんです。もう一度いいます。あなたの思惑なんかどーでもいいです。アプロが悲しむってんならそれを止めるだけがわたしの目的です。もしあなたをここで倒してアウロ・ペルニカが助かるっていうんなら…今から本気出してやろーじゃねーですかっ!」

 「……」

 「アコぉ…」


 二人とも驚き呆れて呆然としてる…ように見えました。

 いえ、見えた、というのはガルベルグに関してはよーやくこちらを見て何かを考える風にアゴを撫で回していたからで、アプロに関しては…うん、このわたしを見上げる熱視線は確実にラブ指数上げるのに成功しましたね。ふふふ、惚れ直しましたか?


 「…勝算も無いのに何勝手なこと言って突っ走ってんだよー」


 …惚れ直すどころか百年の恋も冷めてしまっていそうな勢いでした。何故だっ。


 「何故も何もさー…まあいいよ。アコが私のこと大事にしてくれてるってのは分かったし。で、だ。アコに倣うなら、このクソヤロー」

 「何だ。恋に浮かれてその身の成すべき事を忘れるなんちゃって勇者」

 「なっ、なんちゃって…だと?……ああいや、そこんとこは言われても仕方ねーし。けど、一つだけ聞かせろ。てめーの今の言い草だと…アコがミアマ・ポルテに行かなかった…いや、行けなかった理由とてめーは何か関わりありそうだな。聞かせろ」

 「…何が言いたい」

 「アコを病に伏せさせたのはてめーの仕業か、って聞いてんだよ。ミアマ・ポルテを襲わせた理由、アウロ・ペルニカを襲わせる理由、それぞれが違うってんならアコがいるといないじゃ結果だって違ってくるだろーが。ミアマ・ポルテだってアコがいたんならあんなに……あ、ごめんアコ、今のなしで…」


 感情的に言い募っていたアプロがわたしを見て済まなそうな顔をします。

 まあわたしがもしミアマ・ポルテにいたら話が違っていた、というのなら、起き上がれなかったわたしを責めることにもなるだろう、ってんでしょうけど、そもそもわたしを連れて行かないって決めたのはアプロですよね。

 それに、多分違うと思いますよ、それ。


 「…そこの針の娘がその時身動きとれなかった、という理由に直接関わりはない。だが、その娘がいればなんとかなった、というのは思い上がりもいいところだろう。あのような大規模な戦闘を左右するほどの力が、貴様にあるというのか?」

 「でもアコがいればもっと力を出せたっ!」

 「なれば貴様の自覚が足りないだけであろう、魔王を倒す勇者としての。身の回りの者だけを守らんとして何が勇者ぞ。我を倒す?笑わせるな。狭い世界で生きる愚か者に斃されるほどこのガルベルグ、安くはない」

 「てめぇ…」

 「ふむ、いい顔だ。ではそれを見せてくれた礼に、もう一つ教えておこう。その時針の娘が病に倒れていた理由に我は関わりない、と言ったがな。実のところ、その理由そのものは知っておる。合わんのだよ、結局は。その娘の体は、この世界で生きていくには脆弱に過ぎる。今すぐ寿命が来る、などということはあるまいが、健やかに長く生き続けるのは容易ではあるまいな」

 「アコは私と一緒にいると決めた!私はアコとずっと生きていくんだ!」

 「その決意を謗ろうとは思わん。我にはどうでもいい話であるしな。だが、それが長いか短いかは我にも分からん。所詮ひとの尺度とは異なるのだ、世界の寿命はな。いずれ来る滅びに面したとき、どのような覚悟をもってそれにあたることが出来るか。それを考えるのが貴様らの生きる道というのではないか」

 「えっらそーに…」


 とは言ったものの、アプロは腰を下ろし、力が抜けたように肩を落としていました。

 一方わたしの方は、といえば…これが意外に気落ちもせず、むしろアプロをどう慰めたものかと、そちらにばかり気が行くのでして。

 だってねー、わたし割と体は頑丈でしたけれど、その分不摂生というか健康な生活ってのにはえらく無頓着で、おばーちゃんにはよく叱られたもんですよ。

 それがなんですか。異世界ってとこに来たら一人暮らし初めて、体に気をつけないといけませんよ、って魔王に言われるとか一年前には想像もつかなかったですよ。

 それに何よりも、この世界に来たことで、わたしは自分を好きになることができて、そしてそんな自分よりもずぅっと好きだって言える女の子ができたんです。多少体が弱くなるくらい、なんてことねーんです。


