フィーンドと呼ばれた男(1)

 イシュメル人たちを追って、一行は中央の柱にある扉を通った。そこは木々や草花の生えた公園のような区画であった。どこからか流れてくる小川がせせらぎ、いくつものベンチが置かれていることから、かつてここに居た者たちの憩いの場であったのかもしれない。


「ここは古代の公園だったのかな。今でも自然が残ってるなんて不思議だけど」


「まるで、最近まで手入れされていたかのように景観が保たれていますね。流石に保存魔法だけでここまで自然を保つのは難しいでしょうし、何か美観を保つ機構でも備えているのでしょうか」


「その通りだ。この遺跡の主たちは常に自然との調和を目指してきた。地下に潜るその時でも自然を側に置き、種を保存することを忘れなかった。神樹の創造以降に役目を終えて封印されてもなお、これらが残っているのはその証だ」


 エルド達の疑問に答えたのは空間に反響するように響いた声であった。


「彼らは自然と契約することで、その力を借りて高度な文明を築いてきた。この居住施設、そして決して朽ちることのない庭園はその精華と言えるだろうな」


 やがて、かつかつと床を打ち鳴らす靴音がこちらに近寄るように響いた。その音はゆっくりとこちらへと近付き、声の主が姿を表した。


「さてお前たちが侵入者か?」


 一行の目の前に現れたのは、輝くような銀の髪、真紅に燃える紅い眼、見る者の心を奪うほどに透き通った白い肌、そして長く鋭く伸びた両耳を備えた人並み外れて美しい青年であった。その人ならざる容姿は、まるで神の細工の様に完璧に思われた。


「そんなまさか……」


 だが、その容姿を見たエルド達は息を呑んだ。胸がざわつく。その美しさに見惚れるよりも先に、恐怖が心を支配した。


 青年は二本の長剣を引き抜くと、敵意を露わにした。その瞬間、カイム、アリシア、フィリアの三人が糸の切れた人形のようにその場にへたり込んだ。


「かっ、はっ……」


 その呼吸は遺跡に足を踏み入れたときとは比にならないほど乱れ、体勢を立て直そうにも膝が震えてまともに立ち上がることができなくなる。


「そうだ。俺はお前たちが呼ぶところのフィーンドだ」


 ジャファルとエルドはとっさに得物を抜いて構えると、竦むカイム達を背にかばった。


 そう。彼こそが、身に宿る膨大な魔力をもって西海を荒らし回り、討伐に向かった騎士のことごとくを葬り去って死体の山を築いた一族の子孫にして、伝承の獣を統べる悪魔に酷似した美しさから、フィーンド悪魔と称された存在であった。


「どうやら腕の立つ者もいるようだな」


 かつて興国の祖・パーシヴァルによって駆逐され姿を消したはずの存在が何故今目の前に立っているのかはわからない。

 だが、ただ二振りの剣を手に佇んでいるだけなのに、エルドはとてつもないプレッシャーに襲われていた。まるで海の底に囚われ、その水圧に全身が握りつぶされるかのような感覚に陥る。それは先日、獣と対峙した時に受けたプレッシャーの比ではなかった。


 その戦いの苛烈さと残酷さからその存在を魔人と形容した歴史書の評価に違わず、いやそれ以上に目の前に立つ青年は底知れない実力を秘めていた。

 青年の動きを慎重に見極めようとするエルドであったが、一方ジャファルは、微塵も臆することなく得物の曲刀を手に青年の前へと躍り出た。


「フィーンドか……この地の歴史には疎い俺だが、その恐ろしさは耳にしている。よもや実際に目にするとは思わなかったが」


「そういう貴方はイシュメル人か……その顔の傷、孤狼に違いあるまい」


「恥ずかしい呼び名で呼ぶのはやめてくれ。所詮は運良く生き延びた捨て駒を、体よく英雄に仕立て上げるためのプロパガンダだ。恥の上塗りでしか無い」


「これは失礼した。だが、牙を抜かれたとは侮ったものだな。老いてなおその剣気に衰えは感じない」


「老いては余計だ……だが、あんたはあのカーティスの仲間という認識で良さそうだな。聞きたいことは無数にあるが、まずは俺たちイシュメル人を唆して何をやらせるつもりか吐いてもらうぞ」


「歴戦の勇士が相手か。そちらの剣士も腕が立ちそうだ。道半ばの身では少々厳しいが、ここを通す訳にはいかない」


 青年は猛禽類のような鋭い眼光を放つと、地を蹴った。

 寒々しいほどの殺気を孕んだ二筋の剣閃がジャファルを襲った。

 しかしジャファルは難なく初撃を躱すと、回避と同時に攻めに転じ、身体を回転させながら演舞のような剣撃を叩きつける。


「くっ……」


 止むことのない攻撃に青年は防戦を強いられる。

 やがて青年は、ジャファルの回転剣が一定のリズムで繰り出されることを見抜き、次に振り下ろされる剣のタイミングを見極めてさっと後ろに跳んで躱す。


「それを待っていたぞ」


 しかし、それを待っていたと言わんばかりにジャファルは指を鳴らした。すると、青年の四方に水龍が生成され、その顎を開けて青年に襲いかかった。


「この程度」


 即座に一回転して全てを払うが、切り払われた水龍が爆ぜると目潰しのように青年の顔に飛び散って視界を塞いだ。

 そして、その隙を突いてエルドが大剣の一撃を見舞う。


「見え透いた手を!」


 だが視界を潰された程度で焦る青年ではなく、エルドの放つ気配と敵意を察して迎撃に移る。


「ならこいつもおまけだ」


 その瞬間、ダメ押しと言わんばかりに、すぐ背後に控えていたジャファルも曲刀の一撃を放った。タイミングは的確、即席のコンビにしては良い同時攻撃であった。しかし――


「甘い!」


 青年は双剣を振るって身体をひねると横薙ぎの一閃で二人の剣撃を思い切り払った。


「くっ……」


 一瞬、暴風が舞うほどの重い一撃を受け止めた二人はそのまま弾き飛ばされてしまう。

 両者は即座に剣を振るい地面を削ると、飛ばされた衝撃を相殺して体勢を立て直した。






「クソッ……端から俺たちは数に入れてねえのかよ」


 カイムが悪態をついた。しかしその威勢とは裏腹に、その身体は眼の前の存在との実力差に恐怖を感じて震えていた。


「っ……悔しい……この日のために鍛錬を積んできたのに……まるで役に立てないなんて……」


 恐怖と悔しさから、アリシアは瞳に涙を滲ませた。フィリアもまた、悔しさで胸が締め付けられる思いがした。決して三人共、実力が無いわけではない。だが騎士学校を卒業したての三人にとって、フィーンドという存在は余りにも荷が勝ちすぎていた。


 アリシアは顔をぼろぼろにさせながらわずか動く上半身を這わせてその場から遠ざかろうとする。


「足手まといにならないように逃げることしかできないのか……」


 情けなかった。こうしている間も二人はフィーンドと激戦を繰り広げ、その剣がぶつかる度に部屋を揺らすほどの衝撃と轟音が響いていた。その達人同士の戦いにおいて、アリシアたちは足手まといにすらなれない、路傍の石のような存在でしかなかった。

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