流れる血の色は(8)

 一行に声をかけた人物は、燃え盛る炎のような真紅の髪を腰元まで伸ばし、王室親衛隊の隊長のみに着用が許された黒と紅を基調とした騎士装束を身に纏った、男であれば誰でも見惚れるような美しい女性であった。


「イーグルトン少佐……?」


 その女性の登場に思わずエルドは気まずくなる。


「エルド、先日以来だな……」


 彼女の名はフレイヤ・イーグルトン、エルド達の恩師にあたる人物だ。

 そして、最後までエルドの卒業取り消しに反対していた者の一人でもある。


 先日の件によって、エルド達はお互いに合わせる顔がなかった。


「はい。でもどうして少佐が?」


 フレイヤの背後には親衛隊の白鎧をまとった兵士達がずらりと立っていた。その立ち振る舞いから相当の腕であることが伺われるが、見たところ鎧はボロボロで相当の傷を負っている様子から何らかの激戦を経たものと推測された。


「ここ以外にもアーケードの各所で同様の魔獣が出現してな。そちらの対処で遅れてしまった。だが、よく制圧してくれた。礼を言おう」


「いえ、当然の務めです。少佐こそあれ程の強敵を難なく倒すなんて流石です」


 親衛隊員の面々に対してフレイヤからはほとんど傷らしい傷は見当たらなかった。


「まあ、ここに居る者達だけで制圧したわけではないのだがな……」


 心なしかフレイヤは疲れたような表情を浮かべ、こめかみの辺りを抑えていた。


「?」


「そうそう、僕もいたんだよ。忘れないで欲しいな」


 フレイヤの背後から派手なシャツに遮光グラスをかけた金髪の男が現れた。それを見てエルドまでが呆れのため息を漏らす。


「レオン……どうしてここに、それにその格好のまま外に出たの?」


 身内が奇天烈な格好で出歩いていることに恥ずかしくなる。


「フレイヤと違って僕は休暇中なんだから好きな格好で出歩くのは当然さ」


「はぁ……もう少し聖騎士としての自覚を持ってくれないかしら……」


 フレイヤが呆れる、その口調は先程の男性的なものとは異なり女性らしい言葉遣いであった。


「まあ、この男のことはいい」


「え、酷くない?」


 フレイヤはレオンを無視して続ける。


「守備隊の手こずる者を相手によくやってくれたものだが、四人だけで倒したのか?」


「いえ、あと一人フードの女の子が……あれ?」


 先程の娘はいつの間にかその場から消えていた。


「まあいい。事件の詳しい調査は我々に任せてもらおう。君たちは休暇に戻るといい。巡礼の儀が始まれば当分まとまって休む機会など無いのだからな」


 そう言うとフレイヤは親衛隊士達を指揮し、男を連行しようとする。エルドらは邪魔にならぬようにその場から立ち去ろうとする。


「待たれよ、イーグルトン少佐」


 しかし、それを阻むように藍色の鎧をまとった兵士たちが立ちはだかり、無駄のない動きでフレイヤ達をずらりと取り囲んだ。


「そのイシュメル人、即刻我々に引き渡してもらおうか」


 居丈高な物言いと共に一際装飾の凝られた鎧の男が前に出る。男の名はハーゲン大佐、公都守備隊のナンバー2であり、実質的に公都における警邏を取りまとめている人物だ。


「公都内で起きた事件に関する逮捕・捜査権は我々守備隊にある。親衛隊の出る幕ではない。さあ渡してもらおう」


 ハーゲンはその見事な禿頭を光らせながら、一方的に引き渡しを要求する。


「大佐、ですが公都の治安維持は姫殿下の要請です。大公家の要請であれば我々は国内のいかなる場所でも逮捕・捜査権を行使できる。法にも明記されているはずですが?」


「履き違えるな。”公王”の要請だ。いかな姫殿下であろうと未だ即位されぬ身。聞くわけには行かぬ」


「っ……」


「そういうことだ、少佐。ここは引いて頂こう」


 両者が問答しているとカッカッと石畳に踵を打ち鳴らせながら一人の男性が兵士をかき分けてきた。


「エインズワース閣下……」


 声の主はアルビオン公国の筆頭貴族、エインズワース卿であった。

 黒の布地に金の刺繍のジュストコールを纏った紳士的な男性で、その背は一般的な男子よりも高い部類のレオンに匹敵し、肩幅で言えば同等かそれ以上と言ったほどがっしりとした体躯だ。

