裏 岸川先生は甘やかしたい 7

 海原はバイトに力を入れたいので、部活には入らないと言っていた。

 そう考える理由は、彼のちなどにあるのだと思う。自立心を養うような、そんなご両親の方針のもとで育ってきて、早く自立することを志向している。

「……空野そらの先輩を応援したいとは思ってます。でも、俺がユーフォニアムを吹くことが絶対必要とは思いません。俺が吹奏楽すいそうがくをやってたことも彼女は知らないし、今の吹奏楽部の調和を乱すこともするべきじゃないと思います……って言うと、やっぱり言い訳みたいになりますか」

 海原うみはらの意志は固く、部活の勧誘は受けない――杜山もりやま先生には申し訳ないが、彼がそう答えるだろうとは分かっていた。

 気持ちを変えることがあるとしたら、よほど大きな出来事が必要になる。それが海原にとって良いことなら、私は応援したいと思っている。

 杜山先生は残念そうにしてはいたが、肩を落としたりすることはなかった。

海原の言葉に耳を傾けて、気持ちを押し付けることはしていない。その姿勢は、私も共感できるものがあった。

「……言い訳なんて思わない。でも、海原くんは自分の力は小さなものだって思いすぎてると思う。それはね、私の思い込みなんかじゃないから」

 杜山先生がそう言ったところで、海原がふとこちらに視線を送る――特に隠れることをしていなかった私たちは、二人に近づいていく。

「岸川先生、それに空野先輩も……今の話、聞いてたんですか?」

 問い詰めるような口調ではなくて安心した――立ち聞きをしていて海原が怒るようなら、謝っても許してもらえるかどうか分からない。

「ちょうど帰るところで、だいぶ話は聞こえていた。杜山先生、ありがとうございます。水泳部のために、そんなことを考えてくれて」

「は、はい……っ、私、あの、今まであまりお話できてなかったんですけど、岸川先生にその……あ、憧れていて……っ」

「杜山先生が、私に……そ、それは、一体どういった理由でですか?」

 海原と空野がいるからか、杜山先生は少し恥ずかしそうにしていたが、意を決したように私の質問に答えてくれる。

「……先生はすらっと背も高くて、生徒から憧れられていて……私、岸川先生みたいな先生になりたかったんですけど、生徒からは『ちせちゃん』とか愛称で呼ばれちゃって、あまり先生として見てもらえないというか……」

「……『女神めがみ先生』って呼ばれて、すごく尊敬されてますけど、それは駄目なんですか?」

「そ、それは……女神って言われても、私のどこがそんなふうに見えるのかわからないし、『女騎士先生』の方がかっこいいし……あっ……す、すみません、私がそう言っていたんじゃなくて、生徒たちが言っていて、素敵だなって思っていたんです」

