紅葉山農園
「ここがわが家。紅葉山農園だ」
軽トラから降りた
「や、やっと着いたんだね」
「そうだ。
「暗い道に揺れる狭い軽トラ。怖かったよー。マンションの廃墟も怖かったよー」
一軒一軒の農地が広大なのと、電力節約で道路灯は交差点くらい。街にくらべ灯りが極端に少ない。ときおり、10メートル以上の場違いな鉄筋コンクリート建造物が、にょきりと目に入る。ドアも窓もはいってないそれはどうみても廃墟。煤けた建造物が雲の合間の月明かりに照らされると、白い人の姿が浮かび上がるのではかいかと、ミカは身をこわばらせていた。
陽一の存在は、横に置かれていた。
「ゴウ、運転ヘタ。それに飛ばし過ぎ」
「はっはっはー。楽しかったな!」
対向車のない快適な夜。美少女といえる二人を乗せてのドライブに、紅葉山
「しっかし大きな農場なんだね。夜でわからないけど、コンテナハウスが2棟に倉庫。牛舎もあるし、豚もいる。あっちのずいぶん真新しいのは、工場も?」
「夜空に負けないくらいキレイ。ギガファームってやつ。その高校生経営者。見直した」
緩やかにアップダウンする丘に建つ農園は美しかった。ライトアップされた灯りに浮き上がる古めかしい農舎は、横に並んだ近代的なコンテナと不思議にマッチしていた。照明はソーラーバッテリーによる淡いLED。
費用をケチった最低限の防犯対策にすぎず、色合いも、ブルーやグリーン、レッドなど、譲ってもらった中古の混ぜこぜなのだが、ミカとあろまの目には、古い文献写真でしかみたことのない見事な観光果樹園がたたずんでいた。
驚きを隔さないストレートな称賛に、
「そんなことは、な、ないぞよ」
「いや偉いよ。私たちが学校で勉強している間も、ここで農園をがんばって
「警察での態度。わかった気がする。なんかごめん」
「あいやー。そんな大層なもんじゃない。食い扶持をまかなうのでやっとだ」
「それでもだよ」
褒められることなぞ、めったにない。何年ぶりかの刺激だ。こういうときどんな返事をすればいいのか、適切な言葉や態度、対処がまったく思い当たらない。
「うんまぁ、ギガファームには及ばないが農園としては大きめ規模、か。たったの50haの起伏ある農地だ。家族だけじゃ手が足りないから、そこは手慣れたバイトさんに頼ってる。牛と豚の酪農で、ウンコをたい肥にしてるバランスいい窒素肥料を計算してる。
メインか? 梨やリンゴの果樹園と野菜。柿とブドウにも挑戦中だ。出荷向きでない野菜をエサにしたりの酸素循環農法?とかも一部採用してる。金がかからず美味い肉や作物づくりをいろいろ試してる。あっちのは自動の水耕栽培野菜工場、AI管理で屋内完全循環農場を可能に……」
詳しくはこちらをクリック、の勢いで解説。そろそろ理解が追い付かなくなった女子を置いてきぼりしてることなんか、気にしないというか目に入らない。どころか興味をもって聞いてくれていることを疑ってない。
「農業と遺伝子技術とは、えんどう豆時代から、切っても切れない縁がある。メンデルさんには足を向けて寝れないが、そのころの研究レベルは段違いだ。人のバイオブリックが小遣い稼ぎでできる時代だからな。バイトブリックなんて言葉もあるくらい隔世の感がある。もっとも人類のほとんとは恩恵をうけずに死滅してしまったわけだが、残された我々には、絶滅してない種を保存するとともに、次代の絶滅に備えて進化させていく使命が……」
「こういう人だったんだね。クラスにいたら浮いてたかも」
「気が合いそう」
農業の話から脱線するも、さらに深堀りうんちくをのたまわろうと、シプナスを総動員すべく、肺を空気で満たし一気に吐く。
「……最新AIはリアルタイムが身上とする。販売コーナーに設置したカメラから顧客の表情を読み取り、気温や湿度から好みを予測。次回出荷分の味を微調整する。うちにはないが、そのうち絶対に導入、いや自費開発すれば……」
もはや心象風景を描きはじめた
「兄ちゃん!」
「ゴウ兄ぃ!」
子供が二人、勢いで飛び出してきた。転がらんばかりの前傾姿勢でたたたっと駆けてくると、ホップステップ、一緒に並んでジャンプ。解説モードの
