ふたり

 夕暮れに差し掛かる頃、森の中はすっかり暗さを増していた。そのため軍幕の囲む中央には薪がくべられ明かりが灯されていた。


 その火を見て少しだけ心がざわついた。


(母さんが何故あんな死に方をしなければいけなかったのか。いつか掴めると良いんだけど……)


 自身の目的の一つを再認識する。


「エルド……?」


 不意にアリシアの声が響いた。声の方に目をやるとそこにはコートを脱ぎ、ドレスシャツを着ただけのフランクな格好のアリシアがいた。


「火をじっと見つめていたようですけど、大丈夫?」


 アリシアが懸念するのは先日、エルドがイシュメル人街の大火を見て起こした発作のことである。


「ええ、大丈夫ですよ。さすがに小さな火を見たぐらいじゃなんともありませんから」


「それなら良いのですけど、また口調戻ってます……」


 少し膨れたようにアリシアが不平を言う。


「あ、ごめん。油断してると、つい……」


「まあ私も敬語の癖が抜けないのですけど……あ、そうそう。今フレイヤが夕食を用意してくれてるの。一緒に食べましょう?」


 なにかいいことを思いついたといった様子で、アリシアがエルドを誘った。


「少佐の手料理……?」


 淡い記憶が呼び起こされる。イーグルトンの家では時折、彼女の手料理を振る舞われたものだった。久々にそれが味わえるとなれば断る理由などなかった。

 二つ返事で応じると二人はフレイヤの軍幕へと赴いた。


「エルド、来てたのね」


 エルドを見つけるとフレイヤが配膳を済ませ、歓待する。

 どうやらこの幕屋には焜炉や食材など必要な物資が揃っているらしい。

 イシュメル人の開発した軍幕はこうして予め物資を詰めておくことで副次的に行軍の際の運搬を容易にし、これまでの常識では考えられないものまで運べるようにしていた。


「久しぶりに少佐の手料理が味わえると聞いて」


「そう? 久々だから少し気恥ずかしいけど」


 そう言って供されたのは牛ほほ肉をじっくりと煮込んだビーフシチューであった。大きく切り分けられた肉に、芳しいソースが垂らされた一品だ。ほのかに上がる蒸気と、香りが食欲を刺激する。


「冷めない内にどうぞ」


 さっそくほほ肉にフォーク突き立てる。すると、まるでベッドの様な柔らかさでみるみるフォークが沈み込んでいった。

 ほろっと崩れ落ちた肉を早速口に含む。するとそれはとろっと柔らかくほどけ、煮込まれた赤ワインがほほ肉の独特の風味を引き立てた。かなり時間をかけてじっくり煮込まれたようだ。

 まさか行軍の最中にこれほど上等なものにありつけるとは思わなかった。あらかじめ仕込んだものを温め直したのだろうか?


「驚いた? 今朝の間に仕込みを終えて、行軍中ずっと煮込み続けてたの。この天幕があればそういった手間を掛けることも出来るの。万が一の時も調理器具が危機を感知して防火処理してくれるから便利よね」


 まだまだ一般には普及してはいないがこうして軍に提供される魔導機の利便性はエルドの想像以上である。


(いつか僕も買おう)


「でも、こんなにゆっくりして良いの、フレイヤ? 軍の行軍と言うからもっとハードなのを想像していたのに」


「緊張感がないのも困りものですが、張り詰めすぎていては気疲れを起こして戦場にたどり着く頃にはクタクタになってしまいます。気力とは決戦に取っておくもの、それならば行軍の間は休息に努めるべきでしょう。全てクラリス大佐の受け売りですが」


「…………」


 その名を聞いてエルドは物憂げな表情を浮かべた。エルドの母の名だ。


「私は巡礼の儀を終えたばかりの、親衛隊の一士官でしかなかったけど、クラリス大佐には多くのことを教わった」


 遠くを見つめるような表情でフレイヤが回顧する。その憂いを帯びた表情はとても美しく、思わずどきりとしてしまう。


「だけどクラリス大佐はもう居ない。若輩の自分では力不足だけど、私達だけで何とかしないとね。ただ……」


 フレイヤはちらりとアリシアに視線をやった。


「やはりご同行されるおつもりですか?」


「ええ、多民族が共生するこの国で、王は相応しい力を示さなくてはいけない。それは武力だけでなく、適切に国の不和を正す行動力だったり求心力であったり。だから今回の事件、私が表に立って動かないと。この行軍も例外じゃない」


 先代の王を幼い頃に亡くしたのはアリシアにとって不運としか言いようがないだろう。

 宗主国の属国という形で弱い王権しか築けなかったこの国では、民をまとめ上げるために王の資質や気質といったものが治世において重要となる。


 政を支える貴族が協力的であればその道のりも明るかったが、先王の代で一部の有力貴族との対立が先鋭化したことからアリシアのその道は苦難に満ちてしまった。

 しかし、彼女は自身の置かれた苦境を正しく理解し、それでも為政者としてどう責務を果たすべきかそれを懸命に考えていた。


(アリシアについてきてよかったな)


