112.死してなお、護り通せ
山のような巨躯がその顔をブラッドたちの方へと向ける。
その顔にもはや生気はない。
溢れ出るのは怨念と殺気という負の空気。
そこから放たれる恐怖。
ブラッドはそれらを一度経験しているからこそ身震いした。
あの時は魔人を全て理が倒してくれた。
自分たちが太刀打ちする間もなく。
だが今は違う。
ここにいる魔族とブラッド自身で打ち払わねばならないのだ。
数でも力でも劣る者たちで。
しかも、だ。
たとえ魔人を倒せたとして、その後現れるのは狂気の化身とも呼ぶべき使徒の群れ。
あの理たちでさえ力の及ばなかった怪物たち。
あの時はアルミリアが現れたお陰と言うべきか、その一命を取り留めた。
だが今はもはやそんなものに期待など出来そうにない。
そんな使徒を相手取って果たして自分たちは生きていられるだろうか。
その考えに辿り着くとブラッドの首は即座に横に振られた。
これがたとえ魔人一体だったとしても結果は見えている。
末路は全滅のみ。
そんなものに前後を囲まれている。
しかも眼の前ではコウとメヒアが使徒になるためその身を赤黒い肉塊に変えて羽化する時を今か今かと待ち望んでいる。
絶望以外の何物でもなかった。
絶望、恐怖、諦観。
この場にあってはならない、されどあらざるを得ない感情。
その感情にブラッドの心は埋め尽くされていた。
そんな中、ふいに残してきた友のことが頭をよぎった。
城で一人、その身を焦がして戦うことを余儀なくされた友のことが。
バティはまだ生きているだろうか。
レンとの決着はついただろうか。
バティは言った。
“こいつの|性根(しゃーね)を叩き直してすぐ追いかける”
だからブラッドは賭けた。
一人でも多く生き残るため、アルミリアの魔の手から遠ざけるためにバティの命を。
十中八九、喪うとわかっていながら。
そしてバティはこうとも言った。
“あいつらのことはとりあえずお前に任せる。向こうに行きゃ1番隊と3番隊の隊長もいるはずだ。サリーとデニスもいる。そいつらと力を合わせてなんとかみんなを護ってやってくれ”
ブラッドにみんなを護ってくれと。
自らの命を賭してブラッドに使命を与えてくれた。
それなのに今のブラッドはどうだ。
その心を諦めで潰していやしなかったか。
その身を怯えで凝り固めていやしなかったか。
ブラッドは下唇を噛み締めた。
己の弱さに。
己の不甲斐なさに。
そしてもう一度イペタムをギュッと握り直す。
弱い心を奮い立たせるように。
少しでもバティに報いるために。
一人でも多くその命を護るために。
もう、逃げない。
もう、臆さない。
もう、諦めない。
覚悟の決まったブラッドの顔は精悍で、澄んでいた。
その様は散る直前、最後の輝きを見せる一輪の華が如く。
噛み締めた唇からは真っ赤な血が滲んでいた。
一方でドラゴンや老ドラゴンを始めとする魔族たちは大小差はあれど自責の念に苛まれていた。
自分たちが決断して見捨てたヴァンパイアたち。
それがこんな異形となってその生涯の幕を降ろすことになってしまったから。
「なぁジジイ······あれは······」
「そうじゃ······。お前が選ばせ、わしらが選んで見捨てた、ヴァンパイアたちの成れの果てがあれじゃ······。恐らくな······」
そんな魔族たちを魔人は冷たく見下ろす。
その視線に込められているのは怨みなどとは程遠い。
殲滅対象として認識するだけ。
そこに生前の意志は欠けらも無い。
その冷たい視線に老ドラゴンはピンとくるものがあった。
「のぉ隊長。なんか似とらんか?」
「······何に?」
「あの体躯、あの視線。思い出さんか? 5年前を」
「5年前······? 5年前って言やぁ討伐隊が編成されたときで······あっ!」
その言葉に老ドラゴンは大きく頷いた。
「そうじゃ。あの巨人じゃよ」
「おい、ちょっと待て。それってめちゃくちゃやばくねぇか? あの時たった一体倒すのに俺たち何人がかりだったよ?」
