第79話・王都の休日 その4
王城と大学から少し離れたところに、小高い丘があります。
何やら謂われがある場所のようでふもとには古い石碑があり、普通なら都を見下ろす明媚な土地としてお金持ちの屋敷でもありそうな丘には何も無く、そして一度そこを登って降りた、ちょうど城との反対側にその場所はありました。
アプロがわたしを連れてきたのだから、きっと意味のある場所ではあるのでしょう。
「……あの、ここは?」
わたしは丘の上から降りながらもこう訊ねはしましたが、こういう場所って世界が変わってもあまり見える光景に違いってないものなんですね。
石造りの置物がいくつも整然と並べ置かれた、墓地、と思われる場所が目の前にはありました。
「ん、墓参り…かな」
「…ですよね。どなたの、ですか?」
聞き及ぶ限り、アプロには王都での知り合いはそう多くないはずです。
そんな中で、アプロが墓参するほどの人というと…。
「…この街に連れてこられてさ、じじいに剣を仕込まれ、そんでいつの間にか城に出仕することになった時…私にすげー優しくしてくれるひとがいたんだ」
墓地とその外には特に柵や塀にあたるようなものもなく、人の手で整備されたような歩路があるばかりです。その上を、アプロはわたしを先導するように…いえ、どちらかというとわたしがいてもいなくても変わらないように、ですね。きっと何度も何度も、通った場所なんでしょう。迷うことなく墓碑の建ち並ぶ中を歩いていきます。
「前にさ、この街に来た時、宴の席にアコを連れだしただろ?宴っつーかほとんど見世物みたいだったけど。で、そんときにアコに着せた青い盛装、覚えてる?」
覚えてますよ。
とても丁寧な仕事でしたけど、材料そのものはそれほど高価とも見えず、けどその分着てた人の気持ちが伝わってくるような、そんな衣装でしたね。
「あれさ、姉上…っていうとちょっと語弊があるけど、陛下の一番上の御子で、兄上のその上に、いたんだ。そのひとが着てた衣装なんだよな」
なるほど…そう言われると、その時ゴゥリンさんが言ってた言葉の意味も理解出来ます。ひとが大事にしてるものはそれぞれだ、って。
「あいつそんなこと言ってたのかー。そういやわたしより先に姉上とは見知ってたんだっけ」
「なんかもー、その辺の人間関係は一度まとめて教えてもらいたいとこですよね。マリスがもっと小さい頃からアプロとお友だちだった、なんて初耳でしたもの」
「ゴゥリンの方はなんかまだ謎多いけどなー。あいつもどんな理由で村を出たんだか…あ、ここだよ、アコ」
アプロが立ち止まったのは、両隣の墓碑よりもやや高さの低い、これが王家の長女の墓なのでしょうか、と疑わしくなるほど普通のものでした。
墓碑…は古い文字で書かれていたので、わたしには読めません。
「これは…『グァバンティンの血を守りし聖女、ここに眠る』と書かれてあるんだよ。聖女、なんてあの姉ちゃんに似合うかどーかは、あやしいもんだけどなー…」
アプロの口振りにあったのは何だったんでしょうか。横顔を見ると、悔恨と懐旧が綯い交ぜになったような、なんだか深い顔をしてます。
「…どんなひとだったんです?」
「んー?当時十二の私に酒の味を教えてくれたひと」
…墓碑銘は「アホがここに眠る」とかの方がよくないですか?
「あはは、まあ味見させてくれたくらいで、別にガンガン呑まされたわけじゃないけど、おっきくなったら一緒に呑もうね、とは言ってくれてたよ。あと、悪いことは大体教えてくれた」
「………」
ええと。
わたしどんな顔すればいーんですかね。
いい話なんだかそうでもないんだか、よく分かんないですけど、そこはもうアプロが話してくれないと。
…聞かせてくれますか?
