アルヴァーンの民

 ヒースコートと《猟犬》を撃破したアリシア達は、湖への排水を止めようと浄化施設を探っていた。


「浄化槽の機能が切られてる。これのせいで、赤黒い廃液が垂れ流されてるみたい」


「フィリア、どうにか機能を正常化させられますか?」


「うん、ちょっと待ってね。うーん、魔導機製のろ材が無理やり外されてる……ろ材無しで無理やり排水してるから、第二ろ材も消毒槽もがたがた。こりゃ入念なメンテが要りそうだなあ。再精錬装置の方は、こっちはそもそも使ってなかったから問題なしか」


「最近の子は随分と詳しいみたいだね。僕、何言ってるかわからないよ」


 イスマイルは老けた中年のような事を言って、やれやれと首を振った。


「どうです? フィリア」


「これは私の手には負えないよ。とりあえず工場の稼働自体を止めるしかなさそう」


「そうですか。そうしますと、制御室まで行く必要がありそうですね。一体どこにあるのでしょうか」


 アリシアは、考える仕草を見せた。


「少し席を外していた間に鼠が入り込んでいたようですね」


 すると怜悧な声が背後から響いてきた。一瞬で呼気を奪うかのような圧迫感のあるその声に、アリシアとフィリアは息が止まる心地がした。


「まずい……二人共下がって」


 咄嗟にイスマイルが二人をかばうように防壁を展開した。すると巨大な霊子で塗り固められた、概念の槍が飛来してきた。イスマイルはそれを受け止める。


「っ……ぐぅ……なんて重い一撃だ」


 この一瞬でイスマイルは二十もの防壁を展開した。しかし、槍はそのうち十七枚を一瞬で貫き、その余波で周囲の壁材を一瞬で剥げさせた。


「この一撃を防ぐなんて、あなたもこの世の理から外れた者のようですね」


 槍の方から一人の女性が歩いてきた。フードを被っているため、よくは伺えないが、フードの下から一瞬覗くその顔はとても美しく、いっそ不気味なほどであった。


 そして女性は手を押し込むような所作を見せると、槍は残りの三枚も破らんと威力を一気に増大させた。


「くっ……やれやれ、あのエインズワースと言い、この国には規格外の人外がどれほど潜んでいるんだ」


 イスマイルは呆れたように溜め息を吐いた。


「姫殿下、今から君とフィリアくん、そしてこの《伝承の獣》達を工場内の別所に転移させる。そうしたら、君たちは隔壁を封鎖して《獣》たちを隔離し、この工場を停止させるんだ」


「イスマイル、あなたは!?」


「僕は彼女を抑える。さあ、早く!」


 そう言ってイスマイルは空いたもう片方の手で、大規模な魔法陣を展開した。


「アリシア、君たちと少しの間だけど共に居られて、案外楽しかったよ。ただ、今後僕らが出会う時は敵同士だ。それまで、腕を磨いておくと良い」


「待ってください、イスマイル。いくらあなたでも……」


 目の前に現れた女、そのプレッシャーは凄まじいの一言であった。いくら、イスマイルが底知れぬ実力を持っていようと、とてもどうにかなる相手とは思えなかった。


「お優しい姫様だ。だが僕にそんな優しさは要らない。さあ、行きなさい」


 そして、魔法陣が光り輝き、アリシア達を包み込んだ。次の一瞬、イスマイルを除く者達は全てこの場から消え失せていた。


「さて、後はアリシア達がどうにかしてくれるだろう」


「あ、あの……僕を忘れていませんか?」


 ただ一人を除いて。


「あ、そうだった……」


 ついでのようにイスマイルはヒースコートを転送させた。


「さて、もう壁はもたないな」


 イスマイルは空いた手で青藍の剣を引き抜くと、それを振るって一瞬で槍をかき消した。


「なっ!?」


 まさか渾身の槍撃が一撃でかき消されるとは思っていなかったのか、女の顔に驚きの表情が浮かんだ。そして何より驚いたのは。


「その剣はまさか……?」


 どうやらイスマイルの持つ剣のようであった。


「さて君のその容姿、間違いないフィーンドだね?」


「黙れ! その名で呼ぶな」


 イスマイルの一言に、女の丁寧な口調が崩れ去った。


「フッ、そうだったね。アルヴァーンの生き残り、そう呼ぶのが礼儀か」


「あなたが何でその剣を持っているかはわからない。だけどこの地での実験、中途半端に終わらせるわけにはいきません」


 そう言うと女は槍をかざし、左右に魔法陣を展開した。それは女の身体を包み込んだかと思うと、白銀の甲冑をその身に纏わせた。


「《戦乙女の鎧》。どうやら僕も気を抜く訳にはいかないね」


 イスマイルは全身から青藍の闘気を放出した。それは普段飄々とした彼の様子からは到底、考えられないほどに凄まじい気あたりであった。


「闘気までとは忌々しい……やはり、その剣を振るうなど許されません」


 女はその甲冑の奥底の右眼を紅く、禍々しく光らせた。その姿を見て、イスマイルが驚きの表情を見せた。


「まさか、君も《アシュメダイの魔眼》の使い手なのか……?」


 それは地下遺跡でエインズワースが見せたそれに似ていた。


「そうか、もはやこの地の宿業はとどまることを知らないというわけか……」


「何をブツブツと、来ないのならこちらから行きますよ」


 女は地を蹴り、神速の突きを繰り出した。


「この一瞬で十四か。大した腕だけど、数を撃てばどうにかなるものではないよ」


 イスマイルはその突きを防ごうともせずまともに喰らった――かのように見えた。


「何!?」


 イスマイルはその突きを受けて霧散すると二人に増え、Xの字に剣閃を放った。


「ぐっ……」


 女は咄嗟に槍を構えて受け止めるが、その隙を突いて無数に分身したイスマイルが無数の剣撃の奔流を繰り出した。

 その全てを何とか見切りながら防ぐも、次の瞬間、分身が収束すると逆袈裟の一閃を放った。


「これで終わりだ」


 剣撃は、その通った後を


「がぁあああああああ」


 それは人体も例外ではなく、かろうじて避けた女もその腹部を削り取られ、その余波で全身をずたずたに引き裂かれてしまった。


「実力差は分かったはずだ。さあ、降伏したまえ」


 イスマイルは剣を掲げて、光の奔流を収束させた。


「くっ」


 女は残った力で無数の概念の槍を一気に展開すると、それを全てイスマイルに撃ち放った。


「悪あがきだよ」


 イスマイルはそれらを一振りで斬り払った。しかし――


「……逃げられたか」


 どうやら今の攻撃は目くらましであったようで、女は既にその姿を消していた。


「まあ良いか。時間稼ぎは十分にしたし、手傷も負わせた。心配することはないだろう」


 そんな呑気なことを言うと、イスマイルはその身を霧散させてどこかへ消え去った。

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