峠道を越えたら――4

 凍也と日向の家では、囲炉裏の火がよく燃えていた。家の中は暖かい。外の冷気に身をさらしていた佐奈井は、ほっとした。

 そのまま佐奈井は囲炉裏のそばで横にされていた。着ている物を脱がされて、園枝が、肩や背中の傷を洗い、日向が用意してくれた薬を塗っていく。

 薬が傷にしみるが、佐奈井にはどうでもよかった。それよりも、

「父さん、傷はどうなんだ?」

「自分で何とかできる」

 言っているとおり、峰継は自分で、脇腹の傷に薬を塗っている。

 その間、凍也は理世の体に毛布をかぶせていた。

「温かくしているんだ。休んでいればすぐよくなる」

「うん」

「あと、白湯だ。飲んだらいい」

 凍也が白湯の入った木椀を差し出す。

「ありがとう、気を遣ってくれて」

 理世はされるまま、凍也から木椀を受け取る。

 日向は、それを警戒するような目で見ていたが、

「止血の布はあるかしら? できれば長いの」

 園枝に尋ねられて、

「はっ、はい! すぐ持ってきます!」

 彼女は立ち上がった。


 佐奈井に止血の布を巻かれて、手当てが終わる。佐奈井は凍也が貸してくれた、身の丈には合わないが清潔な着物を着せられて、引き続き横になっていた。

 その傍らには、慶充の形見の刀が置かれていた。

「それ、触ってもいいか」

 凍也が尋ねてくる。

「うん」

 助けてくれたとはいえ、凍也は初対面の人。本当は警戒すべきなのかもしれない。それでも佐奈井は、不思議なことに、凍也が刀に触れるのを許していた。 

 凍夜は刀を鞘から抜く。あらわになった刀身には、血が付着したままだった。乾いていて、黒く固まっている。

 慶充が佐奈井たちを守るため、そして佐奈井が取り乱したがために、殺した人たちの血だ。

「このままだと錆びつく。手入れしないとな」

 凍也は布で刀身を拭き始めた。刀の手入れには慣れているのかもしれない。そういえば賊と戦った時の凍也の刀も、錆ひとつなく輝いていた。

「といっても、よく手入れされているんだな。血を除いたらきれいそうだ」

 凍也がつぶやいた。

「佐奈井、だっけな、お前のものか?」

「違うよ、友達の」

 もう生きてはいないが。

「確かにこの刀、お前の背丈からして長いからな」

 佐奈井の様子に、触れてはならないものを感じたのだろう。凍也は黙り込み、血糊を拭うのに専念するようになった。

 そのうち刀の血糊が落ちて、元の美しい光沢を取り戻す。

「やっぱり、けっこういい刀だ」

 刀の刃を見つめながら、凍夜はつぶやく。

「鞘の中もきれいにしないとな。血のついた刀をそのまましまっていたなら、中も汚れているはず」

 凍也は刀身を脇に置いて、今度は鞘を取った。

「ここで暮らしているのは二人だけか?」

 佐奈井は尋ねる。凍也の目がこちらを見下ろした。聞いちゃいけないことだったかな。

「ああ、日向と二人暮らしだよ」

 凍也はしれっと答えた。

 佐奈井はただ、凍也を見上げている。

「二人だけで苦労しないのかってか? 別に心配されるほどじゃないよ。立派に田も持っているし、村の連中もいろいろ手伝ってくれたり、手伝わされたりしているし」

 最後の言葉は嫌そうに言って、凍也はその場を離れた。

 親は? 佐奈井は尋ねようとして、やめた。佐奈井の母親もとっくに他界しているし、それは香菜実も同様だ。似たような事情が、凍也と日向の兄妹にもあるのだろう。

 佐奈井は、亡くなった母親のことで気持ちの整理がしきれていない。戻らぬ母を思っては密かに震える夜が、いまだにある。

 この兄妹も同じかもしれない。

 凍夜は、先に布を巻いた棒を持ってきて、鞘の中をきれいにし始めた。案の定、血汚れた刀を収めていたせいで、鞘の中も汚れており、棒に巻いた布も赤く汚れていた。

「どうかしたのか? 俺の顔、じっと見つめて」

 佐奈井は、とっさに毛布で顔を覆った。

「何でもない」

 そして、毛布から半分顔を出す。

「ただ、ちょっと知っている人に似ている気がして」

「俺がか」

 佐奈井は毛布で顔を半分隠したままうなずく。

 ――大事な友達に。

「ふーん、まあいいや。日向、こいつにも白湯を頼む」

 凍也は、刀の手入れを終えた刀を佐奈井の脇に置いた。家の表口に積み上げられている薪でも取りに向かうのだろう。外へ出ていく。

 佐奈井は横になったままそれを見送っていた。

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