 その体格と落ち着いた物腰も相まって相当な威厳を感じさせる。エインズワースはハーゲンの前に躍り出るとおもむろに口を開いた。


「どうやら少佐はアーケードの事件に協力してくれたようだね。礼を言わせてもらおう。レオン少佐も」


「もったいなきお言葉です、閣下」


 レオンは恭しく頭を下げる。対してフレイヤは頭を下げながらも、冷や汗を浮かべていた。


「さて、先日よりリヴィエラ、カラレス、アルヴァン、ドーリスと国内の主要都市にて貴族邸宅や会合施設、貴族本人を狙った暴行・暴動が相次いでいる。散発的ではあるが、何らかの反乱の兆しとも考えられるため、各都市の守備隊、貴族の親衛隊を大々的に動員して、各地の事件の背後関係を洗うこととした。そのため、この地で起こった情報は彼ら守備隊に集約したいのだよ」


「そのような事情でしたら、我々も是非協力を」


「もちろんそうしていただきたいところではあるが、一方でこの様な事態にあっては姫殿下の身も安全とはいえまい。来月には巡礼の儀も控えた重要な時期だ。貴殿らにはぜひ殿下の御身を最優先に考えていただきたいと私は考えている」


「それはもちろん理解しておりますが」


「それ故、親衛隊の面々は殿下の護衛に専念するようにと先程議会で決定した。これはその命令書だ」


「そんな、殿下にも相談されずに……」


 フレイヤは反駁する。確かにエインズワースの言っていることには筋が通っている。しかし、フレイヤとしても決して受け入れるわけにはいかなかった。

 ここ数日国内の貴族を狙った事件が頻発していたのは事実だがその中には、今回の事件のように襲撃者の準備が周到なものや、穏やかな気質の民族が起こしたものなどがあり、不可解な点がいくつもあった。


 そのためフレイヤの主は一連の事件の調査を親衛隊に要請したのだ。ここでエインズワースに丸め込まれるわけにはいかなかった。


「護衛の件でしたら不要です、エインズワース卿」


 エインズワースの正論に反論できず、膠着する空気を打破するように、先程のフードの娘が躍り出た。娘は優雅な所作でフードを外すとその素顔を露わにした。


 そこから解き放たれたのは見るものの目を奪うほど美しい銀の髪と翠玉のように透き通った瞳であった。


「姫殿下!?」


 フレイヤが思わず狼狽する。いやフレイヤだけではない。その顔を見てこの場でたじろがぬものはいなかった。ただ一人を除いて。


「アリシア殿下、お姿が見えないと思ったら斯様なところにおいでとは……巡礼の儀に先立ってすべきことは多々ございます。それらはどうされたのですか?」


 エインズワースと対峙するこの娘こそ、この国で唯一正当な統治者の血を引く者、アリシア・パーシヴァル・アッシュフィールドである。

 表情にこそ現れないが、この場に彼女が現れたことはエインズワースにとっても予想外のようであった。


 アリシアは陽光に煌めく銀の髪をさっとかき上げるとゆっくりと口を開いた。


「息抜きにこっそり城下を訪れていました。そうしたところ、ただならぬ事態が起こった様でしたので微力ながらお手伝いさせて頂いた次第です」


 そう言ってアリシアはエルド達にちらりと視線をやり、笑みを浮かべた。

 先程まで共闘していた娘の正体が雲の上の存在として憧れていたアリシアであったという事実だけでも驚きだというのに、真っ直ぐ向けられた美しい瞳と屈託のない笑顔に思わずどきりとする。


「それにしても、卿の驚く顔が見られるものと期待しましたが、さほど驚いてはおられぬようですね」


「いえ、十分驚いています。それどころか肝の冷える想いです。もう少しご自身の立場を理解していただきたいものですな」


「こればかりは私も公爵閣下に同意いたします。もし城下に出られるのであれば、私をお連れください。幸い何事もなかったとはいえ、あの様な魔獣がうろつく事態、殿下の身に何かあったらと胃が痛みます」


「ごめんなさい、フレイヤ。でも、フレイヤの仕事の邪魔をする訳にはいかないでしょう?」


 アリシアはいたずらっぽく言い放った。それを聞いてフレイヤは何かを悟ったようにそっとため息をつく。

 するとそれっきり何も言い返すことはなかった。そのやりとりから普段の二人の力関係が伺えるようだ。そうしているとエインズワースが再び口を開いた。


「少佐の心労が伺いしれますな。殿下、どうか現在の危機に備えて、不要不急の外出は抑え、親衛隊を側にお控えください」


「卿の心遣い、嬉しく思います。ですがこうして無辜の民が犠牲になった以上、我が身よりも今この瞬間も苦しむ者たちのために手を尽くす。それこそが為政者としての有り様ではないでしょうか?」


「志は御立派ですが、国は王なくば成り立ちません」


「そうですね。少なくともこの国においては王は民の心の拠り所であり、必要不可欠な存在です。卿はそのことをよく理解していらっしゃる。ですがだからこそ私は民にとって良き王でありたいのです。ここ十年、王不在の不安に苛まれた民たちの心痛は察するに余りあります。民たちの望む王として振る舞う、それもまた必要なことであるとそうは思いませんか?」


