3-6 私、ダンスなんて踊れない!

 ホールにいる楽団が軽やかな音楽を奏でると、先頭のペアがゆっくりと入場した。列がゆっくり進んでいく度に、リーシャの心臓が鼓動を早める。このまま心臓が止まってしまうのではないかと思ったとき、前方から震える声が聞こえた。


「お兄ちゃん、私心臓止まりそう……」

「いや、きっと俺の方が先に止まる……」


 自分と全く同じ事を考えていたリアム兄妹の声を聞いて、リーシャは少しほっとした。それにリーシャには不服ながら強い味方がいる。リアム兄妹はお互いが緊張するあまり、そのマイナスの感情をどんどんと増幅させて言っていたが、リーシャの隣にいる仏頂面はそんな緊張とは皆無である。その顔を見れば、緊張している自分が馬鹿らしくなって冷静な気持ちに戻れるのだ。


「何見てるんだよ、気持ち悪い」


 そう、この発言がリーシャを冷静たらしめていた。むしろ、怒りで緊張を忘れているような気さえする。他の生徒にはこんなことを言わないので、この憎たらしさが他人に伝わらないのが悔しいところだった。


「ほら、進むから前見とけ」


 ミハイルの言葉に促されるように前方を見れば、リアム立ちが一歩踏み出したところだった。二人は緊張のあまり、かくかくと機械人形のように動いている。その様子に思わず吹き出すと、リーシャも一歩踏み出した。


 会場はオレンジ色の光で満たされており、輝かんばかりの装飾品で彩られている。一番奥には学院長と副院長、そして来賓と思われるお偉方が立って出迎えていた。


 リーシャたちが入場した広間の左右には、一年生から七年生までの全校生徒、そして教員たちが立っていた。その中にニコールを見つけたリーシャは小さく手を振った。ニコールもそれに気づいて手を振り返すと微笑んだ。


 ふと上を見上げれば二階、三階のテラス席には見慣れない人たちが多くいる。あの人たちも恐らく外部からやってきた来賓なのだろう。このオープンバルの目的は純血子女のお披露目であるため、近隣の純血魔術師たちや有力者を招待しているとニコールが言っていたのを思い出す。なんだか品定めされているようで気に食わなかったリーシャは、ぷいっとそっぽを向いて前方だけに集中した。


 デビュタント全員が入場し追えると、軽快な音楽がやんだ。すると今までざわめいていた人の声もピタッと止まる。急に静まりかえった会場に、リーシャは再び緊張した。ちらっと前を見れば、呼吸音すらもはばかられるような会場の空気に圧倒されたリアムが息を止めていた。どんどん真っ赤になる顔にヒヤヒヤしたが、結局は息苦しさに耐えかねて呼吸を再開したのでほっと胸をなで下ろす。


 誰が合図をしたわけではなかったと思うが、横並びに立っていた男女が一斉にお互いへと向き直った。それを見たリーシャとオリアーヌは一歩遅れて向き直る。そして男子生徒が頭を下げたのに合わせて、女生徒立ちは膝を折ってカーテシーと呼ばれるお辞儀をした。


 オリアーヌとリーシャは見よう見まねでお辞儀をしたのだが、リアムは緊張のあまり棒立ちで頭すら下げることが出来ない。みんなが頭を下げている中で突っ立っているリアムは無駄に背が高い分悪目立ちしていた。見かねたミハイルがリアムのつま先を軽く踏む。その痛みで我に返ったリアムは、みんなが頭を下げているのを見て慌ててそれに倣った。


 全員が挨拶し終えたのを確認した指揮者は、楽団へと向き直って指揮棒を振るった。それに合わせて楽団がゆったりとした曲を奏でる。ウィンナ・ワルツと呼ばれる三拍子の音楽はオープンバルのオープニングダンスの定番であった。これをみんなの前で披露することで、純血子女のお披露目となる。


 その曲が流れて初めて、リーシャはずっと逃げ続けていた問題に向き合わなければならなくなった。そもそもダンスなど踊ったことがないのだ。周りを見回せば、男子生徒が左手を掲げてその手に女子生徒が右手を重ねてゆく。隣をみればあのリアム兄妹でさえそれが出来ており、リーシャは一気に血の気が引いた。それを感じ取ったミハイルは嘆息を漏らして小さく呟いた。


「とにかく真似しろ」


 睨みつけるという表現が正しいと思えるほどきつい表情をしているミハイルを見て、とにかく右手を重ねた。ミハイルはそれを受けて少し安心したのかほっと息を吐いた。そしてリーシャの左手を無理矢理自分の肩甲骨の下に添えさせたとき、曲の雰囲気が変わった。刹那、周りの生徒がくるくると回るように踊り出した。


