イシュメルの想い

 かつてイシュメル人の祖先は隣国アルテア帝国の支配から逃れるために決死の砂漠横断を行い、逃げ延びた先のオアシス地帯で独特の文化を花開かせたという。

 豊かな水源がもたらす恵みを高度な水道設備で緻密に行き渡らせ、砂と粘土、わらを混ぜた建材で淡黄の都市を築き、郊外には用水路を引いて不毛の地に農地を作り上げたという。

 そうして興ったイシュメル文化はやがて時の王の愛した瑠璃色に彩られて《紺碧の都》として栄華を誇った。


 このイシュメル人街も故郷を想う彼らの手によってその街並みが再現され、その瑠璃色の鮮やかさから公都の中でもひときわ異彩を放つ区画となっていた。


 街を訪れたエルドたちは思わず感嘆の声を漏らした。彼らをまず迎え入れたのは壮麗な白の門であった。

 公都中央通りにそびえる凱旋門を彷彿とさせる城塞のような佇まいであるが、その壁面はムラのない純白で、美しく精緻な幾何学文様が刻まれている。大きさこそ比にならないほど小ぶりではあるが、紋様のきめ細やかさや、寸分の狂いなく左右対称に形作られた門構えから彼らの建築技術の高さが伺われる。


 そして、門へと伸びる路の脇には瑠璃色のタイルが敷きつめられた方形の溜池が掘られており、涼やかな印象を見る者に与える。

 門の前で誰かが警らしている様子もない。水源の件などからアルビオン人に対して警戒しているものと思ったが特に見咎められることなく門をくぐった。


 門の先は一層美しい光景が広がっていた。立ち並ぶのは透き通った白の長方形の建物で、前面が指先に似た尖頭形のアーチの形に開けているのが特徴だ。脇には緩やかな曲面を描いてすらりと天に向かって細っていく尖塔が並び、建物の中にはドーム状の円形の屋根が取り付けられたものもある。

 しかし、その中で最も目を引くのは瑠璃色に装飾された壁面とタイルである。陶器の仕上げには釉薬と呼ばれるものが仕上げに使われ、ガラス質の層が形作られるが、どうやらイシュメル建築ではそれが用いられているようだ。

 公都では余り見かけない特異な建築構造、吸い込まれそうなほどにきめ細やかな職人技で描かれた精緻な幾何模様、それを彩る瑠璃色、門を抜けた先に広がっていたのはこれまで見たことのないほどに素晴らしい広場であった。


「貴族どもが観光地にしたがる気分も分からんでもないな」


 それに関しては皆、カイムに同意であった。


 さて、瑠璃色のイシュメル人街のもう一つの特徴として街中に張り巡らされた水路がある。これもまた鮮やかな幾何模様で彩られているが、床に敷き詰められた大きなタイルの一つ一つを囲むように通ったそれらは、ところどころに方形に掘られた花壇と相まって青の広場に清らかで落ち着いた雰囲気を与えていた。


