エピローグ:十センチ差の比翼連理/02

 まあそんな風な、多少のあれこれはあったものの。その後は翔一もアリサも、いつものように二人で朝食を摂り。さっさと学院のブレザー制服に着替え、二人一緒に家を出て。今日もまた、二人で一緒に学院へ……国立風守学院への通学路を歩き始める。

「ふわ……」

「どうした、欠伸なんかして。珍しく早起きしていたみたいだけれど、ひょっとしてもう眠くなったとか?」

「うっさい、あんだけ寝ぼけてた奴に言われたくないわよ」

「それを言ったらおしまいだよ、アリサ。生憎と僕は朝に弱いんだ」

「知ってるわ、それこそ今更よ」

「ああ、今更だな」

「ま……早起きしすぎて眠いってのは、否定しきれないかもね。ちょっと気合い入れすぎたかも……」

「気合い?」

「まだ内緒よ。もう少しだけお預け、いいわね翔一?」

「アリサが早起きなんかして、何をしていたのかは知らないけれど。でも、後でネタばらしはしてくれるんだろう? だったら、楽しみにしていようかな」

「ええ、好きなだけ期待してなさい。アタシはその期待の上を行くから」

「その方が僕も嬉しいな。君には……アリサにはいつだって僕の上を、僕の先を行っていて欲しいからさ」

「…………ったく、ほんっとに最近は特に口が上手くなってきたわよね、アンタ」

「お褒めにあずかり、恐悦至極」

「もう、ホントに口が減らないんだから……」

 薄い笑顔を浮かべる翔一と、やれやれとわざとらしいぐらいに肩を竦めるアリサ。並んで歩道を歩く二人の身長差は……およそ十センチ。一七五センチと一八五センチで、翔一の方が低い。仮にも男である自分の方が、相手より背が低いというのは、ヒトによっては無様に思ってしまうかも知れないが。しかし……翔一としては、寧ろこの方が良かった。

 ――――何もかも、彼女には先を行っていて欲しい。

 何気ない会話の中で飛び出してきた言葉だったが、しかしそれは翔一にとっての紛れもない本心だった。

 彼女には、アリサには何もかも自分の何歩も先を行っていて欲しい。先を行く彼女の一番傍で、彼女と同じ景色を見て。先を行く彼女を、どうか自分が支えていたい…………。それが、彼女に対して翔一が抱く純粋な気持ちだったのだ。

 だから、自分の方が低くたって平気だ。寧ろ彼女に上から見下ろされて、何処か安心感すら覚えてしまう自分が居る。それを思うと……翔一はフッと、無意識に笑みを浮かべてしまう。

「なによ、急にニヤニヤしちゃって」

 そんな風に翔一が突然ニヤニヤし始めたものだから、変に思ったアリサは彼にそう言い。とすれば翔一は「なんでもない」とだけ言って、ニヤニヤとしたまま彼女をはぐらかす。

「ま、何だって良いけれど…………」

 また呆れっぽく、わざとらしく肩を竦めるアリサとともに。彼女と横並びになりながら、翔一は学院への道を歩いて行く。

 そうして二人で会話をしながら、割にゆっくりとしたペースで歩いていれば――――そんな二人のすぐ傍、ガードレールを挟んだ車道の路肩に一台、唐突に車が滑り込んでくる。

 ハザード・ランプを炊きながら、翔一たちの真横に停まった蒼い車は……かなり年代物のヴィンテージ・カーだった。

 一九七五年式の、トヨタ・セリカ1600GTリフトバック。開いた窓から漏れ聞こえるのは、相も変わらぬノスタルジックなフォークソングの緩やかな旋律。その何もかもが、翔一にとっては既視感のありすぎるものだった。この車の運転席に身体を預けている者が誰かも、実際見なくたって彼にはすぐに分かる。

「やあやあ二人とも、今朝もお熱いことで」

 案の定、1600GTに乗っていたのは羽佐間霧子だった。

 開いた窓越しに顔を窺わせ、咥え煙草をしながらニヤニヤと嫌らしい笑みを湛えながら、歩道を歩いていた二人に絡んでくる。そんな霧子は相変わらず、白衣を羽織った格好で運転席に収まっていた。

「茶化さないでくださいよ、霧子さん」

「そうそう、お生憎様よ。アタシと翔一はあくまでイーグレット1、今は空の上のパートナーってだけよ」

「ふーん……『今は』ねえ」

 立ち止まった二人が呆れた調子で返していると、霧子はそれに対し……アリサの放った言葉の揚げ足を取るみたく言って、またニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべる。

「う、うっさいっ!」

 そういう風に霧子に揚げ足を取られてしまうと、しかし割と図星だったのか。アリサは照れ隠しめいて霧子に言うと、ぷいっとそっぽを向いてしまう。

「折角だ、二人とも学院まで送っていこうかい?」

 そんな……やはり頬に僅かな朱色を差しているアリサの傍ら、翔一がやれやれといった風に苦笑いをしていると。すると、霧子が二人に対しそんな提案をしてきてくれた。

 普段なら嬉しい話だ。彼女に車で送っていって貰えるというのならば、まさに渡りに船。普段ならば二つ返事で乗っかるところだが……。しかし、今日の翔一は違っていた。

「ありがたいですけれど、今日は遠慮しておきます。アリサと二人で、色々話しながら行きたいですし」

「ふむ……それも青春か。いいだろう、何かあったら私を訪ねたまえ。誰よりも君らの力になれることは保証しよう」

「ははは……その時はまた」

 翔一にフラれた霧子はふむと唸り、その後でニヒルな笑みを湛えながら意味深なことを言うと。最後に軽く二人にそれぞれ目配せをしてから、クラッチを切りつつギアを一速に入れ。炊いていたハザード・ランプを消しつつ、1600GTを猛然とした勢いで走らせ始めた。

「ほんっと、羽佐間少佐って変なヒトね」

「それには僕も同意だよ、アリサ」

 名機2T‐Gエンジンの音色、ソレックス連装キャブレターの甘美なサウンドが遠ざかっていく。

 走り去っていく蒼のボディ、霧子の1600GTの真っ赤なテールランプが描く軌跡を眼で追いながら、呆れ気味の二人はそんな言葉を交わし合っていた。

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