4-7 魔術師のための媚薬

 ゾーイの怒りに呼応するかのように古龍が飛来し、鋭い爪で背後に控えるミハイルを切り裂こうとする。ずんぐりとした巨体からはおよそ想像もつかないような速さで迫ってくる。その鋭利な爪を防ぐ術は最早なにもない。だがそれでもミハイルは一歩も動こうとしなかった。


「〈身を焦がす炎熱、たぎる不遜な胸懐、我は全てを黒にせしめん者〉――!」


 爪がミハイルを捉える寸前、詠唱が完成した。ミハイルの手から黒い焔が螺旋を描いて生じたかと思うと、次の瞬間にはその中心を射抜くように白光線が突き抜けた。

 その光はあたり一面を白く染め、ゾーイの視界を奪う。刹那、伸ばした古龍の両前足に光線が触れると、その足はけたたましい音とともに瀑散した。あとから到達した黒炎はその剥き出しになった骨肉を燃え上がらせ、あたりに肉が燃えるとき特有の鼻をつく匂いを充満させた。


「な、ブラックフレア・レイ!? そんな高等呪文、魔力ゼロのくせに――」


 のたうち回る古龍の背に必死にしがみつきながら悪態をついたゾーイであったが、次の瞬間にはその余裕も消えた。


fleche矢のごとく撃て


 ミハイルの言葉が聞こえたときには遅かった。黒煙の中から飛び出してきたリーシャは空中で身を翻して刀を振りかぶる。その手に握られた片刃刀は赤赤とした焔をたたえ、周囲の風を焼き込んではさらにその熱量を増す。ゾーイはとっさに顔を手で覆い隠すが、そんなものは気休めである。

 袈裟斬りに振り下ろされた刀はゾーイの左腕をまるで花を切り落とすかのように容易く切断した。だがその切っ先はそれだけでは止まらない。そのまま古龍の胴体にも達すると、大きな亀裂を生み出した。


 血は吹き出ない。焔をまとった刀が傷口を瞬時に焼き払ったためだ。生身を焦がす痛み、切り裂かれた痛み、それぞれが押し寄せてきてゾーイは言葉すら発することができない。


「焔の……剣。リーシャさんも魔術が使えたのか……。魔術が使えないなんて、初めから僕を騙そうと……」


 荒い息をしてそれだけ述べたゾーイは、放心してリーシャの刀を見つめた。


「それは違う。本当に俺たちは魔術が使えない。……単体ではな。俺はリーシャの魔力を吸収すれば魔術が使え、リーシャは俺に魔力を奪われることで、暴走する魔力を制御可能な量まで減らしている」


 ミハイルはリーシャの片刃刀を見た。見事に燃えるそれは原初の魔法を行使したためである。今の理論的な魔術ではなく、もっと本能的なもの。リーシャは馬鹿だから魔術理論を覚えられない。だが原初の魔法ならば魔力を流すだけで本人の特性に合わせた能力が引き出される。リーシャには打ってつけの魔法だった。


 そしてミハイルは生まれつき魔力生成器官に欠陥があるかわりに、今では退化したと言われている魔力吸収器官が存在していた。だが単に魔力を吸収するだけでは拒絶反応で死に至る。かつて父の魔力を用いたあのときのように。


 ではなぜリーシャの魔力を吸収するのか――。


 それは因縁なのか、運命なのか。リーシャの魔力だけは拒絶されないのだ。


「忌ま忌ましい事実だが、俺たちは二人で一人の魔術師だ」


 お互いがお互いを補完しなければ魔術師ではいられない。ミハイルはその事実を口に出して告げたあと、苛立たしそうに舌打ちをした。そんなミハイルを呆然と見ていたゾーイは、やがて乾いた笑い声を上げる。


「ふ、ふふふ。なんだよそれ。二人で一人? なら僕の入る隙間なんて元からなかったってこと?」


 ゾーイは血の気の失せた顔で、不釣合なほど笑った。腹を抱えてひとしきり笑ったあと、ピタリと止まる。そして無表情になったゾーイはローブのポケットから小さな小瓶を取り出した。その中には小さな白いタブレットが何個か入っているのが見える。


