第二章:例え偽りの平穏だとしても/03

 そうして霧子に学院まで送って貰った二人は、駐車場で車を降りて彼女と別れ。そのまま校舎の昇降口に向かい、上履きへと履き替えて階段を昇り、廊下を歩き。いつものように、自分たちのクラスである二年A組の教室へと入っていく。

 席の位置は一番窓際の列、その最後尾がアリサで、彼女のひとつ前が翔一だ。以前までは窓際最後尾のポジションは翔一のものであったのだが、しかし今はもうアリサのものだ。あの夜、あの海岸で彼女と出逢い、そしてアリサがこのクラスに転入してきてから……ずっと二人は、この位置のままだった。

 重苦しいスクールバッグを置いて、よっこいせと席に着き。それから暫くもしない内に、気怠い朝のホームルームが始まる。そうすれば、そのまま時計の針はカチコチと進み続けて。ふと気付けば一限が終わり、二限も終わり……知らない内に、もう三限目の授業が始まっていた。

 ――――カリカリ、カリカリ……と、白いチョークが黒板をなぞるささやかな音が聞こえてくる。

 他に教室の中にあるのは、板書をノートに書き写すペンの走る音とか、居眠りをしている奴の立てるささやかな寝息。教壇に立つ老齢の数学教師が死にかけみたいな細く、しゃがれた声で授業内容を話す声と……後は、どうだろうか。開け放った窓から遠く聞こえてくる、外界の喧噪ぐらいなものだ。

 小鳥の鳴き声、吹き込む柔な風の音。揺れる木々の葉擦れに、遠くで絶え間なく走る車たちが立てるロードノイズ。翔一の意識は数学の授業の方ではなく、そちらの方……窓の外に広がる外界の方に向いていた。

 机に頬杖を突きながら、翔一はぼうっと傍にある開け放たれた窓の方を眺める。

 そんな彼の様子は、やはり何処か上の空だ。授業内容なんて一切頭に入っていない。彼が見るのは外界の景色で、彼が聞くのは外から聞こえてくるささやかな喧噪で。そして、彼の頭の中にあったのは…………もう日常になってしまった、今日までの非日常のことばかりだ。

 背中越しに感じる、彼女の――――アリサの気配を心地よく感じながら。背中の向こう側に感じる彼女の存在に、心の何処かで安堵感を覚えつつ。翔一は窓の外をぼうっと眺めながら、ふとこんなことを思う。

 ――――この平穏は、偽りだった。

 今まで自分が平和だと思っていた世界は、何処かで争いは絶えないけれど……でも、自分の周りは平穏そのものでしかないと思っていた世界というものは、単なる虚構でしかなかった。危ういバランスの中に在りつつも、しかし一応の平和を保っていると思っていた表の世界は……単に、そう見せかけられていただけだったのだ。

 表の世界で、皆が安穏と過ごす平和の裏で……人知れず戦っている者たちが、確かに存在している。未来永劫、その活躍を表世界の誰にも知られることはなく。宇宙の彼方よりやってくる外敵から人類を、この平和な日々を守る為に戦っている誰かが……生命いのちを散らしている誰かが、歴史の裏には確かに存在していたのだ。世界の裏側、人類にとって真実である暗闇の中には。

 翔一は、そんな彼らの存在と戦いを知ってしまい。そして……今ではもう、彼もまたそちら側の住人になってしまっている。表世界から、裏の世界へと足を踏み入れてしまっていた。

 故に、彼は思うのだ。そんな彼らの存在を、国連統合軍とレギオンの存在を知ってしまって……そちらの世界に、自らの意志で踏み込んでしまったからこそ。だからこそ、余計にこの平和な時間を大切にしようと。この間延びした、何でもない……平穏な、緩やかな日々の尊さを。

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