130.猜疑心


 ドラゴン、老ドラゴン、ブラッドの3人は懸命に仲間の治療にあたってくれているスターンとフラーシャの元へ、足を運んだ。

 その道すがら、少なからず、明るい仲間の表情が見れたことが彼らにとって大いなる救いであったことは間違いない。

 予断が許されない状況に変わりはないが、3人は各々小さく胸を撫で下ろした。


 そんな彼らを祝福するように東からは日が見え始める。

 夜明け。

 それは幸福の始まりか、はたまた地獄からのいざないか。

 今の段階では誰にもわからない。

 だが、誰しもが暗闇から解き放たれた事実を良く考えた。

 決して負の方向には考えないように懸命に自分を奮い立たせた。

 それが潰れそうになる心をなんとか維持する最善の手段であると、心の底で誰もが理解していたからだ。


 手を伸ばせば掌には温もりが伝わってくる。

 指の隙間から溢れてくる光が瞳を照らす。

 心做しか、身体を駆け巡る空気が軽く感じる。

 自ずと身体の奥の方から熱い力が湧き上がってくる。

 その感覚を噛み締めながら、3人はスターンとフラーシャの前に立った。


「ふたりとも、本当にありがとう······! お陰でたくさんの仲間が助かった」


 すると、微笑みながらフラーシャが身体の前で両手を振る。


「先程も言ったじゃないですか。こんな時です。礼は不要ですよ。······それより、本題があるんじゃないですか?」


 微笑みは浮かべているものの、所作の端々から見て取れる真剣さ。

 無駄なやりとりは不要であると言わんばかりのフラーシャの言葉に、ドラゴンの緩みかけていた心が自然と引き締まる。


「あ、あぁ······。本題はについてだ」


 そう言ってドラゴンは件の肉塊を指さした。

 おぞましく体表が蠢き、赤黒い液体を吐き出す塊。

 見るもの全てに畏怖を植え付けるそれは、スターンの魔人を打ち倒すほどの光魔法をくらってなお、健在であった。

 そんな肉塊を見て、スターンが顔をしかめる。


「繭、か······」

「ブラッドからは近づかないようにとは言われてるがありゃ一体どうなるんだ······?」

「繭から産まれてくるのは使徒と呼ばれる化け物だ。アルミリア、つまり死の女神の使いというわけだ。······俺たちでも苦戦は避けられない」

「化け物って、そんなに······強いのか······?」

「あぁ」


 その一言で場には沈黙がおとずれる。

 ドラゴンたちは正直、疑心暗鬼に苛まれていた。

 自分たちがあれだけ苦労した魔人をいとも容易く屠ったスターン。

 そのスターンが化け物と表現する存在。

 それが使徒。

 使徒というのは本当にそこまで強いものなのだろうかとまず疑ってしまう。

 なぜなら、彼らにはもはや想像がつかないからだ。

 魔人ですらこれまで遭遇したことないような強さを持ち、彼らに十分な傷を植え付けた。

 それを凌駕するともなると、果たしてどうなるのか。

 もしかしてスターンたちの過大評価なのではないか、という考えすらも脳内を駆け巡る。

 だが、ドラゴンたちがスターンの顔を見た時、その考えは風となって抜けていった。

 真剣そのものなのだ。

 話を誇張したり、冷やかしたり、そんな軽率な雰囲気など微塵も感じられない。

 そこにあるのは等身大の事実のみ。

 そのことを認識した瞬間に事実は心に鉛となって鎮座した。

 鉛は心を恐怖という沼に深く沈めていく。

 自然と伏し目がちになってしまう。


「だけどそこまで気に病む必要はない」

「······? どういうことだ······? 何か秘策でもあるってのか······?」


 そう問われ、スターンはすっとドラゴンの瞳を見据えた。

 深く、奥の奥へ言葉を運ぶために。


「お前たちの魔王が今この世界を救うべくアルミリアに挑んでいるはずだ。あいつならやってくれると信じている······!」

「そうか······! まこ」


 ドラゴンがと言おうとした瞬間、それを止めるようにスターンは手を突き出した。

 人差し指を立てて小刻みに振る。


「理じゃない。リアザルだ」

「············え?」


 唐突に現れたの主の名。

 ドラゴンは上手く飲み込めなかった。

 思わず口がだらしなく開いたままになってしまう。


「なんだよ聞こえなかったのか? 理じゃないんだ。リアザルなんだよ」


 そう言われてようやくドラゴンは我に返る。


「い、いやいやいや、ちょっと待ってくれ。ほんとに······ほんとにリアザル様なのか······? リアザル様は今もご健在ということなのか······? あの方はご無事なんだな······?」

