サラダボウル

 更に数日が経過した。峡谷を出入りしていたイシュメル人は、本格的に陣を構築していた。もはや隠す様子もなく、ただひたすらに獲物であるロージアンの通過の時を待っている、偵察した斥候はその様に感じたという。


 肝心のロージアンの嫌疑を明らかにしようにも、そのロージアン自身が標的となっている以上、真実を明かして彼らの怒りを収めることは不可能であった。


 衝突はもはや避けられない。そう悟ったアリシアは一計を案じ、フレイヤに親衛隊の出動を命じた。




 カイムとメイウェザー卿は鉄道に乗って、ソルテールへ向かい、同時にフレイヤ率いる王室親衛隊とようやく承認の降りた公都守備隊の一部も公都を発った。


 そしてフレイヤ率いる鎮圧部隊は、ソルテールの軍とイシュメル人を挟撃するため、行軍に日を要することを承知で森に身を隠しながら行軍していた。



 鬱蒼と茂り、昼間でも夜のように薄暗い森では方向感覚は狂う。加えて方位磁石の類も霊子に満ちるこの森の中では機能不全に陥るため、斥候の働き、特に使い魔の鷲と視野を共有することのできるテイマーの存在は重要であった。


「ここまでの行程は順調、明後日には峡谷にたどり着くか」


 峡谷に繋がる森は二つある。峡谷と接する北の街道を挟み込むように存在する森林と、街道の南側に接し、やがて峡谷と混ざりあうように接する森林の二つだ。

 それらはアルスター大森林とひとまとめに数えられるが、今回行軍しているのは後者の峡谷に繋がる方である。さて、そろそろ日も沈み本格的に闇が森を覆い始めた頃である。


「開けた場所に出たな。よし、本日はここで陣を張る。各々準備せよ」


 フレイヤの号令を合図に兵たちはテントを張り始める。キビキビとした動作で、あっという間に拠点の設営を終わった。その後の雰囲気は比較的に和やかであった。

 魔獣の類はともかく敵軍との接触の恐れがないため、最低限の警戒はするものの、来る決戦に備えて十分な休息を取るというのがフレイヤの方針であった。



 今回の行軍は魔獣への警戒のため鎧が脱げず、行軍の速度は極めて遅く疲労も著しい。


 加えてここは闇深い森の中である。元来、人は森を恐れるものだ。


 森には獣や盗賊・邪術師といった悪しき者が隠れ潜み、木々の成長によって徐々に勢力を広げながら人の住居を侵略する。

 国によっては森や森に住まう精霊を信仰するところもあるというが、少なくとも子供の頃より、人を喰う邪術師の伝承を聞かされ続けたアルビオンの民にとってその中を延々と歩き進むことは想像以上に精神を疲弊させる行いであった。


 フレイヤは王国切っての実力者ではあったが、個々人の兵の質に大きなばらつきがあることをよく知っていた。


 そのため、各々の兵が体力の差を十分に加味しながら、必要な休息が得られるように配慮を重ねていた。個人ではなく、軍を見て計画を立てる、あたり前のことなのだがそれができる指揮官は少ない。

 とりわけ十年前の戦争で多くの将兵を失ったアルビオンではフレイヤのような年若い者達が上に立つことが珍しくない現状ではなおさらだ。


 さてエルドは設営された天幕の内の一つに入ると騎士装束を脱ぎ、用意されたベッドに腰を落ち着けた。一息ついて、あたりを見回してみる。


 軍の天幕といえば無骨で簡素なイメージであったが、ベッドやシャワールームが備え付けられているなど想像以上に快適であった。それにしても豪華な天幕である。エルドはしばらく物珍しそうに眺める。


 そうしていると中に居た兵士の一人が話しかけてきた。脱ぎ去られた鎧を見るに守備隊の者であるようだ。


「ハハ、どうやら初めて見たようだな。これは先日納品されたメイウェザー製の軍幕だ。原理はよく分からんが、このテントの中の空間は歪んでいて折りたたむと圧縮され、こうして広げるとその大きさ相応の広さになる。折りたたんで持ち運んでも内装が崩れたりしないから便利な宿泊所になるってわけだ」


「ということはこれも魔導機なんですか?」


「ああ、確かイシュメル人の技術者が設計したそうだ。こんなのが一般販売されたら街の宿屋は廃業だな。しかし、奴らも大したもんだ。魔導の研究といえばロンディニアか教国が最先端って話だが、いやいやどうして連中の発明も大したもんだ」