「僕のことを馬鹿にして! もう、許さない――!」


 叫ぶようにそう告げたゾーイは小瓶に栓をしていたコルクを引き抜く。そして躊躇うことなく、その中身を一気にあおった。


「なんだ、それは……」


 ミハイルはその異様な雰囲気に思わず一歩たじろぐ。タブレットを飲み干したゾーイは激しく咳き込み、喉元を抑えている。口をパクパクと必死に動かしているが声は出ていない。


 次の瞬間、ゾーイの皮膚上に灰色の円が次々と浮かび上がった。体の内側から現れた円は、カビにも似た灰色で、またたく間にその数を増やし、また円自体が広がって皮膚を覆い尽くしてゆく。

 それと同時に皮膚は水分を失い、やつれて彫りの深いシワが肌を覆う。髪は生気を失い、気づけばその全てが白髪へと変貌していた。

 そして完全に肌が灰色に覆われたとき、ゾーイは老人のように骨と皮だけの存在になっていた。


 しかしミハイルはその異様な見た目ではなく、もっと根本的なところに畏怖を覚えていた。


「なんだ、その魔力量は――!」


 一変した空気にミハイルは鳥肌がたち、背筋に冷ややかな戦慄が走る。先程までわずかに感じる程度しかなかった魔力が桁外れに増幅しているのだ。それは目で見えるほどに大きく、ゾーイの周囲を揺らいでいる。体に収まりきらなくなった魔力が、ゾーイの体を埋め尽くしているのだ。

 そこで何かに思い至ったミハイルは眉値を寄せた。


「エンゼル・フォールかッ!」


 噂程度にしか囁かれていなかった魔法の薬。一時的に魔力が縛上がりする代わりに、そのうち魔力生成器官が破壊されるという破滅の媚薬。それを飲み干したゾーイは恍惚な笑みを浮かべた。


「僕は、僕は、僕は負けてなんかいない――!」


 ゾーイは血走った目でそう叫ぶと、肘から先を失った手を古龍の傷口へとねじ込んだ。


「ギィイイイイイイ!」


 古龍は痛みのあまり空中でその身をぶん回すが、ゾーイの腕は肩まで差し込まれており抜けない。そしてゾーイもまた、古龍の体内に差し込むたびに締め付けられ千切れていく腕の痛みに顔を歪めた。

 だが、その痛み程度ではもはや止められない。残った右手も傷口深くまで差し込むと、ニタァと笑った。


「〈贄は我が両の腕、贄は太古が龍の尾、この身、この魂朽ちてなお、幾千の刃はこの地を穿つ〉――!」


 その絶叫にも似た声は空気を震わせた。空気中のどこからともなく黒灰色の粒子が生まれると、古龍の尾に集約していく。


「まずい! bond arriere後ろへ飛べ!」


  ミハイルの声に合わせて大きく後方へ飛んだリーシャは、そのまま屋根から降りて大地へと着地する。刹那、古龍の尾から一気に鱗が剥がれて空中へと浮かび上がった。


 竜種の鱗はどんな鋼鉄をも上回る硬度を誇る。生きてきた年月が長いほど、その鱗はエナメル質で覆われ重なり、綺麗な年輪を形成する。その年輪の多さはそのままその硬度を示し、長寿を誇る古龍の鱗から作られた剣はすべてを貫き、その盾はすべてを防ぎきるという。


 ミハイルは自らも地上へと飛び降りると、リーシャをその背に隠した。そして悠然と上空を飛ぶ古龍を視線に捉えながら大きく息を吸い込む。



「〈我が主はとわに我を守りて〉!」


 詠唱と共に両手を広げると、ミハイルをすっぽりと覆う半透明の円盤が眼前に生じた。それは物理攻撃を防ぐ魔力の盾だ。

 だが盾の形成に間に合ったというのに、ミハイルの表情は険しいままだ。目の前では空中に浮遊した鱗が鋭利さを増しながら、ミハイルとその後ろのリーシャを捉えていた。一斉に鱗の一番尖ったところがこちらを向いて照準を定める。


「〈我が痛みは汝が痛み――!」


 鱗が射出される直前、ミハイルはギリギリで二つ目の詠唱を唱える。刹那、鱗がミハイルに大きなうろを形成せんと襲いかかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます