第8話 ドライブ

七海は急に思い出したように翔平を見て言った。

「そうだ。

 翔平さん、お昼、私が作ります。

何が食べたいですか?」

「え?

 いいよ。

 何もないから、外で食べよう」

「だめです。

 いつも外食ばかりなのでしょ?

 何か有りあわせの物で作りますね。」

七海はハウスキーパーとして料理を作るのは当たり前だと思っていたのと、いつも外食中心の翔平の身体を気遣って、手料理を食べさせたかった。


冷蔵庫を開けると、中にはミネラルウォーターやビールくらいしか入っていなかった。

「…。

 今日だけ外食にしましょう。

 …」

開けた冷蔵庫の扉をパタンと閉めると七海は翔平に作り笑いをして見せた。

そんな七海を翔平は面白そうに見ていた。

「そうだ、翔平さん。

 お昼を食べに行きながら、今日と明日分、いいえ、一週間分の食材を買いましょう。」

「え?」

「あれば、平日でも何かしら食べれますから」

七海の真剣な眼差し、翔平はたじろいだ。

(一人で作る気はないけどな…。

 でも、料理は嫌いじゃないし、気が向いたら作ればいいか)

そう思いながら翔平は「う、うん。」と返事をした。


「翔平さん、いつも買い物はどこに行かれますか?」

「え?

 ああ、食料品はだいたい近所のコンビニかな」

「そうですか…。

 横浜のダイエイは現在改修中だし…。

 少し離れますが、東戸塚にオーロラシティといって“イオン”と西武百貨店がくっついた施設があります。

 安くていろいろとありますよ。」

「わかった。

東戸塚か…。

じゃあ、車で行こう。」

「え?

 翔平さんの車で、ですか?」

「ああ、そうだよ。

 いや?」

「ううん、その逆です!」

七海はタクシーやバス以外で車の乗せてもらったことはなかったので、嬉しくて仕方なかった。


(やったぁ、車に乗せてもらえる。

 助手席かな。)

七海と翔平はコートを着て、翔平はバック、七海はリュックを右肩に掛け部屋を出てエレベーターに乗り込むと、翔平はB1Fのボタンを押す。

「地下に駐車場があるんだよ。

 地下一階って行っても、マンション自体斜面に立っているので、まあ、1階と変わらないけどね。」

「へぇー。」

エレベーターを降りると室内灯が明るく照らす広い駐車場が目の前に現れた。

ざっと見ても車が40台以上駐車できるスペースで半分以上車が残っていた。

その車は、殆どがベンツやBMWの高級車たちばかりだった。


その一角に翔平の車が駐車していた。

「これが翔平さんの車ですか?」

七海は目の前のブルーメタリックのCIVICを見て、目を輝かせた。

「ああ、他の車に比べれば国産で大したことはないけど。」

翔平は自嘲気味に言ったが、本心は気に入って、欲しかった車だった。

「いいえ、凄く素敵!」

七海は明らかに興奮していた。

「そうかい。

 じゃあ、どうぞ。」

翔平は鍵を開けると助手席のドアを開け、七海を手招きする。

(やったぁ、助手席や)

七海はニコニコしながら助手席に乗り込む。


車内は黒を基調としたデザインで、視界は広く、足元も広々していた。

シートは思った以上に柔らかく、体にフィットするようだった。

キョロキョロと車内を見回していると、運転席側のドアが開き、翔平が乗り込んでくる。

「さあ、行こうか。」

翔平がキーを回すと、エンジンが“ドルルルル”と気持ちよく回り始める。

「シートベルトはわかる?」

翔平が助手席の七海を見ると、七海は車の助手席が初めてだったのか、シートベルトをするのに苦戦していた。

翔平は“クス”と笑うと、身を捻じり、七海に被さるようにしてドア側にあるシートベルトを手に取り、引っ張ると、自分の身体の下で、七海の胸元から香ってくる何とも言えない良い匂いが翔平の鼻をくすぐる。

七海も自分の目の前の翔平の上半身から自分の好きな翔平の匂いを感じ、体が熱くなるのを感じた。


助手席のシートベルトを持つ翔平の手が一瞬止まったが、すぐに翔平はシートベルトを引っ張り出すと七海の座っているシートの右下のアタッチメントに、シートベルトの金具を差し込む。

シートベルトは“カチ”と音を立ててはまり込む。

「こうやるんだよ。

 わかった?

