第5話 知りたいこと

HKLの顔合わせで初めて翔平と七海が会った日。

横浜駅の改札口を出て金港方面にあるデパートのパーラーで七海と翔平と初めて顔を合わせた。

玲奈からは、ここからは自分は付き添わないと言われていたので、七海は一人で翔平に会うことになった。


「え?

 玲奈さんは、一緒に来てくれないのですか?」

「当たり前でしょ。

 私が契約するわけじゃないのだから。

 七海さんが、ちゃんと相手の人となりを見て判断しなくちゃ。

 それに、いくらで契約するか、家主の要求を聞いて、自分の望む金額を提示しなくちゃ。」

不安を爆発させる七海に、玲奈は軽くあしらった。


いくら翔平のプロフィールを読んだから、いくら玲奈の勧めがあったと言っても、初対面で、かつHKL、特にL(ラバーズ)という部分で、翔平がどんな人間なのか不安で仕方なかった。

指定されたパーラーを入ると、店員が寄って来る。

「待合わせなので。」

七海がそう言うと、店員はにこやかにお辞儀をすると、七海を通してくれた。


一方、翔平は待ち合わせの時間の20分ほど前にパーラーに入っていた。

(ちょっと早かったかな。

 まあ、待たせるよりはいいか。

 でも、玲奈が言うように確かに可愛い子だな)

翔平も玲奈から事前に渡されていた七海の写真を見ていた。


「ね、翔平。

 この娘、可愛いでしょ。

 ちょっと、いろいろあって少しやつれ気味だけど、素が良いから、落ち着けばよくなるわよ。

 それに性格も良いし、家事も出来るわよ。」

玲奈は、七海を掘り出しものだと言わんばかりに誉めまくっていた。

(おいおい、HKLで家事が出来なかったら、どうするんだい)

翔平は苦笑いしながら、渡された七海の写真を見た。

(確かに、少し疲れた顔をしているけど、可愛いな)

写真の七海は、ニッコリと微笑んでいた。


「で、いろいろあってというのは?」

「うん。

 お母さんが病気で色々と大変みたいよ。

 母子家庭だから、治療費に生活費とお金に苦労しているみたいなの。

 学校も奨学金で通っているから、ちゃんと勉強をしていい成績を収めないといけないみたい。

 でも、あの学校、奨学金て行っても、無利子で授業料を貸すやつで、卒業したら月々返済して行かなくちゃいけないんだって。」

「ああ、今世間で話題になっているやつか。

 なんかきちんと就職しないと、返済できなくて自己破産に追い込まれるのが増えてきているらしいよ。」

「そうなのよね。

 それとお母さんの世話でたいへんなんだって。」

「生活費に医療費か。

 だから、HKLか。」

翔平は玲奈の話を聞いて納得した。


「あ、でも、それとHKLは関係ないからね。

 同情心でOKすると続かないで、お互い不幸な結末になるからね。」

「おいおい、そんなに脅かすなよ。」

「でも、ほんとうよ。

 むこうは本気だから、ちゃんと判断しないとね。」

玲奈がいった判断とは、会って見て、大丈夫かをきちんと家事や愛人ゴッコの相手をしてくれるか、また、月々の契約金も適正できちんと払える額を設定することだった。


「じゃあ、今度の日曜日。

 私は行かないから、ちゃんとエスコートしてね。

 何分、この子は21歳と言っても学生だから、まだまだ子供よ。

 よろしく。」

「ああ、わかったよ。」


玲奈とのやり取りを思い出しながら、パーラーの入口から写真でみた七海が入ってくるのが見えた。

七海は、水色のダウンジャケットにジーパン姿で、髪はポニーテールにしていた。

(お、本当に可愛いな。

 けど、疲れているのかな?

 少し、やつれて見える。)

それが、七海を見た翔平の第一印象だった。


お店に入って来て、キョロキョロと辺りを見回す仕草をする七海を見て、翔平は七海に見えるように小さく手を振ると、七海はそれに気が付いたように、小さく頷くと、真っ直ぐに翔平の座っているテーブルに向かって歩いてくる。

翔平は、カジュアルな茶色を基調としたジャケットの上下と黒の縦格子の模様の入ったボタンダウンのワイシャツ、髪は七三分けと、余所行きの格好をしていた。

(あ、七三分けで、きっちりした格好している。

 私、ジーパンなんだけど大丈夫かしら)


七海は自分の服装と翔平の服装が釣り合わないのを気にしながら翔平のいるテーブルの間近に来ると、翔平は立ち上って笑顔を向ける。

「西山さん?

