射角
室内が凍りついた。丁寧なお礼は期待してなかったが、一言”どうも”くらいあるのが社会的常識。それくらいの胸算用はしていた。だが、欠片すら謝意を感じ取れない、ぶらり退場。自分の用が済めば、それでいいらしい。警察から釈放させるため、わざわざ出向いてきたミカ自分の存在は、目礼する価値もないらしい。
合理的といおうか、恐ろしいほどのぶっきらぼうを目の当たりにした
対して右にいるミカは、固まっていた。長身の幼馴染は唖然を通り越し、呆然とした顔になっている。かわいい口を閉じておけ。
「行ったよミカ。どうする?」
「はっ」
横腹をつつかれ、ミカは我に返った。すぐに、案内してくれた警官と、アンドロイドに頭を下げると、ばたばた、慌てて部屋を出ていこうとする。彼女の行動は早い。速いのだが頭の回転に、体がついていかないことが多い。ドアを引いてとび出ようとする。半開きの隙間を抜けようとして……ガツン!
ものすごい音だ。一瞬
「んんぐ、いったあ――」
「いつも言ってる。よく見る。手足と体の動きを一致させる」
「むー。……はい」
ミカは、数秒かけて立ち直ると、すぐさま駆けだした。
ミカのプロポーションは無駄がない。スポーツに詳しくない人間でも身体能力が高そうと評価する。だが性格か何かが、抜群の阻害をみせ、運動能力は平均より低くとどまっている。がんばろうと気張ったときや慌てたときは顕著なブレーキがかかる。超特急をかましたときの彼女は、早歩きの
「帰る。おまわりりさんたち、ありがとう」
「気を付けてね。彼女あぶなっかしそうだから」
警官とアンドロイドに丁寧なおじぎをして、ゆっくりリュックを背負って、静かにドアを閉めた。
割れた列の間を悠々、歩いて後を追う。
外は夕方。風のないどんより蒸した天気だった。駐車場からは、空中も地上も、ひっきりなしに車が出入り。交通整理の警官が流す汗が暑苦しい。ドアのすぐ外にミカはいた。その視線の先に、紅葉山もいた。
紅葉山は、らスマホ電話中だった。玄関の段差を下りながら、しきりに頭をさげる。さっきと別人のような低姿勢で、いじるともなく双眼鏡のストラップをくるくる指に絡めてる。
「すみません山岸さん……MYTUBEで見て……知らない? 自分が撮影した映像はですね。警察にメモリを消去されて……すいません。はい?え?CUですか。01から32まで依頼通りで。急いでもっていきます。メール添付は重すぎて無理ですんで。すみません」
みごとな90度おじぎで通話を終え頭をあげると、大きく肩を落とした。ミカが、話しかけようと近づく。至妙だ。意気消沈してるいまなら、なんでも受け入れてくれる。
「紅葉山く……」
だが彼は誰もいない空中に、話しかけたのだ。
「陽一さあん。オレの所業は公開されてないそうだぞー。警察のお咎めなしだもんなー。犯人捜し、いらねーんじゃね? え?南の中島公園へ行け? なんで。スラムじゃないかそこ。聞いてただろ。急いで帰るんだよ! その前に家に電話。心配してるしな。ついでにオヤジにメールだな」
「……」
高校3年にして遅めの厨二病。それとも心中に別人格を宿してる設定か。言われれば、そこになにかが見えない気がしないでもない。理論的にありえない。胸を張りからかうような笑顔に、
なんでもいいが、呼びかけるタイミングがつぶされたのは確か。
「あの、紅葉山
「電話中だ!」
だが見計らってのミカの声かけは、一蹴された。
「……ああ、ふたばか? ちょっと落ち着け!大丈夫だから。興奮するとまた病院だぞ。ああ。悪いことなんか、なんもしてないって。警察もわかってくれたよ。泣くな……ああ……ああ。うん。みつばにもそう……みつばか? うん。うん。お前は怒るな! 二人そろって。帰るからな。……夕飯?牛丼っていいたいところだけど、いま牛肉はないな。豚肉ならあったか。かつ丼で頼む。バイトのみんなのも、どうだ?……」