 それで、外す時はこのボタンを押せば外れるから。」

翔平は運転席側に身体を戻しながら、七海に説明する。

七海は、少し恥ずかしそうに頷いて見せた。


翔平は車のギアをドライブポジションにして、ゆっくりと車を動かし始める。

そして出入り口と思われるゲートの前まで車を動かし、停止線で止めると、右手のポケットからリモコンのようなものを取り出し、スイッチを入れると、ゆっくりとゲートが上がっていくと同時に、外の明るい陽の光が翔平の車を照らしていく。

その日は、晴天で青空が広がり、陽の光が眩しいほどだった。

それだけでも、七海は目を輝かせていた。


車は駐車場を出ると、すぐ前の公道に出て行く。

翔平が説明したように、マンション自体斜面に立っているので、地下の駐車場と言っても、そのまま、公道が目の前にあった。

「七海の言ったのは東戸塚だっけ。」

「はい、そうです。

 本当は、横浜のダイエイが近くていいんですけど、今、改装中でやってないんですよね。

 東戸塚のオーロラシティは、すごく大きいですよ。

 私も、たまに行きます。」

「そうか。

 ねえ、少し遠回りして行こうか?」

「え?」


七海は何のことかわからずに聞き直す。

「天気がいいから、ちょっとだけドライブしていこう。」

「は、はい!」

翔平の誘いの意味が分かった七海は、嬉しそうに返事をする。

車のカーステレオはFMラジオの音楽を流していた。

そのまま、坂道を降り、広い公道を進むと、首都高速の入り口が見えて来る。

右手は横浜横須賀道路方面、左手は横浜駅、山下公園方面と看板があり、翔平は左にハンドルを切る。

ETCレーンから上を走っている本線に合流のための上り坂を気持ちいい加速で駆け上がり、翔平の車は本選に合流する。

「さて、どっちに行こうかな。」

翔平の楽しそうな声に、七海もうれしそうな顔をする。


そして車は、途中の分岐を横浜駅方面に進んで行く。

土曜日の昼時だったが、目だった渋滞もなく、車はスムーズに走って行く。

横浜駅付近の地下道を抜けると、右手にみなとみらいが見えて来る。

それは、いつも見上げたり、遠くから見ている風景とは全く違い、目の前にランドマークタワーが迫ってくるようだった。

「うわぁ、すごい。」

七海は思わず歓声をあげる。


横浜を抜けると東神奈川方面に進んで行く。

東神奈川から生麦までは、曲がりくねったカーブが多く、周りも工場やビルが多かった。

翔平は生麦ジャンクションから大黒ふ頭方面に入って行く。

すると途中から視界が開け、横には海が見え、遠くにベイブリッジが見えて来る。

道は空いていて、直線が長かった。

翔平は車を加速させ、他の車を抜いて行く。

ラジオからは、”インフルエンサー”が流れ始めた。

七海は、その歌声と車の加速感、そして正面の青空と海の青さに気分を高揚させていた。

(すごい。

 こんなの初めて)


車は大黒ふ頭を過ぎ、ループ状の上り坂を上がり、ベイブリッジに入って来る。

「七海、ベイブリッジだよ。

 ほら、横浜港を一望できるよ。」

翔平の説明に、七海はキョロキョロと車外を眺める。

左手は東京湾とその先にB突堤、右手には横浜港とみなとみらいが一望できた。


七海は、右左とまるで遠足の小学生のように、「すごい、すごい」と言いながら興奮気味に車窓の風景を楽しんでいた。

そして車は、ベイブリッジを抜けると左手の分岐、山下公園方面に進んで行く。

「次はマリンタワーだ。」

少しすると右手にマリンタワーが見えて来る。

その先にはみなとみらいの観覧車も。

嬉しそうにそわそわしている七海を真横で感じ、翔平は笑顔になっていた。


マリンタワーと人形の家を通り過ぎると、再び分岐を横浜駅方面に進む。

みなとみらいを抜けると車は第三京浜、横浜新道方面に折れていく。

「さあ、ドライブは終わり。

 少しは気持ち良かったかな?」

正味30分も掛からなかったが翔平の車は横浜港を一周していた。

「はい。

 こんないい景色、初めて。

 すごく、すごく、気持良かったです。」

七海の嬉しそうな声を聞き、翔平は満足していた。


横浜新道に入り、品濃町で降り、一般道を少し走ったところに目的地はあった。

「翔平さん、いつもドライブしているんですか?」

「え?

