邂逅
長かった地震が治まった。窓を見上げれば、ホバリング停止していた豆粒のようなドローンが、荷物配達を再開した。ビル係留のワイヤー間を飛ぶいつもの光景が戻った。小さく揺れてる天井の案内板に目を戻し、ミカがつぶやいた。
「たいしたことなかったね」
地震のあいだふたりは、欠席した授業内容を自主補修していた。授業には電子ボードを黒板に使う。電子ボードに書かれたことは、教科書の範囲とともに学校のサーバーに記録される。生徒なら誰でも閲覧可能なそれを、
眼球移植型は、機能が未発達なうちに施される。細胞培養の初期過程で、映像機能付加したシステムバイオブリックパーツが挿入、眼球が生育するのを待つ。幼児の年齢まで生育した眼球を移植して完了する。当人の細胞なので拒絶反応はない。
目玉は、受送信機器のように画像を視認し、視覚野の傍にある細胞サーバーに記録可能だ。音声のほうは、同細胞サーバーを経由し聴覚連合野で理解する。視聴覚も記録も、細胞サーバーを前提としている。受精卵の段階で、エピジェネティクス処理し、バイオブリックパーツをしかるべき位置に挟み込んでおかなければならない。つまり眼球移植型は、計画的にデザインされた人間にのみ可能な
「震源が遠すぎるから。
案内の女性警官が、まるで気象予報のお姉さんのように返答した。
フェイスマスクを装着した
「世界を崩壊させた地震。お巡りさんも体験した人?」
「真顔で失礼ね。31年前のことよ。生まれてもいません!」
「何年後に生まれた?」
「翌年……て、言わせないでよ」
31年前。2028年5月1日。
太陽系第3惑星地球において、人間文明を破壊しつくす地震が発生した。
揺れの大きさを示す震度は2から9。震源は不明。マグニチュードは測定不能。同時多発的に発生したことで、初期の位置が特定できなかったのだ。学説はある。ユーラシアプレートと北アメリカプレートのせめぎあいに、太平洋プレートが巻き込まれたと唱える地震学者。南アメリカプレートと南極プレートだ力説する大学の専門家。ほかにもあるが、どの説にも裏付けできるデータが不足する。世界にくまなく配置された10万を超える震度計が破壊されて、正確なデータがないのだ。知識と経験からなる推測がすべてだった。
学術的攻防に意味はない。プレート同士が玉突きのように押し合ったという点で意見は一致するが、問題はそこでもない。
世界中の地層をくまなく探査できるようになるまで、はたして人類が生存できるのか。可能な限りの数のコンピュータを並列計算させ、はじき出したところによれば、現在、世界の人口は最盛期の9%にも満たないらしい。次に同規模の地震がくれば、種として存続さえ危ぶまれる。
地震は三日間、断続的に続いた。道路は寸断され、ほとんどの建造物は崩壊。山は崩れダムや河川も決壊。低地は水浸しになった。生活に必要なあらゆる
被害は陸上にとどまらない。地震エネルギは―は、記録的な津波を立て続けに発生させた。3メートル、5メートル、12メートル。引いては押し寄せ、さらってはやってくる津波。沿岸部流域は、ことごとく洗い流されていく。世界をつなぐ貿易の主流といえばタンカーを始めとした大型船。工場や倉庫など、生産や交易の拠点はどこにあるか。もちろん集中するのは港だ。それがすべて、海に呑み込まれ、砂だらけの更地にされてしまった。
震源は不明だといったが、日本においての発端は、東海沖だったと判明してる。マグニチュード9.1を告げる地震速報が、国中を駆け抜けたのだ。たった数分の間に、情報は更新された。三陸沖、四国沖、浦河沖と、複数の観測地点からの警報が、折り重なるように流れ、人々の心を凍らせた。東京が発信する公共電波は、それきり沈黙した。
兼ねてから温暖化による海面上昇と、プレートの影響による沈下が重なり、逃げる間もなく、40%近くの国土が海となり、おびただしい数の人が犠牲となった。
唯一の朗報といえるのは情報だ。各地をつなぐ電力や通信といったインフラは、部分的に生きているのだ。しかし港湾も生産工場も、それら大型施設を建造する技術や人材が失われた。荒れ狂う海と空を超える手段はない。
揺れ続けた3日間の大地震は
北海道は東西に海で分断された。石狩から胆振にかけての低海抜地域は、太平洋と日本海をつなぐ、潮流の速い内海となった。内陸の都市札幌の被害は、比較的少なかった。豊平川を逆流する津波や、ときおり無情に上陸する台風によって、土地は半数の更地となった。
開拓精神がそうさせたのか、農業拠点としての地位は引き継がれ、荒れ果てた大地をたくましく耕していった。海が近くなったことで漁業も活況になった。昔の高速道路を石と瓦礫で堤防に生まれ変わらせ、上から釣り糸や投網を投げて、漁をする。小型ながら船も作られ、養殖もおこなわれるようになり、近海漁業が定着していく。
北へいけば、飢えず、食うことができる。
死をかけての渡航や青函トンネルを歩いての難民が、じわり押し寄せてきた。半分まで減った人口は激増。日本政府の指揮がなくなった大都市は再編を余儀なくされ、北海道・札幌に縦分割された行政は、巨大化した企業の支援のもと、
失われた金属を使った大型技術にかわって、農作物や原料にする小規模工場によるバイオテクノロジーが基幹産業となった。
ときおり発生する巨大地震になぎ倒される建造物。それに抗うように軽量頑丈なバイオ骨材で建て増しする都会。400万人まで膨れあがった人口はどうにか統制され、壊滅におびえる人々は、崖っぷちの繁栄にすがって生きていた。