「まぁざっと500はおったのぉ」
ドラゴンの首筋を冷たいものが伝った。
魔族500人がかりでようやく一体討伐できたのがこの魔人だったとしたら、今のこの状況は絶望的と言わざるを得ない。
タカシらの後ろにいる魔人とデグリア山から見下ろす魔人。
ざっと見渡すだけでも3桁は堅い。
それに対してここにいる魔族の数はそれと同等、もしくはそれより少ない。
圧倒的劣勢。
世界の終末に相応しい地獄。
ドラゴンの腹の傷がいやに痛んだ。
護るものは見つけた。
ブラッドのお陰で。
ところが、だ。
護るためにドラゴンが立ち向かうべき壁はあまりに巨大で強固。
ちっぽけなドラゴンでは到底太刀打ちできないほどに。
しかもその壁はかつての同士の成れの果て。
無残に見捨てた者たちの結末。
自ずと苦悶の表情が浮かぶ。
「······ジジイ。俺は······俺は、どうすりゃいい? どうすりゃ俺はこいつらのことを護ってやれる?」
そう言って老ドラゴンの方へと顔を向けた。
その姿は痛々しく血の滲む腹の傷や、しなだれた頭も相まって酷く小さく見えた。
その様を見て老ドラゴンは怪訝そうに首を傾げる。
「なんじゃ? お主の眼はそんなに節穴じゃったかのぉ? 暫し見ん間に随分と弱気になったもんじゃのぉ」
「んなっ!? おいジジイ! てめぇこそ眼が節穴かよ!? 見てみろよこの状況を! ここはもう地獄の果てだぞ!? 弱気? 当たり前だろ! これ以上俺にどうしろってんだよ!?」
ドラゴンだってわかっている。
それが完全に八つ当たりであることは。
でも言わずにはいられなかった。
いつしか燃え盛る心の炎は小さく消えかけていたのだから。
そんなドラゴンの剣幕に老ドラゴンはひとつため息をついた。
「はぁ······。その言葉、あいつらのあの眼を見ても言えるんじゃろうな?」
「あいつら······?」
老ドラゴンはドラゴンの背後をすっと指をさした。
そこにあったのは――
「······お前ら」
たくさんの熱意に燃える瞳だった。
ドラゴンも、ゴブリンも、ゴーレムも、ウィッチも、デーモンも、エルフも、どの種族の誰一人として諦めなんて見せていない。
誰だって嫌でも現実は見えてしまう。
ここが地獄の果てだということはみんなわかっている。
でも、それでも。
護りたいものがあるから。
己の命を賭してでも護るべきものがあるから。
だから諦めない。
それを見てタカシとバーデンは嘲笑っている。
神に見捨てられたことも知らぬまま、縋るものを失おうとも諦めない姿は彼らにとって酷く滑稽に写っていることだろう。
だが、そんなことは今は関係ない。
“護る”
その決意だけで十分だった。
ドラゴンは己の非を恥じる。
護りたいものたちを今日、二度も諦めてしまっていた。
困難に心をへし折られていた。
でも、あの燃え盛る瞳を見て心は変わった。
ドラゴンの心も呼応してもう一度強く、熱く燃え上がる。
そして叫ぶ。
「みんな! すまなかった! そして聞いてくれ! これは多分俺にとって最後の······最後の隊長としての命令になる!」
そう言ってドラゴンはみんなの眼をもう一度しっかりと見据えた。
「敵は俺たちより遥かに強い! もう逃げ場もない! でも······! でも、絶対に護るものを見失うな! お前たちの使命は最後の最後まで護ることだ! それをまっとうせよ! 死してなお、護り通せ!!!」
「「「はっ!!!」」」
その言葉は覚悟の現れ。
その言葉は己への戒め。
その言葉は今際の決意。
もう、腹は括った。
魔族全員、見つめる先は同じ。
強く雄々しく立つその姿はまさに漢。
「お前ら! 行くぞォォォォォ!!!」
「「「オォォォォォ!!!」」」
雄叫びをあげる魔族。
ついに彼らは狂気の化身へと立ち向かっていったのだった。
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