4-8 死へのカウントダウン

 それは降りしきる雨のごとく、止めどなく突き刺さる。だが鱗はどれも白く発光した盾に阻まれてしまい、ミハイルの体まで到達することはない。その現状を前にしても、ミハイルの顔は未だ厳しい。


 一方のゾーイは痛みに顔を歪めながらもほくそ笑んだ。龍の傷口から腕を引き抜くと、肩から肘にかけてかろうじて残っていたそれは、骨のみになっていた。自らの肉を触媒に魔術を発動させた末路である。


 だがそんなことは気にもとめていないのか、骨だけになった異様な両腕を振り回しながら狂ったように笑い声を上げている。


 ミハイルは心の中でゆっくりとカウントダウンを始める。


 十、九、八、七……。


 ミハイルの目の前に生じていた盾に小さな亀裂が生じた。


 六、五、四……。


 その波紋を狙い澄ましたかのように突き刺さった鱗が、その亀裂を押し広げる。


 三、二……。


 白く半透明だった盾が、灰色に淀んだ。亀裂はその端まで浸食している。

 ミハイルは盾から目を背けると、古龍の尾があったところを仰ぎ見た。浮かんでいた鱗は三分の一まで減っている。あと少しだったのだ。あと少しだけ、盾が持ったならば――。


 一……。


 ミハイルの目の前で盾がはじけ飛んだ。光の結晶はまるで雪のようにキラキラと舞う。目の前に死の刃が迫っていなければ、その美しさを素直に喜べたのだがと最期にほくそ笑んで――その全身に刃を受けた。


「グァッ――」


 上空から大ぶりに放たれた鱗は、眼前に迫るほど速度を増して襲いかかった。そのうちのいくつかは、ミハイルにかすりもしないで背後の地面を破壊する。だが大多数は精確無慈悲にミハイルの体へと大きな穴を穿っていった。


 薄れゆく意識の中でも、ミハイルは最期まで努めて冷静に振る舞った。少しでもその体から外れそうな鱗は、自ら身をよじってあえて体に受ける。そうでなければ、背後にいるリーシャへとその脅威が及んでしまうのだ。リーシャを守り切るために、意識を失うわけには行かない。全弾が打ち尽くされるそのときまで、意志を持って立ち続けた。


 そしてすべての鱗が打ち尽くされたとき、ミハイルの肘から先は失われていた。積極的に手を伸ばして鱗を受け止めていたのである。当然といえば当然であった。片足も太股から下が吹き飛び、ボタボタと血が滴り落ちている。腹部には大きな穴が複数箇所空いているが、かろうじて胴体は切断されていない。リーシャに鱗を当てないために立ち続ける必要があったミハイルは、うまいこと手や片足で鱗を受けて、頭と心臓、そして立ち続けるための右足は残していた。


「――カハッ」


 口から大量に血を吐くと、じっとりと据わった視線を上空へと向ける。その淀んだ瞳には、古龍とその上に立つ少年がぼんやりと映し出されていた。


「かろうじて立っているなんて、少しだけ尊敬してあげるよ。でもね、まだ僕たちは戦えるんだよ。おまえはどうかなあ?」


 高らかに笑うゾーイは、指でひと突きでもすれば倒れてしまいそうなミハイルを嘲笑った。そして古龍に命じる。


「尻尾で吹っ飛ばしてやんなよ」


 先ほどすべての鱗を剥がされた尾からは血が噴き出している。だが理性を失っている古龍には、それは些末な出来事でしかない。悠然と羽ばたいていた両翼を水平へと保つと、標的を定める。このまま急降下して、哀れなミハイルを尻尾でなぎ払うつもりなのだ。


「……」


 ミハイルはちらりと背後を振り返る。ミハイルの返り血を受けてはいるが、その身に傷はないようだ。


 感情を制御されているその瞳には色がない。だがその虚ろな瞳によって、未だリーシャが人形のままであることを確認すると、思わず安堵の吐息を漏らした。彼女を使役するだけの理性が、まだミハイルに残されている証拠である。


