第88話・言なき盾に守られて その7

 さっきより近付いて見るヘビ女は、思ってたよりもヘビでした。

 もともと苦手なのでそれがどーゆーものかを知ってるとは言い切れませんけど、それでもその魔獣の頭部でぐにゃぐにゃのたうってるブツは間違いなくヘビなのであると、妙なリアリティがあったものです。


 「…えーと、お初にお目にかかります。アウロ・ペルニカでお針子やってる神梛吾子ともーします。そこに捕まっているのはわたしの大事な友人でして。出来れば穏便に解放していただけると助かるかなー、なんて思う次第の今日この頃なのですが、いかがなものでしょーか?」

 「………アンタさ、ひとにもの言う時はもちょっと近付いてこっち見ながら言ったらどうだい?」


 と言われましても。

 これ以上近付くとあなたの頭でのたくってるヘビの、「みゅいみゅい」とか「ぎゅちぎゅち」って音が聞こえてきて、正気保つ自信ないもので。

 あとはっきり言って、髪にあたる部分のヘビはもちろんのこと、爬虫類の特徴が残るお顔も、わたし的にはきっつくて。縦に割れた瞳孔とか。鱗そのものの肌とか。

 いえ、女性のお顔に対してこーいうこと言うのは無礼だとは分かっているんですけどね?でもほら、ひとには好みというものがあるじゃないですか。それがわたしの中でこう、囁くんですよ。「こいつぁ、ヤベぇ」って。


 「…ま、アンタがそれでいいってんなら構わないけどさ」


 あら。意外に寛容な方なんでしょうか。わたしのワケわからんだろう駄々をあっさり認めてもらえました。


 「アコ!ばか言ってないでこいつなんとか…くのっ、このっ!」


 アプロはまだ、ヘビの体を張った拘束から逃れようと必死にあがいてます。けど、なんか無駄な努力、って気もしますし…。


 「あのアプロ?とりあえずわたしがお話してる間は、大人しくしててくださいね?逆ギレされて襲いかかられてきたら、わたしどーしようもないんですから」

 「そんなこと言ったって…」

 「いいから。わたしがいいって言うまで動いたらダメですからね。分かりました?」

 「……わかった」


 うん、聞き分けのいいことです。

 まあこれで少しは大人しくお話が出来そうですよね。何を話すのか分かりませんけど。


 「…ふう、助かるよ。このまんまでも問題はないけどさ、これでもガルベルグが一番警戒する石の剣の使い手だ。油断も出来ない、って中じゃあ落ち着いて話も出来やしないし。ああ、まだ名乗ってなかったな。アタシはローイルってんだ。ガルベルグに頼まれて出張ってる」

 「なんかバギスカリって魔獣と似たような立場ですね。ガルベルグさんて何者なんですか、あなた方にとって」

 「おっと、そちらの話を先に、ってえのは立場を考えてみればあり得ない話だね。こちらの話を先にさせてもらう。アンタの聞きたいことは、その後だな」

 「はあ。ごもっともですね」


 別にこっちが頼んだわけじゃないですけどね、という余計な一言はこの際呑み込みます。アプロが人質にとられてるよーなものですし、時間を稼ぐ必要もありますからね。今は、好きに喋ってもらいましょう。


 「…で、あなたの聞きたいことって何なんです?」

 「そりゃあわざわざこんな状況を作ってまでする話なんだ。アンタ自身のことに決まってるさ」

 「わたしの?えーと、魔王さんに目を付けられる覚えは…無くは無いですし実のところ一回お会いした時もわたしに含むところがあるような話されましたけど…はて、なんでしょう?」

 「いや、そんな面倒な話じゃあ、ない。アンタさ、今どうだい?」

 「…まあ、そこそこ充実してると思いますよ?いい仲間、頼れる友人、それに街にも親しい人はいっぱい出来ましたし。悪くない生活を送っていると断言できますね」


 …余裕がないと思われるのがイヤでしたので即答はしましたけど、なんでこんなこと聞くんですかね。まさかとは思いますが、わたし個人のファンだったりして…あー、ないですないです。わたし種族の違いとかはきっと気にしない方だと思いますけど、一緒にお茶飲むならせめて哺乳類で。爬虫類のみなさんには悪いと思いますけど、出来れば来世で。


 「……気配がするする。アコがしょーもないこと考えてる気配が、ぎゅんぎゅんする」


 アプロうるさいです。あなたはちゃんと自分のやることやっててください。


 「けどそんなこと聞いてどーしようっていうんです?ていうか、こういう話で良かったんですか?」


 ローイルと名乗ったヘビ女は、ようやく顔をまともに見る気になったわたしの視線を真っ向から受けて涼しい顔をしています。おかしいですね、そこそこキッツい目付きしてるはずなんですけど。わたし迫力に欠けるのかしら。


