4-5 首謀者の主張

 リーシャは倒壊した建物の瓦礫からほどよい長さの鉄パイプを手に取ると空を見上げた。頭上には悠然と滑空する古龍の姿がある。何度か鉄パイプを振ってその感触を確かめると、意を決して地面を踏みしめた。


「……リーシャ。あなたは逃げてくださいませ」


 木陰の側から、か細い声が聞こえる。リーシャは泣きそうな顔でその声の方を振り返ると、唇を震わせながら青白い顔をしたニコールへと言葉をかける。


「本当にごめんなさい。もう少し早く動けていれば、足を怪我することもなかったのに――」

「何を言っていますの。リーシャがいなければ足どころか命だって危なかったですわ」


 痛みで朦朧としているニコールだったが、心配そうな顔をするリーシャを慰めようと、努めて笑顔を見せている。

 ニコールの右足は落石が当たってしまい大きくへしゃげていた。太股をガーゼできつく縛ることで止血はしているが、かなり出血してしまっている。リーシャは治癒魔術が使えない自分を今ほど呪ったことはない。


 ニコールは自分で治癒魔術を使おうとしたのだが、おぼろげな思考ではうまく魔力調整が出来なかった。こういうときのために治癒魔術を習っていたはずなのに、いざ実践となるとその痛みで冷静さを失う。冷静な心理状況でなければ魔術は行使できない。自分がどれだけ箱入り娘だったのか、痛みを知らずに生きてきたのかと嘲笑した。


 リーシャの方を見れば、唇の端から一筋の血が流れている。その血をニコールが見ているのに気づいて、リーシャは慌てて手の甲で拭い取った。

 ニコールをかばう際に脇腹に落石を受けたリーシャは大きく吐血していた。相当痛いはずなのに、リーシャは平然と立っている。

 そしてニコールから少しでも古龍を遠ざけようと、今からあれに立ち向かいに行くところなのだ。その強さはどこから来るのだろうと、ニコールはぼうっと考えた。


「古龍に一人で挑むなんて無茶です。私に構わず逃げて」


 ニコールはダメ元で最後の懇願をする。だがリーシャはニコールの周囲を一瞥すると首を振った。

 そこには負傷した生徒が他にもたくさんいた。その多くが虫の息である。ニコール一人であれば担いで逃げられるが、これだけの人数を連れていくのは無理だ。虫の息である人間をむやみに動かすことも避けたい。そうなると残る選択肢は一つしかないのだ。


「ここは頼んだからね!」


 ニコールに少しでも気負わせないために明るくそう告げると、リーシャは地面を大きく蹴った。そして壁や木を蹴り上げてどんどんと高くまで登っていく。気づけば、リーシャは屋根の上に到達していた。


 屋根の上から校舎を見下ろしたリーシャはぎょっとして思わず踏み外しそうになった。

 今まで地上にいたから気づかなかったが、校庭のど真ん中に真っ赤な血文字の魔法陣が描かれている。その巨大な魔法陣の中心には青白く変わり果てた男子生徒が一人横たわっている。その光景に眉根を寄せたリーシャは、ゆっくりと古龍へ、そしてその背に立っている少年を見つめた。


「――どういうことか説明してくれるのよね、ゾーイ」


 ゾーイは分厚い眼鏡に跳ねた血を拭うとにやりと笑った。彼はどうやら無傷のようなので、あの血は他人のものだろう。その異様な光景に、リーシャは鉄パイプを構えた。


「何って。リーシャさんがいけないんですよ……?」

「私? 私がなんだって言うのよ」


 その理由に全く思い至らないリーシャは片眉を上げてゾーイに問いかける。その返答にゾーイはこめかみをひくつかせると、いらだたしいそうに拳を握りしめた。


「リーシャさんが僕以外と話すから! 僕を突き放すくせにあの男には優しいから! どうせ僕のものにならないなら、いっそ死んじゃえばいいんですよ!」


 ゾーイの言葉の意味が初めはよく分からなかったが、今朝のことを思い出してようやく合点がいった。そしてそれと同時に驚愕する。


「あんた、あれだけのことでこんなにたくさんの人を傷つけたっていうの……?」

「あれだけ!? 僕の純情をもて遊んでおいて、あれだけ!?」


 怒りに全身を震わせたゾーイは、次の瞬間には高笑いをしていた。そして腹を抱えてひとしきり笑った後、リーシャへと手をかざした。


「――やれ」


 短くそれだけ告げると、古龍が勢いよく空気を吸い込んだ。腹部がパンパンに膨らんだのを見たリーシャはその瞬間に横に飛び退いた。刹那、リーシャが先ほどまで立っていたところに焔が吹き付けられた。


「――ちぃッ」


 ゾーイは忌ま忌ましそうに舌打ちをすると、急にきょとんとした顔をした。先ほどまで目の前にいたリーシャがいないのである。


「どこいった!?」

「ここよ!」


 横っ飛びからすぐさま踵を返して古龍の背後に回り込んだリーシャは、その尾を勢いよく駆け上る。そしてそのまま、後ろからゾーイへと殴りかかった。


 だがリーシャはここでミスを犯した。目の前にいるゾーイを完全な悪だと思い切れなかったのだ。毎日のように自分を慕ってきてくれたゾーイを殴ることに一瞬のためらいが生まれた瞬間、リーシャの体を無数の鋭利な氷柱つららが突き刺した。


「――ッ!」


 無詠唱でゾーイから放たれたアイスランスをもろにくらい、リーシャは古龍の背中を転げ落ちた。屋根に勢いよく背中を打ち付けると、鮮血が口からほとばしる。


 すぐさま身を翻して逃げなければ――。


 頭では分かっているのだが、先ほど受けた脇腹の落石もあって体が鉛のように重く感じる。ひっくり返った亀のように身もだえるリーシャを前に、古龍は太い尾をもたげた。


「さよなら、愛しいリーシャさん」


 ゾーイが笑顔で手を振ったとき、古龍が尾を屋根へと打ち付けた。

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