 そしてそれらは各所に置かれた円形の噴水に水を供給していた。エルド達はそのうちの一つに惹かれて近づいていく。


「すごい。とても綺麗で心が洗われるようだ」


 静かな広場に響く水のせせらぎが皆の心を落ち着かせる。


「ああ、もしかしたらそのまま飲めるかもしれないな」


「今はだめですよ、カイムくん。汚染されてる可能性もあるんですから」


「ああ、そういえばそうだったな」


 カイムは残念そうな表情を浮かべる。


「昔は本当に綺麗な飲み水が流れてたんだよ。みんなここから水を汲んで持って返ってたんだから。でも、ほんと寂しくなっちゃったな……」


 フィリアは寂しげな表情を浮かべる。かつて彼女が遊び回っていたこの広場には人が行きかい、活気が溢れていた。だが今となってはその様な賑わいはまるで無い。


「見て。あそこは昔いろんな商人が露天を並べた市場になってたの」


 フィリアは広場の脇から伸びる通りを指す。しかしそこに居たのは痩せこけた男性と、売り物としてはぎりぎりといった様子の粗悪な麦であった。


「議会による交易制限の影響です。こんなこといつまでも許されません」


「そうだね。早くこの事態を何とか出来たら良いんだけど……」


 その様子を見ていたエルドとアリシアは改めて決意を固める。


「ん? おいおい、珍しく観光客が来てるなと思ったらフィリアじゃないか」


 がさつな声で一向に声をかけたのは、無精髭を生やしたイシュメルの男性であった。どうやらフィリアの知り合いのようで、その姿を見つけるとこちらに近付いてきた。


「叔父様? まさか早速会えるなんて」


「ああ、まったくだ。しばらく見ない内に随分とでかくなったものだ。色々とな」


 そう言うと男性は乱暴に笑った。


「も、もう、セクハラだからそういうのは」


「ハハ、悪い悪い。だが随分とぞろぞろと連れたもんだなあ。学校のお友達か?」


「うん、そんなところ。あ、紹介するね。この人はジャファルさん。私のお母さんの弟で叔父に当たる人なの」


「紹介の通りだ、よろしく。どうやらフィリアが世話になってるみたいだな。なら俺ももてなさないとな」


 そう言って男は一行に背を向けると、着いてこいとジェスチャーをして街の奥へと歩いていった。


「そういうことだから一度叔父さんの家に向かってもいいかな?」


「ええ、もちろんです」


 そうして通されたのは、少し盛り上がった坂を上がった先に建っていた一軒家であった。外観こそイシュメル建築といった風であったが、中は公都の一般的な家とそう変わらぬ近代的な内装であった。ただ少し違う点もあった。例えば天井は円形のドーム状に仕上げられ、幾何模様が張り巡らされており、部屋を分ける扉などはイシュメル建築特有の尖頭形であったりする。

 さて、テーブルに一行が腰掛けると、ジャファルは部屋の隅に置かれた大きな樽から水を汲んでグラスに注いでエルドたちに差し出した。


「こっちの水に毒はない。安心して飲んでくれ」


 そう言うとジャファルとフィリアが早速口を付けた。それを見てエルドたちもグラスを呷る。


「おいしい。アルスターの水はどこのものもとても美味しいですけど、これは格別です」


 水の良し悪しなどあまり意識したことはないが、眼の前の水を飲んでみるとすぅっと身体を通り抜ける爽快感のようなものが感じられた。


「そうか……これが水精の浄化した水なのですね」


 アリシアは合点がいったように呟いた。


「ほう? 嬢ちゃん、詳しいな」


 限りない砂地が広がり、熱砂の舞う砂漠地帯にも河川の流れる肥沃な土地は存在た。その様な水と緑に溢れた土地のことはオアシスと呼ばれており、砂漠の民の間ではウンディーネと呼ばれる水精がもたらす水の恵みによって形成されると信じられている。

 その伝承こそが彼らの水精信仰の発端である。両者の関係は緊密で、帝国の侵攻によってオアシス地帯すらも追われた時、水精たちもイシュメル人に付き従い、決して離れることはなかった。


「ちょっとした水の汚れの浄化なら。お手のモンだ。とはいえ汚染水の量が多いんでな。今はこんな感じでちょっとずつ汲み出して必要な分を浄化してもらってるというわけだ」


 そう言ってジャファルが樽の蓋を取ると、ひょっこりと可愛らしい少女が顔を覗かせた。美しくも人間離れした青白い肌にまるで蒼玉のように煌めく髪、その者こそ水の精・ウンディーネであった。

 水精は四人を見つけると笑顔を浮かべて勢いよくテーブルに向かって飛び出していった。そしてテーブルにぶつかり舞い散ったかと思うとすぐに一つに集まり少女の身体と衣服を構成し、人と遜色ない姿形へと変貌した。フィリアを除く三人は初めて見る水精の姿に呆気にとられる。


