闇の中の企み――3
兄の死を思って、香菜実は薪を放る手が止まる。火の粉が飛んで、香菜実の手の甲にかかった。きゃっ、と香菜実は慌てて手を振る。
「やけどしてない?」
「うん、していない。びっくりしただけだから」
香菜実は自分の手の甲を見る。
まるで、迷うな、とでも言われているみたいだ。
「……もし私のことを気にしているなら、もうやめて」
香菜実はつい、こんな話し方をしてしまった。
「佐奈井のことを話してしまってごめんなさい。彼は生きているかどうかも知らないから、こんな話をしているだけ無駄なのに」
「でもあんたがこんな戦に巻き込まれるいわれはない」
彩乃は、現実を見ていない。
「何もできないのは彩乃も似たようなものじゃない」
香菜実は食ってかかる。
彩乃の年は、兄慶充と同じくらい。刀を扱えるわけでもない、普通の娘だ。
「そうね。私も似たようなもの。こんな城で、飯を作りながら攻められるのを待たされている」
彩乃が、弱音らしいものを吐いた。
「やっぱり」
香菜実はつぶやいていた。こんなところで明るく笑っていたところで、次に犠牲になるのが誰かわからないのだ。甘い言葉を吐いて、先行きの見えない現状を誤魔化そうとするなんて、彩乃はある意味、ずるい。
自分が生き延びられることも、佐奈井がここに現れることも、期待してはいけない。自分はここで父と一緒に終わりを迎えて、そして兄の後を……
「こんなところで何もできないのに、どうして私なんかをかばうような真似をするの?」
――放っておけばいいのに。
そこまで言おうとしたところで、慶充の顔が浮かんで、香菜実は口をつぐんでいた。佐奈井に刀を教える時の、励ますような凛として迷いのない顔。
兄はきっと、そんな言葉を吐くなと言うだろう。
――私、なんてことを。
彩乃が手を伸ばして、香菜実の頬をくいっと引っ張った。
「そんな話し方をしない、と言っているよね」
離して、と言おうとするが、口が上手く動かせない。
それどころか、彩乃はさらに強く頬を引っ張ってきた。
「私もあなたと同じ。大事な人がいる。生きているかどうか、確かめる術がない」
突然の告白だった。
――彩乃が、私と同じ?
――私にとっての佐奈井みたいに、無事を願っている人がいる?
「私の母親。織田信長が越前国に攻め込んだ時、混乱ではぐれてね」
織田信長の軍が朝倉義景を打ち破り、越前国に攻め込んだ際、領内の混乱はすさまじいものだった。大勢の者が村を捨てて逃げていった。
「ちょうど、私の村が奴らの進軍経路にあってね。母とはぐれてさまよっていたところを、この城の人たちに拾われたの。母は生きているかどうかはわからない」
彩乃の瞳に暗い影がよぎった。家族と離れ離れになる寂しさが、そこにある。
だが彼女の瞳は、すぐにまた輝きを取り戻した。
「私は母が生きていると信じている。きっと探してくれている。だから香菜実も、自分だけ犠牲になるような考えはよして」
彩乃が香菜実の頬を離した。自分の言葉で事情を説明しなさい、とでも言いたそうに、彩乃はじっと香菜実の目を見ている。彼女の目には、顔を逸らすことを許さない雰囲気があった。
いない母が生きていて、香菜実を叱るとすれば、こんな目をするのだろうか。
「あなたのお兄さんは、香菜実が犠牲になることまで望んじゃいない」
当然だ。
香菜実の中に、ほのかな怒りが生じた。
兄のことを勝手に持ち出した彩乃に対するもの、というよりは、兄の望みどおりになれない自分に。
「私はね、子どもがこんなことで死ぬなんておかしいと思っているの」
当たり前のことだ。慶充も佐奈井も、同じことを言うはず。
状況は、それを許してくれていないけれど。
彩乃は香菜実の髪を撫でた。
「私も何とかしてみせるから。どうかそんな目はしないで」
太鼓が響いた。兵たちの声が大きくなる。
「出陣だわ」
彩乃がつぶやく。
同時に、襖が開かれた。居間の女たちが何、と声を上げる。
篤英だった。
「香菜実はおるか」
呼びかけてくる。
「はい、ここに」
「こんな時になぜこのような場所にいる。こっちへこい。話がある」
香菜実が立ち上がろうとした時、彩乃が背中を軽く叩いてきた。気をつけて、と暗に伝えてきている。
香菜実は彩乃のほうを見て、そしてうなずいた。
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