仇敵

 エルドは霧の中、白いレンガ造りの街並みを歩いていた。

 辺りには誰もいないどころか、生き物の息吹すら感じられない寂しい空間であった。


(ここはどこだ……)


 見覚えがあるような無いような、そんな不思議な空間であった。妙な既視感を覚えながら、エルドは先へ先へ進んだ。


(自分が何をしていたのかも思い出せない)


 直近の記憶を思い出そうとすると頭に靄がかかったような感覚に陥る。


(とにかくここを抜けないと)


 ただ一つ、ここに長居してはいけないということだけは分かっていた。




 やがて深い霧が一層濃くなっていくと、戦闘音が響いてきた。幾度と打ち鳴らされる剣戟の音を辿りながら霧をかき分けていく。


「!?」


 そこには、霧に覆われた世界で唯一、はっきりと姿が見通せる一人の男が佇んでいた。それはエルドのよく知る人物であった。


「父……さん?」


 黒い髪に白銀の大剣と騎士鎧、その風貌は間違いなくエルドの父・アルバートのものであった。

 死んでいたはずの父との再会、しかしその喜びは敵対者の振り下ろした剣の一撃に遮られてしまう。


「ふんっ!!」


 アルバートは大剣でその一撃を受け止め、やがて弾くと無数の斬り合いを続けた。」


「ガッ……」


 その光景を見た時、エルドの頭を激痛が襲った。


(この光景……見たことがある……!?)


 激痛とともに周囲の霧が徐々に晴れていく。大火によって焼かれ、瓦礫の山を築く古都の街並み、そして父を襲う漆黒の襲撃者。それは、封印されていたエルドの記憶の一端であった。

 直後、エルドの心臓が早鐘を打ち始めた。高鳴った鼓動で息が苦しくなり、その場にうずくまる。


 この胸の喪失が本物ならば……


 思い出した記憶が正しければ……




 ――やがて、父は命を落とす。





(させない……)


