第16話 下山競争

「背中はこのくらいでいいでしょう。

 次はストレッチのド・定番である『長足前屈』をやりたいと思います」


 井上さんは長座の姿勢をとり、両手を伸ばして、ゆっくりとカラダを伸ばしにかかる。


「はぁ~~~ふぅ~~~うんしょっ、と……」


 カラダを前に倒すたびに、そのたわわなオッパイが太ももにやんわりと押しつけられている。


 豊満なふくらみが、太ももに当たって、ゆっくりとたわみながらつぶれていくのだ。


 見惚れてしまうほど、上品な、きめ細かな白い肌だった。


「後ろから押してくださる」


「えっ……あ、はい」


 俺は白い半袖の体操に覆われた井上さんの背中に手を触れた。

 

 背中で感じたときもそうだったが、やわらかい手触りだった。


「もっと、思いっきり押しちゃっても大丈夫ですよ」


 俺はさらに体重をかけた。


 井上さんの背中が下がっていく。


 隣では理沙が開脚前屈を行っていた。


 斎藤さんが補助についている。


 理沙は無言のまま俺に鋭い視線を向けながら、さらに股を広げてストレッチを行う。


 足の筋を伸ばそうと前屈みになるたび、豊満なバストがプルンと揺れる。

 

 大きいからといって、だらしなく垂れているわけではない。


 理沙の胸は張りがあって、形が崩れない。


「そういえば姫川理沙の専属カメラマンになるために、日々カラダを鍛えているんだっけ」


 理沙はモデルとしても活動していた。


 可愛過ぎるイラストレーターとして特集が組まれて少年誌に乗ったことがあるほどだ。


「ええ、そうですけど、よくご存じでしたね。

 誰にも話したことがないのに……」


「それは、あ、アレだ!?

 キミのことを一番近くで見ていたから……わかったんだ」


 井上さんが撮った写真には、理沙が写り込んでいることが多い。


「何ですか? そのストーカー発言!?

 はっきり言って、気持ち悪いです」


「す、ストーカーをしているのは、むしろ……井上さんの方で……」


「ありがとうございました。

 では、次はわたくしのばんですね」


 井上さんは話を切り上げるように立ち上がり、迫ってきた。


「ちょ、ちょっと、目がコワいよ」


「そんなに怖がらなくても、大丈夫、ですよ、うふふ」


「ぎゃぁぁああああっ!?」


 引率の先生の笛を合図で、みんなはスタートラインにつく。


「姫川さん、今日こそアナタに勝って。

 わたくしがナンバーワンだと証明して見せるわ」


「私の全力をもって、完膚無きまでに叩きのめしてあげるわぁ」


 二人の背中からは、有無を言わさない強い決意が漂っていた。

 さきほどまでの妖艶さとは打って変わった、凛とした気高さを俺は感じた。


 どうやら下山競争が始まるらしい。


 着順で、帰りのバスの『座席』を決めるという、本当にしょうもないイベントである。


 しかも最下位の人は、空気椅子の刑が待っているのだ。


 今時!? 空気椅子ってなんだよぉ。


 時代錯誤にもほどがあるだろう。 


 ピーッ、という引率の先生の笛の音で、戦いの火ぶたが切られた。


 一〇〇メートル走のスタートダッシュみたいに、理沙と井上さんはいきなり飛び出した。


 集団から大きく離れ、早々と独走状態だ。 


 獣道を物凄いスピードで駆けおりていく。


 山道を歩き慣れている井上さんが先頭を疾走した。


 すぐ後ろにピタリと、理沙がつけている。


 二人とも真剣そのものだ。


 そのあまりの速さに、男子生徒たちから感嘆の声が上がった。


 登山部員でさえも、あいやつらには勝てるかどうかわからない。


 引率の先生も唖然として彼女を見つめるなか、俺も負けずと速度を上げようとして、木の根につまずき、ずっこけ。


 慌てて起き上がろうとして、足を滑らせて転げ落ちていく。


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い。


 全身擦り傷だらけだけになってしまったが、2人に追いつくことには成功したも、つかの間。


 そのことに気付いた彼女たちも負けていなかった。


 すがさず全速力をもって対抗し、みるみるうちに引き離されていく。


 ひたすら苦悶の表情を浮かべながらも、一向にスピードを緩める気配がない。


 女の子にとって大切な髪や服に砂埃がつくことよりも、勝負の方がずっと大事なことなんだよな。


 2人とも本当に負けず嫌いだもんな。


 だが俺も男としての矜持がある。


 バスの座席とか? 本当にどうでもいいんだが、後でネチネチ言われるのは、腹立たしい。


 しかも最近、俺の立ち位置がどんどん悪くなってるし、ここらへんでカッコイイところを見せておかないと、色々とマズいんだよな。


 そしてゴール地点の駐輪場への最短距離は、パンフレットを開いて確認する。


 現在地がどこなのか? さっぱりわからないぞ。


 見渡す限り、木しかない。


 ほとんど手つかずの原生林しかない。


 まるでヒトの気配が感じられなかった。


 そこでようやく『正規ルート』から外れていること気づき、慌てて携帯電話を取り出すものの『圏外』になっていた。


 だが幸いなことに、小枝や落ち葉などを踏みつけた足跡が残っていたし、風にのって微かな甘いにおいが漂ってきた。


 その匂いをたどっていくと奇跡的に、理沙たちに追いつくことができたが、俺の体力は限界に達し、カラダは鉛のように重たい。


 苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい。


 それでも俺は爪先に力を入れ、地面を強く蹴り。


 大きく腕を振って息を止め、ラストスパートをかけたところまではハッキリと覚えているが、その後どうなったのかは、わからない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る