流れる血の色は(6)

 それは並の人間がまともに食らえば全身の血管がズタズタにされて再起不能に陥る、それほど強力な魔法であった。

 やがて旋風が止み、舞い上がった埃がさあっと晴れていった。


 これほどの魔法であればあの獣も魔力を消費しきって倒れる。そのはずであった――――


「嘘だろ……」


 結論からいえば魔獣は倒れていなかった。

 驚くことに魔獣は自身の影を実体化させ、旋風から身を護る盾としていたのだ。厚い床を根こそぎくり抜くほどの威力であったため完全には防ぎきれずに傷こそ出来てはいたが、魔力切れを起こすほどではなかった。


 魔獣は肩で息をしながら、かろうじて回復した右腕を影の盾に沈めるとそれを剣の形へと変貌させた。消耗した様子ではあったが、戦意は失っていなかった。


「カイム、今のもう一度できる?」


「無理……だ。今の俺の魔力量じゃ連発はできない」


 そう言うカイムの顔はうっすらと青白くなり、小刻みに息をするなど疲弊した様子であった。それは体内の霊子を使い切った者に現れる症状であった。


「わかった。なんとかしてみる。カイムは休んでて」


 あの底知れぬ獣と真っ向から戦い瀕死に追い込む。無謀ではあるがやるしかないだろう。エルドは覚悟を決めて剣を構え直した。

 既に魔力は底を尽き始めた。だが、ここでなんとしてもあの獣を止めなければならない。


 エルドはここで畳み掛けるべく霊子を練り始めた。


 次の瞬間、エルドの姿が消えた。


 そして、混乱する獣に見舞われたのは二振りの銀閃、そして肩と脇腹を同時に走る激痛であった。

 瞬速で振り抜いた上下からの剣閃が竜の顎門あぎとのように相手を切り裂く、エルドの得意とする剣技の一つだ。


 エルドは立て続けにその腹部を蹴り飛ばし、たまらず吹き飛ぶ獣を追撃せんと跳躍した。

 獣が地に着地するより速くその身に追いつくと、大きく振り上げた剣の一撃を繰り出す。獣はなんとか防御の姿勢をとり、地を踏み締めた。


 しかし、それは悪手であった。獣はここでなんとしてもその一撃を回避するべきであった。しかし時既に遅く、エルドの全霊を込めた一撃は影の剣を砕き、魔獣を肩口から袈裟に切り裂いた。


「ガァアアアアアアアア!!!!!!!」


 移動、牽制、攻撃それぞれの動作に必要な魔力を、必要な分だけ必要な部位に的確に巡らせる。それは長い修行の過程で己の肉体の動きを正確に理解したエルドだからこそ可能な芸当であった。


 巧みな魔力操作が実現する迅と剛の二つの剣、そのコンビネーションにより深手を負った獣はたまらず絶叫に近い咆哮を上げた。


 しかし、エルドはなおもその追撃の手を休めない。

 相手の魔力が尽き始めていると推測はできても、その底は未だ見えない。確実に獣を無力化するためにも最後まで決して油断してはならない。


 膝をつく獣に向けてエルドは横薙ぎに剣を振るった。しかし――――


「こんなこともあるのか……」


 エルドの振り抜いた剣は獣の目の前でピタリと止まった。先程砕いた影の剣が形を変えてエルドの腕を縛り上げていたのだ。

 影はそのままエルドを宙に持ち上げて無防備の状態に晒す。


 完全に予想外の出来事であった。なまじ人に近い体躯で剣を振るうために忘れていたが、眼の前の獣は影を操るほどの異形であった。

 そうであるなら最大限に警戒して然るべきだった。自分では油断はしていないつもりではあったが、今の優勢な状況に対して心の何処かで逸る気持ちがあったのかもしれない。


 まるで身動きの取れないエルドの様子を見て獣は勝ちを確信したかのような笑みを浮かべた。そして、エルドが動けないのを良いことに拳を振るい嬲り始める。


「がっ……ハァ……」


 まともに防御も出来ずに獣の殴打に晒されるエルドだが、無理矢理に腕を引っ張ってなんとかその戒めから逃れようと試みる。


「がぁあああああああ」


 渾身の気合とともに右腕を覆う影を引きちぎった。

 余程強い力で抑えられていたのか、拘束されていた箇所には黒々とした痣が出来上がっていた。千切り際に影に引っかかれたこともあり血もどくどくと流れていた。


(まずい……)


 エルドの気迫に魔獣も一瞬たじろいだが、エルドにとって拘束を一つ外すことが精一杯で唯一できた抵抗であった。それに気付いた獣は腕を振り上げて影で出来た爪を展開して振り下ろさんとした。


「くっ……」


 それでもエルドは魔獣をキッと睨んで何とかかわそうと試みるが、魔獣の爪はしっかりとエルドの頭上を捉えていた。悪あがきにエルドは細腕を振り上げるもいよいよ万策が尽きていた。


 ――――しかしその爪がエルドを引き裂かんとするその刹那、鋭い風切り音と共に光の矢が魔獣に突き刺さって霧散した。


(一体何が?)