 今見ているものが虚像か否か、エルドには判別がつかなかった。だが、みすみす殺されようとする父を放っておくことなど出来なかった。


 腰に提げた剣を抜いて、エルドは襲撃者に襲いかかる。幸い、襲撃者はアルバートとの戦いに集中してこちらには気付いていない様子だ。

 エルドはまっすぐに振り下ろした大剣を襲撃者に叩きつける。


「な!?」


 しかし、エルドの一撃は襲撃者の身体をすり抜けて空を切った。


「どうして……?」


 エルドは諦めず何度も何度も剣を振るう。しかし、それは何度も空を切るばかりで、襲撃者がこちらに気付く様子すらなかった。


「そんな……」


 たとえこれが夢でも、父の死ぬ様など見たくはなかった。そう思ったその時、突如膨れ上がった霧が周囲を覆った。


「っ……」


 それはエルドの視界を完全に奪ってしまった。






 しばらくして、霧が晴れた。しかし、そこにいたのは――――


「かはっ……」


 その背を漆黒の大剣に刺し貫かれた父の姿であった……


「父さん!!」


 それを見たエルドは思わず父の元へと駆け寄った。


 そして襲撃者はゆっくりと剣を抜いた。しかし、なにかショックを受けたのか、そのまま剣を落とすと、そのままその場に倒れ込んでしまった。


 一方のアルバートは口から血を吐いて身体をよろめせた。エルドは咄嗟にそれを受け止めようとするが、その身体はエルドの腕をするりとすり抜けて地に倒れ伏した。


「あ……あ……」


 地面に倒れ伏したアルバートの身体からどくどくと血が流れ出し、血の沼を作り出した。

 エルドはそのあまりの凄惨さにショックを受け、その場にへたり込む。


「どうして……」


 何とか声を振り絞る。


「どうしてこんなことが出来るんだ!!」


 エルドは襲撃者を睨みつける。だが、倒れた襲撃者が何かを語ることはなかった。


「くっ……一体何なんだ……?」


 エルドは事態が飲み込めなかった。だが、鎧の男が父を刺したことに変わりはなかい。エルドはその顔を調べようと鎧の男を覗き込む。

 しかし、その顔は漆黒の兜に覆われてその容貌を窺い知ることは出来なかった。


「この鎧は……?」


 だがその姿には見覚えがあった。禍々しい闘気を放つ漆黒の全身鎧、顔を覆う兜、それは以前、遺跡で対峙したベガの身に付けていたものと同じであった。


「まさか、あの男が……?」


 エルドは拳を握りしめた。


 自分の両親を奪い、両親の夢を奪った仇敵、その手がかりが今、目の前にあった。エルドは怒りに逸る気持ちを抑え、目の前の男の姿をしっかりと目に焼き付ける。


「エル……ド……」


 その時微かに、エルドを呼ぶ声がした。


「父さん?」


 鎧の男をよそにすぐに振り返ると、アルバートは力尽きたその身体で必死に左手を伸ばして、その先にいるエルドの目には映らない『誰か』に語りかけ始めた。

 エルドは、まるで父の手を握り締めるようにその手を重ね合わせた。


「エルド、クラリス、レオン、すまない。お前達を残して俺は先に逝く……」


 そう言ってアルバートは、その手でエルドの。無論、触れた感触などなかったが、アルバートの手は確かにエルドの頭と重なり合っていた。


「クラリス、どうか二人を、エルドとレオンを……そして――――、お前には苦労を掛けるが今回の後始末、どうか頼んだ」


「後始末……? 父さん、一体何を。それにここには誰が……?」


 エルドは疑問を投げかける。しかし、アルバートが答える気配は無かった。


(これは僕の記憶の一端……ということはここには僕の知らない事実が?)


 エルドは疑問を晴らそうと、辺りを見回した。しかし、そうするほどに霧は真実を覆い尽くすように濃く、深くなっていった。




 ――真実など、知る必要があるのか?


 深い霧の中で誰かの『声』が問いかけてきた。


 ――なぜ、お前の記憶なのに霧がそれを覆う? まるで都合の悪いものを隠すように。


(それは……)


 ――本当は自分でも気付いているのだろう? アルバートほどの強者が、なぜみすみす殺されてしまったのか。


(っ……)


 エルドはうっすらと勘付いていた。あの霧に覆われた一瞬に、何が起こっていたのか。


「そうか、この霧はただの魔術じゃない。僕の真実を見たくないという想いを触媒とした封印術だったんだ」


 ――そうだ。この霧はお前の迷いを映したもの。だからこそ、それは昏く、深い。


「迷い……そうだね、きっとあの頃の僕だったら、この記憶にはとても耐えられなかった。だけど、今は違う」


 ――――――――


 『声』は、静かにエルドの言葉を待った。


「両親の死を想い返す度に言い様のない怒りが湧いた。それは二人の命を奪った"悪意"への怒りだとばかり思っていた。でもそれだけじゃなかったんだ」


 辺りを覆っていた霧が晴れた。その先にいたのは、幼いエルドを優しく抱きとめるアルバートであった。


 そして、その背には


 しかし、自分は瀕死だと言うのに、アルバートの表情は穏やかなものであった。


「父さんは僕をかばって死んだ。あの日、何故かあの場に現れた僕を……きっとこの身に沸き起こる憎悪の感情は、父さんが死ぬ原因を作った僕へのものでもあったんだ」


 ――――そうだ。だからこそ真実を知る必要など無い。


「そうかもしれない。まだ僕には思い出せないことがたくさんある。それはきっと、今回みたいに辛く悲しい真実が隠されてるからだと思う。だけど、記憶を思い出して、分かったことがある」


 ――それはなんだ?


「父さんは最後の最後まで僕たち家族を大切に想っていてくれたってことだよ。自分の命をなげうって、誰かをかばう。そんなこと、簡単にできるものじゃない。だから父さんがそうまでして僕を守ってくれたことがとても嬉しいし、とても悲しくて辛い……」


 エルドは頬を伝う涙を拭った。


「そして、それだけじゃない。君もだよ」


 ――――?


「君が誰かは知らない。だけど僕がこうして様々な記憶を失くしたのは、君がそうしてくれたからなんだって、今わかったよ」


 ――――――――


「でも、それは悪意からじゃない。君はずっと僕を守ってくれていたんだ。僕の心が壊れないように……」


 ――――――――


「でも僕は、そうやって色んな人に守られてきたんだってことまで、忘れていたくはない」


 ――もう、私の手は不要か?


「うん、今までありがとう。まだ、あの鎧の男や母さんを死に追いやった何かについて、心の整理はできない。怒りと憎悪を抑えることも出来ない。だけどこれから僕は、僕が失った本当の記憶と向き合っていきたいと心から思う。イシュメル人達のように強くあれる自信はないけど、それでも過去から目を背けて言い様のない怒りに苦しむよりはずっと良い」


 ――そうか。


 ただ一言そう呟くと、『声』はその気配を消した。


 そして同時に、エルドの視線の先に、光り輝く扉のようなものが現れた。


 エルドはそっとその扉を開ける。その先から溢れるまばゆい光がエルドを包むと、虚構の世界は音もなく消え去っていった。

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