第97話・夢語り 後編

 闇の中。

 数多の猛き双眸の放つ光が、わたしを射貫く。

 怖れるな。群像の欲望など、ワレる声の一振りで散らすのみ。

 そう、わたしは高く手を掲げ、告げる。


 「はいお待たせしましたー。僭越ながら音頭を取らせていただく神梛吾子でーす。それではゴゥリンさん、ベゥマシュカさんの間に生まれたベゥレールくんの生誕を祝いましてぇぇぇ…乾杯だ、やろーどもーっ!!」

 「うぉぉぉぉぉっ!!」


 …獅子身族の男のひとってノリがいいんですね…ゴゥリンさんが例外なだけなんでしょうか?


 「あ、そーかも。というか酒呑むと意外とゴゥリンも口数増えるけどな」

 「そうなんですか?」

 「………」


 ノーコメントのようです。

 乾杯の音頭で煽っといて、わたしはアプロとゴゥリンさんの席に戻ってきました。

 ちなみにマリスは教育に悪いから、とマイネルに天幕の方へ連れてかれました。わたしとアプロはいーのか、おい。


 「アコは今さら変わりようがないだろー。それよりアコも呑まない?」

 「あー、まあ味見くらいにしときます。なんかさっきから頭くらくらしてまして…」

 「まだ治ってなかったのか?そんな疲れるほど騒いだっけ?」

 「自分で言うのもなんですけど、あれだけ騒げば疲れもしますって…」


 ええまあ、お恥ずかしい限りですが、ベゥレールくんの愛らしさに三人とも舞い上がってしまいましたからねえ…。あのちっさい子がゴゥリンさんみたくなるとは想像もつきません。多分見届ける前にわたしたち全員死んでると思いますが。


 「あ、遅くなりましたけど、ゴゥリンさんこれお祝いですので、どうか使ってくださいね」

 「………ありがとう」

 「アコ、なにそれ?」

 「わたし手製のよだれかけですよ。まあちょっと早いと思いますけど」


 というか、これを使えるよーになるのに何年かかるのやら、って話でもありますけど。まさかあそこまで猫っぽいと思ってなかったですし。


 集落の真ん中の広場を会場にした宴会のこの場にいるのは、わたしたちを除けば全員獅子身族の男性ばかり。どちらかというと、男友だちが仲間の奥さんに子供が産まれたのでお祝いしてる、ってなノリですよね、きっと。

 宴が始まるや否や、お酒の入った陶器のジョッキを持った男の人たちが、入れ替わり立ち替わりゴゥリンさんのところに来ては、おっきな声でおめでとうだの羨ましいだのという話をしていきますから。

 アプロとわたしは、時折話しかけられて会話に参加したりもしますけど、基本的には広場の中心の大きなたき火に顔を照らされながら、結構嬉しそうなゴゥリンさんを眺めているだけです。

 アプロはこの里で作られたというお酒を呑んで、わたしも一口もらいましたけど…わたしにはちょっとキツすぎて、やっぱり味見しただけになってました。

 だから、酔うことのできてるアプロが少し羨ましくて、わたしはお酒を呑んでるわけでもないのに、胸の下が少し苦くもあって。

 だけど一人で逃げ出すわけにもいかないから。 


 「…アコ、ちょっとあっち行かない?」

 「…ですね。なんだかみんな幸せ過ぎて、眩しいですよ」

 「……だねー」


 アプロのそんな誘いに、隣にいるのがこの子で本当に良かったな、って思えたんです。

 そして、なんだか泣きそうな、寂しそうな顔になっているところを見ると、もしかしたら…きっと、アプロもわたしと気持ちだったんでしょう。




 「…星がきれいですね」

 「そーかー?どこ行ってもこんなもんだろー?」


 日本に比べれば全然違いますよ…っていうか、考えてみたら星座とかそーいうの全然違うはずなんですよね。日本から見た星座なんて覚えてないから、違いがあるのか分かりませんけど。