 ああ、一人でたまにね。

 特に、この車、去年買ったばかりだから、暇を見つけてね。」

「買ったばかりなんですか。

 どおりで中も外も綺麗だと思いました。

 私、この車好きです。

特にお尻の丸みのようなところが。」

「へ?

まあ、ハッチバックタイプだから。

でも、面白いこと言うな。」

翔平は可笑しそうに言う。


「でも、いつも一人なんですか?」

「そうだね、たまに遊びに来る親を乗せたり、友人を乗せたり。

 そうそう、女の子で助手席に乗せたのは七海が初めてだよ。」

「えー、本当ですか?!

 やったー!」

七海は屈託のない笑顔を翔平に向け、翔平はその笑顔を横目で見て微笑んだ。

そして、車は目的地の駐車場へ入って行った。


七海と翔平が食事をし、買い物をしてマンションに戻ったのは、午後の5時過ぎだった。

二人とも両手に荷物をいっぱい持っていた。

「翔平さん、ごめんなさい。

 いっぱい買わせちゃって。

 私のマグカップやエプロン、それにワンピースまで。」


イオンの洋服売り場の前を通った時、七海は飾ってあったワンピースが目についた。

(翔平さんの希望にワンピースがあったけど、私持っていないし。

 セールで安くなっているし、一着くらい買おうかしら。

 あのネイビーの縦縞模様のワンピース、可愛いし、その横の花柄のワンピースなんて、ノギザカが着ていそうなワンピースみたい。

 どんなのが好みなのか、翔平さんに聞いてみよう。)

「翔平さん…?!」

七海が声をかけようと翔平の方を向いた時、翔平は食い入るように売り場に飾ってあるワンピースを見ていた。


「あかんで…。」

七海が呆れたように小さな声で呟くのを聞いて、翔平は我に返ったように七海の方に振り返る。

「え?

 今、何か言った?」

「はい、はい。

 翔平さん、折角なのでワンピースを1着買おうと思うのですが、あそこに飾ってあるネイビーの縦縞とボルドーの花柄のワンピースとどちらがいいですか?」

「うーん、どちらも似合いそうだね。

 試着してみたら。」

「はい、そうします。」

七海は女の子らしく、洋服選びになると生き生きとしてきた。


「あ、ねえ、このリボン付きのチェック柄も着てみない?」

「はい、はい…。」

七海は翔平の趣味に仕方なしに返事をしたが、それでも、今まで母親以外と服を買いに来たことが無かった七海には一緒に洋服を選んでくれることが、何となく楽しく思えて来た。

「これ、どうですか?」

七海は、最初に選んだネイビーの縦縞のワンピースを試着して、翔平に見せた。

七海は細身だったが、手足が長く、また胸の膨らみや腰の丸い線が映え、可愛かった。

「うん、いいね。」

翔平はニコニコしながら、七海のワンピース姿を見ていう。


「じゃあ、次はこれです。

次にボルドーの花柄のワンピースに着替え、翔平に見せる。

最初の縦縞も良かったが、花柄のワンピースも体の線が浮き出て、翔平はうんうんと頷いて見せる。

「こっちのほうが良いかしら。」

七海は腰の部分の布地を掴んで、ひらひらさせて見せる。

「あー、それも良く似合っている。」

翔平は食い入るように七海の仕草を眺める。


「どっちがいいですか?」

「どっちもいいよ。」

「もう、それじゃわからないじゃないですか。」

最後にリボン付きのチェック柄に着替えて見せる。

それも、ポニーテール姿の七海に良く似合っていた。

「それも、いい!」

「全部良いって言われても、1着だけですって。

 どれが一番いいですか?」

七海は全部いいという翔平に苦笑いしながら尋ねる。

「翔平さんの気に入ったのは、どれですか?

「うーん。

 ネイビーの縦縞は、都会風でいいし、花柄は綺麗だし、リボン付きは可愛いし…。」

翔平は真剣になって悩んでいるようだった。


(翔平さんには、難しかったかしら?)

そう思っていると、翔平は何かを決めたようだった。

「全部、買おう!」

「え?

 全部?

 無理ですって、お金が…。」

お金がないと言おうとした七海を、翔平が制する。

「だれが、七海に払わせるって?

 僕が全部買う!」

「え?

 ええー!?

