ある雨の日のこと

 霧のような雨に街が包まれた日であった。

 数日前に大きな火事があったことから、古都の美しい街並も、無惨なものに成り果てていた。どんよりとした雨雲も相まって、昼間なのにまるで夜のような仄暗さであった。


 数日前から母がどこかに出かけていて心細かったこともあって、その空模様は心中を一層陰鬱にさせた。

 そんな様子を心配して兄が付き添ってくれたのだが、やはり母のいない不安に耐えられず、一緒に探してくれと兄に懇願した。

 しかし、兄は酷く苦しげな表情を浮かべて今日だけは決して外に出てはいけないと言い放つだけであった。


 絵本やおもちゃ、子供の関心を引くものはいくらでもあったのだが、その日はなんだか気乗りせず、ただただ時計の針が進む様子をぼーっと見つめていた。

 針がちくたくと音を鳴らして進んでいくが、その音が耳に響くに連れて徐々に先程兄の浮かべた表情が頭に浮かんできた。


――――どうしてお母さんは帰ってこないのだろう。兄さんはなんで外に出してくれないのだろう。そして、なんでそんなに苦しそうな表情を浮かべてるんだろう。


 そんな疑問が頭を駆け巡った。


 そうしていると急に不安めいたものを感じ、心臓が早鐘を打ち始めた。時計の針の音は少しずつ間隔を狭めて早くなっていき、心臓の鼓動と重なるように響き合っていった。

 その感覚が妙に気持ち悪く、湧き出した焦燥に突き動かされるままに外に駆け出した。

 後ろで兄が呼び止め、追いかけてくるが僕は振り向かずにただただ走った。


 先日の災害で街のあちこちは瓦礫と化していた。瓦礫に蹴躓きながらもとにかく走った。何かあてがあったわけでもないのに、なぜか身体はそこに向かって動いていた。


 気付いた時には中央の広場にいた。そこには街の人達が集まって、喧騒に満ちあふれていた。


 何をやってるんだろう? そう思って人波をくぐり抜けた。燃やせ、燃やせ、魔女に鉄槌を、人々は怒っていた。

 怒号と怨嗟の狂騒がその場を支配していた。人波を抜けた先で繰り広げられていたのは狂気の光景であった。


 人々は恐ろしい形相を浮かべて手に持った松明を焼べていた。見知った人の顔もあった。雨だと言うのにその手に持った火が衰えることはなく、焼べられた火が轟々と燃え上がっていた。


 ふと、焦げた臭いが漂ってきた。なんだか気持ちの悪い、嫌な臭いであった。


 悲鳴が聞こえてきた。女の人がもがき苦しむ声だった。


 とくんと心臓の鼓動が激しくなった。


(母さんの声……?)


 ふとそれは母のものでは無いのかと心配になった。


 そう思ったら、たまらず叫びだしていた。おかあさん、おかあさんと。


 そして必死におかあさんの元へ辿り着こうともがいていると、身体は誰かにがしっと掴まれていた。

 僕を捕まえた腕の主を見る。それは近所の仲の良い靴屋のおじさんであった。おじさんは血走った目で僕を睨みつけた。

 強い怒りをその身にたたえてフゥーフゥーと声にならない激しい吐息を漏らしていた。


 ずっと優しかったおじさんがこれまで見せたことのないような感情をむき出しにして、この身体がどうなろうと知ったことかと言わんばかりの力で握りしめてくる。その豹変にたまらないほどの恐怖感を抱いた。


 そしておじさんはこの身体をむんずと掴み上げると火の方へ突き出した。咄嗟に見てはいけないと思わず目をつむった。

 しかし、おじさんは尋常でない力でこの身を抱えて頭をがっしりと掴んだ。その手は右目にそっと伸びていき、まぶたを掴んだ。吐息を一層荒くしながらおじさんはまぶたを無理矢理に見開かせた。


 その目に写ったのは地獄のような光景だった。おじさんの様に怒りに燃えた人々が群がり、その火を一層燃え上がらせようと目を血走らせている。火の中央には杭が打ち立てられ人が縛られていた。


 その人の発する叫び声はこの世のものとは思えない悲痛なもので、僕の耳を引き裂かんばかりに響き渡っていた。


「よく見ろ」


 ようやくおじさんが口を開き、僕の目を見開かせたままその人に近付いていった。


 身体を焼かれたその女性は身体のあちこちの肉と骨がただれて骨がむき出しになっていた。しかし、黒布からちらりと覗かせた顔の方はかろうじてその原型をとどめていた。


 見知った顔だった。


 この世で一番会いたい人だった。


 この世で一番見たくなった光景だった。


 倫理も理性も何もかも溶かし尽くすように燃え盛る大火の中、僕の母が焼かれていた――――

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