第八章:This moment, we own it./13

「…………」

「…………」

 とまあ、宗悟たちとのちょっとした行き違いは……というか行き違いと言って良いものだろうか。とにかくそんなことがあったものの、観覧車自体には乗り込んでいて。何もかもが透明なシースルーゴンドラの中、翔一とアリサは向かい合わせに座ったまま、少しの間何も言葉を交わしていなかった。

 ゆらゆらと揺れるゴンドラの中、沈黙だけが二人の間に漂う。

 でも、不思議と嫌な沈黙じゃなかった。軽く横目を流して遠くの景色を眺める翔一と、彼の対面で俯き気味に顔を赤らめるアリサ。そんな二人の間に漂っているのは……決して嫌な沈黙ではない。ただそこにいるだけ。沈黙の中でお互いの存在を感じつつ、そのことに安心感を覚える……そんな、心地の良い感触だった。

「……アリサ」

 だがそんな沈黙も、ゴンドラが九時の位置まで昇るまでのことだった。

 視線を外の景色から戻した翔一に囁かれ、アリサは「な、なにっ!?」と慌てて顔を上げる。バッと顔を上げた彼女は、必死に平静を装おうとしていたが……しかしこの真っ赤になった顔では、色んな感情がダダ漏れだ。

「折角だし、隣座っても良いかな?」

 そんな彼女の様子を見て、僅かに表情を綻ばせつつ。続き彼はアリサにそう問いかけてみた。

「す、好きにしたら?」

 するとアリサは翔一に対し、やはり真っ赤になった照れくさそうな顔で。視線を明後日の方向に泳がせながら、そっぽを向いたままでコクリと頷く。

 そんな彼女の反応に、翔一はまた小さく笑んで――――そうすると、今まで座っていたシートからスッと立ち上がる。

 とすれば、不安定なゴンドラの中で立ち上がったから……ぐらんとゴンドラごと身体が一瞬揺れ、足をもつれさせた彼はそのままバランスを崩してしまう。

「おっと……!?」

「あっ! ――――もう、気を付けなさいよ」

「ああ……すまないアリサ、お陰で助かったよ」

 バランスを崩した翔一は危うく転びかけたが、しかしそこでアリサが咄嗟に手を伸ばし、倒れそうになった彼の手を掴み。そうして手を取られ、彼女に支えられる形で……翔一はどうにか事なきを得た。

 ふぅ、と息をつく翔一にアリサが大きく肩を竦めると、翔一もまた同じような仕草を見せながら、支えてくれた彼女に礼を言う。

 支える彼女と、支えられる彼。二人でそのまま小さく笑い合いながら……翔一はゆっくりと、アリサの手に支えられながら彼女の隣に腰を落とした。

「……いつも、この位置だからかな。アリサの隣は……やっぱり落ち着くよ」

「…………そっか」

 殆ど零距離ってぐらいに密着した位置に座った彼が、小さく息をつきながら呟いて。隣り合う彼女はそんな彼の仕草をチラリと横目に見ながら、小さく微笑む。

 こうしていると――――さっきよりもずっと落ち着いて、胸が温かい気持ちでいっぱいになる。身長差が身長差だから、翔一の方がアリサの肩に軽く頭を預けるような形になるのだが。でも、これはこれで悪くない。

 ごく自然な距離で触れ合う肌から、互いの鼓動が微かに伝わり合う。一定間隔で刻まれる穏やかなリズムが、不思議なぐらいに心地よくて。二人はそうして隣り合って座ったまま、また少しの間……そのままで、お互いに何も喋ろうとはしなかった。今はただ、この穏やかな静寂の中に身を委ねていたかった。

 そうしている内にも、二人の乗ったゴンドラは観覧車の頂上へと辿り着く。地上から約八五メートルの高さ、西の彼方から差し込む茜色の夕焼けに照らし出されながら……この場所から望める、綺麗な夕陽に染まった港湾地帯の景色に、二人は揃って目を奪われていた。

「……アリサ、今日は楽しめたか?」

 そんな綺麗な景色を二人で眺めながら、翔一は何気なく隣の彼女に問いかけてみる。

「当然よ。翔一の方は……どうなの? アタシたちと一日過ごして、楽しかった?」

 彼の横顔をすぐ傍で眺めつつ、アリサは頷き。そのまま逆に翔一へと訊き返す。

 すると翔一はそれに「当たり前だよ」と頷き返し、彼女の方に振り向いて……優しげな視線を向けながら、細い声音でこう囁きかけた。

「アリサが連れて行ってくれるところなら、僕は何処だって楽しいと思える。究極は何処だって良いんだ。ただ……君と、アリサと一緒に居られるのなら」

「っ……!」

 その台詞に、彼の向けてくれた優しげな笑みと視線に。すぐ傍から自分だけに注がれる、自分だけを見てくれている彼の言葉や仕草に――――ドキン、と胸の高鳴りを感じてしまって。瞬間、アリサはかぁっと顔を赤くし、誤魔化すようにぷいっと彼からそっぽを向いてしまう。