 わたしたちは、宴会の騒ぎがかろうじて聞こえる場所まで来て腰を下ろし、並んで空を見上げてます。

 宴から逃れたのは、どこかそれが辛かったから。

 聞こえない場所にまで行かなかったのは、それでも夢を見たかったから。

 …なんて、ね。いくらなんでも、そこまで感傷的ではないです。


 「ニホン、でも夜空って同じだったのか?」

 「夜は空が暗くて星が見える、ってところは一緒です…ね、アプロ。この世界にも星座ってあるんですか?」

 「セイザ…聞いたことないなー。なんだそれ?」

 「そうですか…ええとですね、空の明るい星をいくつか結んで見立てた絵図に、いろんな物語、神話とかに出てくるものやひと、動物や怪物、神さまなんかをあてはめるんです」

 「ふぅん…なんか、面白いな。そういう話ってアコは詳しいのか?」

 「残念ながら、さっぱりです。今のは知識として知ってただけですよ」


 ほんと、残念です。こんな夜に、大好きなひとと一緒に空を見上げて星座のお話なんかしたら、最高に忘れられない夜になったんでしょうけどね。


 「そっか。あ、じゃああとさ、ニホンには…神さまっているのか?」

 「神さま…ですか?それは…何と言えばいいんですかねー…」


 なんかこー、異世界における絶対的な存在ってわけでもないですし、かといって普通に生活しててまったく意にも解さない、ってわけでもないですし。

 わたし、あんまりそういうことは詳しくはないので、本で読んだことなんかを、わたしなりに面白く説明してみました。

 日本では昔からどんなものにも神さまが宿っているといわれてたこと、今は普段は意識しないけど、時々言葉の中なんかにはその存在を嗅ぎ取れてしまうことがあること。

 外国の神さまにも頓着なくって、むしろ節操なくよその神さまのお祭りなんかもやってしまうことを教えてあげたら、アプロは目を丸くして驚いていました。


 「…そんな感じです。無秩序もいーとこですし、呆れたんじゃないですか?」

 「あー、そーだなー…」


 想像もつかない、って顔ですよね。ふふ、それならそれで、面白いと思ってもらえたみたいです。


 「…けど、わたしこの世界に来て神さま、ってあんまり名前を聞いたことないんですよね。マリスが時々ぽろっと匂わすようなことは言いますけど」

 「そうだなー。教会の関係者以外には馴染み無いかも」

 「…やっぱり、教会のひとは神さまを信じているんですか?」

 「あー…アコの話を聞いたから、アコのその言い方は納得できるんだけど、教会はそこにあるものを『神さま』と捉えてるんであって、信じてるとかそういうのとは違うんだよ」

 「?」

 「アコだってとっくに触れてるはずだ。モトレ・モルトのような執言者に予言をもたらす存在を、教会は神と呼んでるんだ」

 「……そーいうことだったんですか」

 「そーいうこと。だから魔獣の穴に直接関わる連中以外には、あんまり馴染みないのかもな」

 「その正体というか…預言を降しているのが何者か、っていうのは…」

 「千二百年経ってもわかんねーんだから、簡単には分かんねーんだろ。私は諦めてる」


 どっちにしたってやることは同じだしな、とあんまりわたしには嬉しくない笑い方で、アプロはそうぼやきました。

 もっと楽しい話、したいんですけどね…と、思うわたしです。

 でも。


 「…やめとこ、こんな話」

 「ですね…」


 通じている、ってことはとても幸せなことだと、思えるんです。


 「あ、そういえばさ、ゴゥリンがベゥレール抱いてるところ見た?」

 「いえ、わたしが着いたらもうアプロが抱いてましたし。軽くて柔らかかったですよねえ…」

 「こんなに軽くて大丈夫なのか?って思うくらいだったもんなー。でさ、その軽くてちっさい赤ん坊をゴゥリンが抱いてるとこなんかさー…くくっ、いま思い出しても笑える…っ」