 その呼び名は恥ずかしいというか、「岸川」だから「女騎士」と呼ばれるのは分からなくもないのだが、その呼び方で返事をすることは断じてできないとは言っておきたい。

 ――そうこうしているうちに、閉門が近いことを告げるチャイムが鳴り始めた。

「いけない……そろそろ学校を出ないと、門が閉まっちゃう。海原くん、今日はうちでご飯は食べていく? それともお風呂?」

「えっ……も、杜山先生っ、いきなり何を……っ、うわっ!」

 なぜ、海原がそれほど驚くのか。私自身も自覚はしている。きっと今の私は、自分でも教師としてどうかと思うほど、怖い顔をしてしまっているのだろう。

「……あっ、ち、違うんです、お風呂は別々なんですけど、海原くんは一人暮らしなので、私の家でお夕飯を作ってあげようって思って……だ、駄目ですよね、先生と生徒で」

「だ、駄目というか……それが駄目なら、私も……」

「海原、今日のところは解散ね。私は岸川先生と、杜山先生と話があるから」

「あ、ああ。俺、バイトがあるから急いで帰るよ」

「あっ、海原くん……ああ、行っちゃった。帰り際に声をかけちゃったから、お詫びをしたかったんですけど……」

 お詫びということなら、海原を家に招いて夕食をご馳走するというのも分からなくはない――というほど、私も鈍くはない。

「杜山先生……海原のことを、朝車で送ってきたことがあると聞きましたが……」

「っ……そ、それは……海原くんは悪くないんです、私が怪我をした彼に夕食をご馳走しようと思って、お家に招いて……い、いけませんよね、先生がそんなことしたら……」

「わ、私からは……一概には、答えられないのですが……」

 私が海原とお弁当を食べていることを、空野は知っている。そのために、私も言葉を濁すことしかできない。それでは、空野が怒っても仕方がないというのに。

「……海原と岸川先生とのことも、言っておいた方がいいですよね」

 それは仕方のないことだが、私は杜山先生の驚いたような視線を受けて、顔が熱くなるのを止められなかった。

生徒から「女騎士」と呼ばれている私が、皆に秘密にして海原とお弁当を食べていることを、ついに同僚に知られてしまったのだから。


「そうですか、岸川先生は去年から海原くんとお弁当を……」

「は、はい……海原は一人暮らしで、食生活に無頓着だと知ってから、気になってしまって。迷惑をかけないよう、他の生徒には見られないところで昼食を摂っています」

 校門の前で話をしていると人目につくので、私たちは学校とは少し離れた場所にある河川敷にやってきて、そこで話をしている。駐車場もあるので、杜山先生はそこに車を停めてきていた。

「……海原は先生たちがご飯を作ってくれるのは、少し戸惑ってるんじゃないかと思います。大人の女の人たちで……その、おっぱいも大きいですし」

「はぅんっ……お、おっぱいが大きい女の人は、海原くんのお世話をしようとしちゃ駄目なの……?」

「だ、だから……海原はそんなことは気にしていない。体育の時に海原と一緒に準備体操をしたときも、胸が当たっても何も言わなかった。海原は純真だから、そういうことにはまだ感心がないのも不思議ではない」

「そ、そうですよねっ、海原くんはいい子だから、そういうことで人を差別したりしないですよね。岸川先生がいてくれると心強いです」

 私より杜山先生の方が、心なしか胸が大きいように思うのだが、彼女も海原を家に招いたとき、やましいことなどは無かったようだ。

やはり海原はとても真面目な男の子だと思う。少しくらいは私や杜山先生に関心を示したほうが、思春期の男子として自然ではないかと思いはするのだが。

「……海原も大変ですね」

「そうだな……これからバイトと言っていたから、無事に間に合うといいのだが……ど、どうした? その呆れたような顔は」

「……そんな顔はしてません。何でもありませんから」

 いつも表情の変わらない空野が、珍しく呆れているように見えたのだが、空野は元の表情に戻って首を振る。

「海原くんのこと、車で送ってあげたいですけど、自転車が学校に置きっぱなしになっちゃうので、それは奥の手にしないといけないですね。あまり遅くなるようなら、またコンビニまで迎えに……あっ、空野さんがいれば大丈夫かしら」

「わ、私は別に、海原と一緒に帰ったりしませんから……」

「そうなのか……しかし、空野も海原と同じところでバイトをしていたとはな」

「……黙っていたことは謝ります。秘密にしていたのは、その……私、あまり海原とは喋ってないし、仲が良かったのも昔のことなので……」

「昔っていうことは、しばらくは会ってなかったっていうこと? 中学校が違ったとか?」

「……中学校も、海原とは一緒でした。でも、学校が一緒だっただけです」

 男女の幼馴染みということなら、常に一緒というわけではなく、一時的に距離を置くこともあるのかもしれない。

「しかし……空野も今は、海原を気にかけていることに違いはない」

「……それは……そういう部分もありますけど、海原の迷惑になるので……」

「空野さん……ううん、奈々海ちゃんも海原くんのことが気になってるのなら、もっと素直になった方がいいと思うわ。二人はきっと、すれ違ってるだけだと思うの」

「……先生が海原を甘やかしすぎっていう話をしてたのに、私の方が心配されてるのは、ちょっと嫌です」

 空野に釘を刺されて、私も杜山先生も顔を見合わせる――そして、笑い合う。

 こうしてみなければ気が付かなかったが、きっと私たちは、海原に対する気持ちが近い方向を向いているのだと思う。

「空野も海原に対して、私達とそう違うことを考えているとも思えないが……」

「二人のわだかまりが解けるように、私も奈々海ちゃんを応援してるから」

「……もう、知りません。そんなこと言われても、急に仲良くなんて……」

 空野はそう言うが、私からすれば、彼女の気持ちは分かっているようなものだった。

 それを応援することが、教師の務めだ――私が海原のお姉ちゃんであることは、それとは別として変わらないつもりでいるが。


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