第41話「それでも僕は」
「忘れ物はないかい?」
「えぇ、アナタは? メモリーキューブとか大丈夫?」
「大丈夫。あるよ」
手に持ったメモリーキューブを愛に見せつけるアレイ。アレイと愛は全ての荷物を抱え、青葉家の門の前に出た。これからプチクラ山に向かうのだ。そこに迎えがくることになっている。
空はもうすっかり夕暮れ時だ。オレンジ色に照らされた青葉家を眺め、何とも言えない気分に浸る。この家には大変お世話になった。
「あ、愛さん、アレイさん」
背後で声が聞こえた。二人が振り向いた先には咲有里がいた。食材がたくさん詰め込まれた買い物袋を持っている。恐らく、仕事帰りに夕飯の材料を買ってきたのだろう。だが、それを二人は口にすることはもうない。
「咲有里さん! ちょうどよかった」
アレイは咲有里からも記憶を奪わなくてはならないことを思い出した。自分のメモリーキューブの電池の残量はあと僅かだ。
「お二人共、これからどこかへお出かけですか?」
「えっと、そろそろ帰ろうと思いまして……」
「帰る? あっ、もしかして新居の方、完成したんですか?」
「いえ、新居ではないですけど……僕達がいるべき家にね」
チリチリチリチリ シュッ
素早くダイヤルを回し、アレイはメモリーキューブを咲有里の頭上へと投げる。メモリーキューブは咲有里の頭上で静止し、黄色い光を放つ。
「これは……はっ!」
呆然と立ちすくむ咲有里。頭の中から未来人との記憶が奪われていく。
「……んあっ。あ、あれ? 私、何を……」
気を取り戻した咲有里は、アレイ達との記憶を完全に無くしていた。周りには誰もいない。二人はすでに荷物を抱え、門の裏に隠れていた。これで咲有里との接点も無くなった。
「まぁ、いいか。早く晩ご飯作らなきゃっ!」
咲有里は何ごとも無かったかのように歩き出し、玄関のドアを開けて家の中へと入っていく。ドアの鍵が開いていることに不信感を抱かないあたり、相当ぽわぽわした性格なのだなぁと、改めて思う二人だった。
今後は彼女のことは満に任せればいい。満さえ一緒についていれば問題ない。そう思い、二人は家に向かって礼をした。深く下げた頭を上げ、二人は荷物を抱えて進む。
「じゃあ、行くか」
アレイのメモリーキューブは電池切れとなった。残るは満だけだが、真紀には真紀自身の手で満の記憶を消すよう、真紀が家を出る時に言い聞かせてある。
「えぇ」
果たして、真紀はちゃんと満の記憶を消却できるのか。不安は募るが、二人は祈りながら歩みを進め、プチクラ山へと向かった。
その時間はあっという間に過ぎていった。何しろ約束の時間が午後5時、学校の授業を除いて一緒に遊ぶことができる時間が1時間弱しかないのだ。それでも、満と真紀は自分達のできることを、時間の許す限りとことん楽しんだ。非常に濃い時間だった。
二人は住宅街のプチクラ山へと続く道を歩いている。満は真紀の後を付いていく。しばらくの間沈黙が走る。
「今日は本当に楽しかったね~」
「そうだね……」
気を遣って真紀が色々話しかけてくれるが、やはり気まずい。これから二人は二度と会えなくなるのだから仕方ない。
「満君、ありがとう。今まで助けてくれて。あなたがいなかったら、私達どうなってたことか……」
「真紀……」
満の手助けがなければ、こんなに過去の時代での生活が豊かになることはなかった。真紀は本当に満に感謝している。
「それに、私のことを好きになってくれたことも。私、可愛くないし、がさつだし、いいところなんて全然ないけど……」
「そんなことないよ! 真紀は可愛いし、一緒にいて楽しいし、優しくて立派な女の子だよ!」
必死に破れた布の縫い目を刺繍するかのように、真紀に言葉を覆い被せる満。彼女がうつむいて泣き顔になってしまうことが、満にとっては非常に心苦しい。自分が世界一愛する女性には、いつ何時たりとも笑顔でいてほしい。
「ありがとう。そういうところが好きよ、満君……」
「あぁ。僕もだよ、真紀」
真紀の頬に涙が流れる。今日の真紀は泣いてばかりだ。笑顔でいようと意識しても、残酷な運命がそれをよしとしない。それに加え、真紀は最後にやることがある。
「本当にありがとう……」
