理想と現実

 ガラティア山岳での死闘より、数日が経過した。

 フレイヤの調査により、東の峡谷地帯にイシュメル人達が出入りしていることが確認された。

 公都からロージアンの住むソルテールまでの街道は一本道となっているが、その一部分は森林地帯と渓谷地帯に挟まれて狭隘きょうあいな道となっている。


 一方のロージアンも、水源の汚染に対する嫌疑から公都アルスターに招集されているため、イシュメル人達の狙いはこの隘路あいろを通過するロージアンだと推測された。




「王室親衛隊第一小隊及び第八小隊の総勢50人、メイウェザー卿の私兵の内、中隊規模100人ほど、合わせて150、余りにも心もとない数字と言えるでしょう、殿下」


 フレイヤはため息を吐いた。その場にはアリシアとメイウェザーの二人も居た。


「先日の議会で、守備隊とレオン少佐は公都の守りに就くようにと決議されたのがやはり痛いですな。ロージアン伯は、厚かましく護衛の要請をしたが、議会では誰も彼の伝言を聞く者は居なかった」


「自業自得でしょう。どうやらここに来て貴族派からも見捨てられたようです」


 フレイヤは欠片も同情の余地を見せなかった。


「少し気の毒な気もしますが、いずれにせよ公都の守備は放棄できません。ここは現有戦力で対処するしかありませんね」


 元々アリシアの動かせる軍は少ない。守備隊や国境師団のような国の保有する戦力はあるが、王の専横を抑制するという名目で通常任務から外れる形で運用される場合、議会によって統制されることとなっている。


 一方、通常任務時にあっては、守備隊も各地方の統括者たる貴族によって指揮されることから守備隊の出動要請が通ることは滅多になかった。


「ロージアン伯に確認しましたが、彼は鉄道での来訪を取りやめ、馬車にて街道を通って来訪するとのことでした。親衛隊長殿、イシュメル人はどう動くと読まれますか?」


「このオルダム峡谷から奇襲する可能性が高いでしょう。彼らは先日の襲撃でも騎竜を利用していましたし、地形柄、空から急襲すればその効果は絶大かと」


「ふむ、オルダム川の浸食によって削られてできた天険の地ですな。確かにソルテールよりアルスターへと最短で移動するにはこの峡谷脇の隘路を通るしかありません。騎兵を主体とした部隊であれば、ここで上空からの襲撃に遭えばひとたまりもありませんな。ただ、親衛隊はともかく、私の軍に天馬兵は少ない。峡谷の高地に陣を張られては手出しは難しいのでは?」


「ええ。馬で駆け上がるにも限界があるでしょう。ですからメイウェザー卿の兵がソルテールを発たれるまで、ゆっくりと時間をかけて森の中を進軍し、ロージアン伯を餌に深く街道まで彼らを誘き寄せてから、ソルテールとアルスターの両部隊で挟撃するつもりです」


「なるほど。やはり私のような素人が危惧するようなことではなかったようですな。ただ問題はロージアン卿が大人しく連携に応じてくれるのかという点ですが」


 問題はそこである。彼らの狙いであるロージアンの動きが御せるかが、この作戦の肝である。アリシアはロージアンの罪を明らかにするつもりであるため、心情的には協力が得られる保証はない。

 しかし一方で、ロージアンはイシュメル人にその命を狙われている。その二つを天秤に掛けて、自身の命を守るために協力が得られるかが肝心であった。


「そこは私の説得次第ということですな」


 この後、メイウェザーはソルテールの兵たちに指令を出すためにソルテールに戻る。その際、彼の命を守るために、親衛隊、メイウェザーの混成軍と、ロージアンの兵たちは協力する必要があると説き伏せる手筈であった。


「お願いしますね、メイウェザー卿」


「おまかせを」


 メイウェザーは優雅に礼をすると、部屋を後にした。


「しかし、よろしいのですか?」


 フレイヤは曖昧な言い方で尋ねた。


「イシュメル人と対峙することですか?」


「はい。このままでは血が流れます。それでは、殿下の望む解決には繋がらないように思いまして」


 アリシアの目標はアルビオンとイシュメル、双方の犠牲を抑えた上で真実を明らかにし、イシュメル人の国外追放を阻止することだ。しかし、彼らとこのまま交戦してしまえば何らかの禍根が残るのではないかと、フレイヤは危惧していた。


「本当は、この様な事態に陥る前に全ての企みを阻止できるのが一番良かった。ですが、既に事態は動き出した。ならば私は可能な限りの犠牲を抑える一手を打つしか無い。例えそれが犠牲になる人間を数字で捉えることとなっても……」


 アリシアは理想主義者である。いかなる犠牲者も出したいとは思っていなかった。だが、現実は非常だ。彼女は未熟で、協力者は少ない。採れる選択肢など、多くはなかった。

 アリシアの理想など、今のこの国の現状の前では夢想に過ぎなかった。


「良い落とし所に持っていく、案はあります。これよりそれを実行するつもりです。ですが、今から私が打ち出すのは最低の一手になるかもしれない……そう思ったら……」


 アリシアは肩を震わせていた。まだ十八にも満たない娘にとって、今回の事態は荷が重すぎたのだ。

 そんなアリシアの様子を見かねて、フレイヤは腰掛けるアリシアの側まで行き、そっと抱き寄せた。


「理想なんて簡単に叶えられるものじゃないわ。でも、あなたはきっと頑張った。最善とは言えなくても次善の結果を導くために、それを私が認めるわ。私だけじゃない、エルドやカイム、フィリア、それからレオンやメイウェザー卿、きっとみんなあなたの働きを認めてくれるわ」


「――――」


 アリシアは嗚咽を漏らした。しかしそれはフレイヤの衣服に吸い取られて響き渡ることはなかった。

 フレイヤはアリシアの頭を一撫でする。すると、背中の服のしわが、ぎゅっと握られたような気がした。

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