お別れ

「あばよ陽一。これで終わりだ」


 ビルの屋上。腰まであるフェンスから乗り出す。真下へ構えた高機能レーザーライフル。高城精矢たかしろ せいやは引金にかけた指を絞る。銃口よりも太くなった光がほとばしった。眼下からは悲鳴と衝撃音。ゴミにでも燃え移ったのだろう、炎が明るくたちのぼる。上昇する熱風に、のけぞったが間に合わず、前髪がすこし焼かれた。ベリーショートヘアの先の焦げるニオイが鼻をついた。


「ふぅ。終わったよ漁火いさり。姉ちゃん仇とったよ」


 顔に似合わないUVカットの円目サングラス。左目は黒。右目は橙黄色。かきあげた前髪がはらりと、縛ったリボンの間から垂れた。怒ったようなくっきり直線眉は強気の性格そのままだ。ほとんど沈んだ夕日の残光が、光を苦手とする目に染みた。


「……まぶしい」


 長年追っていた弟の仇を始末できた無量感。高城は、体中にかかえこんだ息という息を吐き出した。


 あたかも逃げおおせているかのように、敵を錯覚させ、実際はレーザーが反射する距離を増加させることで、罠へと追い込んでいく。足元の路地は、予めピックアップした殲滅ポイントのひとつ。幽体が憑りついた人間たちが逃げ込んだのを見計らい、しかも、時間をおいて安全な場所だと錯覚させておいてから、最大火力をぶちこんだのだ。


 準備には数カ月という期間を要した。依り代とその住処が中央区セントラルにあること、さらには行動が分かっていていることが条件だったが、依り代が警察に連行されたことで条件が整った。


 海藤ソレイユで消滅できなかったときは悔やんだ。依り代がないと決めつけた矢先に、まさかいきなり現れた高校生に憑りつくとは、思いもしなかった。警察だらけで身を隠すしかなかったが、おかげで人物が明確するとともに、行方が確定したことで、仕掛けが使えるようなった。


 陽一はしたたかだった。憑りついた人間を動かしては死へと追い込んでいく。高城が最初に突きとめ狙いをつけたのは、作家のテヤン・サライ。行動を探り慎重に狙いをつけて葬った。


 だが、消し去ったと喜んだのも束の間。陽一は別の身体に乗り移っていたと後から知ることになる。やっと突きとめた二階堂暁を殺したのはいいが、またしても別の人間に憑き代えていた。高城が突きとめ撃ち込むたび、次の依り代に移り変えるいたちごっこ。このままではキリがない。どうするか。思いついたのは、人に非ざる悪魔の所業。代替えが不可能にするべく周囲の人間すべてを消滅させる罠だった。


「手間がかかった。でもま、甲斐はあったな」


 海藤ソレイユは、河川敷という開けた場面で倒せた。依り代はおらず。準備は無駄になったと安心するもつかの間。高校生の少年が登場したというわけだ。昭和さながらに地団駄を踏んで悔しがったものだが、今はもうそれすら懐かしい。


 老練な化け物が、見事にひっかかってくれた。

 やり切った感が、高城精矢を埋め尽くしていた。


 エネルギーパックは使い切った。元あるパックでは足りず買い集めた中古、それでも不安で他の機器、さらにその予備まで、すべてを投入しチャージした渾身の一射。照射時間は1秒に満たないが、光と熱は、あらゆる物体を消し炭と化したはずだ。


 レーザー銃は132センチ。見かけよりは軽く重さはほんの18キロしかない。入手は偶然だった。これほどまで、自分の適性にあった武器はほかにない。大切な相棒を傍らに置くと、急ぎ、散らかった大小のパックや配線を次々リュックに片付けていく。


 緊急自動車の消防車のサイレンが鳴る。時期ここにも、警戒ドローンや報道ドローンが大挙してやってくるだろう。下りて遺体を確かめたいところだが、地上に降りれば眩暈がひどくなる。そのうえで大っぴらに身をさらすわけにはいかない。