 「え、どんなだったんです?」

 「明日もう一回見に行ったらいーぞ?あの大男がちっちゃい赤ちゃんを怖々と抱いてあやしてるとこなんか……」


 ……赤ちゃんって、ほんととんでもない力持ってますね。わたしとアプロの顔を一瞬でふにゃふにゃにしてしまうんですから。

 わたしたちはなんだか重たい空気だったことなんか簡単に忘れて、ゴゥリンさんの赤ちゃんのことで、好き放題盛り上がってしまうのでした。


 …そして、話が途切れて一緒に黙り込んでしまったとき、アプロがポツリと言いました。


 「…こども、ほしーなー……」


 …そんなことを、遠くを見る目で言うのです。わたしの胸を締め付けるように、言うのです。


 「誰かそんな相手いるんですか?」

 「………アコはアホだなー」


 どーいう意味ですか、もう。

 わたしは頬をふくらませて、いじけたよーにアプロを見ます。


 「そんなの決まってるじゃん。アコと、わたしの子供が欲しい」

 「……あのですね、どんなに頑張ったってそれだけは出来ないに決まってるでしょーが。女同士ですよ?気持ちは分かりますけど、あんまり突拍子も無いこと言わないでください」

 「そりゃそーだけどさー…私はお母さんになりたいんだよー」


 また妙なところでアプロの母性とか見つけてしまいましたよ。

 けど、アプロって孤児…だったんですよね。そう思うと、そんな無茶な願いも切って捨てる気にはなれないですよね。


 「そーですね…身寄りの無い子供を引き取って、二人で育てるっていうのなら、ありかもですね」

 「悪くないけど、私はやっぱりアコとの間の子供が欲しい!」


 そんな泣きたくなるようなこと、言わないで欲しいなぁ…。

 そう思って顔を見られたくなくなり、思わず顔を背けるわたしでしたが、アプロは続けてとんでもねーことを言いました。


 「…アコ。私の子にならないか?」

 「…………は?」

 「だから、アコが私の子供だったら、とっても愛してあげられる気がする。試しに、私のことをママって呼んでみて」

 「アホ言うのも大概にしてください。わたしの方が年上だし背だって高いんですから、そんな状況成立しません!」

 「でもおっぱいは私の方がおーきい」

 「う……」


 ぼ、母性は胸の大きさに比例するわけじゃないやい……と反論にもならない反論を口の中でもにょもにょ言うしか無い、わたしです…。


 「なー、いーだろー?一回でいいから!…もしそれも出来なかったら…次の夜はアコを赤ちゃんにする!」


 赤ちゃんプレイとか高度過ぎませんかっ?!……あーもう、仕方ない。


 「…一回だけですよ?」

 「さあこい!」

 「……」

 「………」

 「……ままぁ」

 「………」


 そりゃもう渋々でしたので、俯き上目遣いで言うしかないです。

 擦れたよーな声で、なんとか一声絞り出したわたしを、アプロは半口開けて見つめてます。は、恥ずかしいっ!


 「…あの、黙ってないで何か言ってください。わたしアホみたいじゃないですか」

 「……きた」

 「え?」

 「なんか、ここんとこにキュン、ってきた…。いい…すげーいいっ!なあなあアコ、やっぱり今度は一晩中私のことママって呼ん…」

 「出来るわけあるかぁっ!!」


 ゴゥリンさんが探しに来るまで、アプロは傍迷惑な母性を発揮してわたしに無茶を言い続けたのでした。



   ・・・・・



 次の日、わたしたちは早々に出立しました。

 グラセバさんを始めとして何人ものひとに、もう少しゆっくりしていけと言われて後ろ髪は引かれたのですけど、わたしだけならともかくマリスまで一緒なのです。街をあまり長いこと留守にするわけにはいかないのでした。

