第98話・アプロの戦い 前編
『だめ。連れて行かない』
『でも…それだとわたし何のためにいるのか…』
『アコはわたしのためにいる。それでいい。だから休んでて』
『…アプロ、気持ちは分かるけど、アコも参戦させるようにと殿下からの要請なんだろう?』
『加えて権奥もアコには注目してるようなんです…アプロニア様、道中のアコの療養には責任を持ちますので、どうか同行させてはいただけませんか…?』
『誰が何と言おうと、アコは休ませる。その分私が頑張る。だから、いいだろ…?』
『アプロぉ…お願いだから、わたしも連れていって…』
『半分うわごとみたいになってるじゃん。そんな状態で連れて行けるわけないだろ』
『アプロニア様、衛兵たちの方は準備が整いましたので…』
『うん。フェネル、留守を頼む。アコは…私が帰るまで、屋敷に泊めといて。マイネル、ゴゥリン。行くぞ』
『…仕方ない。マリス、行ってくるよ』
『………』
『お兄さま…どうが、ご無事を…』
・・・・・
目が覚めると、アプロのお屋敷の、来客用の部屋でした。
気分はどうにかよくなってましたので、起き上がってみるとこの三日間ひどかった目眩も消えてて、熱も下がってるようです。
そして、過去二度寝込んだ時とハッキリ違ったのは。
「夢も見られないとか…結構重症だったんですかね」
はあ、とため息が洩れます。
こんな時、アプロが隣にいたならば、と詮無いことを考えてしまうのですが、彼女はわたしを置いて、戦いに行ってしまいました。
アウロ・ペルニカに帰ってきた時、わたしたちに急を知らせに来たフェネルさんの伝えた言葉は、誰よりもアプロに衝撃をもたらしたようでした。
いえもちろん、魔獣の大群が出現した、という事実はわたしにも恐怖に似た驚きを与えたんですけど、ミアマ・ポルテという街が襲われたことが、アプロにとって何よりも許しがたいことだったのです。
ミアマ・ポルテ。アプロにとって思い出の多い、ミァマルツェ王女と縁の深い土地なのだそうです。
この国の習わしとして、王族や貴族の子弟は、生まれた時に荘園として与えられたり、税収を養育費として充てることを許される領地が与えられることがあります。
例えば、ヴルルスカ殿下の場合、生まれた時にヴルス・カルマイネという街が領地として与えられ、アプロもこのアウロ・ペルニカを自ら治める領地として、マウリッツァ陛下の養子となった時に与えられたとか。そうして土地や街に縁の出来た方は、それにちなんだ名前をつけられるということのようです。
ミアマ・ポルテは、ミァマルツェ王女が生誕の折、古い貴族の方々が合同で、王女の養育にあてて欲しいと献上した荘園でした。
荘園といっても、一つの街を中心としてちゃんとした領土を含む、それなりの大きさの地域です。
そしてミァマルツェ王女はその地をいたく気に入り、アプロにもよく自慢していたということでした。
だから、その街が魔獣に襲われた…という事実は、アプロにとって許しがたいことだったのでしょう。
ただしフェネルさんが慌てていたのは、アプロのそんな心情を察して…ということよりも、アウロ・ペルニカのその騒動への関わり方が、これまでの穴塞ぎくらいのものと比べて各段に大きいこと、でした。
まず、領主にして魔王討伐の勇者たるアプロの参戦、はもちろんのこと、魔獣の数が多いことで衛兵さんの参加も要請されたこと。
この街には街の防衛や街の中の安全を守るために、百人くらいの衛兵さんたちがいます。そのうち、四十人をアプロが率いていくことになりました。
それから、針の英雄たるわたしの参加。
…ですけど、体調を崩したわたしは、自分ではアプロについていくつもりだったのですけど、アプロが断固反対して、お屋敷に止め置かれているのでした。
わたしは、アプロたちが無事に帰ってくることを祈りつつ待つだけだけの、何も出来ない立場です。
「カナギ様、もう起きても大丈夫なのですか?」
「あ、はい。体の方はなんとも。で、あのー…一度部屋に戻って荷物とか着替えを持ってきたいんですけど…」
帰って来るなりわたしは倒れたので、部屋へ行って荷物を置いてきたり着替えを取ってきてくれたのはアプロなのでした。
ですので、わたしはまだ獅子身族の集落から戻ってきてからまだ自分の部屋に帰ってないのです。
「でしたら誰か付けましょう。荷物持ちにさせてください」
「え、それくらい大丈夫ですよ。それに今人手が足りないんですよね?」
「…お気づかいには感謝しますが、カナギ様の御身のためですので」
「別に部屋に行ってまた来るくらいどーってこと…あ、そうだ。もう治ったので、わたし部屋に戻り…」
「主が帰るまでカナギ様をこの屋敷にお泊めすること、主の御諚にございますので、それはご容赦ください。今ラルベルリヤを呼んで参りますので、玄関にてお待ち頂けますように」
常に無く厳しい顔つきで、フェネルさんは急ぎ足で行ってしまいました。
そりゃまー、わたしだって体調万全てわけじゃないですから、荷物持ってもらうのは助かりますけど…過保護すぎません?