「それは……確かに一理ありますな」


 先王は政の手腕だけでなく武勇にも優れた傑物であった。その強き王としての在り方は、帝国の脅威に怯える民たちにとって自らを勇気付ける存在であったことは事実である。


「無論、私とて自らの命に掛かる責任の重さは理解しております。故に此度の巡礼の儀においては、その腕、精神ともに最も信頼の置ける者たちと共に出立するつもりです」


「まさか先王のように殿下も少数で旅立たれるおつもりで?」


「先王はそれまでの見世物のパレードと化した形式的な巡礼の儀を改め、臣下の帯同を戒めました。その血を引くものとして、それに倣うのが筋でしょう。それに国内で相次ぐ事件の調査に人手を割くには丁度いいとは思いませんか?」


「ですが街道には盗賊や幻獣が跋扈し、主要都市で起こる暴動の矛先がいつ殿下に向けられるか分かりません」


「確かに卿のおっしゃる通り、国内の治安は決して良いとは言えません。ですが建国の祖・パーシヴァルが国内を巡ったとき、国内は今よりも酷い状況であったと聞きます。その様な状況で僅かな伴を連れて、パーシヴァルは困窮した民を救い、その信頼を勝ち得てきました。その血を引く者としてその程度の事情で足踏みするべきではない、そうは思いませんか?」


「当時と今では状況が違います」


「いえ、状況が異なるからこそそうする必要があるのです」


 先程までの穏やかでほんわかとした口調から一転、アリシアは真剣な口調でエインズワースに相対した。


「私の目は誤魔化せません、エインズワース卿。各地で相次ぐそれぞれの事件では、必ず何らかの不穏な兆候が見られています。まるで何かの前触れのように。事実、ここアルスターではイシュメルの方たちに供給される水が汚染されました」


「…………」


「穏健で知られるイシュメル人がなぜ今回のような凄惨な事件を起こしたのか、なぜ貴族を狙い事件が相次いでいるのか、そしてなぜ民たちの不安を煽るかのように街道の盗賊や幻獣は捨て置かれているのか、何も気付かない私ではありません。今回の巡礼の儀で私はそうした事件の裏側を洗い、膿を一掃するつもりです」


 アリシアはそう言い放つとキッとエインズワースを見据えた。

 その瞬間、エインズワースの目付きが一変する。その心の奥底は決して伺いしれないが、未熟な子の行動を疎み、諌めようとしていた先程までの態度と、今アリシアに向けるその視線は明らかに別のものであった。


「なるほど。流石にあの王の血を引くだけはある」


 ボソリとエインズワースが呟いた。


「良いでしょう。殿下の覚悟しかと聞き届けました。であれば殿下のご自由にされると良いでしょう」


「な、閣下!?」


 その決定にまず最初に驚いたのはハーゲンであった。


「大佐、今後は親衛隊とも連携して当たるように」


「は、はい」


 しかし仮にも相手は公爵位を持つ大貴族である。ハーゲンがそれ以上異を唱えることはなかった。


「しかしそれなら先程議会の下した決定も枷となるだけですな。すぐに撤回するよう働きかけるといたします」


「ご理解のほど感謝いたします」


「ですが最後に、どうか殿下がお連れになる従者をご紹介いただきたい。それぐらいは許されても良いでしょう」


「ふふ、そうですね。いずれ知れるものですから」


 エインズワースの要望に快く応じ、アリシアは優雅な所作で腕を上げて自らが選んだ従者を指し示した。


「え?」


 アリシアの華奢な手のひら、その指先が示していたのエルドたちであった。


「エルドとカイム、そしてフィリアと申します。彼らは誰の命令も受けず自らの判断のみで有事に対処し、臆することなく市民を襲う脅威を撃破しました。私は彼らこそが建国の祖・パーシヴァルの理念の体現者と考え、守護騎士の位を与え、この度の巡礼の儀の帯同者とするつもりです」






 それは青天の霹靂とも言うべき出来事であった。



 劣等剣士と呼ばれ、騎士への道を閉ざされたエルドに示された、たった一つの道をアリシアは示した。



 時にイルフェミア暦1472年、帝国の侵攻と王の死により国情不安へと陥ったアルビオン公国において、救国の意志をもって一人の王女・アリシアが立ち上がった。


 側に控えるのは伯爵家の子息にして不吉の象徴たる紅眼を持つ青髪の青年・エルド、その青年と一蓮托生を誓った無二の親友にして、赤い髪の寝ぼけ眼・カイム、アルビオンとイシュメル、異なる民族の血を引き、両者の融和と幸せを願う娘・フィリア。


 出自や経歴のまるで異なる四者の邂逅、それはアルビオンという国が迎える大きな歴史のうねりの始まりと呼べる出来事であった。

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