第十二章:アリサ・メイヤード/03

 ――――二年前の、確か五月の末頃だったと記憶している。

 あの時、月近くに開いた巨大な超空間ゲートから、レギオンの大部隊が出現したのだ。超巨大な司令船、マザーシップ・タイプを伴う大船団が。

 その数はマザーシップ一隻を筆頭に、空母型のキャリアー・タイプが五隻。他に戦闘機型のモスキートや爆撃機型のドラゴンフライは……キャリアーの艦載機を含めると、数えるのが面倒になるほどの膨大な数だったはずだ。

 突如として出現したその大部隊は、しかしすぐに地球に侵攻を仕掛けることはせず。マザーシップとともに月面に着陸すると、そこから一歩も動かなくなった。まるで本格的な地球侵攻を前に、まずは月へ前線基地を造り上げてみせるかのように、だ。

 そんな、月面に駐留を始めたレギオンの大部隊に対し――――国連統合軍の参謀本部は、すぐさま排撃作戦を実行に移した。

 作戦名、オペレーション・イーグル。史上初の月面着陸ミッションを成し遂げたアポロ十一号、その着陸船『イーグル』になぞらえた作戦名だ。

 その作戦に、当時は統合軍のマイアミ基地に所属していたアリサたちも当然のように駆り出された。レギオンと交戦を始めて以来、類を見ないほど大規模での攻撃作戦だ。一機居るだけでも凄まじい戦力になるESPパイロットと専用の空間戦闘機を無意味に遊ばせておくほど、当時の統合軍には余裕が無かったのだ。開戦から三年目のこの年、統合軍は今よりもずっと余裕が無かった。

 マイアミ基地の滑走路を離陸し、急上昇で大気圏をあっさりと飛び越えて。漆黒の宇宙空間、編隊を組んで飛ぶ月面までの道すがら。与圧されたゴーストのコクピットの中で、後席のソフィアとこんな会話を交わしていたのを覚えている。

「ねぇアリサ、月にはまだ星条旗が残ってるって話、聞いたことある?」

「……さあね。その辺の話はあんまり詳しくないのよ、アタシ」

「んー、前にお姉ちゃんが言ってたんだ。『月にはまだ、アポロ計画で立てた星条旗が残ってる』って」

「それがもし本当だとしたら、凄く浪漫のある話ね」

「だねー。ねぇねぇアリサ、この作戦が終わったらさ、着陸した場所に行ってみない?」

「着陸した場所って……まさか、アポロ計画の?」

「そうそう。半世紀以上も前に人間がさ、ゴーストみたいに凄い戦闘機じゃなくて……普通のロケットで飛んでいって、月の上を歩いたんだよ? それってさ、とっても凄いことだと思わない?」

「……まあ、凄いとは思うけれど。でもそんな寄り道、許可が下りるとは思えないわ」

「頼めば何とかなるって! ゴーストの航続距離なんて、殆ど無限みたいなものだしさー。ちょっとぐらい寄り道したって大丈夫だよ」

「本当かしら……?」

「ぶー、そこは本当だよー。ちゃんとプロフェッサー・タテガミにも聞いてきたもん」

「…………ソフィアの口から急にそんな知的な話が出てきて、なんか変だとは思っていたけれど。そう、椿姫が絡んでるのね……」

「えへへ、そこは否定できないかな。……というかアリサ、その言い方って普段の私が知的じゃないってことじゃない!? 酷くなーい!?」

「……で、ソフィアは何処へ行きたいの?」

「もしかして、連れて行ってくれるの!?」

「もしも、寄り道の許可が下りたらね。本当にもしも、の話だけれど」

「わーい! ありがとーアリサっ! 大好き! 愛してる! 結婚してーっ!!」

「何寝ぼけたこと言ってんのよ、馬鹿」

「んー、だったら……そうだなあ。やっぱりあそこが良いかな。十一号が着陸した場所。座標データはプロフェッサー・タテガミにちゃんと聞いてきて、メモも取ってあるから。今から入力してそっちに送るね」

「了解。……月面座標、北緯〇度四〇分、二六・六九秒。東経二三度二八分、二二・六九秒。静かの海……ああ、此処ね。作戦エリアからはかなり離れてるみたいね、この場所」

「ねー。というかアリサ、ホントに連れてってくれるの?」

「許可が下りれば、の話だけれど。もし本当に上が許可を出してくれるのなら、アタシがアンタを連れていってあげるわよ」

「わーい! ありがとアリサっ! でも……本当に良いの?」

「当たり前じゃない。だって、アタシとアンタは――――」

 ――――二人でひとつの、翼だから。

 その言葉を彼女が言い終える前に、作戦指揮に当たる統合軍の将官からの訓示が、オペレーション・イーグルに参加している全機へ広域通信の形で飛んで来たものだから。アリサはソフィアに対して言い掛けていたその言葉を、どうしても今は飲み込むしかなかった。

 それでも、後で必ず言えると思っていた。帰ってから、改めてまたソフィアに今の言葉を言ってやれると。信頼と親愛を込めた今の言葉を、必ずソフィアに告げてやれると。

 ――――この時のアリサは、確かにそう信じていて。一欠片も、疑ってなどいなかったのだ。当たり前というものが、決して当たり前でないことを。決して永遠でないことを……この時のアリサはまだ、知らなかったのだ。

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