 「いやまあ、アンタの思うところを聞かせてもらえりゃ、それでいいんだ。だからそんな話でも充分さね。で、聞きたいのはさ…」


 舌なめずり。えーもう、予想通りにヘビ特有の細い舌がチロっと覗いてわたし鳥肌立ちましたよ。

 ですけど、その先に続いた言葉はなんともわたしの意表をつくものでした。


 「この世界に誰ひとり知る者のない異世界からやってきて、どうにかやっていけそうか?ってことさ」

 「………」


 …いえまあ、驚くようなことじゃないのは確かなんですけど。ベルは知ってましたし、アプロはもちろんマリスにだって伝えてありますからね、そんなこと。この場で知らないひとっていったら。


 「…今、なんと?」


 …選りに選って一番めんどくさいひとだけなんですから。


 「針の聖女殿。今この者が言ったことは、確かなことでありますかな?」


 マギナ・ラギさんが後ろから歩いてくる気配がします。わたしはこのローイルというヘビ女から目をそらせないので振り向けはしませんけれど、驚き意外の感情もなんだか感じる足取りで、わたしの後ろまでやってきました。


 「別に隠してたわけじゃないです。あなたも気付かなかったように、わたしこの世界のひとと同じように生活してますし」

 「そういうことを言いたいのではありませんっ!…それが事実であれば、教義を根底から覆す可能性もある重大事だ!」

 「…なんでです?」

 「マギナ・ラギ師!それはまた後で話ましょう、今は目の前の魔獣に対して合力すべきだ!」

 「それすら些事にしかねない事実ではないか若僧!いいかね、外つなる世界の存在と魔獣の存在に関わりがあることは早くから疑われていたことだ。教義にも原典の段階で既に明記されている!」


 え、そーなんですか?


 「我がフラー派では魔獣の生まれる世界を異界としてその存在を長く探ってきた!この少女がそれに関わるのであれば…それを聖女などと持ち上げるのはとんだ茶番というものではないのかっ!」


 …背中で、ビシッ、とか音のしそーな勢いでわたしを指さす気配がしました。

 いやそれを言うならですね、と流石にこれだけは言おうと思ったわたしなのでしたけど。


 「………アコを、聖女などと言ったのは、貴様の方だろう」


 それより先に言ってくれたのは、ゴゥリンさんでした。


 「………魔獣を退滅する役目を、その身に求め、持ち上げておきながら、自身の思想にそぐわぬと分かれば一転して、糾す側に回る。褒められない所業だとは思わないか?」

 「…我々が求めたわけではない」

 「ですが、アコの名声を利用しようとしたことは事実でしょう」

 「あなたも知っていながら、どうして見過ごしてきた!教義に背く真似をしているのはあなたの方だろうが、マゥロ・リリス!!」


 ……えーと、わたしをほっといてシリアスを展開されても困るんですが。

 ていうかですね。こんな場面作っといてひとりでニヤニヤしてるこのヘビ女、たいっへんムカつくんですけど。


 「いや、なかなか面白い話になってきたじゃないか。どうだい、自分のことで人間どもが言い争うってのは。楽しくなってこないかい?」

 「本人関係なしに話進められたって困惑するだけですよ。それより、わたしをこーいう立場に追い込むのがあなたの目的だったっていうんですか?」

 「いや、そういうわけじゃないさ。けど、異世界の存在が顕わになった時に見せる反応ってえのは、アタシらにとってみれば…他人事だから笑えるだけだね」


 ほんとですね。

 この世界の、わたしのいたい場所の問題だっていうのに、呑気に知らん顔してた自分のしょーもなさに笑えてきますって。

 きっとアプロもマリスも、マイネルもゴゥリンさんもグレンスさんも。それから、もし知っていたのでしたら、ヴルルスカさんやマウリッツァ陛下も。

 こうしてわたしがわたしでいられるよう、守ってくれてたんですね。


 わたし、ばかだなあ。


 「…で、どうするよ。アンタは、この状況じゃあ人類の敵になりかねない勢いだ。それでもアタシたちを退治してまわるのかい?そこんとこの覚悟って奴を、聞かせてもらおうじゃないか」

