迷い

 公都の夜は美しい。

 街の各所に置かれたガス灯の光が闇を払い、心まで暖かく照らし、心地よく爽やかな海風が母の腕のように優しくその身を包む。

 小説や観光ガイドではこのように公都の夜の心地よさが形容される。


 確かに闇を照らす暖かなガス灯の光は人々を夜の恐怖と不安から解き放った。

 かつて微かな篝火しか夜を照らす光がなかった頃、人々は一寸先の闇に潜む野盗や魔獣に怯えて滅多に外を出歩くことはなかったという。

 それが今ではこうして気軽に散歩に出られるほどに夜は明るくなった。


 しかし火は暖かいだけのものではない。時に人々の狂気を煽り、一度燃え盛ればそこにあったものの何もかもを跡形もなく焼き尽くす。


 エルドはその二面性が時々恐ろしくなる。


 だから静かな夜を過ごしたい時は街の南端の海岸を訪れる。この辺りは開発の手が及んでおらず、街の灯もここまでは届いてこない。

 エルドにとっては火に照らされた街よりも、先の見通せぬ闇の方が心地が良かった。


「ここにいたのか」


 ざっざっと砂浜を踏み抜く音が聞こえてきた。エルドが時折ここに訪れることを知っている者はそう多くはない。

 カイムはそのまま歩いてくるとエルドの側近くの堤防に立った。


「カイムはどうするの」


「俺はお前に付いていくだけだ。地竜のときだって盗賊のときだって、お前が決断して俺が策を立てる。ずっとそうだったろ?」


「うん。そうだね……」


「お前の志望は国境警備隊だったな。それも東のシュネーヴァイス王国方面のだったか。だけど意外だな。総司令のウェインライトはエインズワースの腹心と言われるほどの大貴族だ。お前は公王派だと思ってたんだが」


「別に貴族派とか公王派とかそういったことは意識したこと無いよ」


 エルドは遠く海を見つめてしばらく黙り込む。


「全ては記憶を取り戻すため……か。十年前のことはどれくらい思い出した?」


「まったくだよ。あの時アリアナ自治州の州都グリューネで暮らしていたこと、停戦協定が結ばれようとしたあの日大きな火事が起こったこと、それぐらいだよ」


 アリアナは宗主国たるロンディニア王国の所領で、アルビオンの南部と国境を接する自治州だ。

 当時、アルビオン・ロンディニアの二国は帝国と交戦していたが、戦局の硬直から州都グリューネで停戦協定が結ばれることとなった。


 しかし、協定締結の日に起こったある災厄によってそれらは全て破談となり、なし崩し的に休戦状態となったままであった。


「グリューネの落日が起こった日、お前もその場にいたのか?」


 こくりとエルドがうなずく。


 イシュメル人による襲撃の日、エルドの頭に浮かんだ光景こそその災厄――グリューネの落日と呼ばれる出来事であった。


「俺も資料だけでしか知らんが、当時ロンディニアと共同研究していた魔導機用の動力ジェネレーターが暴走して起こった大火災だそうだな。それに巻き込まれて先代公王は死に、その事故の責を巡って停戦協定の話も有耶無耶になったままって話だったか」


「そして、僕の両親もそれに巻き込まれて死んだ……ってことになってる。でも何故かあの日のことを思い出そうとすると頭に靄がかかったようになってそれを阻む。だから僕はその真実を知る人間に近付く必要があるんだ」


「ウェインライトといえば当時の軍の貴族派の中でも最高位の将官だったな。確かにあの事故は公王暗殺のために貴族派によって引き起こされた陰謀って噂もあるし、国境警備隊に入るのが一番の近道かもな。でもだったらなんで悩む必要があるんだ? 卒業の件だって姫さんがどうにかしてくれるんだ。ならお前の思う通りにやればいいじゃねえか」