 そんな彼女の反応が、その仕草が愛らしくて。思わず翔一が柔な笑みを浮かべてしまっていると、すると……一度彼からそっぽを向いていたアリサは、すぐに翔一の方に向き直り。傍にあった彼の手に、自然と自分の手のひらを重ねながら。そのまま彼女は、恥じらい真っ赤に染まった自分の顔を……グイッと、彼の顔のすぐ傍へと近づける。

 急接近してきた彼女に、翔一は面食らいつつ。しかし恥ずかしそうに顔を赤くしつつも、でも必死に表情をいつもの強気な感じに保とうとしている、そんなアリサの様子を至近距離から目の当たりにして――――彼もまた、ドキンと強い胸の高鳴りを覚えていた。すぐ傍の、目の前の彼女と同じように。

「…………眼、閉じなさいよ」

 綺麗な金色の瞳を、激しく動揺に揺らしながら。アリサは恥ずかしがりながらも、しかし普段通りを装った声音で翔一にそう告げた。

「アリサ……?」

「いいから。……こんなこと、二度も言わせるんじゃないわよ……馬鹿」

 戸惑う翔一の顎先に指を触れさせ、また少しだけ顔を近づけながらアリサが告げる。有無を言わさぬといった調子で、爆発しそうなぐらいに高鳴る左胸の鼓動を必死に押さえ付けながら…………ちゃんとした形で、今の自分の気持ちを伝えようと。

 どくんどくん、と高鳴る胸の鼓動。左胸がまるで別の生き物みたいに跳ね回る。こんな激しい胸の高鳴り……きっと、互いに聞こえてしまうんじゃないかってぐらいの激しい鼓動。潮風に揺れるゴンドラの中、二人の耳に入ってくるのはもう、左胸から伝わる強烈な高鳴りの音だけで。視界いっぱいに広がる彼の、彼女の顔から……紅く染まった、愛おしいその顔から。もう、どうしたって目が離せない。

 ――――彼女が今、何をしようとしているのか。

 そんなこと、考えるまでもなく分かることだ。誰だって分かる、こんなこと。アリサがどれだけ心を揺らし、覚悟を決めた上でこんな行動に出ているか……それを察してやれないほど、桐山翔一という男は鈍感野郎の朴念仁ではない。

 でも、それでも――――気付いてしまった以上、言わなきゃいけないと思った。例えそれが、彼女の決めた覚悟を水に流すことになるとしても。

「いや、それは全然構わないんだけれど……その、アリサ? 冷静に後ろを見てみてくれ」

「後ろ……?」

 言われて、アリサはきょとんとして。そのまま……翔一がクッと横目の視線で示した方を見てみると。すると、そこにあったのは――――。

「な……っ!?」

「……ああ、そういうことなんだ」

 ――――真後ろのゴンドラから、こっちを凝視している宗悟とミレーヌの姿だった。

 こちらと同じように、二人隣り合って座っている二人は……案の定というべきか、どちらもニヤニヤといやらしい笑みを浮かべている。宗悟もミレーヌも、早くしろと言わんばかりのアツい視線を翔一と、そして硬直するアリサに送ってきていた。

「あっ、あのっ……!!」

 そんな二人と目が合ってしまえば、アリサはまたかぁっと顔を赤くして。彼の傍から急激に顔を離すと、そのままぷいっとそっぽを向いてしまった。その速度も恥じらい方も、さっきの比ではない。

「それで、続きはしないのか?」

 向こうを向いてしまった彼女の方を横目に見ながら、一応といった風に翔一が問うてみるが。しかしアリサから返ってきた言葉といえば、

「う、うるさいっ! こ、こんな状況で……! で、出来るワケないでしょう……!? この、この馬鹿……っ!!」

 まあ、こんな具合の予想通りなものだった。

「……だろうね」

 そんな風な彼女の様子を横目にチラリと見て、翔一は穏やかな笑顔を浮かべながら、フッと小さく肩を竦めてみせる。

 向こうを向いたまま、顔を合わせようとしてくれない彼女の。でもすぐ傍にあるアリサの気配を感じながら、翔一はいつしか降下を始めていたゴンドラの外……茜色の夕焼けに染まった景色の方へと、再び視線を向けてみた。

 西から差し込む夕陽に照らし出される街と、そして穏やかな海。見上げれば空があり、雲があり。そしてその向こう側には――――無限に広がる、漆黒の大宇宙がある。

 そんな景色をぼうっと眺めながら、翔一はふとこう思っていた。この景色を……この空を、いつまでも守っていく為に。彼女と飛ぶこの空を、彼女と過ごすこの時間を守る為に…………自分は、これからも飛んでいようと。他でもない、隣の彼女と――――アリサ・メイヤードとともに。

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