 魔導機は記述された魔法術式によって様々な現象を引き起こすものだが、その記述法としては先史魔導文字を用いるものと幾何魔法陣を利用するものがある。


 イシュメル人は元来、幾何模様による精緻な細工を得意とする民族である。それ故、後者の記述法の研究に関しては右に出る者はいないと言われている。

 このでたらめな空間保存の技術も彼らの功績であった。


「でもなんだってこんな事になってるのかねえ。俺も以前は毎週のように連中が仕入れる南方の野菜に世話になってたんだがな。トマトやジャガイモを使ったミネストローネなんか絶品でよ。だが最近じゃイシュメル人への商業規制で滅多に手に入らねえときた。俺はイシュメル人たちとはうまくやってきたつもりなんだがなあ……」


「決戦前に腑抜けたことを言うもんじゃない、ロドニー」


 側で話を聞いていたもうひとりの兵が本をパタリと閉じると会話に交じってきた。


「何にせよ彼らが公国に仇を為したことは事実だ。それがたとえ一部の人間の暴走だとしてもやられた側はそうは思わない。現にこの部隊の中には家族を殺された者もいる。そういった者達の前で滅多なことは言うな」


「だがよレックス。お前だって向こうに恋人の兄が参加してるんだろ? 割り切れるもんじゃないだろ」


「お前に言われるまでもなく分かってるさ。だが僕らは軍人だ。軍務に忠実でなければならない。例えば将来の士官で、姫殿下の忠実な騎士に無礼な態度をとらないようにするとかね」


「え!? な!? こいつ新入りじゃないのか?」


「ハルフォード少佐の話を聞いてなかったのかい?」


 レックスは呆れ果てたように言い放つ。


「そ、そう言えばそんな話が……こ、これは申し訳ありませんでした。ご無礼どうかお許しください!」


 慌てた様子で立ち上がり姿勢を正すとロドニーは敬礼した。


「あの、僕は別に構いませんよ。正式な叙勲もまだですし」


「そうかい? それなら僕らも気が楽というものだ」


 先程までの態度はどこへやら、どうやら変わり身の早い人物であるようだ。


「おい、レックス……」


 ロドニーは呆れた様子でレックスを諌めた。


「まあまあ、本人もこう言ってることだし。気楽に行こう」


「納得行かない」


「でも、意外でした。あの火事を見ていたから、イシュメル人を擁護する人もいるんだなって」


 エルドはあの一件で、イシュメル人に対する人々の悪感情は極まったものと思っていた。


「まあ人によるさ。僕なんかは恋人がイシュメル人だし、そこの脳天気なロドニーは直接的な被害は受けていないからね。だけど司祭様が憎ければ祭服まで憎むって人間は少なくない。彼らがどれほどこの国のために尽くしたって、その功績は上書きされてしまう。人はそうできているんだ。他人にされた親切よりも悪意のほうがより鮮明に記憶されるようにね」


「…………」


 エルドは黙り込む。レックスの言葉はたしかにその通りだと思えたからだ。人は悪意に敏感で、それまで向けていた善意の顔も何かきっかけ一つでがらりと一変させてしまう。

 その瞳によって謂れのない悪意を向けられてきたエルドにとっては、身に沁みていることであった。


「あんま気にしないほうが良いぜ。こいつはいつも悲観的な事しか言わないしよ」


「現実的だと言って欲しいね。彼女と過ごしてるとね、そういうことに敏感になるんだよ」


「おいおい、独り身の俺に向かって惚気かよ。良いよな彼女持ちは」


「いや別にそういうつもりで言ったんじゃ……」


 やれやれとロドニーはため息を吐いた。


「でも、レックスさんのそういうところが良いところなんだと思います。みんながそんな風に考えられたらきっとイシュメル人の未来も明るくなると思います」


 エルドは腰掛けていたベッドから立ち上がる。


「少し、外を歩いてきますね。いろいろお話聞かせてくれてありがとうございました」


 エルドは礼儀正しくお辞儀をするとそのまま辞去した。二人の兵卒はそれを見送るとポツリと漏らした。


「俺みたいなのばかりになったら悲惨だと思うけどな」


「……自分で言ったらおしまいだな」


 その様子を遠くで一人の男が眺めていた。


「考えられるわけ無いだろう……」


 そっとひとり、つぶやく。確かな憎悪を持て余しながら。

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