 わたしを後ろに乗せたアプロ、マリスを前に乗せたマイネル、そしてゴゥリンさんのそれぞれを乗せた三頭の馬と共に、合計で三泊四日の小旅行はもうすぐ終わります。


 「マリスもいいお休みになったんじゃないですか?」

 「ですわね…あまりアウロ・ペルニカを出ることはないので、とても楽しかったです」

 「そーだなー。たまに五人で一泊くらいで出かけるのも悪くないかもな」

 「………」

 「大丈夫だよ、ゴゥリン。マリスも満足したからそんなに押しかけたりは…」

 「あら、あんな可愛い子を独り占めとか、いけずな話ですわ。また近いうちに連れていってくださいね、ゴゥリンさま」

 「あはは、そいつはいーな。それなら今度はフェネルもグレンスも一緒に連れてってやるかっ」


 当事者の誰も得しないよーな話ですねー…ゴゥリンさんへの嫌がらせにしかなりませんって。


 帰路の途中、わたしたちは馬上でそんな他愛ない話に盛り上がりました。

 獅子身族の集落とアウロ・ペルニカの間には人の住む土地はなく、日が傾いたら夜営をするしかありません。ですが、その時間だってわたしたちには楽しいものでした。

 

 そして次の日。遠くにアウロ・ペルニカが見えてきます。休暇は終わりですね。

 また明日から、アプロは領主さまやって、マリスとマイネルは教会のお仕事に励み、ゴゥリンさんはやっぱり何をやってるのか分かりませんけど、わたしは針仕事にいそしむか、新しい仕事でも探そーか……などと考えていた時でした。


 「アコ?どーした?」

 「あ、いえ何でも…ちょっと酔ったみたいで…」


 一昨日の夜、時折頭がふらふらしてた時と同じように、なんだか目眩がしました。

 ていうかこれって、風邪ひいたときと同じ悪寒に近いような、そうでもないような…。


 「アコ?なんだかお顔の色が悪いようですけれど…」


 マイネルの馬が寄ってきて、マリスがわたしの顔をのぞき込みそう言います。


 「だ、大丈夫です。もうすぐ街ですし…」

 「アコ、帰ったら医者に行こう。これで三度目だし、なんだか心配だ」


 …いえあの、そこまでしてもらうほどでも…。

 こちらに振り返ったアプロの顔はひどく真剣です。でも、そんな顔しないでくださいってば。きっとまた、一晩か二晩眠って、悪い夢見れば治りますから…。

 少し気が遠くなった気もしましたが、わたしはそう自分を叱咤して背筋を伸ばしました。気の持ちようか、幾分マシな気分にはなります。


 「…落ち着きました。帰りましょう?」

 「う、うん…」


 それでもアプロの顔は晴れませんでした。

 

 「なあ、アコ…お前さ…」

 「……アプロ、あれ」


 そして、なおも言葉を重ねようとしたアプロを遮ったのはマイネルの声。


 「ん?」


 マイネルが街の方を指さし、何かを見つけたようでした。

 この街道はあまり商隊の往き来もないので、わたしたちの他には誰もいませんから、街の方からやってくるのはわたしたちを目指しているのかもしれません。


 「…なんだ?あれ、フェネルじゃん。あいつ、あんなに急いでどーしたんだ?」


 遠目の利くアプロが、近付く影の正体に気付いたようです。

 それは土煙の高さからして結構な速さでこちらへ向かってくる馬でした。馬上にいたのは…確かにアプロの言う通り、フェネルさんのようです…けど……。


 「…随分慌ててるみたいですわね。こちらからも向かった方がよろしいのでは?」

 「だな。アコ、掴まって。気分悪いかもしれないけど、少しガマンしてて」

 「は、はい…」


 わたしたちは馬を走らせ、わたしはその振動で胃の中のものがこみ上げてきそうなのをしばし必死でこらえていると、やってきたフェネルさんと合流出来たのか馬足を止めて、アプロが声をかけます。


 「フェネル、どうした?!」

 「あ、アプロニア様…は、はぁっ、はぁっ……」


 いつも冷静沈着なフェネルさんが、馬上で息を切らしています。

 それだけで何かただならないことが起きたことを思わせます。

 わたしはどうにか耐えたお腹に感謝を捧げつつ、アプロの肩から馬に乗ったフェネルさんを見ると、喘ぎながら、こう告げます。


 「……ミアマ・ポルテ周辺に、数千の魔獣が…顕れ……街が、襲われております……」

 「………っ!!」


 …アプロの肩から、ひどく昏いものが立ち込めたように、わたしには見えました。

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