「こいつはライラ。人懐っこいやつでね。初めて見る顔だからか随分と楽しげなもんだ」


「♪」


 言葉は発さないもののその声には嬉しげな感情が込められていることが伝わってくる。


「もしかして先程の水もこの子が?」


 エルドが尋ねた。


「ああ、そいつが浄化してくれたモンだ」


「ふふ、ありがとうございます。ライラさん」


「――――♪」


 アリシアが礼を告げると気を良くしたのか、子犬のように身を震わせぺろりとアリシアの頬を舐め、そのまま頬にキスをした。


「!?」


 突然のことにアリシアは赤面した。仕草こそまるで小動物のようだが、見た目は歳の近い少女だ。突然のスキンシップにアリシアは気恥ずかしさを感じる。


「ほう、これはなかなか良いものだなエルド」


「……ああ。まったくだよ」


 心の底からの同意であった。


「ちょっと二人共ー?」


 そんな二人をじとーっと見つめるフィリアであった。


「まあウンディーネの中じゃまだ幼い娘だ。赤ん坊に小便引っ掛けられたようなものだと思って大目に見てやってくれ」


「ははは……その例えはどうなんでしょう……」


 嫌な気はしなかったのだが、ジャファルの例えに愛想笑いを浮かべるアリシアであった。


「それにしてもあの泣き虫だったフィリアも今や従騎士になるのか。大したモンじゃないか」


「そ、そうかな?」


 フィリアは思わず照れる。


「だがなんでまた突然ここに来たんだ? 連絡も寄越さないで」


「アリア、私が話してもいいかな?」


「ええ、お任せします」


「何だ、大事な話なのか?」


「うん、叔父様。先日の事件のことどう思ってる?」


「事件? 一体、何のことだ?」


「数日前、街のアーケードがイシュメルの人達に襲われたの」


「待て。どういうことだそれは? 俺は何も聞いてないぞ」


 ジャファルの声色が険しくなる。どうやら本当に何も知らない様子であった。


「やっぱり叔父様には知らされてなかったんだね。多分、知ればどんな手を使っても反対するだろうから」


「当たり前だ。俺たちはこの国に取っちゃ外様だ。そういう奴らは何年、何十年と信頼を積み重ねてようやく受け入れられていくもんだ。だがその信頼を崩すにはたった一度、そいつらが危険だと思わせればそれで良い。だから俺たちは何があっても大人しくしなきゃいけない」


 ジャファルは、異民族同士が融和することの難しさをよく知っていた。それは歴史に顧みれば明らかであるし、またかつて流浪の民として流離ったときの経験を思えば痛感せざるを得ない。


「フィリアが言うんなら嘘じゃないんだろうな。何が起こったのか、詳しく話してくれないか?」


 ジャファルの求めに応じてフィリアは事の顛末を語り始める。水源の汚染でアルスターの住民の一部に疑心暗鬼が広がっていること、襲撃は騎竜と火薬が用いられたこと、ある青年が伝承の獣へと変貌したこと、そして大勢のけが人と死者が出たことなど、汚染と襲撃の関係に関しては一行の推測であるため伏せはしたが、実際に起きた事実に関して、全てを話した。


「………………」


 話を聞いたジャファルは片手で頭を抑えるような仕草を見せてうつむいた。


「なんだって俺は気付けなかったんだ。くそっ」


 ジャファルが悪態をついた。


「今、イシュメルの人達は微妙な立場にいると思う。みんながみんなあの襲撃に加担したなんて私は思わない。でもそれは私がイシュメルのみんなと接して、その人となりを知ってるからだよ。多くのアルスターの住人にとってはみんな未知の隣人なんだ。ならアルスターの人達は今回の事件で全てを判断する。良いイシュメル人、悪いイシュメル人、みんなひっくるめて『イシュメル人』として」


「……そうだ。それが俺や街の老人たちが恐れていたことだ。人間ってのは複雑なもので皆それぞれの想いや信念を抱えて、誰一人同じ人間はいない。だが見た目が違う、肌の色が違う、血が違う、そう認識すると人は途端に見た目や血で中身が変わると思い込みはじめる。それが偏見の始まりだ」


「叔父様……」


 それはイシュメル人達がかつて何度も経験したことであった。周囲の民族と容姿が大きく異なるため、様々な偏見と好奇の視線に晒されてきた。

 だからこそジャファル、いやイシュメル人には一つの信念があった。人は偏見を抱きやすい生き物である。そのことを認めた上で自分たちがどういう者なのか知ってもらうために地道な努力を重ねる。それが最良の道と彼らは信じてきた。


「すまない、熱くなっちまったな。俺は少し年寄りたちと話してくる。お前たちはここを好きに使ってくれ。戸締まりもしなくていいぞ」


 そういってジャファルは家を出ていった。


「ずっと苦悩してきたんだ。イシュメルの人達は」


 初めてイシュメル人の抱える想いに触れて、エルドは深く考え込む。長くエルドの心を蝕んでいたもやもやした感情、それをジャファルはうまく言語化してくれていたように思う。


「改めて思ったよ。事件を起こした人達のしたことは許せない、その気持ちに変わりはない。だけど彼らもジャファルさんと同じ様な信念と苦悩を抱え続けていたと思うんだ。だからそんな彼らの想いを踏みにじり、あの様な事件を起こさせた人を僕は許さない」


「そうだな。確証のないことを言うのもどうかと思うが、あんな風な考えを持つ民族だ。余程のことがなければあんな事件起こしたりしないだろうよ。ならアリアの推測も当たってるかも知れねえ」


 気持ちはアリシアとフィリアも同様であった。


「私達もジャファルさん達を尋ねませんか? 今回の事態の裏を探るなら彼らの話を聞くことは避けられないと思います」


 アリシアの提案に一行はうなずく。


 エルド、カイム、フィリアの三人は出入口へと向かった。一方アリシアは机の上でいつの間にか眠りこけていた水精に話しかける。


「ライラさん、ごめんなさい。私達はもうお暇しますので、樽の中に戻りましょうか?」


 ライラは口惜しそうな表情を浮かべたが、アリシア達の事情を察したのか素直に頷いた。そしてアリシアが樽の蓋を開けるとライラは勢いよく樽の中へと飛び込んでいった。


「さて、行きましょうか」


 三人に続いてアリシアも出入口へと向かった。

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