子供とはいえ二人そろえばかなりの荷重。のしかかられた
「えでででぇ……
「やだ」
「いや」
服を引っ張って離そうともがく、細い腕が首や腕にからまり、その指は服にしがみついて離さない。
「私たちにも手伝ってほしい?」
「パワー不足。農家があきれる」
「うるせ……」
「ふたば、みつば。心配だったか」
双子の小学生の妹たちに、静かにつぶやいた。
「し、しんぱいなんかしてないし。警察の人がきたけど」
「ぜんぜん、してないんだから。怖くなんかないし」
一日と半分、留守にした。昨日の早朝からあくる日の夜までだから、行動時間では実質2日。一家の長が呼び出されて、連絡つかずになったかと思えば、警察が事情を聞きにやってきた。小さな子供が怯えないわけがない。
「ふたりとも、強いな」
「とうぜん」
「兄ちゃんの面倒みてればね」
「ははは」
ミカはあろまに目配せする。肌の色だ。血のつながりが、ない。
帽子に手をやった頭の中では、複数の可能性が箇条書きに列挙されていく。
妹だといったが、灯りの足りないこの時間でも、はっきり二人の肌は違う。自分たちや
「驚くなっていったのは、こういうことね」
肯首する、あろまの声が固い。
「でもよくあること」
「……だね」
とても深いため息が漏れた。そっとしておくことだけ確認する。子供たちのしゃくりあげる息が小さく落ち着いてきた。歳の離れた
「お帰りなさい兄ちゃん」
「お帰りなさい」
ぐずぐずに崩れきった顔で、お出迎えの言葉。
「ただいま、だな。ひとまず降りてくれ。重い」
「それひどーい」
「レディに重いとかいう」
ふたばとみつばが、ひょいと降りる。
倉庫の向こうからがっぱがっぱと、音がした。暗がりからゴム長靴を履いた人物がやってくる。音は、長靴の中で足が遊んで、一歩ごとに空気が漏れ出るせい。サイズの大きすぎる長靴の呼吸音だ。
「やっと帰ってきたか
人物は左手で【サムズアップ】を決めると、夜間灯の下を、ずんずん、近づいてくる。灯りの中に鶏をひけらかす。首を落としたばかりのその鶏の胴体は、ぴくっぴくっと痙攣していた。ひっ、と小さな悲鳴をあげたのはミカだ。
「仕方ねぇから、今夜はこいつで夕食にしてやる」
「仕方ないだろ、オヤジ。俺だって好き好んで逮捕、いや補導されてわけじゃない。こっちも大変だったんだぞ。」
「ふふんそうかい。無断外泊とは恐れ入る。しかも女連れで帰宅ときたもんだ。夜分に」
「いや、話を聞けよ」
「両手に花かよ!さすがわ俺の子。若かりし日の血が騒いだわ。はっはっはー!」
「俺のアイデンティティが落ちる。それ以上しゃべるなっ」
うなだれる
「――まて、鶏は熟成させな味が悪いからな。知ってるだろうが、放血・と殺してから、63℃で2分間湯漬けして羽毛抜く、2℃で1時間冷却してから、頭・もも・内臓だけ取り除いて、4℃で24時間熟成。むね肉除骨して食べるんだ」
その人物”オヤジ”は、3メートルほどまできた。ふたばとみつばが、”オヤジ―ご飯”といって、すがっていく。農業団体のマーク入りの帽子。ゴムの長靴。ところどころ擦り切れてるオーバーオール。いかにも”農家のお父さん”いで立ち。
「私たちは、
挨拶をしようとして、固まった。
「よう。同級生ってか?だがこいつ学校辞めちまったからな。同窓生ってとこだな。こんな田舎にようこそ。はっはっは」
オヤジは再び指を立てて、ハンドサインを造った。またしても、どうみても【グワシ】。だが親指をたてるサムズアップと侮蔑の意味の中指立てのセットだと、この前は主張していた。意味は【おとといがんばれ】。
この場合、これほど意味なく焦点の合わないないサインも珍しい。怪訝全開で
「イチオウ訊ねるのだが、その指は?」
「ハワイのアロハを表す【シャカブラー】と、ようこその【OK】だ」
「ハワイとOK?」
予想の斜め上をいく組み合わせだった。ハワイというのはアメリカ領土の島。今もあるのか不明だが、日本人好みの有数のリゾートであること、あいさつの”アロハ”は知られていた。ハンドサインがあったのか。