 「………」


 だからアプロ。そんなに気に病んだり、わたしに済まなそうな顔を見せないでください。

 わたしは、わたしと一緒にいて嬉しそうなアプロを見てるだけでも結構、幸せなんですから。


 「でも、でもアコは、わたしに連れてこられたせいで…」

 「だーかーらー、それ気にしないでいいって言ってるじゃないですか。それより今はやらないといけないこと、あるでしょう?」

 「……それも、そうだ」


 涙も浮かんでいた顔を雑に拭って、アプロはガルベルグに向き直ります。


 「いろいろと掻き乱してくれたけどな。私はアコと、自分の好きな世界を守れればそれでいい。てめーの思惑なんか知ったことか。今はてめーの相手をしてる暇なんかねーんだ」


 …いくら何でもぶっちゃけすぎでは?


 「アコうるさい。で、私の守りたいモンをてめーが壊そうってんなら、近いうちにこの剣携えてまた顔合わせてやるから覚悟しとけ。ベルが邪魔しようがなんだろうが、関係無い。そんだけだ」

 「ふん」


 ガルベルグは大して面白くもなさそうに鼻をならすだけ…。


 「…なれば貴様と我は同志と言えよう。我もまたこの世界の末を憂う者の一つであるからな」


 でもありませんでした。ただ、その言葉の意味するところ、となると…。


 「…てめーがアコに聞かせた世界の危機ってやつか」


 ですよね。我ながらとんでもねー話聞かされたものです。

 そう思って身震いするのですけれど、わたしのアプロときたらこんな話が出たからって全く臆することなく。


 「そんなもん知ったこっちゃねーや…と言いたいとこだが、私とアコが幸せになるための障害になるってんなら、てめーの思惑と関係無くなんとかしてやるよ。だから、おめーと私たちを一緒にすんな、このバカヤロー」


 なんとも頼もしいことなのでした。

 そしてアプロは、帰るぞアコ、と言い放ち立ち上がります。

 そうですね、確かに今はそれどころじゃないです。今目の前の危機を放置して、何年も先のよりおっきな危機にかまける、なんて選択はわたしたちにはないんですから。

 わたしも先刻よりは幾分力強く立ち上がると、そーいう必要は無かったのですが一応は「ごちそうさま」とだけ言って、席を後にします。わたしはこれでも施されたもてなしを無下にしないことでは定評があるのです。

 いえまあ、アプロにバカヤロー呼ばわりさせて微妙に表情を揺さぶられていたガルベルグを見て、ざまーみろと思って少し気分が良かったのも否定はしないのですけど。

 ただですねー。


 「ふむ。こちらに興味が無いと言われるのも愉快な話ではないな。であれば一つ嫌がらせをしておくとしようか」


 敵も然る者とでも言うべきか、ほんっっっとこっちに言い逃げさせてはくれないみたいなんですよね…。


 「あん?今以上の嫌がらせなんて言われてもゾッとしねーんだけど」

 「街が一つ襲われることを嫌がらせと評してみるとは、なんとも豪胆なことだ」

 「てめーに褒められても何一つ嬉しかねーよ。言いたいことがあるならさっさと言え。こっちは忙しいんだよ」


 アプロが心の底から面倒そうに、首から上だけを向けて言い捨てるのも仕方の無いことです。どーせろくでもないことを言われるに決まってますけど、無視して後悔するわけにもいかないんですから。

 ただですね…相手のあくどさというか、根性の曲がりっぷりを甘く見ていたわたしたちにとっては、結構痛恨事だったのも否定できないとこでしてねー…。


 「貴様らがここに迷い込んでから、時間がどれだけ経ったと思っている。そろそろ魔獣どもが貴様の大事な街に顕れる頃合いだぞ。すぐそばに開いた穴からな」

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