「それは……」


 カイムの言う通りだ。エルドには明確な目的がある。それならばアリシアの提案で思い悩む必要など無いはずであった。


「これからの一年どう使うかは俺らの自由だが、もし貴族に取り入りたいのなら少なくとも姫さんの依頼を受けるべきじゃないだろ? お前は騎士学校を次席で卒業して実力を示した。次は貴族派への忠誠を示すのが筋だ」


「…………」


 そうだ。学生時代、勉学に励み武術を磨き演習で大きな功績を挙げたのも、全ては貴族の目に止まるためだったはずだ。

 貴族は華美な装飾品を好んで身につけるように、功績のある人間を側に仕えさせたがる。従者の質は主人自身のステータスとなるからだ。

 だからこそ、これからの一年はカイムの言う通り貴族に取り入るために活動するのが筋だ。だが――――


「あれこれ考え過ぎだな、めちゃくちゃ怖い顔してるぞ。少し体を動かして発散してみたらどうだ?」


「え?」


「久々に手合わせと行こう。姫さんの提案に乗るにしろ蹴るにしろフィリアの依頼だってあるんだ。腕をなまらせないようにしないとな」


 唐突な提案であったが、確かに気分転換にいいかもしれない。一息つくとエルドはカイムに放り投げられた木剣を受け取る。


「用意がいいね」


「まあな」


 そう呟いて開始の合図も無く先手を取ったのはカイムであった。


 不意を突くカイムの斬撃をとっさに避けようとするが、砂場に足を取られてしまいやむなく防御に転じる。しかし、その一瞬の隙からエルドはうまくカイムの剣をいなせず、足をよろめかせてしまう。


 するとカイムは砂を蹴り上げてエルドの視界を潰すと即座に跳躍して、予め生成して背に隠していた風の矢をありったけ叩きつけた。


「くっ……」


 巻き上がった砂埃が晴れ視界が開けるが、既にカイムの姿はなかった。


「カイムのやつ何が手合わせだよ」


 悔しげに呟くが、カイムはそういう男だ。最大限自分に有利な状況を用意し、確実に勝ちを得る。

 卑怯にも思えるが、その狡猾さこそが彼の強みであり、これまで何度もエルドの危機を救ってきたのだ。

 それは長く付き合ってきたエルドにはよくわかっていた。


「でもおかげですっかり目が覚めたよ」


 そう、だからこそカイムの次の手も自ずと見えてくる。


 エルドはすぅっと息を吸い体内の霊子を練り上げると、腰元にしまい込むように剣を構えた。心地良い夜の静けさで満ちていたその空間はやがてエルドの放つ闘気に飲み込まれる。


 やがて間髪を入れず一筋の剣風が奔った。


 剣風はまっすぐ堤防側の林へと飛んでいき雑木林を一閃すると、遅れて発生した無数の剣閃が雑木林をずたずたに斬り裂いた。


 まるで芝を刈るように雑木林は刈り上げられ、一瞬のうちに更地と化してしまった。見ると、エルドの木剣も衝撃に耐えかねたのかぼろぼろに砕けていた。


「おい、嘘だろ……木剣だぞ……?」


 はげた林の中でへたり込んだカイムがぼやいた。ついでのようにカイムの側には二つに割れた木剣が転がっていた。どうやら勝敗は決したようだ。


「ありがとう、カイム」


 エルドはカイムに礼を述べると手を差し伸べ、そっと引き起こす。


「やっぱり頭を悩ませるよりも思うまま行動する方が僕には向いてるよ。先日の件で思い知った。この国には問題が山積みだ。それを無視して自分の記憶だけ取り戻そうなんて僕には出来ない。記憶を取り戻すには遠回りになるかもしれないけど、それはいつかどうにかなるだろうしね。カイムのおかげで迷いも晴れたよ」


「あ、ああ、それならよかったぜ」


 当初の予定では雑木林に隠れてエルドを一方的に奇襲し、凝り固まったその頭を解きほぐすつもりであった。


「まったくそううまくはいかんか」


 だが結果がよければ過程などどうってことはないのだろう。カイムはそう自分に言い聞かせることにした。

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