 西山七海さんかな?」

翔平の笑顔を見て、七海は警戒心が薄れてきたのか、少し和らいだ顔をする。

「槇野翔平さん?」

「当たりです。

 初めまして。

 さあ、どうぞ。」

そう言って翔平は正面の椅子のところに移動すると、七海が座れるように椅子をずらした。

「え?

 す、すみません。」

七海は、畏まって椅子に腰かけると翔平はそっと椅子をテーブルの方にずらし、七海を座らせる。


(テレビドラマで見たことがあるけど、椅子を引いて座らせてくれるなんて、何て礼儀正しい人なんだろう)

七海は、そういうことをされた経験がなかったので、普通に驚いた。

翔平は元の席に戻ると、七海は恐縮したように両手を腿の上にのせ、身体を小さくする。

「あ、あの…。

 お待たせしたみたいで、すみません。」

「え?

 大丈夫だよ。

 まだ、待ち合わせの時間より前だから。」


七海が時計を見ると、確かに待ち合わせの5分前だった。

「甘いものは大丈夫?」

「え?」

七海が翔平の方を向くと、翔平は笑顔を見せながら、メニューを七海の前に置き、フルーツパフェを指さしていた。

「これ、この店の一押しだって。」

七海は指さされたパフェを見ると、確かにフルーツがたくさん載っていて美味しそうだったが、値段を見て驚いた。


「せ、千五百円?

 私…。」

「大丈夫だよ。

 玲奈、あ、いや、長谷川さんから、必要経費だから好きなものを頼んでいいと言われているから。」

「で、でも…。」


遠慮する七海を見て、翔平は続ける。

「お腹いっぱいで、食べられない?」

七海は首を横に振る。

「甘いものは大丈夫?」

七海は首を縦に振る。


いつの間にかウェイトレスが水の入ったグラスを七海の前に置く。

「ご注文は、お決まりですか?」

「ああ、このフルーツパフェを一つ!」

翔平が笑顔でウェイトレスに注文すると、ウェイトレスも笑顔でオーダーを確認すると、去っていった。

「あの…。」

七海が翔平の方を見ると、翔平の前には半分くらいになったチョコレートパフェが置かれていた。


(この人も、甘いものが好きなんだ。

 なんだか面白い。)

七海はチョコレートパフェを美味しそうに食べる翔平の顔を想像し、無意識に笑顔をこぼす。

(あ、やっぱりこの子は、笑顔が可愛いな。)

翔平はそう思いながら、つい顔を緩める。

「あらためまして。

 僕は槇野翔平。

 翔平でいいよ。」

「は、始めまして。

 西山七海です。

 七海と呼んでください。」


翔平の飾らない話し方で、七海も緊張が解けていく。

「翔平さん、甘い物好きなんですか?」

七海は翔平の前にあるグラスを見て言った。

「え?

 意外だった?」

「ええ、あまり男性の方が甘いものを食べているの見たことないので。」

「そっかなぁ。

 確かに男一人でパフェは恥ずかしいよな。

 でも、意外と好きなんだよ、甘い物。」

「へぇ」

「昔、学生時代にどうしても食べたくなって、男3人で喫茶店に入って食べたことがあるんだよ。」

「え?

 男の人3人で?」

「そう。

 むさ苦しい恰好をした男子が、チョコレートパフェやフルーツパフェを注文してさ。」

七海はテレビドラマに出てくるような、長髪のぼさぼさ髪で、ひげを生やし、黒縁のメガネ、ジーパンにTシャツ、そして訳の分からない言葉を話す小太りと痩せの3人の男がパフェを美味しそうに食べる姿を想像し、つい笑い出していた。


「あ、なんか今、物凄いこと、想像しただろう。」

翔平の問いかけに、七海は笑いながら首を横に振る。

「まあ、きっと想像した通りだろうけど。」

「え?

 宇宙語、話していたんですか?」

七海の驚いた問いかけに、今度は翔平が笑い出す。

「宇宙語?

 一体、どんな想像したのかな?」

七海は、慌てて首を横に振る。

「こら、白状しなさい。」

「えー、だってぇ。」

七海は直ぐに翔平に打ち解けていた。


(やっぱり、大人の男性は話しやすいのかしら)

少しすると、七海の前にフルーツパフェが運ばれてきた。

「お、やっぱりそれも美味しそうだな。」

「え?