 このまま、事が済むまでは起きないでくれ――。


 そう願いながら古龍を再び見据えた。今この姿を見られたら、暴走して手がつけられなくなるかもしれない。リーシャが暴走して魔力を全解放すれば、きっとこの街が一つなくなるのだ。


(あとで怒られるくらいで済むなら安いもんだな)


 ミハイルは鼻水を垂らす勢いで泣きじゃくりながら説教をしてくるリーシャを思い浮かべて小さく笑った。それを見たゾーイは怒りが沸き立つのを感じて言葉を震わせる。


「何笑ってんだ、この死に損ないが――!」


 ゾーイの怒りに共鳴して、古龍が一直線に降下を開始した。ミハイルは自分の目の前に迫り来る古龍の瞳を見据える。召喚される際に狂気を付加された古龍の瞳は、泥水のように濁っていた。


 ――知者の竜王は常に明るい明日をその瞳に宿す。


 昔から古龍を信仰する魔術師たちが、敬意を持って述べる言葉を思い出した。この古龍も被害者なのだ。


「ごめんな」


 ミハイルは小さくそう呟くと、鱗で体が穿たれる前に発した詠唱の、最後の一説を唱えた。


「〈慈愛ある汝は我が痛みを共有す〉!」


 刹那、古龍の全身に大きな穴が穿たれた。


「――!」


 声にならない呻きを上げて、古龍はバランスを崩すと一気に校舎横の空き地へと落ちていった。両の翼には大穴が穿たれ、根元を残して消え失せている。後ろ足も左は完全に失われ、右足だけが不自然に残っていた。


 だが、古龍の重量を片足だけで支え続けることは困難である。起き上がることは叶わず、大地に伏したまま低く轟くうなり声を上げている。その間も腹部に穿たれた穴からは大量の血が噴き出し、大地へと吸い込まれるとあたりを真っ赤に染めた。もう長くはないだろう。


「……それは、俺だって同じだなぁ」


 一気に脱力すると、ミハイルは仰向けに倒れ込んだ。荒い息、今にも溶けそうな灼熱の体、薄れていく意識。そのすべてが死の到来を訴えている。


「〈癒やしの光、安らぎの息吹〉」


 一応、残った魔力で治癒魔術をかける。出血を止めることだけに意識を向けると、なんとか流れ出る血だけは止めることが出来た。だが大穴は穿たれたままだ。このままでは本当に死んでしまう。


「お、のれ……。おのれミハイル――!」


 死にかけた古龍の背から、ずるりとゾーイが滑り降りた。落ちた衝撃もあり、片足を引きずりながら近寄ってくる。


「……盾が持たないことは分かってたからな。それなら、利用するしかないだろう」


 ミハイルの視界が白んでぼやける。そろそろ、潮時なのかもしれない。だが、もう古龍は死にかけだし、ゾーイだって古龍なき今何も出来ないだろう。それにあの傷だ。今は薬で動けているかもしれないが、じきに蝋が燃え尽きたように動かなくなるに違いない。


「〈雷霆らいていほふる白虎よ〉――!」

「しまッ――」


 ゾーイの手から発せられた白雷はうねるようにその距離を詰める。虎の咆哮にも似た轟音を轟かせ、それはリーシャへと迫りゆく。


「リーシャは僕のだぁぁぁぁ!」


 最期の攻撃は自分に降りかかるだろうと思っていたミハイルは、自身の体に攻撃反射の魔法陣を血文字で施していた。しかし、もとより標的はリーシャだったのだ。手に入らないなら殺してしまえという異常思想が理解できないあまり、それがすっぽりと抜け出ていた。やはり死を目前にして思考能力が低下しているのだろう。


「リ……サ――!」


 ミハイルは手を伸ばそうとするが、その腕はもうなかった。薄れゆく意識の中で、必死にその名を呼んだ。

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