2-3 筆記試験は超難問!

 リーシャは困惑していた。一問たりとも問題の内容すら理解できなかったからだ。


 いくらグリーソン魔術学院とはいえ、これほどの問題が出るとは思わなかった。もともと成績は下から数えた方が早いとはいえ、五年間曲がりなりにも魔術を学んできたのに、その成果は露と消えそうである。


 ちらっと横目に他の生徒たちを見る。他の生徒たちはすらすらと羽ペンを滑らせている。全く動いていないのは、もしかするとリーシャだけかもしれない。そのとき、隣のニコールが行き詰まって背もたれに身を預けた。それによって答案用紙がリーシャへと丸見えとなる。


(み、見えるからって見たらだめよ! カンニングは即座に落第なんだから!)


 リーシャは負けそうになる理性を必死に鼓舞して頭を振ると、視線を答案用紙に戻した。

 ニコールは目をつぶって天井を仰いでいる。意識を集中して、口の中でもごもごと呟いた。


「〈彼の目は我が目〉」


 そしてゆっくりとまぶたを押し上げると、先程まで見えていた天井は跡形もなく消えていた。変わりに目の前にはびっしりと答えが書き込まれた答案用紙が映っている。


(違う、この人も『見る側』だ――)


 ニコールはふうとため息をつくと瞬きをした。再び目を開けたとき、視界には天井しか映っていない。魔術・アイリンクが解けて自分の視界に戻ってきた証拠だった。


 グリーソン魔術学院のテストは特殊である。

 筆記試験の合格ラインは六〇点であるが、学生レベルで解ける問題はちょうど六〇点分しか用意されていない。残りの四〇点は研究者レベルでも解くのには苦労する超難問である。


 それだけではない。六〇点分は一応学生レベルで回答可能というだけで、その問題はかなり難解なもので構成されている。自力で解ける学生は、世界中を探しても数えるほどしかいないかもしれない。

 学生はこの六〇点分を一切のミスなく回答するか、もしくは答えを知っている者からカンニングするしかない。


 試験管は先ほど「カンニングが見つかった者はその場で落第だからそのつもりで」といった。この言葉の続きは「そのつもりでばれないようにカンニングしろ」ということだ。


 生徒には『見る側』と『見せない側』がいる。クリスティのように答えが分からずにカンニングするのが『見る側』である。対して事前に答えを知らされており、カンニングを防止する手立てを講じるのが『見せない側』だ。『見せない側』の生徒は、魔術を使ってあらゆるカンニングを防止しなければならない。カンニングされるごとに五点ずつ減点されていくからだ。


 『見せない側』もあからさまな妨害工作をすることは禁じられている。あくまでもテスト中にふさわしい振る舞いの中で妨害をしなければならないのだ。妨害工作を試験管に見つかった場合は、カンニングが発覚したのと同様にその場で落第となる。


 先ほどニコールが盗み見た答案用紙はそれっぽい答えですべて埋め尽くされていたけれど、学生レベルの問題で一カ所不正解があった。ニコールはその問題が得意であるので、カンニングせずともその問題は解ける。回答の中に不正解が混じっていると言うことは『見せない側』ではないと言うことだ。


 もしかしたら罠にはめるためにあえて間違いを書いているのかもしれないが、全員からのカンニングを防ぎきれば満点を取れる『見せない側』が、あえて点を捨てにいくとは考えにくい。万が一自分の知らない間にカンニングされていることも考慮すると、減点されても六〇点は最低確保できるように全問正解を記入しておくはずだ。


(別の人を探さないといけませんわね。アイリンクは精神が疲弊するからあまり得意ではないのですが……。疲れてぼろを出さないよう、早いところ正解を見つけないと)


「はい、君。カンニングしてるよね?」


 そのとき、ニコールのすぐ後ろであのやる気のなさそうな教師の声がした。思わず振り返りそうになるが、ぐっとこらえて息を殺す。


「いや、やめてください! カンニングなんてしてません!」

「自分の眼球を透明化させて教室中を飛ばしてたね? 君の眼球は捕まえたよ」


 どうやらカンニングがばれたのはニコールの後ろに座っていた青年らしい。その青年に歩み寄ると、ポールは握っていた掌を開く。そこにはピンポン球ほどの球体が握られていた。青年は思わず自分の空っぽになった左目を手で覆った。今眼球がないことがばれたら自分がやったと認めるようなものだ。