 じゃあ、翔平さん、一口食べますか?」

(あ、私ったら馴れ馴れしい)

七海は初対面の男性に“一口食べるか”と言った自分に驚いた。

「え?

 うーん、凄い誘惑だけど、きっと一口貰ったら、それで済まなくなるから、僕はこっちでいいよ。」

翔平は七海の言った言葉を気にしていないように、自分の前にある食べかけのチョコレートパフェをスプーンで突いた。


「じゃあ、いただきます。」

七海は“軽く見られていない”と少しほっとしてフルーツと生クリームをスプーンでよそうと口に含んだ。

フルーツの酸味と生クリームの甘さで、想像していた以上に美味しかったのか、「美味しい」と言いながら、七海は嬉しそうな顔をする。

(なんていい笑顔をする子なのだろう)

その七海の笑顔を翔平は嬉しそうな顔で見ていた。

それから、パフェを食べながら雑談を交わし、二人はすっかりと打ち解けていた。


「さてと。

 じゃあ、本題に入ろうか。」

翔平は、雑談の続きというような顔でHKLのことに話を振ると、七海の顔には緊張が走った。

「七海さんは、土日が希望だったよね。」

「はい。」

「両方?

 それとも、どちらか1日?」

七海はお金のことを考え、小さく指を2本立てた。

「土日の両方ね。

 毎週でいいのかな?」

七海は小さく頷く。

「OK。

 僕はここからJRで一駅行ったところの山の上に住んでいるんだけど、七海さんの家からどのくらいかかる?」

「駅から何分位ですか?」

「うーん、駅からは15分位かな。

 でも家から駅までは5分も掛からないよ。」

「えー?

 どうしてですか?」


七海はがぜん興味が沸いて来た。

「来るとわかるけど、僕の家は山の上にあるっていったよね。

 その山の坂がこんなに急なんだよ。」

翔平は、ほぼ垂直に片手を上げて見せる。

「ええ?

 そんなんじゃ、登れないじゃないですか?」

「そう、だから、登坂ように道にチェーンが下がっているんだよ。

 皆それに摑まって、登って行くんだ。」

「嘘!」

「信じるか信じないかは、あなた次第!」

真顔で言う翔平を見て、七海は吹き出す。


「それって、テレビで観ました。」

「あはは、まあ、大げさだけど、結構急坂なんだよ。

 ちなみに、チェーンも一か所、本当にあるんだ。

 それに、坂の途中では、休憩用にベンチもあるんだよ。」

「本当ですか?

 行ってみたい。」

「ああ、是非おいで。

 で、どのくらいかかる?」


「そうですね。

 家から駅まで自転車で10分、15分位だから、1時間位かな。」

「じゃあ、朝は10時くらいからの方がいいかな。

 そうすれば、少しゆっくり出られるから。」

「はい。」

「帰りは?」

「あ、それなんですが、母が一人なのでなるべく早くでお願いしたいんですが。

 例えば7…」

7時と言おうとした七海を翔平が遮る。


「わかった。

 じゃあ、6時でいいかな?」

「え?

 いいんですか?」

「ああ、普通会社は9時から5時だから、1時間ずれたということで。

それに、女の子が遅い時間に帰ると心配だからね。」

七海は自転車に乗っているが、駅から家までの間に街灯がなく真っ暗なところがあり、いつも怖い思いをしているのを思い出したので、正直、助かった思いだった。


「でも、食事が。

 朝、10時からだと、朝食は?」

「朝食は勝手に食べるから大丈夫。

 その片付けからお願いでいいかな?」

七海は頷いて見せる。

「お昼は良いとしても、夕ご飯はどうしますか?」

七海は家政婦であれば、3食、食事の用意をするのが仕事だと思っていた。

「うーん。

 じゃあ、用意だけしてくれればいいよ。

 そうすれば、好きな時に食べられるから。」

「でも、お片付けが。」

「大丈夫。

 どうせ一人分だから。」


一人と言ったセリフに七海は心が動いた。

(そうだ、翔平さん、一人暮らしだった。

 でも、一人でご飯を食べるなんて寂しくないかしら。

 私はいつもお母さんと出し、お母さんが遅い時は寂しかったなぁ)

七海は心がきゅっと締め付けられる思いがした。

七海はどちらかというと寂しがり屋で、家にいる時は母親にくっ付いてまわり、学校ではあまり親しい友達はいなかったが、お昼や休み時間など、女子の輪が出来ているところの端にひっそりと加わり、大勢の中にいるのが好きだった。


「ところで、七海さん、料理は?」

「え?」

(来た!)

