射角


 室内が凍りついた。丁寧なお礼は期待してなかったが、一言”どうも”くらいあるのが社会的常識。それくらいの胸算用はしていた。だが、欠片すら謝意を感じ取れない、ぶらり退場。自分の用が済めば、それでいいらしい。警察から釈放させるため、わざわざ出向いてきたミカ自分の存在は、目礼する価値もないらしい。


 合理的といおうか、恐ろしいほどのぶっきらぼうを目の当たりにしたあろま・・・は、脈が速くなるのを感じた。怒りや憤りではない。内なる感情が希薄な彼女は、その気分をこう呼んでる。”観察熱”と。一般的には好奇心に当てはまるだろうか。それが上昇していくのを認識した。


 対して右にいるミカは、固まっていた。長身の幼馴染は唖然を通り越し、呆然とした顔になっている。かわいい口を閉じておけ。


「行ったよミカ。どうする?」

「はっ」


 横腹をつつかれ、ミカは我に返った。すぐに、案内してくれた警官と、アンドロイドに頭を下げると、ばたばた、慌てて部屋を出ていこうとする。彼女の行動は早い。速いのだが頭の回転に、体がついていかないことが多い。ドアを引いてとび出ようとする。半開きの隙間を抜けようとして……ガツン!


 ものすごい音だ。一瞬あろま・・・は何事かと息を呑んだが、うがーと、頭を抱えてしゃがんでいるを視て、あららと得心した。おでこをしたたか、ドアの角にぶつけたらしい。


「んんぐ、いったあ――」

「いつも言ってる。よく見る。手足と体の動きを一致させる」

「むー。……はい」


 ミカは、数秒かけて立ち直ると、すぐさま駆けだした。あろま・・・の進言むなしく、何度も転びそうになりながら土ぼこりをあげそうな勢いで、いま来た通路をつっ走る。エスカレーターを逆走し、一階に猪突する。


 ミカのプロポーションは無駄がない。スポーツに詳しくない人間でも身体能力が高そうと評価する。だが性格か何かが、抜群の阻害をみせ、運動能力は平均より低くとどまっている。がんばろうと気張ったときや慌てたときは顕著なブレーキがかかる。超特急をかましたときの彼女は、早歩きのあろま・・・より足が遅いのだ。


「帰る。おまわりりさんたち、ありがとう」

「気を付けてね。彼女あぶなっかしそうだから」


 警官とアンドロイドに丁寧なおじぎをして、ゆっくりリュックを背負って、静かにドアを閉めた。


 あろま・・・が一階に着くと、ミカはシルキーを被って立ち上がるところだった。また転んだらしい。順番待ちの行列に突っ込み、たまげる人々に頭をさげ、人をかき分けると、自動ドアの開くのももどかしく、建物から飛びだしていった。


 割れた列の間を悠々、歩いて後を追う。


 外は夕方。風のないどんより蒸した天気だった。駐車場からは、空中も地上も、ひっきりなしに車が出入り。交通整理の警官が流す汗が暑苦しい。ドアのすぐ外にミカはいた。その視線の先に、紅葉山もいた。


 紅葉山は、らスマホ電話中だった。玄関の段差を下りながら、しきりに頭をさげる。さっきと別人のような低姿勢で、いじるともなく双眼鏡のストラップをくるくる指に絡めてる。


「すみません山岸さん……MYTUBEで見て……知らない? 自分が撮影した映像はですね。警察にメモリを消去されて……すいません。はい?え?CUですか。01から32まで依頼通りで。急いでもっていきます。メール添付は重すぎて無理ですんで。すみません」


 みごとな90度おじぎで通話を終え頭をあげると、大きく肩を落とした。ミカが、話しかけようと近づく。至妙だ。意気消沈してるいまなら、なんでも受け入れてくれる。


「紅葉山く……」


 だが彼は誰もいない空中に、話しかけたのだ。


「陽一さあん。オレの所業は公開されてないそうだぞー。警察のお咎めなしだもんなー。犯人捜し、いらねーんじゃね? え?南の中島公園へ行け? なんで。スラムじゃないかそこ。聞いてただろ。急いで帰るんだよ! その前に家に電話。心配してるしな。ついでにオヤジにメールだな」

