<週末の選択と妖精>

 リビングから入る日の光で薄明るい脱衣所。

 ドラム式洗濯機のフタを開けて中を覗く。

 妖精は入っていなかった。

 洗濯機のフタを開けると、中に変わったところがないか気にしてしまう。これは癖と言っていいだろう。炊飯器の中で眠ることもある米村との生活で、私には不思議な習慣のようなものができたのかもしれない。私のなんとなく冷蔵庫を開けてしまう癖もこれによるものだとしたら、いわゆる白物家電の開くタイプのものに反応していると考えることができる。

 そもそも洗濯機の中にいたら、いったい何の妖精なのか、どんなご用件だろうか、それより無事でいられるのか。洗濯物どころではなくなってしまう。


 四角いカゴに洗濯物を移して持ち上げる。

 軽い。平日も洗濯しているため洗濯物は溜まっていなかった。

 廊下、それからリビングのソファー前を通るようにベランダに向かう。

 ソファーの手前から少しだけゆっくり歩いた。ソファーに寝転んで雑誌を読む米村を見ながら進む。途中で足音が止んだら不自然かもしれないと思った。

 小さな白い妖精はソファーに寝転がって雑誌を読んでいる。細い脚をぱたり、とさせた。半分だけ開いたベランダの窓からふわりとした風が入り、雑誌の端を少しだけ持ち上げたり、米村の髪を揺らしたりした。

 通り過ぎる。

 窓を全開しベランダに出ると、全身はゆるやかな風に包まれた。マンションから見える辺り一帯は日がよく照っているようだったが、風が吹いているためか嫌な暑さはなかった。

 さっきまでは聞こえなかったが、どこかでセミが鳴いている。

 ――夏になったらしい。

 遠くの入道雲を眺める。


 カゴを外に置き、干していた洗濯物を取り込む。

 多くはないが、シャツやタオルのようにある程度の大きさがあるものから、肌着に靴下やハンカチなど小さいものがいくつか干さっている。

 洗濯ばさみから外して両手に集める。

 じっとそれを見る。

 そっと振り向いて米村が雑誌を読んでいることを確認する。

 ――いける。

 抱えた洗濯物に向き直る。

 さっと顔をうずめる。

 吸う。

 顔が温かい布に包まれていい匂いがする。

 大きく息を吐いて、また吸う。

 洗濯物が溜め込んだ陽気で胸と頭を満たす。

 ほんの一瞬だけ息を止める。

 息を吐きながら顔を上げる。

 

 どこかでセミが鳴いていた。

 振り返る。米村はまだ雑誌に視線を向けていた。

 この〈週末幸せ時間〉を見られることに抵抗はなかったのだが、人間界の知識をどんどん吸収しようという米村にどう映るのだろうか、と少しだけ考えてしまった。これが〈人間界の不思議の一つ〉としてカウントされてしまうのは、少し恥ずかしい。

 抱えた洗濯物を置くため部屋に入る。

 米村が私に気づき「あ」と言ってこちらを見た。

「米村もいいですか?」

「ん?――米村も?」

 何についての話だろう。

「そうです。米村も埋まってみたいのです」

 それが洗濯物であることをすぐに理解した。

 見られていたらしい。

「それはかまわないけど、米村も、その、嗅ぎたいとか?」

「嗅ぎたい? いえ、なんか、やってみたいなと思ったのですが。アメですよね?」

「アメ?」

「あれ? 人間界の運動会などで行われる、アメを探すゲームの練習か、またはその類似の遊びかと思ったのですが……違ったでしょうか?」

 なるほど、あめか。

「よく知ってるね。準備とか大変なせいか、あんまり見ないし私もやったことないけど、粉の中に顔を入れて飴を探すんだよね。――って違う違う、私は匂いを嗅いでいただけなんだ」

 言った後で気づく。

 匂いを嗅いでいたことを言ってしまった。

「ああ、なるほど。そういうことでしたか。じゃあ米村もいいですか?」

 米村の表情は興味津々という感じで、匂いを嗅ぐことに違和感を感じている様子はなかった。

 人間界の不思議の一つにカウントされずに済んだのだ。

「いいよ。干し終わったらたたんでしまうけれど、それまで嗅ぎ放題だ」

 ソファーの上に洗濯物をまとめて置く。

 米村は立ち上がり、両手を胸の前に構えてそれをじっと見た。

 そして近くまで歩み寄り――

「イェス!」

 飛び込んだ。


 米村は布を両手で抱いて匂いを嗅いだり、布の海の中に潜ったりした。

 ――米村もいい匂いだと思うのだろうか。

 ふと思ってから、洗濯物を干しにベランダに向かう。

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