妹思いの兄。目がとても優しかった。ミカは、話しかけるタイミングをじっと待つ。そわそわ動かす両手のグー指が、屋上で告白をためらう小学生のように切ない。
やっと、紅葉山は電話を終えた。続けてディプレイをフリック。何文字か打ち込む。スマホをジャンパーの裏ポケットに、今度こそしまいこんだ。
ミカが出る、が。
「呪うってか?」
また独り言。忙しい男だ。
「はーーーーー。ああ、わかったわかった。10分だな。遠回りしてやる」
そう言いと、歩きはじめた。そこまで一度もミカと目を合わせてない。
泣きそうになるミカ。弱いなぁ。弱い。なんのために、転んでまで走ってきたんだよ委員長。決して安い物じゃない
「タッチ交代」
「あろまぁ~」
「メイク崩れる。ぽろぽろ泣かない。いい?」
「うん」
全権を託された子供サイズ女子高生は、託した親友よりも行動的に、クラスメイトの行く手を正面から阻んだ。
「なんか用か?」
ぶつかった目は険しかった。さきほどまでの無関心。それよりも態度が進化、いや悪化している。
「話してほしい」
「話し?」
「ミカは先生の用事でここにきた。授業を休んでまで」
「公休か、さぼれてよかったな。カラオケでも歌って帰ればいい。地下牢カラオケってのがあったぞ。じゃあな」
「そういうことじゃない」
「忙しいんだよ、お前ら学生とちがってオレは」
「私たち、何も聞かされてない。あなたがなんで捕まったのか、なんで釈放されたのか、なんで家の人じゃなくて学校が引き受けたのか。ひとつも知らない。ぜんぶ消化不良。だから話してほしい。それで、釈放役を買ってくれたミカにも感謝してほしい」
「手続きしたのはアホ担任だろう。あいつに聞けよ。親切に教えてくれるさ」
ぎりり。頭のななめ上でミカの歯がみがした。その担任が説明を放棄して帰ったしまったのだ。生徒に押し付けたことが原因の大元なのだが。
紅葉山という人間は、アンドロイドへの接し方や電話での話しぶりから察するに、それほど悪い人物ではないと推測できる。いっぽうで
なのに、この一貫した毛嫌いかたは?
頭脳と
そうか。
「感謝のことばだったな……”ども”……これでいいな」
ひらひらとミカに片手をあげて、立ち去ろうとする。農作業で筋肉のついた腕を
「なにを」
「アルファセブンアルファセブン、こちらベータワンヨーイチ。子細状況を伝えろ」
「……」
「繰り返す。こちらガニメデ基地のベータワンヨーイチ。アース北大陸の孤島にて食料調査中のアルファセブン、地上の様子を隈なく答えよ」
「……」
「……なに言ってんの、あろま」
ミカがあんぐり口をあけた。親友の奇行に顔色をうしなう。
郷は、女子高生の小さな指を一本一本、腕から外していく。悪性毒素が注入感染するじゃねーかと言いたげだ。
「電波周波数が合わないか? じゃ、マジカル光線ぱぱぱぱーー?」
「……」
「……」
左右の人差し指で銃を撃つ真似をする。いつもと変わらない平常運転な無表情。天衣無縫な外しっぷりに、ミカはめまいを覚えた。
「保護者だろう。こいつなんとかしろ」
「そんなこと言われたって……このケースは初めてだよ」
取り扱いに頭を悩ませてる二人。
「…………おかしい」
「お前がなっ」
「14歳男子にありがちな病魔。そこに同調すれば会話が可能かと」
「そんなことやってたの?」
「厨二病じゃねーし!それにオレはもう17歳だ」
「遅効性ということもある。エヒノコックス症は10年も無症状」
「ウィルスかよ!保菌者は誰だよ!」
「知り合いにいるはず。トラックにひかれ異世界に転生した人が」
「いるかよ! みろ2分も過ぎちまった。付き合ってられん」
「はなしは、終わってない」
「……うぎゅえってぇぇぇええ!! なにすんだ、このぉ――ん?」
何十分の1秒か。もしかすると何千分の1秒。それ以下の僅かな時間。きらりと細い線が光った。そしてそれは、少女の髪の毛と、少年の脇の間ををかすめる。
光の糸。警察署を取り囲むビル群から伸びてきた線が
ピュン。