「やったよな。死んだんだよな」


 自分の中で繰り返す。依り代の命は尽きたのはもちろん、万が一、ほかの依り代がいたとしても、巻き込まれてくたばったはず。次々に相手を代えて殺人を繰り返す幽体の連鎖を、ようやく断ち切きることができた。できたはずだ。

 空の色が暗くなってきた。


「さってと。夜にでも紛れて巣に帰っとすっか。今夜は祝杯! なんてな」


 独り言ちる。華奢な身体にリュックを背負い、ジャンパー越しの肩に銃を担ぐ。身をひるがえして逃走ルートを頭に描く。サングラスのアイデバイスが振動した。


「うあー。こんな時間にかよ。”接続”」


 腰を折られた高城は、への字の口で告げた。声紋が認証されると、デバイスの眼鏡には男が映しだされた。40台後半の薄毛が哀れなちょび髭の饅頭顔。子供でも描けそうな絵面。職業当てクイズなら、10人が10人とも、従業員数名の零細企業社長と言い当てられる。


『せい……なんだその顔は」


 いまは見たくない上司からの通信。面白くない思いが知らず出てしまった。


「曲がってますか?ハチに刺されたんすよ。いやあ社長のご尊顔って、神々しいすねぇ。待ち受けにもしてるんすよ。はは、はは」

「おお、そうなのか? 次のメールにもっといい写真を添付してやろう。うんうん。ハチか。ハチアレルギーが怖いからな、十分気をつけろよ。うん。それとな、ボーナスをだそうって考えていたところだ。頑張る社員には褒美を与える。これも大切なことだからなわっはっは」

「そうなんすか。もっとがんばります!」


 うすら寒い会話が交わされた。バカみたいにちょろい社長。このままずっと勤めていいんだろうか。高城は会社の将来に不安を覚えた。


「ところで仕事だ。精矢ちゃん。いつものようにドローン回収にいってくれ』


 名前で勘違いされやすいが高城精矢たかしろ せいやは、女性である。

 冬都シティでは高校にいけるだけマシなのだが、勉強不足であえなく中退。ゆくゆくは親のと同じく漁師になって、東の内海から出漁するつもりでいた。


 今の仕事は運送会社の下請け。屋上や係留ワイヤーにひっかかった配達ドローンを回収し、依頼者に返却する業務を請け負うものだ。


「場所どこですかね?」

『近くだ。北2条西3条』


 ドローンが帰還できなくなる原因のうち一番多いのは係留ワイヤーへの接触だ。ビル同士をつなぐワイヤーは地震からの倒壊対策であるが、配達や作業といった空中業務をする者からの評判は、すこぶる悪かった。


 高度なAIで自律配達するドローンだが、機種の8割は物理的衝撃に弱い。強風にあおられば、ワイヤーに接触し、カンタンに破損や落下となる。モーターや中枢システムが感電すれば、ショートして破壊されるし、そこまでいかなくとも、ぶつかった衝撃により、修復不可能なまで損傷することがある。


 そうなれば持ち主は回収をあきらめ、ときには荷物ごと手放す。損害は保険で補填するそうだが、不要ドローンの宙づり放置は、冬都シティ行政が許さないので、金を払っても撤去を依頼する。


 こうして回収したドローンはとても美味しい。処理費用を上乗せして、スクラップ解体処分するのが名目だが、会社は修理して中古業者に転売していた。そんな裏事情を依頼側もわかっている。他社に頼もうにも、危険な高所回収を希望する業者はない。稀に見つかったとしても保険やら機材やらで、受注額は高額であった。


 高所に強いという高城精矢たかしろ せいやの特異体質があっての市場独占。ぼろい商売の”有限会社空中回収”は笑いが止まらなかった。


『わっはっは。2分でいけるな?』

「いやあ、無理ですね。自分、南7条にいるもんで」

『…………南7?』

「はい、南7」

『ば、バカやろーが!! 用のないときは北1の詰所にいろって言ってるだろうが!! フローターが半分死んで、ワイヤーに絡まって今にも落ちそうなんだ。空中から地上まで通行止めだ。役所の緊急依頼で、特急料金までもらってんだぞ』