「そーだなー。何から話せばいいのか…って、最初っからは無理だから…まあ、さ。私にとっては、『姉ちゃん』って呼べる人だった」
「あー、なんかそれだけでも朧気には分かりますね。アプロ、懐いてたんでしょう?」
「だなー。この街に来て、剣の修練山ほどして、聖精石の剣が使えることが分かって兄上にも師事して。で、王家に取り込まれることになった時、初めて会った」
姉ちゃんは、最初っからとんでもねーひとだった、と苦笑しながら、アプロは歩き出します。
思いつきで訪れたわたしたちは、花とかお墓参りに要りそうなものは持ってませんでしたので、黙礼をしただけで立ち去ります。
「そりゃまあ、今では割といい関係にはなってるけどさ。中興の貴族だけじゃなく、古い方にだって最初はあんまりいい顔されなかったんだよー。まあ当然なんだけど、むしろ古い方が強行に反対はしてたかな。で、姉ちゃんは、私を連れてそんな連中を説き伏せて回った……とか思うだろ?」
「いえあんまり。きっと、アプロが心酔するよーなひとなら…アプロと一緒にいたずらして回るとか、そんなんじゃないですかね」
…って、我ながら不敬な発言だなー、とは思いましたけど、アプロは目を丸くして驚いた後、あははは、とこれは本当に楽しそうに笑うのでした。
「…あー、うん。やっぱりアコはすごい。私のことよく分かってるなー。そうだよ、もー、悪いことは大体教えてもらった、って言ったけどさ、問題にならないギリギリのところでする悪さってのはこーいうもんだー、って率先してやってくれてたよ。そんなことしたらもちろん怒られはしたけどさ、そのうち古い貴族連中の…若手の方からはさ、なんかだんだん認められるようになって。姉ちゃんが死んでから知ったんだけどさ、姉ちゃん、そーいういたずらした後は自分ひとりだけ頭下げに行って、あれは一廉の人物になる、血筋とかそういうもの関係無くあなたたちと王家の仲立ちとなれる、って説いて回って。まー中興の貴族とは結局王家の看板が邪魔して今でも上手くいってはいないけどさ、それでもなんかー…ケンカした後に仲良くなるー、みたいな感じで、古い連中とはいつの間にか、普通に話が出来るようになってた」
…まあ、アプロらしいと思いましたけど、逆なんでしょうね。
そういうことの積み重ねで、今のアプロが出来てわたしはそんなアプロのことが…あー、うー、まあその、す……好き…になってるとゆーか…。
「姉ちゃんが死んだのは、私がアウロ・ペルニカに派遣される時のことだった。まあ、もともと病がちではあったんだけど、病気で亡くなったわけではないんだ」
それで、どうなりました?
「うん。私はもうその頃は、聖精石の剣の使い手として知られるようになってて、王家の力にいずれはなるだろう、って皆に思われてた。けど、それを面白く思わない連中もいたわけだ。アウロ・ペルニカ出立のその日、私を襲った一団が、いた。私と兄上はそれを撃退したけど…姉ちゃんが巻き込まれて、死んだ」
………。
「グァバンティンの血を守りし聖女、なんてご大層な墓碑銘はさ、私と兄上を守って死んだ、という態をとってるからさ。実際は、私の不手際みてーなもんだったのにな」
まあそれは今でも、私と兄上の間ではけっこー、引っかかるものにはなってるよ、とだけ最後に言って、アプロはまた丘を登る道に足をかけていました。
わたしはそれを見て、後に続きます。後に続きながら、何も言うことは出来ません。
いえ、驚きはありましたけれど…正直、ショックを受けるような話ではなかったのだとは思います。
そうですね、この街に来てメイルンがアプロニアになるのに、もう一人力を貸してくれた人がいた、と。ただそれだけの話、のはずなのに。
「…姉ちゃんの遺言だった。息の絶える際に、私と兄上の手をとって、姉ちゃんは言ったんだ」
どうして、わたしにとって重いものを、置いて行ってしまうんですかね。
「私は、いずれ兄上と結婚する。結婚して、この国の跡継ぎを産む。そう、姉ちゃんは最後に願ったんだよ」
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