第三話 観戦記者


 享保十七年七月二十九日。盛夏。


 灼熱の太陽が照りつけるなか、芝増上寺の境内は人混みでごった返していた。

 みな、手に手に賭け札を握り締めている。試合開始を待ちきれぬひとたちが押すな押すなとひしめきあい、怒号と喚声をあげている。


 そんな人々を横目で眺めながら、“地獄耳の辰蔵”こと瓦版屋の辰蔵は優先席である最前列の枡席に腰を下ろした。

 現代風にいえば観戦記者席プレスシートといったところだが、興業を盛りあげるのも書き手の仕事である。

 辰蔵は江戸八百八町の剣術道場に明るいことから、武蔵屋から特別に優遇されているのだ。


「こら、暑うてかなわんわ」


 聞き覚えのある上方訛りの声が聞こえてきた。

 振り返るまでもない。虎縞の陣羽織をはおった太牙虎之介である。手ぬぐいで額の汗を拭いながら辰蔵の隣に腰を下ろす。


「こんなところにいていいんで?」


 確か虎之介の試合は第二試合ではなかったか? 第一試合が終わればさっそく剣武台の上にのぼらなければならない。

 選手控え室になっている幔幕のなかに待機しているのが普通である。


「あないな風通しの悪いところにおられっかいな」


 決まり事ではないので虎之介は気にしない。

 だが、辰蔵にはわかっていた。暑気を理由にしているが、虎之介は最前列で見たいのだ。

 第一試合出場者である風巻大地の戦いを。


 その風巻大地が右手の幔幕まんまくから白のタスキをかけ、木刀を携えてでてきた。

 ざわざわと観客が波のように揺れ指を差す。


「あれが風遣かぜつかいか?」


「意外と小さいな」


 そんな声が荒縄で区切られた立ち見席から聞こえてくる。

 すると――


 今度は若い娘たちの叫声が空気ををつんざくように響いてきた。

 左手の幔幕から木刀を手にした赤のタスキ姿の一丸が現れ、静かに剣武台のきざはしをあがってゆく。

 先に登場した大地は既に台上にあがっており待ち構える格好だ。


「大地と違うてえらい人気やな」


 虎之介がぐるりと後ろの立ち見席を見回していう。


「武者絵の売り上げだけなら第一席の松浪さまをおさえて一位ですからね。

 童顔だし、愛想もいい。なにしろ武張ったところのない親しみやすさが人気の理由だとだれもがいっておりやす」


「みんなあの笑顔に騙されるんやな」


 虎之介は出場する剣士たちの事前情報はすべて頭に入れてある。一丸はただの偶像アイドル剣士ではない。その外見にだまされたら痛い目にあう。

 昨夜、そのことを大地に告げようとしたのだが相手にされなかった。


「まあ、わかっとると思うけど……」


 思わず独り言を漏らすと傍らの辰蔵が相槌を打った。


「もちろん、大地さんならわかっておりやすよ。なんといっても相手は番付第三席の強者ですからね」


 行司の指示によって大地と一丸の両者が中央に歩み寄り視線を合わせる。

 一丸初はにこにことこの場になっても笑みを絶やさない。

 対する風巻大地はいつになく厳しい表情だ。


「正面に礼! 互いに礼!」


 行司の声に応じて作法通りに礼を交わすと、二人は数歩退がって距離を充分にとり相正眼に構えた。


「一本勝負はじめッ!」


 行司が手刀を切るような動作で試合の開始を宣告した。



   第四話につづく


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