オルダム峡谷の攻防

 日暮れ頃、ソルテールより発った兵たちと馬の表情には疲労が滲んでいた。臆病なロージアンがろくな休息も設けずに無理な行軍を強いていたからだ。


「ロージアン卿、本当によろしいのですか?」


「くどい! あの街には私の安住の地など無い。一刻も早く公都に上がることが、わしの身を守る唯一の方法だと何故気付かん?」


「ですがあそこに待ち受けるのは閣下のお命を狙う者達ですよ?」


「ふん。そうして、私をあのフレイヤ共に捕まえさせようという魂胆なのであろう。だがそうは行かぬ。仮に敵がいるなら、貴様らを盾にして私が颯爽と駆け抜けてしまえば済む話だ」


 応対していた親衛隊の隊士・デイヴィスがため息をつく。

 卿は自身への嫌疑が深まっていることと、イシュメル人による襲撃の恐怖から、妄想に取りつかれてしまっていた。


 もはや付き合いきれないところだが、ここで彼の身に危険が及べばアリシアは貴族派から責めを受け、イシュメル人を駆逐する格好の口実とされてしまうだろう。

 姫を慕い、その意に賛同するものとしてその様な事態は到底承服できなかった。


「カイムくん、果たしてこれでよかったのだろうか?」


 デイヴィスはカイムに尋ねた。


「ええ、少佐も急ぎこちらに向かっていますし、大尉の判断に間違いはないかと。ただ、大尉には協力していただきたいことが」


「?」


 カイムはデイヴィスにそっと耳打ちをする。


 折りしもあたりに霧が立ち込めてきた頃だ、先の見通せぬ不安を抱えるデイヴィスに対してカイムはしっかりと峡谷を見据えていた。




 程なくして峡谷脇の崖下の街道を騎兵の一団が通過し始めた。

 元々霧の出やすい土地柄、街道には街灯が設置されており、それを頼りに一団は街道を駆けていた。馬たちも慣れた街道であるのか、多少視界が悪く道がうねってる程度では動じもせずに蹄鉄を踏み鳴らす。


 しかし峡谷脇の道も中頃を差し掛かる頃、設置されていた街灯が破壊されていることに一行は気付いた。するとふと一寸先も見通せないほどに辺りの霧が濃くなった。

 完全に視界を遮られた馬たちは、興奮からいななき、たてがみを揺らし始めた。


「う、うお、何だ? 何故街灯が破壊されておる。それに何だこの霧は? 話が違うではないか!」


 ロージアンは馬車の中で驚き慌てふためく。すると、辺りから空を裂くような羽ばたきの音が響いてくる。


「ひっ、おい、お前たち、私をかばえ!」


「ですが視界が!」


 兵たちが狼狽していると「落とせ」という男の声とともに崖の上から落石が降り注いだ。

 そしてその落石に混じってヒカリゴケで生成された光球が撒き散らされると、それを目印に騎竜たちが一斉に急襲してきた。


「ひっ、竜じゃと!? 何故わしを」


 イシュメル人たちは騎竜によるヒット・アンド・アウェイの攻撃を繰り返し、崖上に戻っては戦士たちを乗せて次々に地上に降ろしていく。

 僅かな視界の中、街道は乱戦状態へと発展していった。


「ひ、ひいいいいいい~」


 空からの奇襲に兵たちが対応している一方、ロージアンは馬から降りて脇目も振らず街道を走り出した。


「逃がさん」


 だが、それを逃すまいと崖の上から指揮官らしき男が飛ぶと、ロージアンの前に降り立った。


「相変わらずの臆病ぶりだな、ロージアン」


 霧にぼうっと人影が浮かぶと、鋭い眼光でロージアンを睨みつけた。


「で、で、出たぁあああああああああああ!!!!」


 ロージアンは絶叫した。


「さて、十年前と同じだ、ロージアン。周りは俺たちが取り囲んでいるが、どう逃げる?」


「くっ……逆恨みもいいとこだぞ。あの作戦はお前たちが囮になると進言したのだぞ」


「そうせざるを得ない様に追い込んだんだろうが、それに水源の汚染や俺たちの家に火を放った件、忘れたとは言わせんぞ。自分の欲のために俺たちを生贄にするとはな。安らかに女神のもとへ行けると思うなよ」


 ジャファルの声は抑えられんばかりの怒りに溢れていた。


「だ、黙れ黙れ黙れ!! 貴様ら棄民がわずかでも安住できた。それは我々のおかげだぞ!! だというのに恩を仇で返しおって」


 しかしロージアンも、下に見ていたイシュメル人の反抗が腹に据えかねたのか暴言を吐き散らす。


「やはり、時間の無駄か……あいつらが待ってる、さっさと済ませるとしよう」


「蛮族ごときにやられる私ではないわ!」


 帯剣していた剣を抜く。対してジャファルは空気中の水分を凝固させて剣を生成した。


「死中に活を見出したか。その意気だけは大したものだがな」


 ジャファルが重心を落として地を蹴る、ロージアンも剣を振るって抵抗するが力量差は歴然で、ジャファルの重い一振りで容易く剣を弾き飛ばされてしまう。そしてジャファルはその足元を払うと、地面に倒れ込んだロージアンの喉元に水の剣を突き立てた。