 どうせ社長がふっかけたんだろうに、そんな都合知るか。そう怒鳴るのは心の中だけにする。


「すんません。急ぎますんで。10分待ってください」

『5分で着けっ! いつものようにワイヤー渡りでな。できなきゃコミッション手間賃減らす。大減俸だ!』

「ボーナスは……」

「ああ? なんの話だ?」


 社長は受話器たたきつけ、がちゃりと通話が切れた。


「陽一を葬った喜びが台無しじゃんかーーーー!」


 がっくり肩を落とした高城は、ますますうるさくなったサイレンに怒鳴った。無駄に叫んだせいで喉が痛い。仕方なく気持ちを切り替えると、指定のビルに向かうため、北側のビルと繋がるワイヤーのジョイントに足をかけたそのとき、背後から声がした気がした。


「勝ち逃げってのはないんじゃないか?」


 高城は無視した。

 ここは14階の屋上、自分のほかに人はいない。屋上へ出るドアにはカギがかかっている、念には念を入れ、絶対開かないよう事前の細工まで施しておいた。さっきから地上の喧騒が騒がしく耳に届きっぱなしだ。その声の一つが語りかけのように聞こえた。気のせいに違いないと思った。誰も侵入できるはずない。

 分かっているのだが。背中に冷たい汗がつたった。


「お前が高城か、マジ女なのな」

(空耳、じゃない?)


 ゆっくりとふり向いた。信じられない。人が本当にいた。ついさっきまでいなかったのに。だが驚いたのはそこじゃない。そいつは年は自分より下くらい。焼け焦げたぼろをまとい、双眼鏡を胸元にぶらさげた黒髪だった。それはスコープで散々見飽きた姿かたち。いましがた高熱の光で焼き尽くしたはずの少年、紅葉山ごうだった。

 健康に日焼けした高城の肌が蒼白となった。


「まさかだろ……どうやって」

「右足がことのほか頑丈にできててね。ヤマカシやって駆けあがってきたんだ。これはお土産。重かったよ」


 ごうは、抱えていた煤焦げの丸い板を放り投げた。ガラス片のようなものが、パラパラと剥がれてばらけ、丸板がボロボロと崩れる。ほんの数秒で原型がなくなった。氷片とテーブルであったものだった。


「い、生きてるわけねぇ。レーザーを大出力でぶっ放したんだぞ」

『右脚くんは健在だよ。精矢ちゃん残念だったな。オレも残念だけど』


 ごうの顔の前、ちょこんと浮いた陽一が肩をすくめる。怨恨ある幽体。顔だけは申し訳なさそうに眉毛を垂らし、いかにも残念そうは渋い目を作っていた。あのときと同じ悪びれない所作。この瞬間から彼女の眼には陽一しか見えなくなった。

 高城の脳裏に深く深く刻まれた、忘れようもない記憶が呼び起こされる。


漁火いさりくんだったか。姉弟ゲームが終わってぶりだな』


 爪が食い込むほど拳を固く握りこむ。憎き幽体へ猪突。


「よおぉぉぉっ、いっちぃぃぃぃ!!!!」


 気合のこもった突進だったが、重量物を背負ってのダッシュに瞬発力は無かった。狙いは陽一。そこにはごうの頭。華奢な鉄拳をもらうほど軟ではない。見かけによらず丈夫で素早い少年には、農作業で鍛えた耐久力があった。


「あほかっ」


 横にひょいとよけると、スイカでも踏み潰す要領で、横腹に蹴りをいれた。


「ぐぅぅ」


 高城は二つ折りに倒れた。脇腹をおさえ、うずくまる。


「見境いないやつだな。おい、殺されかけた俺たちへの始末、どうしてくれるんだ?」


 ごうレーザー銃ごと高城を踏みつけた。その右脚のズボンには、太もものあたりにレーザーで焼かれた穴があったが、貫かれた傷は消えていた。一瞬で業火に包まれた路地を見下ろす。