 「わたしの出来ることなんか、大したものじゃないですよ。そうですね、せいぜい…こうして時間を稼ぐことくらいですよ」

 「……なんだって?」


 にやり。

 我ながら人の悪い笑みが浮かぶのを抑えきれません。だって、何も言わなくたってわたしのして欲しいことを、全部分かってくれてたんですから。


 「…アプロ!いいですよっ!!」

 「…其の功しき御姿を覧ぜんことを、最後に願う!顕現せよ!!」

 「なにィッ?!」


 その身を拘束していた蛇が、爆ぜました。

 爆音にも等しい勢いで束ねられた両手を広げ、彼女に背を向けていたローイルにアプロは襲いかかります。


 「油断したなアホめっ!」

 「くっ!」


 聖精石の剣を絡め取った先程と同じように、二匹の蛇が迫る白刃を挟み込もうとします。

 ですが速度において先刻を遥かに凌駕する斬撃を捉えることは出来ず、軌跡の後を空ぶるだけ。

 そして、アプロ渾身の一撃はローイルの…。


 「……なんでとおらないっ?!」


 首元に当たって、止まっていました。


 「…おっ、お前何なんだよっ!さっきと全然違うじゃないか!」

 「驚くのはこっちだこのヘビ女!なんで当たってんのにぶった斬れねーんだよっ?!」

 「………アプロッ!」

 「お…?!ええっとぉっ?!」


 互いのしでかしたことに驚き合う間もなく、ローイルの背後にゴゥリンさんの振るう斧槍が襲いかかりました。

 上から振り下ろすのではなく、地面スレスレから跳ね上がるような軌道を描いた斧の部分は、間違いなく意表を突いたはず……。


 「……!」

 「嘘だろっ?!」


 と思われた瞬間、ローイルの体は現れた時のように無数の蛇に戻り、そのうちいくつかを引きちぎりはしたものの、人型のあった場所を虚しく切り裂いた得物を自分の手元に収めるゴゥリンさんでした。

 そして分かたれた蛇の群れはわたしたちから距離を置き、一つ箇所に集まるとまた先程見たように、ここからでは光の加減でか全く見えませんけれども、存在感でなんとなくそこにあると分かる小さな石を核として、またもとのローイルの姿を象っていきます。

 けれどそれが完成すると思われた…その前に、続けて飛びかかったゴゥリンさんの斧槍の一閃が横薙ぎに蛇の柱(もーいや…)を真っ二つにしました。


 「ゴゥリン!」

 「………フッ!!」


 そしてアプロも続き追い打ちをかけたものの、それが届く直前に蛇の群れは散逸して的を絞らせようとしないのでした。


 「…デタラメにも程があるなー」

 「………」


 二人は蛇の蠢く地面を避けて距離をとり、わたしの前に戻ってきました。

 ぼやくアプロに対しゴゥリンさんは油断なく蛇の群れがどこに集まろうとしているか、見定めている様子です。

 

 「感心してる場合ですかってば。けど、力任せでどーにかなる相手でもなさそう…です?」


 呪言で肉体を強化したアプロでもダメージ与えられなかったんです。一撃で真っ二つにされた筋肉カンガルーのようにはいかないようですね。

 そうです、わたしがローイルの気を引いてる間に、アプロは肉体強化の呪言を唱えていた、というわけでした。ただ、蛇に縛られたところを力任せに逃れることは出来ても、それ以上は…手詰まりですねー…。


 「なんか意表でもつかなきゃ難しそうだなー、これは」

 「いつものバーッと光ったり爆発したるするやつでは?」

 「まあ最終的にはそーなるだろうけどさ。けどゴゥリンでさえ当てられない相手に私抜きで足止め出来るかっつーと…」


 簡単にいきそうもないよーですね。

 見ると蛇の群れは、こちらから簡単には手出し出来ないようにか、岩山の上に集まっていきます。岩肌を無数の蛇が這い上る光景というのは…これで最後にしてほしひ。

 そして蛇の集まっていった先に、またもやローイルが姿を顕しました。相変わらずムカつく笑みでも浮かべてる…かと思えばこれが意外なことに、なんだか疲れた風でもあります。


 「…お前らこっちは話があるってえのに委細構わず襲いかかってくるとか、ズルすぎるだろっ?!」

 「うるせー!自分が有利な時に事を運ばねーお前が間抜けなだけだ!」

 「こらこら。そーいうこと言ったら次に立場が逆転した時に油断してもらえなくなりますよ?」

 「…っ?!……ったく、どっちが魔王でどっちが世界を守る勇者なのかわかんねえな、お前らは…」


 そーですね。我ながらそう思います。けど言い返せないので笑ってごまかすわたしです。


 「とにかく話を聞けっつーの!いいか?!今からそっちに降りていくから、大人しくしていてくれよ…?」

 「やーなこった!どうせお前に口利かせとくとアコが困るもんな!だから喋ってる間に滅ぼす!」

 「て、てんめえ…」


 いやあの、わたしを気遣ってくれるのは大変嬉しいんですけど、いい加減交渉の糸口とゆーかこっちも決め手を欠いてるわけで、話をするしないはともかく、そろそろ悪だくみの一つでも……と、アプロをとりなそうとした時でした。


 「………あー、しょうがないね。折角こちらは平和的に対話をしようとしてきたんだ。それを拒むってんなら…」


 ローイルは右手を前に突きだし、人差し指でこちらを指します。その先にいるのは…マリス?

 …と、思って皆どこか気が逸れたのでしょう。

 ローイルの指の先端に蛇の頭が顕れ、それはわたしが「?」と訝しんだ次の瞬間。


 「…マリっ…?!」

 「やべっ?!」


 弾丸のように飛び出し、それこそ銃弾にも劣らないだろう速度でマリスに襲いかかります。

 そしてその場にいた誰もが対応が遅れ、マリスにそれが届いてしまうかと思ったとき。


 「きゃあっ!!」

 「…ぐっ!!」

 「え?」

 「うそ…」

 「ラギ師!」


 …まさかの、マギナ・ラギさんが、マリスを突き飛ばして庇い、その代償として。


 「……間一髪」


 彼は蛇の刺突を腹部に受け、その体は大きな音を立てて地面に倒れてしまいました。

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