「……」


 高校3年にして遅めの厨二病。それとも心中に別人格を宿してる設定か。言われれば、そこになにかが見えない気がしないでもない。理論的にありえない。胸を張りからかうような笑顔に、あろま・・・は寒気を感じた。


 なんでもいいが、呼びかけるタイミングがつぶされたのは確か。ごう再びスマホを耳にあてる。


「あの、紅葉山ごうくん……」

「電話中だ!」


 だが見計らってのミカの声かけは、一蹴された。


「……ああ、ふたばか? ちょっと落ち着け!大丈夫だから。興奮するとまた病院だぞ。ああ。悪いことなんか、なんもしてないって。警察もわかってくれたよ。泣くな……ああ……ああ。うん。みつばにもそう……みつばか? うん。うん。お前は怒るな! 二人そろって。帰るからな。……夕飯?牛丼っていいたいところだけど、いま牛肉はないな。豚肉ならあったか。かつ丼で頼む。バイトのみんなのも、どうだ?……」


 妹思いの兄。目がとても優しかった。ミカは、話しかけるタイミングをじっと待つ。そわそわ動かす両手のグー指が、屋上で告白をためらう小学生のように切ない。

 やっと、紅葉山は電話を終えた。続けてディプレイをフリック。何文字か打ち込む。スマホをジャンパーの裏ポケットに、今度こそしまいこんだ。


 ミカが出る、が。


「呪うってか?」


 また独り言。忙しい男だ。


「はーーーーー。ああ、わかったわかった。10分だな。遠回りしてやる」


 そう言いと、歩きはじめた。そこまで一度もミカと目を合わせてない。

 泣きそうになるミカ。弱いなぁ。弱い。なんのために、転んでまで走ってきたんだよ委員長。決して安い物じゃないケガ回復湿布シールの無駄遣いだ。あろま・・・は肩をぽんとたたいた。


「タッチ交代」

「あろまぁ~」

「メイク崩れる。ぽろぽろ泣かない。いい?」

「うん」


 全権を託された子供サイズ女子高生は、託した親友よりも行動的に、クラスメイトの行く手を正面から阻んだ。


「なんか用か?」


 ぶつかった目は険しかった。さきほどまでの無関心。それよりも態度が進化、いや悪化している。物体あろまを障害物だと見極めた目。敵愾心を抱いた、いやもっと複雑なニオイをまとってる。


「話してほしい」

「話し?」

「ミカは先生の用事でここにきた。授業を休んでまで」

「公休か、さぼれてよかったな。カラオケでも歌って帰ればいい。地下牢カラオケってのがあったぞ。じゃあな」

「そういうことじゃない」

「忙しいんだよ、お前ら学生とちがってオレは」

「私たち、何も聞かされてない。あなたがなんで捕まったのか、なんで釈放されたのか、なんで家の人じゃなくて学校が引き受けたのか。ひとつも知らない。ぜんぶ消化不良。だから話してほしい。それで、釈放役を買ってくれたミカにも感謝してほしい」

「手続きしたのはアホ担任だろう。あいつに聞けよ。親切に教えてくれるさ」


 ぎりり。頭のななめ上でミカの歯がみがした。その担任が説明を放棄して帰ったしまったのだ。生徒に押し付けたことが原因の大元なのだが。

 紅葉山という人間は、アンドロイドへの接し方や電話での話しぶりから察するに、それほど悪い人物ではないと推測できる。いっぽうで学校関係者私たちには、目もくれないツレナさうかがえる。初対面なのだから個人的な利害はない。


 なのに、この一貫した毛嫌いかたは?