「聞きたくないけど、意味は?」
「娘さんたち、【ブラOK】?」
持っていた双眼鏡を投げつける。オヤジがひょいと避けると、暗がりの地面に転がっていった。
ミカ、アロマが固まる。いやすでに固まっていた。
「まんまだろ。下世話なサイン作んな。指は【グワシ】だし」
「ぬぉぉ、なぜだっ」
自分の指を驚きに溢れた目で見なおすオヤジ。なぜ気が付かない。指の形を、OKとシャカブラーで交互に何度も作り替え。同じ動作を、何度も何度もくり返しはじめた。細かい動作をしつこく何度も。
カクン、歯車のかみ合わせがずれる音がした。
「指が、指がぁ……」
「アホか」
「あのね紅葉山くん。あなたのお父さんって」
聞きにくい質問なんだけどとミカ。もじもじと、言い出しにくくそうだ。
あろまが、ズケズケと成り代わった。
「ロボットか?」
「あろまっ!」
「アンドロイドだ」
「アンドロイド!?」
「そうだ」
「あなたは……」
アンドロイドに育てられたの? そんな言葉を、またしても呑み込んだ。
杞憂を読んで
「違うぞ。オヤジの記憶は正しく人間のものだ」
「はい?」
ミカは一瞬、言葉の意味がわからなかった。
「記憶移植?まさか」
「ミニサイズオッドあろまが当たりだ」
「特徴全部を並べたてない。ラノベキャラみたいだから」
「気にしてたのか……で、俺が子供のころに竜巻があってな。運が悪かったんだな。このあたり一体は鉄筋建築意外すべて好き飛ばされた。オヤジが死んだのその時だが、右脚も失ったほうが痛手だった」
「言いやがる。俺は足より下かよ。はっはっは。この指を直せ」
「へいへい」
二酸化炭素のオーバーフローによる気温上昇。そのため地球気圧は軽くなっていた。季節おりおりの天候が冷徹に告げてくる。火山噴火や大雨が当たり前の気象であると。
北海道にあっても、2006年の佐呂間町竜巻災害竜巻を筆頭に、何度か竜巻が発生していた。最大と記録されたのが9年前に起こった
「不可能。生物を人工物に移植すると拒否反応がおこる」
あろまは
「本当なら莫大な医療費がかかるんだが、ちょうど、できたばかりの記憶保存に保険お試しで入っててな。相談して紹介された研究員が手ごろな体をみつけ、記憶移植してもらったんだ」
「お、お試しって」
「980円の半額サプリか」
近年、新たな商品として浸透した”記憶保存保険”は、生前の記憶を保存しておける。定期的に直近の記憶を更新しておき、急死後の遺産処理などを円滑にするというものだ。死者の魂を敬うというより、遺族の都合のほうを優先。倫理的課題が大きく賛否が分かれ、保険を廃止せよとの声も大きい。
とはいえ保険額が高額であることから、資産ある家庭や企業がトップにかけることがほとんど。保存された記憶は、死後1年ほどで消去される契約が多数をしめていた。知識層は廃止色を広めたいようだが、実際に利用する富裕層にとってはじつに都合のいい仕組みであるのと、一般人には無縁なことから、廃止の流れにつながってない。
「記憶保存保険の目的は、純粋な記憶保存や生体脳への移植が前提。人口脳と自然脳では構造が違う」
「イテて。もっと優しくしろ」
「違法だっていうんだろ。たしかにな。生体以外に人間の記憶を移すのは法律に違反する。だが、それは後からできた法律だ。あのときはまだ、人格と記憶に明確な線引きはされていない。というわけで、脱法的にオヤジは認可されてるのだ。
記憶媒体は脳細胞をモデルにしてる。旧型シリコンだけどシプナス構造だから知識も蓄えられるぞ。ちなみに機体はBASICドリー社の汎用モデル、BCE-WU48(0011)だ」
「そのとーり。おかげで元気そのものってわけだ。コンピュータは嫌いだが、身体が世話になってる。無下にはできん。はっはっは」
オヤジは力こぶを作るようなガッツポーズを決めた。あろまは、背後でシャキーンという擬音が聞こえた気がした。
「さあて飯を作る。バイト連中もペコペコで集まってくるころだ。ほんとはカレーって言いたいんだがな」
「カレー?」
