3-5 いざ、社交界デビュー

 夏が終わり冬がゆっくりと近づいてくるこの時期の夜風は肌寒い。今夜はつむじ風が巻き起こり、地に落ちた葉を舞い上げている。


 デビュタントの控え室では、肩のラインが出ているドレスを着たリーシャが夜風に震えていた。なれないチュール地のロングドレスは、少し裾を踏むだけで破れてしまいそうだ。 


 デビュタントは白いロングドレスを身に纏う決まりがある。ニコールが去年着たというそのドレスは、とても管理が行き届いておりまるで新品のようだった。


 たまたま靴のサイズもニコールと同じだったため、白いサテン地のヒールも貸してもらうことが出来た。かかとの高い靴なんて滅多には履かないが、普段の喧嘩で鍛えられた体幹のおかげか、なんとかぐらつかずに姿勢を保てていた。


 控え室にいるのは全員が一つ下の学年である。互いに笑いながら仲良く支度をしているが、当然リーシャに知り合いはいない。


「先生、これつけないとだめなの?」

「お揃いのベールをつけてこそのデビュタントですよ!」


 知り合いもいない中で着慣れないドレスを一人で着るのは大変だろうからと、ジモーネが支度の手伝いを買って出てくれた。

 不服そうな顔をしてドレッサーの前に座っているリーシャの髪を慣れた手つきでシニヨンにまとめると、その上からコサージュを取り付ける。大ぶりなコサージュはデビュタントお揃いである。そのコサージュからはロングベールが垂れており、夜風を受けるとひらひらと舞った。コサージュをつけ終えたジモーネは少し下がってその位置を確認する。


「うわぁ、おとなしくしていればすっごく可愛いですよ! 自慢の生徒ですね!」

「おとなしくしてればって、それ褒めてるんですか?」


 ジモーネは天然なのか、褒め言葉としては似つかわしくない言葉を用いながらも、その表情は屈託のない笑顔である。そのギャップに困惑して片眉を上げたリーシャであったが、しばらく二人で見つめ合った後、ぷっと吹き出すとクスクス笑い合った。


 ひとしきり笑い合った後、ジモーネは改めては会場にいる少女たちを見渡した。はっきり言って、黙っていれば本当にリーシャが一番綺麗だと思っている。真珠のように白い肌は、光を反射して輝いて見える。引き締まったほどよい筋肉に反して大きく膨らんだ胸は、今日みたいに肩が出たドレスをより美しく引き立てている。白い肌に白いドレスと淡泊な彩りだが、リーシャの艶やかな黒髪がそれらをぐっと引き立てていた。


 その出来映えに納得したジモーネは側に置いてあった白いロンググローブと小さなブーケを手渡す。リーシャは手袋をはめるとブーケを受け取りしげしげと眺めた。ブーケにも白い花が中心にあしらわれており、とてもいい香りがする。


「じゃあ先生も会場で見てますからね! 頑張ってくださいよ!」

「え、もう行っちゃうんですか!?」


 手を伸ばして引き留めようとしたのだが、ジモーネはすっとそれをかわしてしまう。追いかけたくても、なれないヒールとロングドレスのせいで、立ち上がることすらもたついてしまう。

 ジモーネもさすがに今日はモスグリーンのドレスを着ているが、その足下はヒールのないパンプスである。通りであのどんくさいジモーネが転ばずに歩いているわけだとうらやましそうに眺めた。


「自分だけパンプスなんて卑怯よ」


 ニコニコと手を振りながら立ち去っていくジモーネの背中を見つめながらぼやくと、横から見知らぬ声がかかった。

「本当ですね。まだ始まってもいないのにもう足が痛くって」


 後ろを振り返っていつまでもリーシャに手を振りながら立ち去ってゆくジモーネは、前を一切見ていないのでいろんな人にぶつかっていた。そのたびにペコペコと頭を下げて謝罪するのだが、性懲りもなく振り返ってはまた手を振っている。そんな姿をリーシャ同様に見つめるその少女は、鶯色がかった茶色い髪を下ろし、バックカチューシャをつけている。そのカチューシャにはお揃いのコサージュとベールが固定されているが、自分でつけたのかやや曲がっていた。


