《幻の酒》

 アルビオンは伝統的にビール・ウイスキーの名産地である。

 海賊の討伐後、国造りのために数多くの入植者や先住民たちが労働力として従事したが、その彼らへの報酬の一つとして給付されたのが、北西の寒冷地原産の大麦で醸造・蒸留されたビール及びウイスキーである。


 以来、国民から親しまれた酒類は街の到るところで生産されてきた。今では件の地に建てられた国営工場が製造のほとんどを担っており、ここアルスターでも数々のカフェやパブで提供されている。


 それら飲酒店の中でもアルスターの南東部にひっそりと佇むカフェ・イーグレットは、公都でも珍しく中世から残る醸造所を保持しており、そこで製造される酒の独特の味わいから、近隣住民に親しまれている。

 エルドも以前から通い詰めており、マルコとは年の離れた友人といった関係となっていた。


「エルドさん、実は先日常連の方からこのようなものをいただきまして」


 今日の待合せはこの店であった。イシュメル人街にほど近いという理由からエルドが推した形だが、性分から早く来すぎたため、時間を持て余していた。

 そんなエルドの様子を見て、マルコは一枚の羊皮紙を差し出してきた。


「え……? これってまさか」


 その羊皮紙を見てエルドは目の色を一変させた。


「私も手に入るとは思っておりませんでした。歴史的な発見ですよこれは」


 マルコの声は微かに、だが確かに震えていた。それほどに目の前の羊皮紙には計り知れない価値が秘められていた。


「醸造技術も未熟であった入植当時、それまでの栄養価ばかり高くて味は最低というビールの評価を一変させた幻のレシピです」


 ビールの原料には麦を乾燥させた麦芽が用いられるが、麦芽一つとっても様々な品種のものが存在し、その配合レシピは地域はもちろん酒場や家庭ごとでも千差万別でまったく同じ味わいのビールは存在しないと言われているほどだ。


 現在国営工場で使用されているレシピは地元の修道院が開発したものであるが、時折見つかる中世のレシピはより良いビール作りのヒントを与えてくれるため、醸造家達はその発掘に情熱を燃やしている。


「それにこれには主原料のグレンツ麦の生息地と栽培法まで記されているみたいなんですよ」


「本当に!? そんなものが世に出回ったら大変なことになるよ」


「ええ、乱獲による生態系の破壊だけでなく、麦を巡る内戦にまで発展しかねません。仮に穏便に生産ラインが確立されたとしても既存の麦の価格は大幅に下落、恐慌につながるかもしれません。下手したら隣国との戦争の火種にも――」


「そんな大層な話かよ……」


 熱を上げる二人に呆れた様子でカイムが言い放った。いつの間にか店に入ってきていたカイムはそのまま無遠慮にエルドの隣に座るとミルクを注文する。


「まだ集合時間過ぎてないけど、珍しいね」


「別に俺もいつも遅れてるわけじゃないからな、一応……」


 最後に一応とつける辺り、時間に間に合うことは本当に珍しいことである自覚はあったようだ。


「それよりもビールのレシピとやら一つで随分と大げさな話だな」


「わかってないな、カイム。人類はビールを味わうために始まりの大地から地上に降りていったんだ。火と魔法と麦酒は原始文明の三種の神器だよ」


「とんでもない学説をさも世間の常識と言わんばかりに持ち出すのはやめてくれ」


「ですがお二人が興奮されるのも無理のないことですよ」


 一体、いつからいたのか。店の隅ではアリシアが昨晩と同じ格好で紅茶を優雅に味わっていた。

 テーブルにはパルミラ地方の豚肉を加工したハムとチーズを挟んだサンドイッチ四切れに、エルーナ湾で採れた貝をふんだんに使った山盛りのボンゴレ・ビアンコが並べられていた。


 その量に思わずカイムは胃がキュッとなった。


「一体どんだけ食べるんだ……」


 同年代の女性は愚か、男性でもなかなか食べない量であろう。さすがにそれを見られるのは恥ずかしいのか、アリシアは赤面しながら咳払いをしてその追求を躱した。


「そのレシピは開拓事業に苦しむ労働者たちを慰労するために時の王パーシヴァルの命で招集された研究チームによって編み出されたものなのです。当時残っていた海賊の残党との紛争によって製法は一度失われ、以来多くの醸造家がその味の再現を目指しました。いわば《幻の酒》、それがこうして発掘されたのはすごいことですよ」


「ほう、お嬢様もエルドに負けず劣らず随分とお詳しいですね」


 感心しきった様子でマルコは言った。


「そう、まさに醸造家たちの夢と呼ばれるほどの宝なのですよこれは」


「マスター、これどうするの?」


「そうですね。貴重な資料ですから歴史的価値も相当なものでしょうし、私だけが独占して良いものではないでしょうね。ですので商工会に相談してみようかとは思います。どうも私には荷の勝ちすぎたものですから」


「折角だし飲んでみたい気もするけど」


「そうですね。一度再現して味わってみるのは良いかもしれません」


「できるんですか!?」


 誰より先に目を輝かせたのはアリシアであった。


「ただそのためにはグレンツ麦を確保しなければいけないのですが、レシピによるとこの付近ではガラティア山岳にしか生息してないようですね」


「国発行の冒険者資格か騎士の位が無いと立ち入りもできない危険区域だな。地竜ほどじゃないが、凶暴な魔獣がうようよいる難所で少なくともカフェのマスターが、ピクニック気分で行けるようなところじゃないな」


「ええ、ですのでエルドさん、よろしければ採取の依頼をしても良いですか?」


 マルコは以前から度々休日のエルドを捕まえては食材の採取を依頼していた。ガラティア山岳自体も騎士学校の実習で何度か訪れたことはあるため、依頼自体はお手の物だ。


「マルコさんにはお世話になってるし、興味はあるけど……でもすぐってのは難しいかも」


 今は先日のイシュメル人の事件を受けてその調査にあたっている段階で、二つ返事で請けられる状況ではなかった。


「それは残念ですが無理強いもできませんね」


 少々気落ちした様子ではあるが、そんな姿を見かねてか先程からそわそわしていたアリシアが口を開いた。


「今すぐは難しいですが、調査が一段落したら時間を取っても良いかもしれません。折角のお話ですし請けてみては?」


「宜しいのですか?」


「ええ、エルドくんのご友人の頼みであれば私も力になりたいです」


 それはアリシアの心遣いであった。エルドもそれに感謝している様子であるが、カイムだけは冷めた目でそれを見ていた。そう、カイムだけは見落とさなかった。気遣いを口にするアリシアの口元に涎が垂れかけたことを。


「やれやれ、そんなに良いのかねえその《幻の酒》とやらが」


 全く酒の飲めないカイムは、三人の盛り上がりについていけず終いであった。なんなら、ビールなどに《幻の酒》という大層な冠名がついていることが信じられない様子であった。

 盛り上がる一向に水を差さぬよう、ミルクに口をつけるとほんのわずか、彼らに聞こえないようにため息を付いた。


「どうしたの、カイム? ため息なんか吐いて」


 最後の待ち人は時間きっかりに来ていた。カイムはフィリアに事の顛末を話す。


「エルドは知っていたけど姫様もお酒好きだったんだ?」


 フィリアは意外そうな顔でそう言った。


「十六で飲めるようになるからって、あの歳であんだけ好きになるものなのか?」


「うーん、私は飲めるけど苦手かも……」


 カイムは再びミルクに口をつけて、彼らの話が一段落するのを待った。

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