 あろま・・・は、この妙なクラスメイトに興味を覚えた。退学の理由。農業経営。依頼者ヤマギシ。独り言。家族大好き。ヨーイチという架空人物。冷たい態度。警察による逮捕と釈放。


 頭脳とアイデバイスをフル回転させ、関連の糸を結んで仮説を一つたてて、一つつぶす。トライアンドエラーを20ほど繰り返して、残った結論は。


 そうか。


 アロマ香炉インセンスバナーの香りを、不敵なオリエンタルに切り替えた。


「感謝のことばだったな……”ども”……これでいいな」


 ひらひらとミカに片手をあげて、立ち去ろうとする。農作業で筋肉のついた腕をあろま・・・の両手がガッチリつかむ。


「なにを」

「アルファセブンアルファセブン、こちらベータワンヨーイチ。子細状況を伝えろ」

「……」

「繰り返す。こちらガニメデ基地のベータワンヨーイチ。アース北大陸の孤島にて食料調査中のアルファセブン、地上の様子を隈なく答えよ」

「……」

「……なに言ってんの、あろま」


 ミカがあんぐり口をあけた。親友の奇行に顔色をうしなう。

 郷は、女子高生の小さな指を一本一本、腕から外していく。悪性毒素が注入感染するじゃねーかと言いたげだ。


「電波周波数が合わないか? じゃ、マジカル光線ぱぱぱぱーー?」

「……」

「……」


 左右の人差し指で銃を撃つ真似をする。いつもと変わらない平常運転な無表情。天衣無縫な外しっぷりに、ミカはめまいを覚えた。


「保護者だろう。こいつなんとかしろ」

「そんなこと言われたって……このケースは初めてだよ」


 取り扱いに頭を悩ませてる二人。あろま・・・は腕を組んで不思議がった。


「…………おかしい」

「お前がなっ」

「14歳男子にありがちな病魔。そこに同調すれば会話が可能かと」

「そんなことやってたの?」

「厨二病じゃねーし!それにオレはもう17歳だ」

「遅効性ということもある。エヒノコックス症は10年も無症状」

「ウィルスかよ!保菌者は誰だよ!」

「知り合いにいるはず。トラックにひかれ異世界に転生した人が」

「いるかよ! みろ2分も過ぎちまった。付き合ってられん」


 ごうは、スマホの表示する時間をクラスメイト少女の鼻先に突きつけると、自分の肩くらいしかない彼女の肩に手をのせ、脇にどかそうとする。


「はなしは、終わってない」


 あろま・・・は、ぎぎぎとその手を払い、ごうの横スネを、思いきり蹴りつけた。


「……うぎゅえってぇぇぇええ!! なにすんだ、このぉ――ん?」


 何十分の1秒か。もしかすると何千分の1秒。それ以下の僅かな時間。きらりと細い線が光った。そしてそれは、少女の髪の毛と、少年の脇の間ををかすめる。

 光の糸。警察署を取り囲むビル群から伸びてきた線がごうには見えた気がした。


 ピュン。

 無音。光に音などない。だが音にすればそんな擬音がしたことだろ。


「え?」

「熱ちっ」


 少女の髪の毛が数本焦げ縮れ、双眼鏡ストラップが炭になってちぎれた。ジャンバーの脇に小さな穴が開いた。どちらも直撃はなく、ふたりに大きな損傷はなかった。

 犠牲となった不幸な存在には、ミカが気づいた。


あろま・・・、あ、あそこ」


 駐車場だけに車だらけだが、二人から数メートル後ろには、特に目立つアースブルーのスポーツ空陸車があった。このオープンカーはお高い。おそらく、紅葉山農園の年間売りあげに匹敵する。シートにはポンとバッグがひとつ残してある。盗れるものなら取ってみろ。挑発ともみえる超高級車の、あけっぴろげな解放ぶりから、およその持ち主が想像できてしまう。バッグに手を出そうものなら、どこからともなく警察より怖い連中がはせ参じ、地の果てまで追いかけ海の底に沈めてくれることだろう。


