第一章 公都に巣食う影

序言

 巡礼の儀の始まりは建国の頃に遡る。


 アルビオン公国初代公王・パーシヴァルは国の西岸を根城とする海賊を駆逐した後、各地を放浪した。

 残党を取り締まり、宗主国にて開発された工法や農法を伝えながら地方に住む様々な民族の抱える問題を解決していった。


 その功績からパーシヴァルは先住民に受け入れられ、国を築き王を名乗ることを許された。

 それ以来、騎士学校を優秀な成績で卒業した若き騎士たちはパーシヴァルの足跡を辿って民の悩みを解決しながら、国内を巡り修業を積むことが伝統となっていた。


 王の末裔も例外ではなく、齢十八を迎えるその年に巡礼の儀に参加し、アルビオンと先住民との絆を確かめることが重要な儀式となっていた。



 しかし、いつの頃からか巡礼は貴族子弟の社交の場へと変わっていった。

 騎士学校の序列は貴族の間で売買され、彼らの側仕えの騎士たちに巡礼の任を押し付けながら子弟たちは各地の貴族と後ろ暗い会合を行う、それが通例となっていた。


 一方では、その目くらましとして表向きの巡礼は派手に豪勢に大々的に執り行われ、大公家と貴族らが「伝統と義務」を守っていることを大げさに誇示するための見世物として機能していた。

 当然そのような大掛かりな式典の代償は、重税という形で民たちに重くのしかかっていた。



 そのような形骸化の流れにあって先代公王は親衛隊の一切を公都に残し、信頼の置ける二人の貴族出身の従騎士だけを連れて巡礼に出るなどして、従来の見世物的な行脚を取りやめたのだ。






 イシュメル人によるアーケード襲撃が事件の翌日、次期公王の位を継ぐアリシア姫はイシュメル人の襲撃を受けて崩落した公会堂にて、巡礼の儀における先王の方針の引き継ぎと共にある宣言をした。


 それは、それまで議会の推薦した侯爵位以上の有力貴族から選出されることが通例であった側仕えの騎士を身分の別なくアリシア自ら選び出すとし、エルド・カイム・フィリアの三人に守護騎士の称号を与えることであった。


 そしてさらに続けてアリシアは、今回の巡礼の儀に際して国内の各地を巡りながら各地で相次ぐ反貴族の暴動の背景を洗い出し解決すること、そのために国内の各地に王室親衛隊を派遣して現地の捜査に協力させることも宣言した。



 しかし、劣等剣士と蔑まれたエルド、平民のカイム、男爵位を金で購入した経緯から成金貴族との誹りを受けるメイウェザー家の息女フィリアを選定したことに対して、貴族派の面々は痛烈な批判を展開した。


 また各地への親衛隊の派兵についても、かつて先代公王による巡礼の儀の改革を伝統を破壊する独断と批判した舌で今度は、姫の宣言はかつて親衛隊の力を借りず独力で巡礼を為した先代公王の遺志に反するとまで言い切る有様であった。



 アリシアに従う公王派と貴族派の対立は、エインズワースとウェインライトという貴族派の二大巨頭がアリシアを支持したことで表向きは沈静化したものの両者の対立の溝は深まるばかりであった。

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