真紀はスカートのポケットに手を突っ込み、メモリーキューブを取り出してダイヤルを回す。チリチリと鳴る音が、満の背筋を凍らせる。いよいよ別れの時だ。彼女と、彼女との思い出と、別れる時だ。
「それじゃあ、さようなら……満君」
シュッ
真紀はメモリーキューブを投げる。メモリーキューブは満の頭上へと飛んでいき、空中で静止し、形を変える。黄色い光を放つ。
「あっ……」
眩しい光はすぐさま満の全身を包み込む。初めて満自身が光に飲み込まれる瞬間だ。満は動揺する。
「あっ……うっ……あぁっ……」
ドクンッ
心臓の鼓動がはっきりと聞こえる。満は何かが体へと入り込んでいるような感覚に襲われる。それは、満の脳を、心を侵食していく。
ザザザッ
脳内にノイズが響く。真紀との思い出がモノクロになり、画面はどんどん荒れてまともに見えなくなる。
ピキッ
記憶の硝子に一筋のヒビが入る。ヒビは瞬く間に全体へと広がる。完全に崩壊する直前で踏みとどまる。
「あっ、うっぐが、あっ……」
消えていく。真紀との思い出が全部消し去られる。何もかも消えて、初めから無かったことになる。せっかく好きになれた真紀を、大好きな人を、初恋の相手を、大切な相手を、満は完全に忘れてしまう。
“そんなの……やっぱり嫌だ!!!”
あれだけの覚悟が一瞬にしてどこかへ消えてしまい、反対向きの力へと変わってしまった。満は両手で頭を押さえ、苦しみながらも抵抗する。
“嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ”
「うぐっ!」
「満君?」
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
満は顔を真上に向け、大きな声で叫んだ。それに打ち負かされるかのように、メモリーキューブから放たれる光が次第に弱まっていった。
「嘘……」
目の前の光景が信じられない真紀。虚しくもメモリーキューブの光は完全に消え、真紀の手元に本体が戻ってくる。液晶画面には0%と表示されている。電池切れだ。
満は光から解放され、地面に手をつき、ハァハァと息を荒くしている。明らかに記憶を消去された人間の反応とは違う。マインドコントロールは失敗に終わった。
「マインドコントロールが……効かない……」
真紀は納得がいかなかった。今まで使ってきてメモリーキューブが効かないなど、初めてのことだ。しかも、今になってなぜだろうか。電池は16%程残っていた。それだけあれば人間一人分の記憶の書き換えや消却はなんとかできるはず。
「なんで……どうしてよ!?」
満に問う。メモリーキューブの方に問題はないはず。ということは、満の身に何か起きたに違いない。満はゆっくりと立ち上がって答える。
「無理だよ……」
満の目には涙の雫がたまっていた。涙目で満は大声で叫ぶ。
「忘れるなんて……無理だよ! 忘れたくなんかないよ! せっかく好きになれたのに……これからもずっと、君を愛していたいんだよ! 誰かを好きになることの素晴らしさを、君が教えてくれたんだから!!!」
住宅街に満の叫び声が響き渡る。満は精神力でマインドコントロールを無理やりはね除けたのだ。真紀への強い愛を証明してみせた。最後まで往生際が悪い男だ。
「記憶を残しておくことが規則に反してるんだとしても……それでも僕は、君を忘れたくない!!!」
「満君……」
満の声は、真紀の硬い覚悟をいとも簡単にぶち壊してしまった。自分だって満のことが大好きだ。そんな満に自分のことを忘れてほしいわけがない。ずっと覚えていてほしい。ずっと自分のことを愛してほしい。またそう思うようになってしまった。
「馬鹿……本当にあなたは馬鹿よ……」
その場に崩れ落ちる真紀。地面に真紀の涙がポタポタと落ち、多くの染みを作る。それさえも美しいと思う自分を、満は思い切り殴りたくなった。さらに真紀を悩ませていく愚かな自分を、心の中でこれでもかと責めた。
行き過ぎてしまった二人の恋を止められる者は、もう誰もいなかった。
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