「……」

「……」


 光はプロの物盗りも手出しを遠慮したい車の、スモークガラスを突き抜け、真紅の革シートを照射した。いまそこは、プスプスと煙がたてている。焼けた穴はじわり大きくなり、煙はのろしのごとく、あらゆる人々を呼び込むだろう。


「どうしよう。車が火事になっちゃうよ。警察。ちがうっ。消防車」


 ミカがアイデバイスをあたふた操作。どこに連絡しればいいのかと、迷いすぎて時間を食いつぶす。ごうは別の意見を提案した。


「……逃げよう」

「賛成。場所を移したほうがいい。いろんな意味で」


 あろま・・・がうなずく。何かの攻撃。おそらくはレーザーか、高出力のビーム光線であろうと、あたりと付ける。夕方に近い時間。真昼であれば、見えなかった光も、日差しが静かになりつつあるから、視認できた。


「消そうよ!火事になるよー」

「ときとして美しい正論は寿命を縮める」


 あろま・・・は、ミカの手を引いて駆けだす。

 同時に走り出すごうを、またもや熱い糸がかすめた。一呼吸おいて、衣服が燃え始める。あちちと、手で叩く。初期消火が成功し、燃え上がりそうだった炎は沈静した。


「狙われてる!走れ!」


 とにかくこの危険な場を去ろう。力いっぱい走りだすごうは、最近身に着いた跳躍力を忘れていた。


「ぬはっ」

「なんで?」


 頭上に疑問符を浮かべた少女たちをよそに、8台の車を一気に飛び越えると、9台目に着地した。ボンネットが足の形にみごとに凹んだ。


「安全靴でよかった」

「こらー!」

「やべっ」


 駐車整理の警官がやってくる。出入りする車のドライバーも、何事かと降りてきた。煙と騒ぎに気付いて、建物の窓というまどから顔が乗り出す。件の高級車の持ち主とおぼしき人物が飛び出してきた。


「アニキお勤めごくろうさんです。アニキの愛車で迎えにきました。証拠不十分で釈放、よかったすね」

「盗品を売り飛ばしたくらいで捕まえるなんてよ。警察もヒマなんだな」

「アニキ、こちらで…………あ、あ、あ車が、誰だあ!俺らをハニーラック団と知ってのことかあ!!」


 車から下りた郷を、執拗に狙う光。動きある標的を収めるのは苦手なようで、放たれた攻撃は、男の一人を貫いた。


「ぐがっ」

「アニキぃ!」

「オレは、オレはもうだめだ。もう一度だけ姉さんに、姉さんに会いたかった」

「アニキぃぃぃぃ!」

「おい、ズボンかすっただけだぞ。ハニーラック歌劇団」

「歌劇団じゃねーギャング団だ!」

「警察署内で堂々公言するギャングがいるかよ」

「るせー、伝統ある組織をバカにするか」

「はいはい。医務室へ行け。」


 警察署を後に走る郷。消防車のサイレンが近づき、警官を交えた男たちの騒がしいやり取りが、しだいに遠くなる。ごうの後に、少女ふたりが続く。足取りの怪しいミカを、あろま・・・がサポート。


「逃げるなんて。わたしたち何も悪いことしてないのに」

「そう見てくれない人もいるから。そこ縁石」


 目的地は中島公園。東西南北に区画整理された名残で、方向に迷いはないが、あそこはざっくりスラムの繁華街。うきうき楽しい場所ではない。とっとと、素通りを決めてしまおうと思えば、自然足が速くなる。うっかりすると家を飛び越えそうなる右足。制御しながら走ることは、横スクリーンゲームの配管工キャラに生まれかわった気分だった。


「ひとつ、大事なことを聞いてなかったな。陽一」

『なにかな?』

「ソレイユのことだ。なんで彼女は死んだ? なんで、警察に追われていた?」

『二つも訊くかい? 料金は倍になる。ま右脚くんとオレの仲。つけておこう』

「答えろよ」

『オレの依頼を受けてくれた。その結果だな』

「依頼と結果?」

『彼女は、オレの移動所在地憑りつき先だったんだよ。君に憑く直前までね』


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