七海は一瞬なんて答えようかと考えた。

普段は、母親が遅い時や土日は母親を楽させようと料理をしたりしているが、他人に食べさせるような料理を作った経験はなかった。

七海は躊躇したが、ここで背伸びをしたことを言っても、あとで困るのは自分だと思い、正直に話すことにした。


「料理は普段、母と一緒に、母が疲れている時は代わりに作ったりしますが、フランス料理だとか和食だとか、気の利いた料理は作ったことがありません。

 もし、許していただけるなら、本を買って勉強したいと思います…。

 だめ?

 ですか…?」

七海は恐る恐る翔平の顔を覗き込んだ。


「じゃあ、カレーは?」

「え?

 はい、市販のルーを使うのであれば作ります。」

「ハンバーグは?」

「ええ、作ります。

 捏ねて焼くだけですもん。

 後は、お肉を焼いたり、魚を焼いたり…。」

言いながら、“これは出来て当たり前か”と、しくじった思いが胸をよぎる。


「おでんは?」

「ええ、買ってきた具材を煮て。

 あ、大根とゆで卵は自分で足します。」

「卵料理は?」

「はい、目玉焼きに、スクランブルエッグ、それにゆで卵。」

七海は答えながら、だんだんと旗色が悪くなってくる気がして仕方なかった。


「そうそう、唐揚げは?」

「え?」

「ああ、ごめん。

 鶏のから揚げ。」

「あ、それは得意です。」

七海は鶏のから揚げが大好きだった。

「なら、いいや。」

「え?

 あ、あと煮物も作ります。

 ヒジキや切り干し大根、お芋の煮っころがしも。」

七海は、翔平の“いいや”と言うのが、落第の良いやに聞こえ、慌てて付け加えた。


翔平は、七海の誤解を敏感に察知したのか急いで付け加えた。

「いや、“だめ”じゃなくて“十分だ”という意味だよ。

 それだけできれば、問題ないよ。」

「あ、そうですか…。」

(よかった)

七海は冷や冷やしたせいか、じんわりと汗をかいていた。


「料理が出来れば、掃除や洗濯と言った家事一般も出来るね?」

「はい。

 いつもお母さんの手伝いで、やっています。」

それは自信があったのか、七海は笑顔で答える。

「自分ばっかり質問していたけど、七海さんは僕に聞きたいことは?」

翔平は紳士的に七海に質問を譲った。


「え?

 ええ…。」

七海は少し考えてから口を開く。

「翔平さんは、関西人は嫌いですか?」

「え?!」

突拍子もない質問で翔平は目を白黒させた。

「いや、嫌いじゃないよ。

 仕事仲間で、関西、そう大阪の出身の人がいるから。

 面白いし、人柄も良いし、思ったことをずけずけと言ってくれるし。」

七海は最後の言葉に少し棘を感じた。

(その人、きっとストレート過ぎるのかしら。)


よく言うと、歯に衣着せぬということで、七海が関西に住んでいた時はストレートに話す子が周りにたくさんいて、それが返って裏表なく思えていたが、関東に来てからは奥歯にものが挟まったような言い方をする子が多いと感じていた。

「関西弁は?」

「ん?

 ああ、自分のことを“ウチは”という言い方だろ?

 大丈夫だよ。」

七海は、いつもは気を付けて標準語を話しているが、無意識の時に関西弁が出たりするので、内心、ほっとしていた。


「翔平さん、今のお住まいは?」

「さっき言ったように、この先の駅を降りて山の上のマンションだよ。

 間取りは2LDK。

 新築の時から住んでいて、5年くらい経つかな。

 まだ、十分綺麗だよ。」

「何階にお住まいなのですか?」

「5階建ての5階。」

 夏は横浜港の花火がよく見えるよ。」

「じゃあ、眺めはいいんですね。」

「ああ、ばっちりだよ。

 そうだ、今度、我家で会おうか。」


いつの間にか、話し始めてから2時間が経過していた。

「え?

 翔平さんのマンションで?

 …。」

「ああ。

 心配だったら長谷川さんを同席させても構わないよ。」

契約もしていないし、玲奈を同席させてもいいと言ってくれているので、七海は100%ではないが、安心した。

「いいんですか?」

「ああ、職場がどんな所か見てから判断してもいいだろう?」

そこまで言う翔平に、七海は快く頷いた。

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