「アルミリアとの戦闘だ。無事かどうかは保証できない。だが、俺たちはあいつが無事だと心の底から信じている」

「そう······か······リアザル様······」


 ドラゴンは朝の白んだ空を見上げた。

 これまで仕えてきた主、リアザルが生きているとわかった。

 それがどれほどドラゴンの心に潤いを与えたことか。

 歓喜が心を染めていく。

 気づいたら拳をしかと握りしめ、大きく息をしていた。


 だが、これに置いてけぼりをくらったのが老ドラゴンである。

 リアザルが無事という彼にとっては支離滅裂な言葉。

 彼がリアザルであると信じていた人物はつい昨日まで間違いなく眼の前で生きて、動いて、自分たち魔族のために尽くしてくれていた。

 彼の指示があったからこそ今、自身はこのデグリア山にいるはず。

 だと言うのにドラゴンのこの反応ではまるで長い間彼は消息を絶っていたようである。

 それに聞き慣れないという名前。

 会話の流れ上ではまるでこの理という人物も魔王であるよう。

 話の概要すら掴めず、老ドラゴンは混乱していた。


「ちょっとわしからええかのぉ······?」

「んあ? どうした、ジジイ?」

「その、理ってのは誰なんじゃ······?」

「あ······」


 ドラゴンはあまりの感動にすっかり失念していたのだ。

 理の存在を知るのは側近、各隊長、そしてバティたちのみであることを。

 咄嗟にその場しのぎの言い訳が思い浮かばないかと考えを巡らす。

 だが、幸か不幸かそんなものは一切浮かんでこない。


「えっと······それは、だな、ジジイ······。んーと、なんて説明すりゃいいんだ······?」

「ん? なんだ? 魔族は理のことをみな知ってるわけじゃないのか······?」

「ったりめぇだろ! 突然俺たちの仕える魔王様はそっくりさんに置き換えられてましたなんて、そう容易く言えるかよ! 町が大混乱どころの話じゃねぇ。下手すりゃ暴動が起きるぞ!」


 それを言い切ったドラゴンを憐れむようにスターンは見つめた。


「······お前、けっこう馬鹿なんだな······」

「何が! ······あ」


 ドラゴンは己の失策に気づいて慌てて口を手で塞いだ。

 だがもはや手遅れ。


「······なるほどのぉ。それは一体いつからじゃ······?」

「え、いや、えっと······」


 戸惑うドラゴンの横からスターンが口を挟む。


「1週間と少し前、だな」

「なんと······ではわしは普通に話しておったのに気づけなかったというわけか······。幼き日より見てきたはずじゃが······。わしも衰えたのぉ······」

「気づけなくても気にする必要は無いぞ。理の身体にはリアザルの魔力も流れている。そして顔も声も身体つきも年齢もリアザルとほとんど違いがないからな」

「そうじゃったか······。しかしのぉ······」


 気づけなかった己への責ももちろんある。

 だがしかし、何から何まで瓜二つとはいえ、その命を預けた主が他人に変わっていて気づけなかったことに対する驚きの方が大きかった。

 当然ながら老ドラゴンでも年波によって確実に能力は削られている。

 彼にもその自覚は大いにある。

 だが、1週間前となると訓練所で一緒にお茶を飲みながら話をしているし、何よりこのデグリア山まで、ヴァンパイアの説得のために旅をしている。

 ここまで行動を共にして、入れ替わりに気づけなかったのは並大抵のことではないと老ドラゴンは思った。

 老ドラゴンですらも気づけない上に彼は確実に民衆の心を掴んでいたし、人間との戦いでは見事に指揮を執った。

 こうして老ドラゴンたちがここにいるのも彼が魔族のことを第一に考えてくれた結果である。

 そして何より、彼は勇者ハヤタを打ち倒したのだ。

 もし本当にこれを成し遂げてきたのが出自も何もわからない、得体の知れない理という人物なのだとしたら。

 ドラゴンが信頼をしている所を見ると間違ったことをする人間ではないことの証左だと思うが、老ドラゴンはやはり心のどこかで猜疑心を抱かざるを得なかった。


「その理というのは何故リアザル様の椅子に座っておったのじゃ······?

そして何より、リアザル様は何故居なくなっておったのじゃ······?」

「それは······こいつらの仕業なんだ」


 そう言ってドラゴンはふたりを指さした。

 それを受けてふたりもしっかりと頷く。


「えぇ、私たち3人の行いです。スターンと私とリアザル。勇者と賢者、そして魔王。本来敵対する存在である私たちが一緒に矢を放ちました。まず話すべきは私たちが手を組んだきっかけで」


“きっかけでしょうか”


 そう言ってフラーシャが話を始めようとしたその時だった。


「隊長!!! あ、あれを!!!!!」


 そんな声を皮切りに四方八方から悲鳴にも似た声が響く。

 突然の仲間からの呼び掛けにドラゴンは咄嗟に声のした方を振り向いた。


「なんだ!? どう······おいおいおいおいおいちょっと待て!」


 ドラゴンが眼を向けた先、そこには突如として急速な肥大化を始めたふたつの繭の姿があった。


「お前ら! 今すぐ離れろ!!! 死ぬぞ!!!!!」


 ドラゴンの叫びに反射的に反応した魔族たちは事の重大さを思い知り、我先にと繭から離れていく。

 その様子を見てスターンは咄嗟に両手を突き出した。


「光魔法!!!!!」


 言葉に呼応して繭を包み込む光のドームが顕現する。

 隼人がとった行動と同じ、爆発の規模を最小限に抑えるための応急措置だ。

 相当な分厚さを誇る強靭な光の壁。

 そんじょそこらの衝撃では傷ひとつつけられないであろう。

 だがしかし


“ドォォォォォォォンッッッ!!!!!”


 壮絶な爆発とともに光の壁は無数のひび割れを発生させた。


「くっ······! みんな伏せろ! 来るぞ!!!」


 スターンの懸命の叫びは虚しく爆音にかき消された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

知らぬ間に魔王に転生した僕は ゆずっこ @Yuzukko_Carp

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