そして三日ぶりに表に出ると、なんだか街の雰囲気が慌ただしいというか、どこか余所余所しいというか。
確かにミアマ・ポルテはこの街からは急げば十日もかからない距離の、割と近くではありますから、皆が心配するのも無理はないのでしょうけど。
「…カナギさま、どうかもう少しお召し物を深く被ってくださいまし」
「はあ。けど風邪だといってももうほとんど治っているんですから、そこまで気をつけなくても…」
ラルベルリヤさんは、さっきから何度もマントのフードを深く被るように行ってきます。まるで顔を隠そうとするみたいに。
これから乾期の最盛期といっても、アウロ・ペルニカは日本の夏みたいに高温でもじめじめしてるわけでもないのです。だから、顔が隠れるくらいにフードを被って不快になることもないとはいえ、せっかく天気も良いんですから、おてんとさまに顔をさらして歩きたいとは思うんですけどね。
「………」
「…わかりました」
でも、ラルベルリヤさんの真剣な顔に気圧されて、わたしは言われた通りにしました。
そして、ラルベルリヤがどうしてそんなことをわたしにさせたのか、その理由をわたしは、部屋に着いた時に知ります。
「…なんです、これ」
「あの、あの…い、今消しますから、どうかお目を逸らしていてくださいまし…」
わたしの家の扉は、何ごともなく閉ざされてます。
そりゃあ聖精石の鍵が据え付けられた扉ですから、ちゃんと閉まってはいますけど、扉にはどう見ても悪意…いえ、無念、によるのでしょうね、これは…。
『裏切り者』
『こんな時に役に立たないで何が針の英雄だ』
『こんなところで何をしている』
まあ、そんな感じの、わたしへの罵りの言葉が書き殴られていたのでした。それも、一人や二人ではなさそうです。
「…今何か消すものを借りてまいりますので……」
「いえ、いいです。多分消したってまた同じことをされるだけでしょうし」
ショックはありますけど、わたしが倒れてアプロの出征に同行出来なかったのはわたしだって残念なんです。直接罵倒されなかっただけでも、まだマシというものなのでしょう。
「…アコ……ちゃん?」
「え?あ、ああ、ファルルスさん。スミマセン、なんだか騒がしくしてしまったみたいで……あと、ごめんなさい。わたし、この街の役に立てませんでした」
多分通りがかっただけと思われるファルルスおばさんに見つかり、わたしはその顔を見ることも出来なくて頭を下げるしかありませんでした。
「いえ、そんなこと……それより早くここから去った方がいいわよ…恩知らずにもアコちゃんを責めるひとが、時々ここらをうろうろしているから」
「はい…済みません、わたしのせいで騒がせてしまってますね。荷物だけ持ったらすぐ出て行きますから。ラルベルリヤさん、急ぎましょう。扉はそのままでいいですから」
「は、はい…」
ファルルスおばさんがどんな顔をしていたのか、結局最後まで分かりませんでした。
・・・・・
それからは、アプロのお屋敷に引きこもって外には出ていません。
繕い物とか皆さんの食事の手伝いとか、わたしに出来ることだけやって過ごしてます。
幸い、このお屋敷のひとたちはわたしに辛く当たることはないのですが、それでも時折漏れ聞こえてくる街の噂なんかを聞くと、わたしへの文句は少なくないようなのでした。
…わたしだけが責められるならともかく、アプロのことにまで言及されてたと知った時は流石に、お屋敷を飛び出して反論しに行こうとしたのですけど、それはフェネルさんに必死に止められてしまいました。ほんと、今のわたしは役立たずです。アプロの名誉を守ることすら出来ないんですから。
「…アプロニア様の奮戦のお陰で、戦況は押し気味のようですわ。それほど時間もかからず戻ってこられると思います」
そんな風に鬱々として過ごしてたある日、マリスがレナさんを伴って訪れてきました。
グレンスさんではなくレナさんを同行してる、ってことはお仕事の時間ではなくお休みってことなんでしょう。
「ですが、街にも少なからず被害は出ているようで、アプロニア様に随行した衛兵たちにも犠牲が出ているかもしれません…」
「……ごめんなさい」
「アコが一人いれば防げたわけではないのですから、そんな気に病むことは…」
「けど、それを防ぐ努力すら出来なかったんです、わたしは。怒られたって仕方ないですよ」
「…やはり、無理にでもアプロニア様と一緒に行った方が良かったのでしょうか」
…それは、分かりません。
同行を求めたのはわたしも含めてアプロ以外の全員だったのですけど、後でなら何とでも言えるものですし。
「………そうですね」
「…マリスさま、私は席を外しておきましょうか?」
「ですわね。申し訳ありません、レナ。お茶のお代わりと…あとアコに元気が出るように何か甘いものでも頂いてきてください。そうですね、焼きたての菓子などがいいかもしれません」
「承りました」
要するに焼き菓子が焼けるまでの時間くらいは戻って来るな、ってことなんでしょうね。