「ぜ、絶対無理!」


 弱々しくミハイルへ呟いたリーシャだったが、その言葉は完全に無視された。


「力抜いてろ。重い」


 ミハイルがそういった途端、リーシャの体は勝手に動いていた。全く踊ったこともないのにくるくると円を描いて踊れている。


「な……? えッ!?」


 リーシャの混乱をよそに、体は勝手に知らないステップを踏んでいた。意味が分からないと内心では悪態をつきつつ、棒立ちになって端をされすよりはマシだと腹をくくった。そして成されるがまま、曲が終わるのをじっと耐えることにした。

 



 遠くの方でオペラグラスを片手にその様子を見ていたニコールはにんまりと笑ってリーシャとミハイルを見ていた。アメジスト色のロングドレスはいつも以上に大人っぽく、周囲の目を引いている。


「あの転校生、ダンス上手だなぁ。もっとこう……ワイルドな子なのかと思ったけど」


 六年の監督生として共に生徒の誘導役をしていたブラッドリーが、リーシャを目で追いながら意外そうな声を漏らす。噂では”女トロール”とまで呼ばれている生徒が、ダンスなんて踊れないと思っていたのだろう。だが、周囲の評価は間違っていない。あれはダンスを踊っているわけではないのだ。


「あれは踊らされているんですわ。上手なのはミハイルのリードです。リーシャはきっと踊ったこともありませんわね」


 見事にだまされているブラッドリーたちがおかしくて、ニコールはクスクスと笑った。その言葉の意味が分からないブラッドリーは小首をかしげてミハイルとリーシャを見ている。ブラッドリーは非魔術師ニヒル出身の平民なのでもちろんダンスなど踊ったこともない。分からなくて当然だろう。


 ダンスが上手な男性は全く踊ったこともない女性をいとも簡単に操れる。男性と女性の関係はリード・アンド・フォローと呼ばれ、女性側が男性側の誘導リード従うフォローのだ。そのため誘導がうまければうまいほど、ステップを知らなくても勝手に体を動かされてしまう。そんなことが出来るリーダーは滅多にいないが、魔力がないこと以外完全無欠のミハイルならば出来てもおかしくはなさそうである。


 ニコールがオペラグラスを少しずらせば、そのすぐ近くで踊っていたリアムとオリアーヌを見つけた。オリアーヌとも昔からの知り合いであり、今回のダンスを教えたのは実はニコールである。直前になって実は踊れないと言い出したときどうしようかとも思ったが、この一週間放課後に毎日練習していたおかげか見られる程度には踊れていた。だがその踊りはミハイルたちと比べれば危なっかしく、転ばないかとヒヤヒヤさせられる。


 ニコールが見守る中、数分間のダンスは無事に終了した。リーシャもなんとかヒールのまま踊り切れたようだ。リアムは最後の最後でオリアーヌを支えきれずに転びかけたが、そこでちょうど音楽が途切れたため何を逃れていた。


 放心状態のリーシャ、リアム兄妹は立ち尽くしていたが、いらだたしそうにミハイルに促されると慌てて三人ともお辞儀をしていた。


「ミハイルがいなければ完全にあの三人は空気に飲まれてましたわねぇ」


 ニコールがそう呟いたとき、目の前でデビュタントたちがはけて中央を譲った。そして再び音楽が流れると左右に広がってデビュタントたちを見ていた観客たちが手を取り合って中央へと進んでいく。デビュタントのダンスが終われば、あとは純血、混血関係なく全校生徒が好きなようにダンスを踊れる。踊りたくてうずうずしていたダンス愛好者たちはいそいそと中央へと躍り出ていった。


 またデビュタントがはけたのを合図に、会場の壁際に設置されていた長テーブルに次々と料理が運ばれてきた。今夜は日が登る明け方までパーティーが続く。食事は立食形式であり、運ばれてきた料理を好きに食べるのだ。


 料理を見て花より団子のブラッドリーはゴクリと喉を鳴らした。それを見逃さなかったニコールはクスクス笑った。


「戻ってきたデビュタントの誘導は私だけで十分ですから、食べてらっしゃいな」

「いいのか!? ありがとう!」


 職務のためにぐっとこらえていたブラッドリーは、ニコールの言葉に大いに喜んだ。そしていそいそとテーブルの方に向かう。ニコールはその背中を見送ると、


「私も踊りたかったですが、あの様子じゃ無理ですわね」


 小さくため息をついて独りごちた。そしてリーシャたちが戻ってくるのをおとなしく待つことにした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます