4-6 お前ができないなら、俺がやる

 鮮血がほとばしり、可愛らしい断末魔が聞こえる――そう信じていたゾーイは、綺麗なままの屋根とそれが崩れる音しか聞こえないことに眉根を寄せた。

 古龍に尾を上げさせると、そこにリーシャの姿はなかった。


「召喚時に狂気を付加エンチャントしたか。知者の名折れだな、古龍よ」


 一番聞きたくなかった声を聞いたゾーイは、強く唇を噛みしめるあまり出血してしまっている。視線の先には前抱きにしたリーシャをゆっくりと降ろすミハイルの姿がある。


「……ミカ、遅いよ」


 リーシャはミハイルのネクタイをぐいと掴むとにかっと笑った。


「いつも勝手に始めるのが悪い。それに笑うだけの元気があれば問題ないだろ」

「たしかに」


 リーシャは声を出して笑ったが、氷柱が突き刺さったままの腹部に響いて顔をしかめた。滴る血液はミハイルの肘を伝い、その先からポタポタと流れて地を穿った。


「おおおおお、お前ッ! まだ僕の邪魔をする気かぁぁぁあッ!」


 突如現れてリーシャを奪い去ったミハイルに、ゾーイは人差し指を突き立てる。そんな姿を一瞥しただけで、ミハイルはすぐさまリーシャへと視線を戻す。リーシャはしばらく苦悶の表情を浮かべていたが、すぐさまミハイルへと右手を掲げた。


「……いつもの、よろしく」


 ミハイルはそんなリーシャを見て嘆息を吐くと諦めたようにかぶりを振った。そして眼鏡を内ポケットへしまうと、前髪を掻き上げて左手をもたげた。


「そうこなくっちゃ!」


 リーシャは満足げに頷くと、ミハイルの手へ自分の手を合わせて握りしめた。刹那、二人の重なった手から閃光が迸り、風がミハイルとリーシャの髪を巻き上げる。それらが収まったとき、ミハイルの瞳は真っ赤に染まっていた。


「〈癒やしの光、安らぎの息吹〉」


 ミハイルは手を重ねたまま治癒魔術の詠唱を唱えた。重なった掌へ周囲から光の粒が集約すると、リーシャ全体を包み込んでいく。気づけば、リーシャの傷は跡形もなく消えていた。


「あれ、なんで? お前は魔力ゼロの屑だって聞いてたのに――」


 目の前で当然のように治癒魔術を行使するミハイルを見て、先ほどまで強気だったゾーイの顔色が一気に曇った。


 リーシャはミハイルの腕の中から抜け出すと、困ったような表情を形成した。その表情を見たミハイルは、有無を言わさぬ強い顔をして頭を振った。そして口早に詠唱する。


「〈贄は我が血潮、堅忍不抜けんにんふばつの刃を我に〉!」


 詠唱が終わるやいなや、屋根の表面が揺らいで壮麗な柄が顔を覗かせる。ミハイルは一気にそれを引き抜くと、リーシャへと手渡した。


 それは血のように赤い刀身を持つ片刃刀である。その刃は淡く発光し、心なしか脈打つように明暗を繰り返している。

 リーシャはその片刃刀を受け取った後も、まだ迷っている様子だった。ミハイルはそんなリーシャへと諭すように言葉を投げた。


「お前ができないなら、俺がやる」


 その言葉を聞いたリーシャははっと顔を上げてミハイルをしばらく見つめた。そして諦めたようにぼそりと呟く。


「……お願いします」


 ミハイルはその言葉を聞くと、ゾーイに負けないくらいぞっとするような笑みを浮かべた。そして小さく笑うと、リーシャの背を押して一歩前へと送り出す。


「な、何をするつもりだ! たとえお前が魔術が使えたって、古龍に叶うわけ――」


 ゾーイがほくそ笑みながらも、どこか不安を打ち消せないような大声で語気を強める。ミハイルにはそれが負け犬の遠吠えのように聞こえてならなかった。


「――prêt用意はいいか?」

「――Ouiいつでも


 ミハイルの言葉に、リーシャが諦めたように返答する。それに呼応するかのように、リーシャの瞳からは光が失せた。すっと静かに精神が落ちていったのを確認すると、ミハイルは続けざまに言葉をかける。


Allezいけ!」


 ミハイルが高らかに声を上げたと同時に、リーシャは走り出した。先程までの困惑した表情とは打って変わり無表情である。


bond avant、coup前に飛び、斬れ


 リーシャは片刃刀を握る手に力を込めた。そして古龍の眼前まで迫りくると、跳躍と同時に刀を振り上げる。


「――クソッ! 飛べ!」


 ゾーイが短く告げると、古龍は風を舞い上がらせながら飛翔していく。そして再び息を吸い込むと、焔の息吹をリーシャめがけて勢いよく放った。


contre attaque防ぎ、攻撃せよ


 ミハイルの言葉に促されるまま、リーシャは刀を自らの前に構える。刹那、刀身が赤く輝くと放たれた焔を飲み込んでゆく。

 古龍の呼気が途絶えたのを確認したリーシャは、再び刀を振りかぶって一文字に切り裂いた。その筋から一閃の焔が巻き上がると、煌々とたぎりながら古龍へと迫る。古龍は身をよじってそれ逃れようとするが間に合わない。

 そして古龍自身が生み出した高熱の焔をその身に喰らった。


「ギィアアアアアア――!」


 その痛みに古龍は悶絶するものの、飛翔したまま降りてくることはない。


en garde構えよ


リーシャは屋根上に着地すると、一縷のすきもなく片刃刀を構えて古龍を見据えた。


「なんなんだ、お前のそれ――」


 ゾーイは初めて見る攻撃に困惑した。先程までの躊躇いや人間らしさはもう感じない。

 リーシャは人形だった。ミハイルの指示を忠実に再現する心を持たない人形。


「……リーシャは感情的になりすぎる。魔力は感情の起伏を受けるから、その不安定な感情では膨大な魔力を処理しきれない。――だから俺が調教した」


 ミハイルはさも当然のように、ゾーイの理解を超えていった。先程までの紳士的で貴族然とした青年は、赤い瞳で意地が悪そうにニタニタと笑っている。口調までもが、どことなく粗野になっていた。


「人間を調教!? そんなものどうやって――」

「何も難しいことじゃない。俺の家は召喚士の家系だから従えるのは得意でね」

「だからといって本当に人間を従えるような外道がいるか!」


 ゾーイは愛しいリーシャを虐げるミハイルにもう我慢ならなかった。自分だけ、自分だけがリーシャを好きにしていいのだ。その思いが自分の中大きく膨らみ、何かが弾けるような音がこだまする。


「死ねえええええッ!」


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