4-10 キスの代償と別れ

「……女の子のキスを切り落とすなんて、最低」

「何がキスだ。呪いやがって」


 ミハイルは治癒魔術を唱えると耳朶からの出血を止めた。そしてリーシャの首筋へと触れる。


「ひゃあッ!」


 素っ頓狂な声をあげたリーシャを無視して黒髪をかき分けると、鍵のような痣が黒々と浮かび上がっている。ミハイルは小さく舌打ちをすると少女たちを睨んだ。少女たちはその怒りを嘲笑うかのようにクスクスと笑った。


「ああ、怖い怖い」

「今度の人柱は威勢がいいね」


 ミハイルが少女のうちの一人、右目に眼帯をしている方へと視線を移す。リーシャの首筋についた呪印は初めて見る物で、その解呪方法が思い至らない。だが大抵の呪いは、術者が死ねば解除されるのだ。


 ミハイルがゆっくりと立ち上がって右手をかざしたとき、


「遅い」


 目の前には左目に眼帯をした少女が立っていた。彼女は大きく右足で踏み込むと、その足を軸として回し蹴りの構えをとる。刹那、少女の華奢な左足とそこに繋がれた鉛玉が襲いかかり――少女の体は大きく後方へと飛んでいった。


「あれ――?」


 予想外の事態に思わず受け身をとることも忘れた少女は、激しく背中を打ち付けた。大きな瞳を白黒させてミハイルの方を見ると、突き出した拳を元の位置に戻してファイティングポーズをとるリーシャがいた。その右手中指には白銀に光る指輪がはめられている。


「また原初の魔法……。わざと呼び寄せたのね」


 リーシャがはめている指輪もまた、ミハイルが以前に作って渡した物だ。身体強化の術式が付与してあり、速度、硬度、威力、耐久性等が底上げされる仕様となっていた。普段はチェーンをつけて首から提げているが、結局はミハイルによって魔力を一部抜いてもらわなければ使えない代物である。


「あーあ。汚れちゃった……」


 少女はゆっくりと体を起こして服についた砂を払った。そしてもう一度リーシャの方を見据えたときには、その姿はなかった。


「――?」


 少女が小首をかしげたとき、相方の声が鼓膜をつんざいた。


「ばか! 上よ!」


 その声に上空を見上げれば、頭上からかかと落としを繰り出さんと急降下してくるリーシャの姿が見えた。少女はすぐさま半歩横にずれてそのかかとを避ける。


「体ががら空きね! 〈爆ぜろ炎――」

「〈還元せよ〉」


 少し離れたところにいたもう一人は、空中で無防備になったリーシャへと右手をかざす。

 だがその手から炎が上がることはなかった。少女のすぐ後ろから低い声が響く。そこで初めて少女の背後にミハイルが立っていたことに気づいた。


「なッ!? 存在希釈なんてそんな――!」


 ミハイルは限りなく自身の生気を希釈することで少女の背後に回っていた。そして気づかれることなく少女の魔力を無力化させると、矢継ぎ早に詠唱を重ねる。


「〈その業を縛せ〉!」


 背後をとられた動揺、そして相方を援護しなければという焦りが少女の動きを鈍らせた。そんな一瞬の隙を突いてミハイルは捕縛魔法をかける。


 びくんっと少女の体が大きく身震いをすると、後ろで手を組むような形となって硬直した。両の足首もぴったりとくっつき離れない。身動きのとれなくなった少女は、なすすべもなく地に伏した。


 少女からの後方支援が受けられなかったもう一方は、瞬時にリーシャの着地予想地点から大きく離れた。振り下ろされたリーシャのかかとは虚しく大地を穿ち石つぶてを巻き上げる。


 土埃が舞い上がり閉ざされた視界の中で、少女は小さくほくそ笑んだ。

 全く見当違いなところにかかと落としをお見舞いしたリーシャを嘲笑うかのように踏み込んだ瞬間、土埃の中から石つぶてが飛び出す。急に現れたそれは避けられようもなく、顔面でもろに受けるとそのまま大地へと仰向けに倒れ込んだ。


 リーシャは少女が避けやすいように、あえて大ぶりに蹴りを繰り出していた。初めから狙いは石つぶてと粉塵を生じさせることだったのだ。

 その狙い通りに石つぶてが浮かび上がると右ストレートを食らわせた。石つぶては高速で射出されると、少女の可愛らしい顔面を無残な状態へと変貌させる。そんな少女へと駆け寄ると、ミハイルはその少女にも捕縛魔法をかけた。


「あんたたち、何者なの!?」


 拘束された少女に近づくと、リーシャは眉をつり上げた。だが少女はへしゃげた顔でクスクス笑うばかりで答えない。しびれを切らして更に詰め寄ろうとしたとき―頭上高くから低く重い声が響いた。


「もういいよ」


 その一言をきっかけに、二人の少女は立ち上がった。


「え、何で――」


 ミハイルが施したはずの捕縛魔法はいとも簡単にほどかれて、何事もなかったかのようにこちらを見ている。よく見れば石つぶてが当たったはずの少女も無傷になっていた。

 驚愕のあまり開いた口の塞がらないリーシャを見て、少女たちはクスクスと笑う。そして箒の上で仁王立ちしている主の足下へ移動すると膝を折ってお辞儀をした。


「――!?」


 リーシャが言葉にならない声を上げて駆け寄ろうとするのを制すると、ミハイルはゆっくりと近づいた。


「お前たちの目的は何だ」


 今では誰も使わなくなった箒の上に立つ人物は、フードを深く被っておりその表情は分からない。だがその暗闇の奥でわずかに微笑んだのが分かった。


「私たちはただ優秀な魔術師を育ててるだけよ。時が来るまでの間に」

「育てる?」


 相手の言葉をオウム返しに問うと、箒の人物は悩ましげに首を振った。そしてそのまま後方へと倒れ込み――ぐるんとその身を一回転させると、箒に足がくっついたまま逆さまに浮かんだ。ひっくり返ったままゆらゆらとミハイルに近寄ると、フードに覆われた顔を寄せて呟く。


「ここは私の農場なのよ。優秀な魔術師を育てて、収穫するの。あなたたちは最良の実になるわ」


 その声はとても優しく語りかけたというのに、ミハイルは全身の毛が逆立つのを感じた。戦慄が走ると共に背中を冷たい冷や汗が伝う。

 フードに覆われた頭をなぎ払おうと大ぶりに振りかぶった腕は、ふわりと上昇して易々とかわされてしまった。


 ふと、ミハイルは何かに合点がいってその人物をじっと見据える。


「育てる……。まさかエンゼル・フォールをばらまいたのはお前なのか?」


あのゾーイですら古龍を召喚できるほどに能力を底上げする魔法の薬。どんな手を使ってでも魔術師を育てることが目的ならば、あの薬は最も効率がいい物となるだろう。


「そうだよ。馬鹿な副院長の孫をそそのかして薬をばらまかせたんだけどねー。みんな薬に適応出来ずに灰になって消えちゃったよ。実験失敗だなぁ」


 リーシャはゾーイが最後に立っていた付近をチラリと見た。そこに少年がいた形跡はもはや何もない。ただ、一盛りの灰だけは風に飛ばされずその地に留まる。


「何が実験よ……」


 リーシャはその灰を見ながら小さく呟いた。自らを殺そうとした人間だとしても、情がわかずにはいられない。まして誰かにそう仕向けられたのなら。


「こっちは生きた人間なのよ! 道具みたいに扱わないで!」


 きっとゾーイだって、持て余す力さえ手に入らなければこんな事はしなかったはずだ。薬に手を出す前に誰かが寄り添っていれば、こんな事件を起こさずに今だってリーシャを慕って笑っていたのだろう。

 だが、リーシャの怒りが理解できないその人物は、小首をかしげて心底不思議そうに答えた。


「人間はみな大義を成すための道具だよ、リーシャ。灰になった奴らには価値がないけれど、おかげで君たち二人を見つけた。二人は人柱として育てる価値があるよ」

「なんで名前――」


 ふいに呼ばれた名前に、その人物が言った言葉は頭から抜けていった。


 しばらくの沈黙。


 その間、フードの人物との間に一枚の木の葉が舞った。だが。そこにあるのに、がゆっくりと地に落ちて――。

 刹那、突風が巻き起こる。それは木の葉を起点として勢いを増すと、竜巻となって宙ぶらりんとなっている人物へと襲いかかった。


「マスター!」


 竜巻の中心部へと飲み込まれていく人物に少女が駆け寄ると、かばうように多い被さった。もうひとりの少女は右手を突き出すと竜巻の根元へと照準を合わせる。


「〈爆ぜろ炎狐〉!」


 少女の掌から生じた燃えたぎる狐は、滑空すると竜巻の根元にある木の葉を燃え尽くした。最後の灯火が燃え尽きると、巻き上がっていた風はピタリと止まる。


 中心部には至る所から血を噴き出させて地べたに座る少女の姿があった。その背中は鋭利な刃物で何千回も切り裂かれたようにズタボロである。

 ずるりとフードの人物から力なく落ちていくと、ようやくリーシャたちはそのフードの中身を見た。


 かまいたちによってローブが切り裂かれたその人物は、風で乱れたボブヘアをいらだたしげに手ぐしで整えている。


「ジモーネ・ペルシュマン……!」


 ミハイルは信じられない物を見るように息をのんで呟いた。すぐ近くではリーシャが膝をついてへたり込んだ気配を感じたが、ジモーネを見据えたままそちらを見ることはしない。

 そんな研ぎ澄まされた意識の中、後方から高らかに軍靴を打ち鳴らして近寄る人影に気づいた。


「ようやく尻尾を出したか、〈予見者〉アウグリム。まさか学校に潜伏しているとはな」


 漆黒のマントを翻したその人物は、白い歯を見せてにやりと笑った。アウグリムと呼ばれたジモーネは、大きく嘆息を漏らすと立ち上がる。


「しつこい男はモテないと何度教えれば諦めるんだ、ラルフ坊」

「お前が坊やと呼ぶのをやめるまでだな」


 やや長いアッシュブラウンの髪を一纏めにしているその人物は、後れ毛を耳に駆けながらゆっくりとジモーネへと近づいていく。金糸で縁取られた漆黒の詰め襟は、その人物が王室直属魔導師団のひとりであることを物語っていた。


「なら一生ストーカーされる訳か」


 普段の頼りなくおどおどしたジモーネはもういなかった。そこには自信にあふれ、強気で国内最高峰の魔術師と向き合う敵がいた。


「逃げられると思っているのか?」


 ラルフは体勢を低く構えた。それを見たリーシャもよろよろと立ち上がってジモーネに対峙する。だがその眉はハの字に垂れ下がっており、腑に落ちていない様子だった。


「むしろ捕まえられると思っている理由を聞きたいね」


 ジモーネが指を打ち鳴らすと、四方から灰色に変色した生徒たちが現れた。それはオープンバルの日に失踪したと騒がれた生徒たちだった。みな一様に光を失った瞳で、間合いを詰めてくる。


「ゾーイより意志が弱いくせに薬に依存して自我を失ったんだよ。みんな純血の名門子息、子女たちだ。殺さない方がいいと思うよ?」

「チィッ!」


 今にも攻撃魔法を繰り出そうと身構えていたラルフの前に、その虚ろな生徒たちは立ちはだかる。

 ゾーイのように危害を加えたならまだしも、未知の薬に手を出しただけの生徒を、しかも貴族やそれに準ずる家柄の少年少女を殺すわけにはいかない。


「首筋、気をつけてね。呪いが実を結んだ頃に迎えに行くよ。」


 ジモーネは首筋を指さすとにやっと笑った。その顔を見た途端、血の気が失せるようなひんやりとした感覚に襲われる。リーシャは慌てて痣を押さえた。


「ここはもう用済みだし、私はもう次のステージへ行かないと。ミハイルくんへのキスはまた今度ね」

「……遠慮しておきます」


 自分に襲いかかろうとしている生徒から身を翻して打ち倒すと、ミハイルはジモーネを睨みつけた。ジモーネの側に近寄りたいのだが、生徒たちは絶えずその道を阻んでくる。


 リーシャたちが間合いを詰めようとしているのを尻目に背を向けると、ジモーネはひとりの生徒の首根っこを掴んだ。懐から取り出した何かが、落ちかけた太陽の光を反射して鈍く光る。


「やめろ!」


 ラルフが叫んだときには遅かった。ジモーネが取り出した短剣は生徒の心臓を射貫く。その銀白色の刀身が赤赤とした鮮血を吸うと、柄に刻まれた魔術刻印が煌々と輝いた。同時にジモーネたちの足下には、それに刻まれたのと同じ転送魔法陣が浮かび上がっていた。


「ま、待って! 先生!」


 ”先生”と呼ばれたジモーネは一瞬だけ肩を震わせたが、振り向きはしなかった。傷だらけの少女をもう一人が抱え込むと、不協和音を発し始めた魔法陣へと飛び込む。そのまま三人は目眩い光と共に姿を消した。

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