そして案の定、レナさんが出て行くと同時にマリスは教会のひとの顔に戻って、言いました。
「アコ。いくつか大切な話をします。少しよろしいですか?」
「なんだって聞きますよ。どうぞ」
どうせ今のわたしに拒否権なんか無いんですから、とは言いませんでしたが、マリスはそんな空気を察してかいくらか痛ましげな顔になって、続けます。
「…人語を解する魔獣が、正式に第三魔獣として認定されました。その情報の収集に関して権奥から人が派遣されてきます。きっとアコとも何かと話をする機会があるでしょうから、予め知らせておきます」
「…分かりました」
きっと今までのわたしだったら、露骨にイヤな顔をして、マリスとマイネルはわたしを取りなして、アプロだったらわたしと同じように…。
「アコ?」
「は、はい」
「…いえ、何でもありません。それと、そのことに関わる話になりますが…ベルニーザと引き合わせて頂けますか?」
「……ベル、と?」
「アコが彼女と懇意にしていること、それから魔王と出会った経緯について、恐らくは陛下から権奥に伝わったものと思われます。最早見過ごすことが出来ないと判断されたでしょう。権奥が動き出す前に、わたくしの方でも彼女をどうするのか考えなければならないのです。今さら、という気もしますけれど…アコ、彼女を大切に思うのでしたら、どうか会わせてください」
「……ベル、と」
マリスの言葉はきっと、わたしのために、いえ、わたしとの関わりを大切に思っての申し出なのだと思います。
教会でのマリスの立場からすれば、魔王に会ったわたしも、ベルも、放置出来ない存在であることでしょう。
でも、教会の手がわたしとベルに及ぶ前にその在り方を明確にしておきたいという気持ちは、教会の名を背負うマリスが本来持ってはいけないもので、だからこそわたしの盾となろうという厚意としてわたしには響くものなのです。
「……ダメです。ベルをマリスに…じゃないですね、マリスをベルに会わせることは出来ません」
だからこそ、です。
「理由を聞いても構いませんか?」
「それはわたしがマリスにさせていいことじゃないからです」
アプロは今、戦っているんです。
わたしはアプロを始めとした皆に守られて、ここまでやってきました。
でも、今のこの街でのわたしの立場は、それだけではいけないことをわたしに教えてくれました。
わたしはわたしで、皆の盾にならないといけない。
わたしの出来ることで、皆の盾になりたいんです。
だから、マリスをベルに会わせてあとはお任せします、なんてこと、出来るはずがありません。
「…どうしても、ですか?」
「本音を言えば、ベルは教会のひとには会いたがらないから、無理強いはしたくない、っていうこともありますけどね。でも、これでもわたしには自負があるんです。出来れば今からでもアプロのもとに行って手伝いたいくらいですけど、それはわたしのワガママでしかないですし、それで負担をかける人がいっぱいいるだろうことも分かります。なので、ベルのことはわたしに任せてください」
空になってるカップを恨めしく睨みました。
我ながら熱っぽく語ってしまい、喉が渇いたのでした。
「…アコは強くなりましたね」
「年下のマリスに言われるとちょっとびみょーな気分になりますけどね」
「わたくしはそれほど強いわけではないですよ。お兄さまの無事を思って毎晩もやもやしているんですから」
「それはわたしも一緒ですよ。アプロが辛い目に遭ってないか…ああ、うん、間違い無く遭ってはいるだろうから、帰ってきた時に少しは元気な顔で迎えてあげよう、って思ってるくらいです」
「…ですわね。待つ女としてはそれくらいしか出来ませんもの」
「あのー、アプロもすこぶる付きで可愛い女の子だってこと、忘れないであげてくださいね?」
そうですわね、と花のほころぶように笑うマリスでした。
付き合い良くわたしも、久しぶりに声をたてて笑います。
…ありがとうございます、マリス。いい友だちを持てて、わたしは幸せです。
「…それでアコがベルニーザに直談判するとしたら、いつになります?」
「ベルはアプロとの共通の友人です。アプロが帰ってきて相談してから、決めます…その、権奥から人が派遣されてくるのっていつ頃なんです?」
「それは今回の遠征が終わってからのことでしょうから、アプロニア様と話をしてからでも問題はないかと思いますわ」
「…なら、今わたしたちが出来ることは、アプロとマイネルと、ゴゥリンさん…この街の衛兵の皆さんが帰ってくるのを待つことだけですね」
「はい。待ちましょう」
折良く、レナさんがお茶とお菓子を持って戻ってきましたので、三人でお茶会の続きとなります。
本来ならこんな呑気なことをしてる場合じゃないのでしょうけど、マリスに蒙を啓かれた思いのするわたしは、何か文句あるのか、という気分なのでした。
・・・・・
それから二十日ほどして、アプロたちが帰ってきました。
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