無音。光に音などない。だが音にすればそんな擬音がしたことだろ。
「え?」
「熱ちっ」
少女の髪の毛が数本焦げ縮れ、双眼鏡ストラップが炭になってちぎれた。ジャンバーの脇に小さな穴が開いた。どちらも直撃はなく、ふたりに大きな損傷はなかった。
犠牲となった不幸な存在には、ミカが気づいた。
「
駐車場だけに車だらけだが、二人から数メートル後ろには、特に目立つアースブルーのスポーツ空陸車があった。このオープンカーはお高い。おそらく、紅葉山農園の年間売りあげに匹敵する。シートにはポンとバッグがひとつ残してある。盗れるものなら取ってみろ。挑発ともみえる超高級車の、あけっぴろげな解放ぶりから、およその持ち主が想像できてしまう。バッグに手を出そうものなら、どこからともなく警察より怖い連中がはせ参じ、地の果てまで追いかけ海の底に沈めてくれることだろう。
「……」
「……」
光はプロの物盗りも手出しを遠慮したい車の、スモークガラスを突き抜け、真紅の革シートを照射した。いまそこは、プスプスと煙がたてている。焼けた穴はじわり大きくなり、煙はのろしのごとく、あらゆる人々を呼び込むだろう。
「どうしよう。車が火事になっちゃうよ。警察。ちがうっ。消防車」
ミカが
「……逃げよう」
「賛成。場所を移したほうがいい。いろんな意味で」
「消そうよ!火事になるよー」
「ときとして美しい正論は寿命を縮める」
同時に走り出す
「狙われてる!走れ!」
とにかくこの危険な場を去ろう。力いっぱい走りだす
「ぬはっ」
「なんで?」
頭上に疑問符を浮かべた少女たちをよそに、8台の車を一気に飛び越えると、9台目に着地した。ボンネットが足の形にみごとに凹んだ。
「安全靴でよかった」
「こらー!」
「やべっ」
駐車整理の警官がやってくる。出入りする車のドライバーも、何事かと降りてきた。煙と騒ぎに気付いて、建物の窓というまどから顔が乗り出す。件の高級車の持ち主とおぼしき人物が飛び出してきた。
「アニキお勤めごくろうさんです。アニキの愛車で迎えにきました。証拠不十分で釈放、よかったすね」
「盗品を売り飛ばしたくらいで捕まえるなんてよ。警察もヒマなんだな」
「アニキ、こちらで…………あ、あ、あ車が、誰だあ!俺らをハニーラック団と知ってのことかあ!!」
車から下りた郷を、執拗に狙う光。動きある標的を収めるのは苦手なようで、放たれた攻撃は、男の一人を貫いた。
「ぐがっ」
「アニキぃ!」
「オレは、オレはもうだめだ。もう一度だけ姉さんに、姉さんに会いたかった」
「アニキぃぃぃぃ!」
「おい、ズボンかすっただけだぞ。ハニーラック歌劇団」
「歌劇団じゃねーギャング団だ!」
「警察署内で堂々公言するギャングがいるかよ」
「るせー、伝統ある組織をバカにするか」
「はいはい。医務室へ行け。」
警察署を後に走る郷。消防車のサイレンが近づき、警官を交えた男たちの騒がしいやり取りが、しだいに遠くなる。
「逃げるなんて。わたしたち何も悪いことしてないのに」
「そう見てくれない人もいるから。そこ縁石」
目的地は中島公園。東西南北に区画整理された名残で、方向に迷いはないが、あそこはざっくりスラムの繁華街。うきうき楽しい場所ではない。とっとと、素通りを決めてしまおうと思えば、自然足が速くなる。うっかりすると家を飛び越えそうなる右足。制御しながら走ることは、横スクリーンゲームの配管工キャラに生まれかわった気分だった。
「ひとつ、大事なことを聞いてなかったな。陽一」
『なにかな?』
「ソレイユのことだ。なんで彼女は死んだ? なんで、警察に追われていた?」
『二つも訊くかい? 料金は倍になる。ま右脚くんとオレの仲。つけておこう』
「答えろよ」
『オレの依頼を受けてくれた。その結果だな』
「依頼と結果?」
『彼女は、オレの
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