◇◇◇



「……みんなここから出ろ! こいつは罠だ。」

「罠って」

「俺たちは逃げのびてきたんじゃない。初めからここに誘いこまれたんだ。ヤツは陽一を消すため、丸ごと焼くつもりだ。デカい一撃が来るぞ!! 逃げろ!!」


 怒鳴って、二人を急き立てる。そうして、自分も不自由な足を踏ん張って隙間から出ようとする。妙なことに足の痛みは引いていた。


「はは。こりゃ都合がいい。タイムラグのアドレナリンか……なにしてる、行け」


 障害物から身を出したごうは驚いた。女子がまだそこにいるのだ。急き立てようとするが、あろまが見返す。


「動かない」

「は?」


 何を言ってるのか。ここまで無駄な時間を過ごしてる。次の攻撃がいつきてもおかしくないのだ。最終かつ最大の攻撃が。


「あろまっ」

「ミカもここへ」

「テーブル? そんなんで防げるかバカ!」

「じゃ、どうする? 時間はないんでしょ」


 もう遅い。さすがに、こちらの動きは知られてるとみていい。数秒以内に降って・・・くる。ごうは、脳ミソを絞るように生き延びる手段をひねりだす。


「…………いや、方法がある。俺にしか使えない凍結魔法」

「魔法!?あるの?」

「ミカの目が輝いた。魔法なんてあるはずない。うあっ何する」


 ごうは、二人を両脇に抱きかかえると、元居た空間に押しこもった。あろまの天板を奪い、頭上に構える。


「……二人とも。警察では、悪かったな」

「そんなのいいよ。それよりも魔法」

「謝るより生存優先。それとミカは期待しすぎ」

「ふ。期待しとけ」


 ごうは思い切り息を吸い込む。賭けだ。だが部の良い賭けだと、自分に言い聞かせる。レーザーの威力がどれほどのものかわからない、微弱であってさえ貫通力は思い知った通りだ。軍艦やミサイルを撃ち落とすレベルと同等なら、小手先の道具などものの役にたたない。でももし、もしも激しく強化できれば。

 あれ・・が偶然とか演技とかじゃなければ、通用する可能性がある。


 肺の空気を声に変え、悪顔の陽一を見上げた。


「地震だあ!」


 口をあんぐり。きょとん。あっけにとられる。


「……それが魔法?」

「斬新すぎる」


 目が点になりそうな、あらゆる飽きれ顔を表す表現が二人の心に隙間を埋め尽くす。

 もはや、なんといっていいかわからない。猛攻に焼かれる暗黒未来を思い描いたとき、忘れていた一人が反応する。


『じ      じ、じ、じじ地震? こわい~怖い!』


 怯えきった地震嫌いの陽一が、あたりかまわず跳ねまわる。効果は急激に現れる。通過した物体は、つぎつぎに氷漬けにされたいく。


「凍っていく! これが魔法!!」

「幽体の氷冷現象?」


 ごうが持ったコタツ天板も、もちろんがっちりと凍った。身を隠したごみの隙間はみるみる堅城なバリケードと化していく。


 直後、高城のレーザーが撃ちだされた。衣服の端端を焼かれがらも、乗り越えることができた。



◇◇◇



『女性に乱暴するのか。君には、か弱きものを守ろうって気持ちがないのか』


 目的には手段を選ばない幽体が、自分のことを差し置いて説教する。


「これが初体験だ」

『珍しい女性初体験があったもんだ。それでお次はセクハラかい』

「殺し屋に人権などない。けっこう重いんだな」


 ごうは、奪い取ったレーザー銃を離れたところに放り投げると、高城の身体を足で踏みつけたまま、しなやかな体をまさぐっていく。


「あふ……どこを触るっ」

「ナイフとか武器を捜してんだよ。お、これは……!」

「あ……」

『ずいぶん都合のいい人権だな。迷彩ジャンパーにフィットスーツだ。みたまんまで隠すとこなんかないだろ』

「念には念を、だ」


 高城の脇や腕の下、お腹、足の間などを触っていく。3分ほど触りに触ったところで、納得したのか高城から離れた。


『なんて清々しい顔なんだ』

「ふぅ……満足。いや、堪能。その……確認した。何も持ってなかった!」


 立ち上がり一歩下がると、狙撃手に命令する。


「正座だ。頭の後ろに両手を組んで、そこになおれ」

「……」

高城精矢たかしろ せいやっていったな。暗殺が仕事か?」

「……」


 ごうの言葉に従い正座はしたが、刺すように血走った眼は陽一をにらみつけたままだ。


「こっちを見ろよ。命令してんのは俺だぞ」

「……」

「答える気なしか。というより陽一しか見えてない」


 ごうは、高城に体術はないと踏む。蹴れば防御もできず側倒。踏めば抵抗できずに踏まれたまま。レーザー銃は恐ろしく脅威だが、武器がなければ無防備な女。素人の自分でも御すことができる。そう判断した。

 そばにしゃがみこみ、鼻がくっつくくらいまで顔を寄せた。サングラスの奥の目が、じろりと動いた。ここまでやって、やっと目が合うか。陽一への怒りは相当なものだ。


「お前さぁ。……霊を滅却させんならレーザーじゃなく坊さんだろう。数珠とかお札とか用意して経文あげるってのが、和製オカルトの常識だろうが……ぬ?オッドアイ?」


 左右で瞳が違ってることに気づいた。左が黒で右が橙黄色。物語ではありふれていても現実には初めて。ちょっとひるみ、顔と顔が離れた。少年の腰が引けたのを見て安心したのか、高城の顔がわずかに緩む。


「……坊主なんか、生ぬるい。こいつは自分の手で地獄に叩き落とさなきゃ、自分の気が済まないんだ」

陽一こいつに何をされた?」

「……弟を、殺された」


 そう言って固い床に目を落とした。


 高城は親は漁師だ。いつかは自分も、東の内海から出漁するつもりでいた。高校中退は修業が早まったと割り切ったが、その夏、時化での無理な操業中、高波にもまれて落水する。命は取り留めたものの、甲板に撃ちつけらた衝撃で右眼球を失った。左眼は物を見ることができたが、なぜか地上での遠近感を失う。常にめまいを抱える彼女は、この日から船に乗るどころか、まともな生活が送れなくなった。


 そんな失意のときが陽一に憑りつかれて急逝する。動かなくなっただが、不幸中の幸いか、眼球だけは細胞の壊死を免れていた。拒絶反応が心配だという医者の反対を押し切り、精矢は形見となった目を移植することにした。移植した眼はウソのようによく見えた。視力検査は10.0を超える。しかも高所にいれば、めまいがないこともわかった。


 ビルの屋上に住まわせてららい、ドローン回収という仕事をしていたある日、ドローンの落とし物にレーザーをみつける。持ち主不明。遠距離殺傷可能な武器を入手したことで、行動を開始した。無きの無念を晴らすために。


 夜が迫る。グレイのコンクリートが紫になっていく。


「それは……痛みはわかる。俺の妹も死んだからな」

「妹さん? こいつに殺られたの」

「災害だ」

「そう」


 地震に洪水。災害によって死亡という話は、いくらでもある。毎年のようにおこる大地震、夏の台風に冬の大凍結。親しい人が皆元気なんてことは、この冬都シティではありえない。死因は違っても、幼い命を失った悲しみに違いはない。高城は、自分のケースに少年の妹を重ねた。


『弟だってさ。あんなものが弟? 生きてもいないガラクタだろう』

「ガラクタ?」


 女はギリっと歯噛みする。レーザーよりの強い視線で陽一をにらみつけ暴れた。


漁火いさりをバカにすんなぁっ!!」

「勝手に動くな!」

「がっ……」


 頭をつかんでコンクリの床に押さえつける。陽一には敵対してるが、それ以外の抵抗をしようとしない。抑えればそれきり、まったく抗うことをしてこない。バイタリティがあわれな程に一途だ。


『容赦ないねぇ。右脚くんって、意外と怖いんだな』


 からからと、おちょくる陽一。単純な肉親じゃないな。何か事情がありそうだ。ごうは幽体を一瞥すると、抑える手を緩めた。


「大人しく座っとけ


 女性は抗いもぜず、屋上の固い床に正座した。


漁火いさりってのが弟の名前か。そいつも陽一が殺したのか」

『ガラクタ……じゃないことにするか、かといって人間じゃあない。だから殺した枠には当てはまらない』


 陽一はからかうように言い改めた。高城は苦々しく舌打ちし、狂犬みたいに歯をむき出す。


「人間じゃないのに、弟って。なんだそりゃ。なぞなぞか」

『右脚君は、ナビロイドを知ってるよな?』

「もちろんだ。単純なプログラムで動くペットロボの一種だろ。ロボットより高性能だがアンドロイドには劣る。学習機能が備わった自律型。それがナビロイドだ。子供のいない夫婦が、子供の代わりに可愛がるのに購入するってヤツ。それが?」

漁火いさりってことだ』

「……よくわからんが、親がペット代わりに与えてくれた、とか」

「ペットじゃねぇ、弟だっつってんだろうがよ!」

『話にならんだろ? キミが言ったように、ナビロイドの主な利用は子供の代用。けど、それ以外の使いみちもある」

「それ以外?」

『育児だ』


 ごうの心臓に、なんともいえない痛みが走る。


「それで?」

『さあな。生まれてからずっと一緒にいたんだろうよ。ナビロイドの学習成長には、いつまでも子供であり続けるよう年齢限界があるっているからな。乳児幼児までは育児、それか遊び相手。精神年齢を追い越してからは弟。人間の感情移入ってのは面倒なもんだ。なんだかんだで情が移った。そんなところだろう』

「てめぇに何がわかる!? 漁火いさりは人懐っこくて自慢の弟だったよ。いつも笑っていて、眼を無くしたときも自分を励ましてくれたんだ。漁火いさりは……」

「なんとなくわかった。でもおかしいんっじゃないか? 人間じゃないのに、陽一が殺すなんて」

『眼がな。なぜかマ、いや人間の眼球が転用されてたんだ。それで憑りついた』

陽一こいつが憑りついたときは、面白かったよ。”姉ちゃん幽霊がぼくに中にいる”ってはしゃいじゃって。漁火いさりの弟の話しぶりから、愉快な仲間が増えたくらいに考えていた。だがその三日後……亡くなった」


 吐き捨てるようにつぶやく高城。最後の言葉は、風にかき消された。


『幽体のひとつくらい、人間には毛ほども障害はない。アンドロイドの機体・脳内構造は人よりも単純だ。電脳構造が崩壊したんだろうな。動かなくなってしまったよ。あのときは慌てたなぁ。右脚くんのときもそうだったが、依り代を見繕ってなかったからな。眼の回収どころじゃなかった。すべて、ガラクタの眼のせいだ』


「これがその目だ!」


 右眼を、指さした。


「自分は、この弟の眼でてめぇを捜す。どこへ行こうと誰に憑りつこうと、そんなのどうでもいい。どこまでも、いつまでも追いかけてやる。てめぇをこの世から消し去るまでな!」


 ごうは腕組みしながら嘆息する。心情は理解できなくもない。とはいえ放置はでいない。温情で解放すれば、問答無用でごうの命を狙ってくるのは明白だ。逃げても逃げても、追いつめてくるしつこさは、いやというほど体験済み。もしごうが逃げきれずに死ねば。おそらく次はあろま。あろまが死ねば、さらに誰か。いつまでもいってまでも、とり憑き繰り返す陽一が消滅するまで、諦めることはないだろう。


 なら陽一はどうか。陽一は死んだ幽体。執念を持つ未練の残骸だ。一筋縄ではいかないしぶとさを抱えている点で、どっちもどっちといえる。

(間に挟まってる俺が、一番危ないじゃななかろうか?)