 まさか、翔平さんが着る…い!」

七海が最後まで言い切る前に翔平が拳で“ポコッ”と軽く七海の頭を小突く。

「僕が着て、どないすんねん。」

「すんまへん。」

翔平の笑顔に七海も笑顔で返す。


それから、頭から被るタイプの明るいオレンジの花柄のエプロン、可愛い子猫も絵が付いたマグカップと、二人で選んで、全て翔平が支払いを済ませる。

「翔平さん、お金出しますよ。」

「いや、いいんだ。

 七海が我家で使うものは、必要経費だから、僕が出すのは当然のことだよ。」

「翔平さん、いいんですか?」

(でも、ワンピースが必要経費て…)

少し釈然としないところがあったが、七海は翔平の申し出を受けることにした。

「翔平さんの好みであれば。

 ありがとうございます」


それから、二人は食品売り場に入って行く。

七海はセールの調味料を見つけると嬉しそうに籠に入れていく。

そして、肉や野菜、果物といつの間にかカートの上下においた2つの籠が山盛りになっていく。

「七海、僕、平日は一人だよ。」

翔平の声に七海は、“はっ”と我に返って籠を見た。

籠の中の食品の山は、どうみても子供がいる一般家庭の家庭の一週間分の食料だった。


「ご、ごめんなさい。

 取り過ぎました。

 少し戻しますね。」

「いや、いいよ。

 冷蔵庫に入れておけば結構持つし、肉は冷凍すればいいから。

 それより、お菓子は?」

「え?

 お菓子も買っていいんですか?」

お菓子と聞いてニコニコする七海を見て、翔平は吹き出しそうになった。


大量の調味料やお米が入って、レジでは1万円近かった。

その金額を見て、七海は焦って翔平を見る。

「しょ、翔平さん。

 ごめんなさい。

 9千円越えちゃって。

 さっきの洋服とかで1万円も使ったばかりなのに。」

「いいよ。

 七海が料理に使てくれるんだろ?」

責任を感じたのか、七海は真面目な顔で大きく頷く。

「美味しい物、たくさん作りますからね。」


そんなやり取りのあった食品が入った袋が3つ。

どれも、こぼれ落ちそうにいっぱいになっていた。

ワンピースらエプロン、マグカップの入った袋が二つ。

マンションに戻り、荷物をリビングに運び込むと、さすがに手が痛くなった。

「最初に食料品を冷蔵庫に入れなくっちゃ。」

七海は、たくさん買い物が出来たので、満足そうだった。

そしてテキパキと冷蔵庫に詰め込んでいく。

「今晩のお肉以外は冷凍庫にしまって、ハムやベーコン、ウィンナー、それに今日のお肉や要冷蔵の品はチルドルーム。

野菜は野菜室。

 玉子は。」

まるで鼻歌を歌うように冷蔵庫に仕舞い終わると、七海はお米の袋を持って、周りをキョロキョロする。


「どうしたの?」

「いえ、お米を入れる米櫃はどこかなと思って。」

「米櫃?

 そんなのないよ。」

「えー、じゃあ、いつもお米はどうしているんですか?

 立派な炊飯器があるじゃないですか。」

「いや、殆ど自炊しないから、使っていないよ。」

「……」

七海はあまりのことに絶句してしまった。

(こんなに高級そうな炊飯器があるのに…)

「まあ、いいです。

 米櫃は、また今度で。

 今は使ったら、きつく輪ゴムで閉じておけばいいので。」


食料品が片付け終わると、次にワンピースやエプロン、マグカップを取り出す。

マグカップのシールをはがすと、流しに置き、次にワンピースとエプロンのタグを外していく。

「ワンピースとエプロン、やっぱり一回洗った方が良いかしら。」

七海はワンピースやエプロンの匂いを嗅ぐと、糊の匂いが気になった。

「それに。外につってあったから埃が。」

七海は眉間に皺を寄せた。

「ワンピースは、持って帰るだろう?」

「え?

 いいえ、これはここに置かしてください。

 翔平さんが買ってくれたものですから、ここで着る用です。

 それに、家に持って帰ったら、お母さんがびっくりしちゃいます。

 “バイトに行ったのに、何でワンピースを買って来たの?”って。

 わたし、ワンピース持っていないので、詮索されても困るので…。」

(まさか男の人のために、しかも買ってもらったなんて)

七海は、顔が熱くなるのを感じた。


「じゃあ、明日洗濯だな。

 お披露目は、また来週というところだね。」

「ええ、でも、今晩の夕飯が困ります。」

七海はエプロンを手に持って、困った顔をした。

「ところで、七海。

 時間。

 もう6時を回っているよ。」

「え?