「コサージュ曲がってる。直してあげるから後ろを向いて」


 リーシャの言葉に慌てて背を見せた少女のコサージュへ手を伸ばす。不器用なリーシャではあったが、綺麗に直すことが出来てほっと胸をなで下ろした。鏡できちんとコサージュがついたことを確認した少女はニコッと笑った。小柄で幼い顔立ちの少女は、十五歳よりも幼く見える。顔立ちに合わせたのか、リボンのついた可愛らしいデザインのドレスがとてもよく似合っていた。リーシャにはない女の子らしさを凝縮したような少女に、リーシャは見惚れてしまった。


「ありがとう。あなたもしかして、六年生の人ですか?」

「そ、そうなのよ。ごめんね、変なのが紛れ込んで」


 リーシャの言葉に、少女はぶんぶんと頭を振った。


「あなたこそ、いきなりこんなところに送り込まれて大変ですね」


 少女が同情するように微笑みかけたとき、空気がぴんっと張り詰めた。そして部屋のど真ん中にぽっかりと亀裂が生じる。


「あ、なんか嫌な予感」


 リーシャがうんざりして頬杖をついたとき、その亀裂からソフトクリームのように巻き上げられた白髪がひょっこりと顔を出した。周囲をキョロキョロと見回した後、その人物は亀裂に背を向けて大きなお尻からずいっと外へ出てきた。今回もややつっかえたようだが、お尻から出たのが功を奏したのか、魔術史のときほど時間はかからなかった。


 控えている生徒をぐるりと見渡した貴婦人は、その可憐な装いに満足するとほうっとため息を漏らした。


「今年もみなさんとぉっても綺麗ですわぁ! この学校始まって以来の素敵なレディですわよ!」


 貴婦人は近くに座っていた生徒の顎先を扇でぐいっと持ち上げると、自分の顔を寄せて惚れ惚れと眺めた。女子生徒はあまりの近さに困惑した表情を浮かべているが、貴婦人は気にもとめないようだ。


「マダムは紳士淑女が好きだから、毎年このイベントは一番張り切るのよねぇ」


 リーシャの隣では、先ほどの少女が同じようにうんざりとマダム・ヒストリックを見ている。マダムはひとしきり少女たちを眺めると、満足したように頷いた。そして廊下へと続くドアの前へふわっと舞い降りた。


「それでは、今夜はよい夢を!」


 貴婦人が謳うようにそう告げると、ドアの方を手で指し示した。するとギィと軋んだ音をたてながらゆっくりとドアが開く。

 それを見計らったかのように、ドアの外に待機していた男子生徒たちが気もそぞろに中へと入ってくる。その多くは意中の人とパートナーを組んでいるのだろう。頬をやや紅潮させて、着飾った相手を探していた。


 青年たちは誰もが黒い燕尾服を身に纏っているが、背筋がピシッと伸びてそれを着こなしている者もいれば、リーシャのようになれない装いで服に着せられているような者もいた。その中でもひときわおどおどしている人物が視界に入ったので、何気なくぼーっと見つめた。初めは遠くて顔が分からなかったが、近づいてくるにつれその正体が分かりたまらず笑い声を上げた。


 それは着慣れない燕尾服でまごついているリアムであった。昨日まではオープンバルなんか余裕だと偉そうにしていたくせに、いざとなったら誰よりも背を丸めて小さくなっている。リーシャがからかってやろうと声をかけようとしたとき、隣から怒りにまかせた大きな声が飛んできた。


「お兄ちゃん! そんなキョロキョロしないでよ! 恥ずかしいじゃない!」


 先ほどまでリーシャと話していた穏やかな少女が、顔を真っ赤にして小刻みに震えている。その声に呼ばれたリアムが少女に気づき、いそいそと近寄ってきた。


「いや、オリアーヌ! 女子更衣室とか緊張しない方が無理――ってリーシャじゃないか! 妹と知り合いだっけ?」

「え、じゃあこの可愛い子がリアムの妹さん!? 全然似てないのね!」

「あれ、お兄ちゃんと知り合いなんですか?」


 三者三様にきょとんとした面持ちで、お互いを指さし合う。しばらく口をパクパクさせて言葉が出なかったオリアーヌだったが、はっとしてリーシャへと頭を下げた。


「い、いつも兄がお世話になっております。ご迷惑おかけして済みませんッ」

「いや、お前失礼すぎない!?」


 兄のことを信用していないのか、迷惑をかけている前提で真剣に謝る妹に、リアムが声を荒げる。だがオリアーヌはおとなしそうな見た目に反して、グチグチ文句を言っている兄のみぞおちにエルボーを食らわせた。不意を突かれたリアムは悶絶して言葉を失う。オリアーヌはそれを我関せずといった様子で無視すると、リーシャに再び謝罪した。