「懺悔の時間をやる。せいぜい女神に祈れ」


 喉元の剣をゆっくりと持ち上げる。しかし、恐怖からロージアンは何も喋ることができない。


 しかし、ジャファルの殺意の眼光がロージアンを射抜いたその時、その頭上をかすめるように戦場を劫炎が奔った。


「何だ?」


 その火は誰かに当たることはなかったが、その熱でまたたく間に辺りの霧を払った。


 そしてそれを契機に、無数の矢と魔法が空を飛ぶ騎竜に放たれた。怒涛の遠距離攻撃で騎竜達が次々と叩き落とされると、その隙に奇襲を受けていた兵たちは体制を立て直す。


 一方、ジャファルには光の剣が降り注いだ。ジャファルは即座にロージアンから離れ、跳躍してそれを躱す。

 しかし、それを待っていたと言わんばかりにフレイヤとアリシアが挟撃した。二人の放つ紅蓮と光の奔流は混ざり溶け合って、ジャファルを襲う。


「クッ……伏兵か? だが、霧が晴れたのなら次善の策を打つまでだ」


 水の防壁でそれを防ぐと、号令を放った。すると今度は崖上の兵が、再び逃げ始めたロージアンめがけて無数の矢と落石を放った。


「デイヴィス大尉! エルド!」


 しかし、フレイヤの合図が響くと、巨大な岩壁がロージアンの頭上を覆い、迫り来る矢と岩を防いだ。続けて、その岩壁を足場にしてエルドは崖上へと登っていった。


「うお」


 イシュメル人達は突然の襲撃者に慌てて腰の剣を抜く。


「遅い!」


 エルドは俊敏な動きで瞬く間に目の前の一人を切り捨てる。そして、そのまま崖のへりを駆けながら次々と射手達を切り払っていった。


 同時に街道には、遅れてやってきた親衛隊たちがなだれ込み、イシュメル人達を制圧していく。


「見事な手際、さすがは親衛隊長か。それに姫殿下の魔法もなかなかのものだ……」


「ジャファルさん、もうやめましょう。ロージアンの罪は必ず私が明らかにします。ですから、ここはおとなしく退いてください」


 アリシアはジャファルの前に出てそう告げた。双方の犠牲を避けるのであれば、今ここにおいて他はない。


「それでは……それでは足りないのですよ」


 しかし、ジャファルは応じなかった。


「我が同胞たちよ、最後の手段だ。決してロージアンを逃がすな!」


 ジャファルの言葉を合図に、イシュメル人達は注射器のようなものを取り出して一斉に自分の首筋に刺した。


「な、何を?」


 そしてイシュメル人達の肉体が禍々しく膨れ上がった。


「まさか、そんな……」


 そう、それはアーケードで目撃された伝承の獣への変貌であった。


「人を捨ててまで……まだやるのですか!!」


「当たり前だ! 俺たちの無念、屈辱、喪失、奴の首を獲らねば収まらん!」


 獣達は一斉に咆哮を撒き散らすとその豪腕を振るい始めた。


 フレイヤの連れた兵たちは相当な手練揃いではあったが、純粋な膂力では圧倒的な差がある。


 ある獣は、身体から放たれる禍々しい闘気で副腕を形成すると、容赦のない殴打を兵に見舞う。またある獣は岩壁を角砂糖のように容易く削り出すほどの斬撃で、容赦なく兵たちを蹂躙する。


 獲物を狩る獅子のような執拗さで、獣達は兵たちを圧倒する。


 数で勝ればあるいは対処もできただろう。しかし、お互いの数は拮抗しており、イシュメル人の殆どが獣化した以上、勝ち目は殆どなかった。圧倒的な力と異形を前に、兵たちは悉く戦意をくじかれた。


「これで終わりだ。例え真紅の美姫といえど、この数相手にはどうしようもないだろう。後はじっくり、あの男をあぶり出す」


「くっ……」


 フレイヤは歯噛みした。先日の議会で、レオンと守備隊の出動を押さえられたのが今になって響いていた。

 中には獣相手に善戦する者も少なくはなかったが、若い兵を中心に徐々に圧倒されていく。もはや万策は尽きたと思われた。


 しかしその時、西の街道から無数の水の奔流が放たれた。間欠泉のように飛沫を上げるその水流は獣達を一斉に押し流した。


「水魔法……?」


 その奔流の先から蹄鉄の音が鳴り響いた。

 フレイヤは放たれた奔流の先に視線をやった。


 視線の先、先頭を走るのはイシュメルの青年が駆り、獣のような耳を生やした緑髪の娘を乗せた漆黒の騎馬であった。

 それだけではない、公都より注ぐ西日を背に、数百はあろう騎馬の群れがこちらに押し寄せていた。



 浅黒い肌、


 獣を思わせる容姿、


 そして天に掲げる陽光を模した旗、


 それはイシュメル人の一団であった――――

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