「かつて国民食とまで言われた料理だ。たいていの作物は作れちまう世だが、スパイスは無理ゲー。ウチの牛乳つかってシチューといこうか」
オヤジは、シチューシチューとはしゃぐふたばとみつばに手伝えと誘う。締めたばかりの鶏の羽根をむしりながら、コンテナハウスに足をかける。ふと立ち止まり、背を向けたまま言った。
「お嬢さんがた。借金だらけのむさ苦しいとこだが、飯は美味いぞ。気兼ねなくゆっくりしてけ」
借金だらけはよけいだ。そうツッコもうとした
「ん? オヤジ珍しく饒舌と思ってたんだが、スマホはどうした」
「スマホ……あれか。百歩譲って壊れたような気がするな」
「なんだその言い回しは……て、壊れたぁ?」
「牛の世話してたらポケットから落ちてな。ちょうど牛がウンコ落としやがった。拾って洗ったんだが……不良品つかままされたんじゃねーのか?」
「そんなことはない。最新式のが欲しいって選んだのはオヤジじゃじゃねーか!」
見ろよと、オヤジが取りだしたそれは、バラバラ分解されたパーツ群だった。
「こ、壊したのか? ちっ直してやるか…………?」
自分でもこれなら修理できそうだと、
「よりきれいにしようと分解して洗ったんだ。弱いもんだな。20気圧防水ってのは機能詐欺だな」
「バラさないで洗えよ。湿気に弱いリチウムエアーバッテリーだぞ。そうでなくても精密機器が水にダメってのは常識だろうが。自分だって雨の日は外に出たがらないくせに。このメカ音痴アンドロイド!」
「はっはっは。痛いところを突いてくる息子だ。今度からそうする。だがまぁそんな機械でもなけりゃ不便だ。新しいのを頼む」
オヤジは軽く言い残して、今度こそハウスの中へ消えていった。
ORZ を決めた
「なんというか。あなたのお父様ってすごく豪快な人ね」
「アンドロイドってことなんか、どうでもよくなる。いつもああ?」
「いつもああだ」
ぽんと、二人は肩をたたいた。
ここまで空中から眺めていた陽一が、農園にきてから初めて口をひらく。
『出る幕がなかったな。初めて君と会話したとき、ほとんど動じなかったが。わけの一端が垣間見れた気分だよ』
感慨深くため息をつくと、器用に腕を枕にして浮いたまま横になる。目をつぶると、静かな寝息を規則正しくたて始めた。本当に寝たのか怪しいものだが、煩くされるよりマシと放っておくことにした。
「それはそうと、私たち、休ませてもらってもいいのかな」
「……そうだったな。コンテナハウスの裏の先に、倒壊しそうな鉄筋マンションがある」
「倒壊しそうって。私たちを殺す気?」
「受取人はゴウ。いつ保険をかけた? そんなお金に困っていた」
「話は最後まで聞け! 倒壊しそうなのは4階から上だ。1と2階は震災補強していて安全。深度8クラスまでは保証されてる」
「なんでそんな半端な処置。ますます怪しい」
「言いたくないが、予算がなかったんだよ……」
「やはり経営危機な農園」
「やかましい。いやなら帰れ」
平押しに突っ込んでいくあろま。このまま追い返されてはマズイと、ミカが流れを止めにはいる。
「ごめんなさい紅葉山くん。信用するから泊まらせてください」
「世界崩壊地震の以前からある古い建物だが、仮住まいと高額機器の保管倉庫として利用してる。不安はわかるけど、竜巻の時に避難したのもそこだ。少なくとも俺は安全な避難所だと認識している」
鼻息荒く安全を強調し、行き届いた状態であることもつけ加えた。
「1階の一部屋は、来客用に片づけてある。シャワーもトイレ完備。着替えも揃ってる。案内するから、飯ができるまで休んどけ」
「至れり尽くせり」
「いまさら……きれいに使えよ。母親と妹が春まで使っていた部屋だ」
そういえば、母親という人物は登場していなかった。まだ離せないこと聞けないことがあるんだなと。ミカとあろまは、何度目かのアイコンタクト。
夕飯のシチューはおいしく、バイトの人たちに交じって、楽しいひと時を過ごすことができた。
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