 どうするか。警察に突き出すのが確実なんだが…………

 斜め上の陽一と斜め下の高城。ごうは、双方の顔を交互に見比べた。

 まてよ。どっちもしつこいなら……そうか!


「警察に突き出すのはカンタンだが。それじゃこっちの気が済まない」

『裸で宙づりとか? やるな右脚くん。14階ならさぞや見ごたえがあるだろう。今日からはS脚くんと呼ばせてもらおう』


 陽一がグッジョブと、サムズアップ。


「裸宙づりでもなんでもいいぜ。そこから必ず抜けだして、てめぇのくそ魂をズタズタに引き裂いてやる」

「俺にそんな趣味はない。お前は…………あるのか?」

「裸で喜ぶM気なんか、アキアミぽっちもない」

「たとえがわからん。そうじゃなくて」

『おっぱいのことだ。高城はふくよかだからな!』

「エロ話題から離れろ! スケベ幽霊」

『幽体だ!』

「ちがうからな」


 高城は、ジャンバー越しにもわかるくらいはち切れんばかりの胸を、両腕で隠した。


「まったく……そんな難しいことじゃない」


 頭をかきむしってから、言いにくそうに、つぶやいた。


「…………金のことだ。金を持ってるかって聞いたんだよ」

「カネ?」

「そうだ金。マネー。キャッシュ。それで勘弁してやる」

『おいおい右脚くん。殺人犯に集るつもりか?』

「うるせー。農園経営は世知辛いんだよ。金はいくらあっても足りないんだよ」

「出すとはいわないが、ちなみにいくらだ?」


 いきなり現実的な提案だ。高城は、複数の仮想通貨残高を計算した。蓄えというほどではないが、二月分の生活費くらいはあったはず。


「あるのか?500万、いや300万でもいい」


 ごう三本、指を立てた。


「さんびゃく!?」

「安いもんだろ。人を一人雇うえば、人件費と必要経費でそれくらいかかる。設備投資なら最低その10倍は」

「そんな大金があるか!お前の足止めのせいで遅刻してる。減給決定しちまったよ」

「ないんだな?」

「ない」


 ごうは、ほくそ笑んだ。かかったと、その目が言ってる。


『悪魔のほうな微笑みだな』

「高城。次の条件だ。こいつは格安にしておく。貧乏のお前でも支払える」

「また金か。いくらだ」

「……無料だ」


 高城が驚き、その勢いのまま決断した。


「いいのか。乗った!」

「よし。言質はとったからな」

『どうするんだ?』

「こうするんだよ…………陽一、耳を貸せ」

『なんだい、女性には話せない男同士の話しか?』


 ふわふわ、ごうの鼻先まで降下した陽一は、片方の耳に手をあてがった。


「二人とも、仲良く暮らせ」


 普通のボリュームで告げたごうは、高城に聞かれないよう、陽一だけに静かに囁いた。


「地震だぞ地震」

「それ、どういう意味だ?」

『怖い』


 陽一は空中をさまよいだした。いつものように通過した物体が、片端から凍結していく。

 事情がわからずあっけにとられる高城に手を振ると、


「じゃあな。今のこいつは、自分をコントロールできない。お前には憑りつき実証の目がある。てことはだ。俺がいなくなれば、お前に憑りつくしかなくなる可能性が高い!」

「自分に? こいつが?」

「追う者と、追われる者。末永く暮らせ」


 ごうは、隣のビルに飛び移ると、幽体が正気に戻ってしまう前に遠くに離れるべく、建物つたいに地上へ降下していった。


「てめぇ、押し付けやがったな!」

「ばっはっはーい!」


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