 ええー?!」

七海は帰る時間を忘れていた。

「でも、でも、翔平さんの夕飯が…。」

「大丈夫。

 今夜は友人と約束があるから、

 今度、作ってね。」

七海には翔平が今晩友人と会うということは聞いていなかった。


「約束って、本当ですか?

 本当に夕飯、外で食べるんですか?」

「ああ、本当。

 だから、心配しないで。

 今日は楽しかったよ。」

「私もです。

 車に乗せていただき、ありがとうございました。

 すごく、楽しかったです。」

七海は、深々とお辞儀をするが、何かを忘れている気がした。

「さあ、遅くならないうちにね。

 また、明日。」

「はい。」

翔平に玄関まで見送られ、七海はニコニコしながらマンションを後にした。


(今日は楽しかったな。

 お買い物沢山して、ドライブにも連れて行ってもらって。

翔平さんて、何て優しいんだろう。

それにワンピースも買ってもらって…。

え?

私…。)

そこで、七海は大事なことを思い出した。

(私、HKLのLは?

 ラブは…。

 しなくて、良かったんだろうか…)

その思いは家に帰ってもずっと頭を過っていた。


「七海、バイトしてきたんやろ。

はよ、お風呂に入りなさい。」

母親に促され七海は風呂に入った。

そして浴槽の中でお湯に浸かりながら、ぼおっと翔平のことを考えていた。

(翔平さん、今日、私に触れてこなかった。

 時間がなかった?

 初日だから?

 ……

 それとも、私、魅力ないのかしら。

 翔平さんの好みじゃなかった?

 解約されちゃう?)


翔平の笑顔を思い出しながら、七海は首を横に振る。

(明日こそは…)

しかし、七海は今までセックスにいい思いが無かったので、複雑な気分になっていた。

(でも、翔平さんとしても、前みたいに何も感じないで、ただ痛いだけかしら。

 早く終わらないかなって思うだけかしら…。

 でも、でも、翔平さんとなら、きっと…)

そう考えている時、浴室のドアを叩いて、良子の声が聞えた。


「七海、大丈夫?」

「え?」

「あんたにしては長湯やから心配になって見に来たの。」

「そないに長い?」

「もう1時間よ。

 夕飯のおかずが冷たくなっとるわよ。」

「1時間?

 直ぐ出るね!!」

七海は慌てて湯船から立ち上がった。

「翔平さん、ちゃんと夕飯食べているかしら。

 本当に、お友達と会っているのかしら)

七海の頭の中は、違う心配が湧き上がっていた。


母親と夕飯を食べる時、七海は封筒を取り出し、バイト料前渡しでもらったことを言って、1万円札の入った封筒ごと母親に渡すと、母親は、済まなそうな顔と、どこかほっとした顔をして封筒を受け取った。

「まあ、10万円も!!

七海、ありがとうね。

 せやけど、無理せんといてな。

 お母ちゃんも、はよ身体を治して働きに行くからね。」

「大丈夫よ。

 楽しそうなバイトだから。」

「ほならええけど。

 じゃあ、遠慮なく。

 家賃と、ガス光熱費をもらうから、あとは七海のお小遣いにしぃや」


そう言って封筒から1万円札を7枚抜くと封筒を七海に返した。

「母ちゃん、それじゃ少ないよ。

 家賃が4万とちょっと、光熱費と母ちゃんのお医者さん代入れると…。」

そう言って封筒から1万円札を2枚抜くと、良子に渡す。

良子は、それを大事に両手で受け取る。

「母ちゃん、遠慮は無しやから。

 卒業して就職したら、もっと楽させてあげるからね。」

「七海…。」

「さあ、ご飯を食べようよ。

 お腹空いた。」

「せやね。」

それから夕飯を食べながら、七海は良子に今日会ったことの中で、車でベイブリッジを通ったことを話した。

当然、仕事で、しかも会社の車でと。

その夜、七海は布団の中で、明日のことを考えていた。

(明日、洗濯や掃除をした後、きっと…)

不安と期待が入り混じって、七海はなかなか寝付くことが出来なかった。


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