「うるさい兄で、本当にごめんなさい」

「い、いえ! いつもリアムにはよくしてもらってるから気にしないで!」


 二人でペコペコと頭を下げ合っていたが、リーシャがふと頭を上げた瞬間に後頭部に激痛が走った。


「いったぁッ」

「いつまでペコペコしてるんだ。いくぞ」


 後頭部をさすりながら振り返ったリーシャの前に、呆れた顔で見下ろしているミハイルが立っていた。どうやら持ち上がった頭が自然とぶつかるように拳を差し出していたらしい。


「ぶつことないじゃないの!」

「声をかけようと手を出したらお前が勝手にぶつかってきたんだ」


 ぶすっと膨れながら文句をいうリーシャと、それを受け流すミハイルを見ていたオリアーヌは惚けた顔で呟いた。


「目の前に王子様がいる……」

「はぁ? オリアーヌ大丈夫!? 熱でもあるんじゃないの?」


 うっとりとミハイルを見つめるオリアーヌを見て、リーシャは心配そうに顔をのぞき込んだ。だがオリアーヌはミハイルを見つめることをやめない。そんな視線を受けてミハイルは引きつった顔でたじろいだ。


 オリアーヌがそう思うのも無理はなかった。まるで絵本に出てくる王子様を絵に描いたようなサラサラプラチナブロンドの髪に一切淀みのない碧眼のミハイルは、更衣室の中でも目を引いた。その端整な顔立ちに燕尾服を合わせれば、確かに王子様然としているといっていい。

 だがリーシャは普段の憎たらしいミハイルを知っている。王子様はあんな憎まれ口を叩くわけがないので、とてもじゃないがオリアーヌのように没入できなかった。


「お前、俺の妹に何をした! 馬鹿面になっちゃっただろう!?」

「はぁ!? 馬鹿とは何よ! お兄ちゃん最低!」


 ミハイルへと詰め寄ったリアムに対して、オリアーヌが大きな声で反論する。その様子にだんだんと周囲からざわめきが巻き起こった。純血の魔術師は大抵名家であることが多い。公共の場で大声を上げているリアム兄妹を見て眉根を寄せていた。


「ちょっと、そこの四人! 何大声を出しているの!」


 あまりの騒ぎに見かねて、ワインレッドのドレスを身に纏った女性教師がカツカツと足音を鳴らして近寄ってきた。その顔を見て、オリアーヌがしまったと目を細めた。


「す、すみません。ヴィヴィアン先生……」


 しゅんとして謝るオリアーヌだったが、リーシャはその女性教師を見てはっと息をのんだ。


「ああっ、フレディの金魚のフ――」


 ヴィヴィアンを指さして言いかけた言葉を、リアムが口を塞いで黙らせる。ヴィヴィアンがかけられた声に振り向くと、リーシャと同じように息をのんで顔を歪めた。


「またあなたなの! これ以上問題を起こさないでちょうだい!」


 リーシャは自分に謹慎処分を言い渡した女性教師をキッと睨んだが、その目線をリアムが覆い隠す。そんな二人を見て大きくため息をついたヴィヴィアンは頭を抱え込んでしまった。


「もう、とにかく並んでちょうだい。このイベントを失敗させたら私の首が危ないんだから……」


 うんざりした顔でそう呟くと、ドアの方を指さした。そこには男女ペアになってすでに生徒たちが並んでいた。もうあとはリーシャたちだけである。列に並んでいる生徒たちも早くしろよとでも言いたげな視線でじっとこちらを見ていた。


「はい! 今すぐに!」


 オリアーヌはその視線を受けて慌ててリアムの手を引いた。そして引きずるように列へと並んでいく。


「僕たちもいくぞ」


 ミハイルはすでに疲れた顔色を浮かべていたが、頭を振ってそれを払う。そしてリーシャへと右肘を差し出した。リーシャはゴクリと生唾を飲み込むとあたりをキョロキョロする。そして他の女生徒たちがそうしているように、見様見真似でミハイルの右肘に手を添えた。

 だが即席の仕草はどうにもぎこちない。リーシャは肘を張っており、肩が上がってしまっている。笑いそうになるのを必死にこらえながら、ミハイルはリーシャを連れだって列へと並んだ。

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