 当初は両親を死に追いやった何者かを追うため有力貴族の側で仕えるつもりであった。

 だがその様な打算と私怨のみで動いていれば、きっと後悔していただろう。


「エルド、伝えたいことは言葉にしたほうが良いわよ」


「え……?」


 フレイヤはアリシアに聞こえないようにそっと耳打ちをした。


「さてと……殿下、自分は夕食を兵たちに振る舞ってきます」


 そう言ってフレイヤは重い鉄鍋を軽々と持ち上げた。


「ええ、ご馳走さま。とても美味しかった」


 フレイヤは笑みを浮かべて返すとそのまま去っていった。


「こうして二人になると、あの地底湖のことを思い出しますね」


「そうだね」


 二人が打ち解けたあのひととき、勇気を振り絞り自分の思いの丈をぶつけたアリシアの姿を思い出す。


「あの時、呼び捨てにするようにお願いしたんですよね」


「うん、でも戸惑ったよ。一国の王女を呼び捨てなんて恐れ多いからね」


「憧れてたんです。父やアルバートさん達みたいな関係に」


「父さんたちに?」


「ええ、彼らは時折、王城で語らう時、長年の友人のような気安さで話してました。そこには身分の差も立場も何もなく。だから私も騎士を選ぶ時はその様な関係でありたいと。エルド達を選んだ理由の半分はそこだったのかも」


「へえ、意外と子供っぽいところがあるんだねアリシアも」


「な!?」


 エルドの一言に恥ずかしくなったのかアリシアは耳まで赤くさせた。


「エ、エルドは、そういうところデリカシーなさすぎです」


「え、そ、そうかな?」


「エルドには女心というものを教えないと駄目ね……」


 アリシアは呆れたように言い放った。


(あれ? 今、敬語が解けてたような)


「あ、そうだ。アリシアに伝えたいことがあったんだ?」


「何ですか、急に?」


「うん、これだけは伝えたいと思ったんだ。ありがとう、劣等剣士と呼ばれた僕を騎士に選んでくれて」


「え……?」


「最初は断ろうかと思ってた。荷が重いっていうのもあったけど、何より僕には探し出さなきゃいけない真実があったから」


 誰かに封印された記憶、両親の死の真相、それを知るためにエルドは騎士学校に入学したのだ。


「でも、忘れてた。この国が抱える問題、僕はそれに向き合いたかったんだって。アーケードがイシュメル人に襲われた日、どうしようもない焦燥感が僕を襲った。この国に住む人達の多くは善良なのに、その平穏は容易に崩れ去る。それはどこかに誰かの"悪意"が隠れているからだ」


 エルドは拳を握りしめた。


「僕の父さんが命を落としたあの事件、母さんが処刑されたあの日、そのどちらにも誰かの"悪意"が見え隠れした気がした。そしてその"悪意"が垣間見えたアーケードの事件の日、僕は自分の道が本当に正しいのかって疑問を抱いた。両親を死に追いやった"悪意"がそこにあるかもしれないのに、それを放って良いのかって」


「エルド……」


「ほんとはね、僕は悔しかったんだ……あんなにこの国を愛していた両親がどうして死ななければならなかったのか、僕の好きなこの国はどうして二人を守ってくれなかったのか、父さんと母さんは間違ってたのかって」


 エルドは一筋の涙を流した。


「だから僕はこの国を変えることで、そこに潜む"悪意"に証明したかった。僕の両親は何も間違ってないって。それは真実を明かすよりも重要なことで、それを気付かせて、手を差し伸べてくれたのはアリシア、君なんだ。君が僕に道を示してくれたから僕は本当の自分の思いに気付けた。こうして騎士への道を歩むことが出来た。だから」


 エルドは深く息を吸い込んだ。


「――ありがとう」


 それは心からの感謝であった。


「私こそ……」


 エルドの想いを聞いたアリシアは、目頭をじわと熱くさせた。


「ずっと不安だった。今の私に味方は少なくて、フレイヤもメイウェザー卿もレオン少佐も手助けはしてくれるけど限界があって、それに自分がこの国にどこまで尽くせるかなんてわからなかった。エインズワース卿も、貴族たちも、この国の抱える問題も、何もかもが私には大きすぎた。その壁の高さに押し潰されそうになるほど……」


 アリシアは肩を震わせた。


「でもね、あの事件の日、エルドと肩を並べた時、何でも出来る気がした。あれほど恐ろしい相手でも、一歩も退かずに剣が振れた。エインズワース卿を相手に自分の考えを話す事ができた。だからありがとう……私の味方になってくれて、私に勇気をくれて……」


「うん……」


 互いに尊敬する親を亡くし、この国で孤独に過ごす者同士であった。そのような境遇にあって、互いの志を理解してくれる同年代の仲間は得難い。

 エルドにはカイムが居たが、アリシアにとっては、エルド達が初めてであった。


 この国に潜む"悪意"は強大だ。たった一人ではその強大さに呑まれそうになるほどに。

 だが、互いに理解し合える仲間がいれば孤独ではなくなる。強大な壁であっても立ち向かおうと奮い立つほどに。

 二人は互いに巡り会えた事の幸運を噛み締めた。

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