「いいの? これ握りつぶしちゃうよ?」

「――ッ」


 青年は観念したように左のまぶたを押し上げた。そこにぽっかりと空いた空虚な眼窩を見たポールは、ため息を吐いて眼球をその穴へと戻した。


「連れていってください」


 その言葉を受けて、背後に控えていたゴーレムたちが青年を羽交い締めにすると、青年はがっくりとうなだれた。そしてされるがままに教室から連れ出されていく。


「お騒がせしましたー。どうぞ、続けてください」


 ポールは周囲の生徒へ謝罪すると、教卓へと戻っていく。

 ニコールはいつのまにか止まっていた呼吸に気づき、勢いよく吐き出した。そして自分を落ち着かせるようにゆっくりと深呼吸を繰り返した後、すでに羽ペンをおいている前方の生徒を標的に、もう一度アイリンクの魔術を使った。




「さっきのテスト怖かったわねー。まさか眼球を飛ばしてまでカンニングする人がいるなんて。カンニングなんてしたらだめよね絶対」


 リーシャは恐ろしいものを見たというような口ぶりで、ぶつぶつと呟きながら食堂へ向かって歩いていた。午前の筆記テストは終わったが、午後にはまた別の科目の筆記テストが待っている。食堂へ向かう道は、少しでも早く昼食を済ませて午後の対策を練りたい学生でごった返していた。


「リーシャ? それってどういう――」


 ニコールがリーシャの発言を聞いて心底驚いたような声を上げたとき、食堂の入り口から勢いよく人影が飛び出してきてミハイルへとタックルをかました。


「ミハイルくん、俺は君にさよならを言わなきゃならないようだ」


 リアムは鶯色を帯びた茶髪を振り乱し、ミハイルの胸で泣きわめいた。その光景を見た周囲の生徒がひそひそと何かを話ながら足早に通り過ぎていく。ミハイルは引きつった笑みを浮かべると、体から無理矢理引っぺがした。


「落ち着けって。どうしたんだよ」


 ミハイルが困り果てた顔をしてリアムの表情を伺うと、その瞳は死んだ魚のようにどす黒く濁っていた。リアムは身につけていたエプロンで涙を拭うと、大きなため息をついた。


「俺はもうだめだ……。六〇点取れた気がしない。カンニングする人みんな、『見る側』だったんだ……」

「え、あなたカンニングしたの!? よくばれなかったわね!」


 リーシャがあげた素っ頓狂な声に、食堂中の生徒が四人を見た。その顔は一様に不思議そうに歪んでいる。


「な、なに!? 私なんか変なこと言った!?」


 全く状況の飲み込めていないリーシャはすがるような瞳でミハイルの顔をのぞき込んだ。そんなリーシャへ知らんぷりを試みたのだが、それが全然伝わっていないのかしつこく顔をのぞき込んでくる。結局根負けしたミハイルは、嘆息混じりに説明を始めた。


「ここの試験はカンニング前提だ。学校の授業だけで解ける問題は六〇点分しかない。それが完璧であれば合格点はとれるけど、ミスなく全問正解なんて普通は無理だ」

「う、嘘でしょ! だってミカと私には――」


 リーシャが何かを言いかけると、ミハイルは血相を変えてその口を手で覆う。もごもごと抗議するリーシャだったが、ミハイルはそれを一切無視して「静かにしような」と声をかけた。一見すれば満面の笑みだが、その瞳は一切笑ってはいない。その瞳に圧倒されたリーシャがしゅんと押し黙ったのを見て、ミハイルは何事もなかったかのように口から手を離した。一連の様子を見ていたニコールたちは小首をかしげたものの、深く突っ込むのはよくないと気を利かせて話題を変えてくれた。


「ところでリアムはなぜエプロンをしていますの?」


 ニコールはリアムがつけている熊柄のエプロンを指さして、クスクスと笑った。笑われたことで少し頬を赤らめたが、すぐさま気を取り直してエプロンを見せびらかす。


「言ってなかった? 俺食堂でバイトしてるんだよね!」


 予想外のリアムの返答に、ニコールの笑い声がぴたりと止まった。そしてジロジロとその姿を見る。


「アルバイト? 食堂で? しかもこの大事なテストの時期に?」

「おうよ! 欲しいものがあってな!」


 テスト期間も勤労に励んでいることが誇らしいのか、なぜかキメ顔で宣言するリアム。だがニコールは口元に手を当てて、心底哀れむような視線を送った。


「成績不良のあのリアムが?」

「おおい! それは余計だろ!」


 キリッとした表情をしていたリアムは、一転して情けない顔になる。それを見ていたミハイルはたまらず吹き出した。めったに大笑いしないミハイルにつられるように、ニコールとリーシャも声を出して笑った。それがよほど恥ずかしかったのか、リアムは再び涙目になると、わなわなと体を震わせる。そして踵を返すと食堂のカウンターの中へと逃げ込んだ。


「お、覚えてろよ……!」


 定番の捨て台詞を吐いて逃げていくリアムに、三人はさらに大きな笑い声を上げてその背中を見送った。

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