双刀――1
――母さんは、死んだよ。
峰継は今も、三年前の佐奈井の言葉を覚えている。さんざん泣きながら、父である自分を罵倒してきた。父に怒りの矛先を向けている一方で、峰継にむしゃぶりついて、胸の中で泣き疲れた末に寝入った。その時の佐奈井の体温も、峰継は覚えている。
佐奈井の母、峰継にとっての妻が死んだ時、佐奈井はまだ十歳だった。ちょうど峰継が、戦場で慶充をかばって右足に深手を負った、まさにその時のことだ。
傷の痛みに耐えながら一乗谷の家に帰って、まず見たのは、家の中にぽつんと座っている、息子の姿だった。父親である自分の姿を見ると、顔を歪め、泣きながら、もっと幼い子どものようにむしゃぶりついてきた。
そして抱きついたまま、上手く喋れないながらも、母の死を伝えてきた。
もともと病気がちだったのが、出撃している間に悪化したこと。すでに葬られて、墓は谷の奥の、山の中に少し入った場所にあること。そして死んでから峰継が帰るまで、一人で峰継の帰りを待ち続けたこと……
峰継が一乗谷を離れている間に起こった出来事をすべて話し終えたところで、佐奈井は峰継を罵った。
――なんでそばにいてくれなかったんだ。
足軽の身分として、峰継は戦時には戦に駆り出されることになっていた。まさに三年前は、越前国に侵攻しようとする織田信長との戦が激化していた時期。もし従軍を拒めば、士気を落とす不良因子とみなされて殺されていた。見せしめのために、佐奈井や妻も無事では済まなかった可能性すらあるし、死んだ妻も、そうした峰継の立場を了承して送り出していた。
だが当時の息子は、そんな事情を理解するには幼すぎた。
――母さんを見捨てたな。
罵る言葉は、それまでだった。峰継の右足の傷を気にしたのかもしれない。かといって峰継から離れることもなく、峰継の着物を掴み、もたれかかるように寄り添ったまま、佐奈井は泣き続けていた。
泣き疲れて、寝入った。
母親の死ももちろんだが、佐奈井を一人にしてしまったことが、峰継には痛かった。まだ幼さの残る子どもが一人で、帰ってこないかもしれない自分を待ち続ける。そのつらさは、想像しきれるものではない。
佐奈井を残酷な目に遭わせてしまった自分が許せなかった。もし、暴徒から慶充をかばった時、当たり所が悪くて死んでいたら、佐奈井はどうなったのだろう。子ども一人でどう生きていく羽目になったのか。そう思うと、大罪を犯した者のように手が震えた。ただ右足の傷が悪化して、命に関わる事態が起きるのが怖かった。
もし自分が消えることがあれば、佐奈井は完全に一人になる。
峰継は、なるべく穏やかに息子に接するようにした。互いに会話はなくても、一緒に家事をこなし、戦場に出る前までと同じように、その夜は佐奈井と一緒に寝た。
帰還の翌日の夕方になって、佐奈井はやっと、自分から峰継に話しかけるようになった。
――傷、大丈夫?
峰継にすり寄って、そう、恐る恐る声をかけてきた。
――こんな傷、すぐに治してみせる。
息子に対して意地を張って、頭を強く撫でた。幼い頃の佐奈井は、こうするととても喜んで、大声で笑ったからだ。だがその時の佐奈井は、峰継の右足の傷を見つめるばかりで、笑いもしなかった。
帰ってきた父を罵ったのが、後ろめたかったのだろう。
傷が癒えてくるにつれて、佐奈井はもっと峰継に話しかけるようになった。時に図々しいほどに家事の手伝いを申し出て、無理ができない自分に尽くしてくれた。
人を思いやる、優しい子に育ってくれた。
誇り高い、この世でたった一人しかいない息子。
失いたくない。
だから必ず――
峰継は、林の奥を見つめた。この先に息子がいる。間もなく追いつく。
「峰継さん、佐奈井に追いついたら、何をするの? 本当に連れ戻すつもり?」
息子に会う前に、とばかりに、園枝は問いかける。
「香菜実のことは諦めて? 恩人の妹なのに」
答えない峰継に苛立つように、園枝は問いを重ねる。
「あの子を見捨てるの?」
理世が、後ろから峰継の肩を掴んでくる。
「戦に巻き込まれて、死ぬかもしれないのに」
悲痛なものがあった。一乗谷を巻き込む一連の戦から逃れまわっているうちに、理世と香菜実は仲良くなったからだ。今の理世にとってみれば、香菜実は友達も同然で、佐奈井のように気にかけるのもおかしくない。
「犠牲を最小限にするだけだ」
凍也は前に進む。理世の肩を掴む手が、あっけなく振りほどかれた。
腰の刀が揺れている。戦場に出られなくなってからも、息子を守るためにと手放さず、磨き続けてきた刀だ。
こんな醜い戦のために、あの子が巻き込まれて死んでしまう必要はどこにもない。
枯れた木々の向こうに、かすかに聞き慣れた声が聞こえた。
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