「だ、大丈夫三十路にはみえません。お巡りさん。若いですから」
「若いって言われたらもう年なのよ。言葉に気をつけなさい」
ニッコリと、ミカのほっぺたをつねる。
「ずみません」
「いいわ。行くわよ」
3人は、人でごった返すロビーを出た。長いエスカレーターを昇って着いたのは、開放的な2階。そこは、カウンターとパーティションで仕切られた役所のようなオープンスペース。天井に吊り下げられた案内板に、ブースの役割が示してあった。手前から、人事、経理、DV・イジメ相談、詐欺相談、訴訟相談、警察への苦情。
どこのブースに相談すべきか、鼻をほじりながらタッチパネルをにらむ中年男。120万円だまし取られたと涙を流し訴える老婆。住むマンションの3階の窓横に駐車した車をレッカー移動されたと激怒する若者。補導された息子を返せとつかみかかる母親。市内のいざこざをかき集めたような、ちょっとしたカオスがあった。
空気から、むせた臭みが減っていた。人は多い。広くなったぶん、1階よりは空気がましになっていた。
「どこにいくんでしたっけ?」
「この階の奥よ」
オープンスペースを過ぎると、部屋が教室のように区切られたエリアになった。案内板には「多目的ルームエリア」。各室には年季のはいったプレートがつけられてる。書籍スペースとか、畳こあがり部屋とか、視聴覚部屋とか、懇談部屋とか。
面会室とか尋問室といった、いかにも警察っぽい部屋がみあたらない。別の階にあるのかもと、
「連行される囚人を見たかった」
「それは刑務所だよ
ミルキーと呼ばれる綿製の中折れ帽子を直しながらミカが言った。
「それ、もう外したら?」
「それ?」
「ガスマスク」
「そうだった」
臭い除けのをつけたままだってのを忘れていた。後頭部のホックを外してぺりりと脱ぐ。空気が勢いよく肺の中に流れこむ。久しぶりに味わったような開放感。
「聞きにくかったんだけど。最近の高校生って、みんなそんなマスクをつけてるの?」
「まさか。つけるのは
「汚い空気はキライ。加齢臭オヤジなんか死滅すればいい」
「わかったわ。そういう人なのね」
第2会議室という部屋の前で、案内は止まった。ミカが訊ねる。
「会議室なんですか?」
「普通は面会室が使われるんだけどね。予約いっぱいで使えなかったのよ」
「予約って……三ツ星レストランみたい」
「犯罪者が増えてるからね。これでも非市民の小さい事件は対象外にしてるのよ。盗みやケンカなんかは多すぎてスラム自治に丸投げ。いいことじゃないけどね」
「極悪人の引き渡しだから、取り調べ室っぽい部屋を想像してた」
「極悪人って……紅葉山
警官が、困ったように笑う。
「初顔合わせ」
「お相撲みたいね」
「敵の出方によって、組む張る投げる。手を決める」
そんなことを言いながら、無セキュリティの部屋を開く。中は、ありふれた折り畳みテーブルと、パイプ椅子があるだけ。本当にどこにでもありそうなミーティングルームへ入った。
テーブルの正面に立つ女性に目がいく。人間ではなくアンドロイドだったことに、ミカはびっくりした。通路でも、一体の男性型とすれ違ってる。アンドロイドが珍しいわけじゃないが、同級生がひとりで待ってるいるものと、思い込んでいたのだ。
「お前ら誰?」
その同級生は、アンドロイドの手前に座っていた。
パイプ椅子に斜めに腰かけ、まるで、自分にも他人にも関心がなさそうに、疲れて眠たそうな半眼をこすりながら、大きくあくびをした。
「ミルフィーユさんに失礼だろ」
「お菓子に、さん付け?」
「直訳は”千枚の葉”。パイ生地を重ねたフランスの伝統菓子のこと。それがなにか」
テーブルには一欠けらも食物がなかった。意味が分からず、ミカと顔を見合わせた。説明があるものと言葉を待ったが、二人を一瞥して息をつくと、視線をスマホに落とした。女性警官がフォローする。
「そのアンドロイドの名前よ。うちでは、女性型にお菓子やケーキに関する名前をつけてるの」
これが落第したという同級生。
印象に残る顔立ちではない。黒髪の日本人遺伝子をもつ17歳には、さしたる特徴がなかった。片足が不自由で松葉杖をついてると担任から聞いていた。右手にはマメが確認できたが、杖は見当たらない。
犯罪で補導されるような不良にはみえないな。複雑な家庭のため、保護者が身元引受人になれないとか。未成年のくせに農園を経営していると聞いてる。バカに事業は務まらない。
「あれは?」
「どうしたの?」
肩のあたりに何か見えた……気がした。ヌイグルミのような、ホログラムのようなものが居て。消えた。もう一度よく見ようと、目をごしごしこする。今度は見えない。
「ううん」
気のせいだったようだ。マスクのせいで酸欠気味になっているのかもしれない。
「お疲れさま紅葉山
「こいつらがですか? 教師でも事務員でもなさそうだけど?」
勢いに弱いミカが、となりで頭をさげた。
「ごめんなさい。先生なら帰りました。わ、私はあなたのクラスメイトです」
「へぇ。ここから出られるなら誰だっていいけど。待ってる間に書類へのサインも済んだし、帰ってもいいんですね?」
「え、ええいいわよ」
紅葉山
「じゃ、ミルフィーユさん」
「お世話になりました。紅葉山
「こちらこそです」
ほかの者には目もくれず、アンドロイドにだけ片手であいさつ。さっさと、会議室から退去していった。ドアがパタリと開いて閉じて、空気が静かになった。
「たんぱくな少年ね」
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