 一瞬のことに事態を飲み込めずにいると、続けざまに数本の矢が飛来して魔獣をエルドから引き離した。


(カイム? いや……)


 魔法で扱える属性は人によって異なる。少なくともカイムの扱える魔術に光属性のものはなかったはずだ。エルドは思わぬ助け舟に疑問を抱くがその答えはすぐに出た。


 エルドの目の前に躍り出たのは先程治癒の手助けをしてくれた娘であった。どうやら先程の矢は彼女の放った魔法のようであった。娘は光纏う細剣を振るうとエルドを拘束する影を斬り裂いた。


「ご無事ですか?」


 娘はエルドの元へと駆け寄ると、左腕に治癒の魔法をかけて傷を塞いだ。


「君は……」


 掴み上げられた腕を擦りながら娘の方へと視線をやる。相変わらずフードを目深に被り表情は伺えないが、その剣筋からかなりの使い手であることが伺えた。


「彼の魔力も底を尽き始めているようです。このまま押し切りましょう」


 そういって彼女はよろめいた獣に向かって突きを繰り出した。


 力こそエルドと比べるべくもないが、しなやかで高速な剣筋を前に獣は防戦一方となる。

 やがて獣が影の剣で応戦しようとするが、それでもなお娘は的確にその剣撃を払い、互角以上に斬り結んでいた。


 しかし決め手に欠けるのか、両者は無数の斬り合いを続けたまま膠着状態に陥った。一方のエルドは魔力消費が激しく身体強化もほんの一瞬使えるどうかといったところであった。このような状態であの魔獣に対抗できるのだろうか。


(いや、一瞬あれば十分だ)


 勝敗は魔力量で決するものではない。一瞬の見切りと判断力、それを裏打ちする経験と鍛錬がものを言う。

 エルドは娘と斬り合う獣目がけて駆け出した。新手の登場に対して獣はもう一振り影の剣を生成して抵抗しようとする。


 しかし、素人が二振り持ったところでどうにかなるものではない。エルドと娘は同時にその剣を弾いた。


 続けざまに空いた胴を狙って二人の閃撃が同時に交差し、獣の胴に二筋の裂傷が刻まれた。傷こそ浅いが技量では二人の剣士が上回っていた。


 獣は両手の剣を統合してより巨大な得物へと昇華させて再び斬りかかったが、娘は後方に跳んで壁を蹴り、エルドは獣の頭上を飛び越えるように跳躍すると、獣の剣を難なく躱して同時にその足元を斬りつけた。


「アァァァァァ」


 怒る獣は乱暴に剣を振り回すが、技とすら呼べない児戯ではまるで二人に通用しない。やがて娘は魔力を錬成すると光の鎖を生成して獣の動きを封じる。


「今です!」


 娘の掛け声を合図にエルドは再び剣を振りかぶって、獣の胴へと迫った。


「らぁあああああああ」


 そして今自分が振り絞れる限界の魔力を引き出してその一撃に込める。弱った身体に無理に魔力を通したものだから凄まじい激痛が駆け巡る。

 しかしエルドは気力を振り絞り、渾身の袈裟斬りを叩き込んだ。今エルドの放てる限界全霊の一撃だ。並の人間なら鎖骨ごと砕けてもおかしくない。


 エルドの斬撃を食らった獣は一拍置くと、やがておどろおどろしい雄叫びを振りまき、全身から出血した。

 そして咆哮が止んだ頃には、息も絶え絶えといった様子で声にならないうめき声を漏らし、そしてぷつりと事切れたように地面に倒れ伏した。


「はぁはぁ……」


 同時にエルドも全身から血を吹いてその場にへたり込んだ。ただでさえ常人を遥かに凌ぐ魔力を秘めた存在を相手に無理に力を引き出したのだ。身体への負担は想像を絶するものであった。


「エルド!!」


 その様子を心配してカイムと娘がエルドの元へと駆け寄る。他に類を見ない異形の出現、守備隊ですら手に負えないほどの強敵であったが、ひとまずその脅威も若者たちの手によって払われた。

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