流れる血の色は(2)

「見事、彼はここ数分の記憶を失い、二度とこの店に寄りつくことはないだろう。最後に彼に残ったのは憧れの貴族にその在り方を認められたという幸せな記憶だけだったとさ」


 エルドは物憂げな表情を浮かべながら、愛おしげに紅茶の香りを堪能する。その口ぶりはまるで自分に酔っているかのようであった。


「酔って全てをトイレにぶちまけた人間の物言いじゃないな」


「ふふ、今とても気分がいいよ。腹に抱えたものが無くなったからかな」


 エルドは顔立ちが幼くともすれば女性的でもあったが、今は心なしかすっかり艶めかしくなったように思われた。微かに漂わせる臭いを除いて。


「何もお前まで口にしなくても良かったと思うんだが」


「いくら彼の振る舞いが酷くてそれを追い出すためだからって、あんなものを食べさせるなんて人でなしの所業だよ。なら、僕もその罪を被らないと釣り合いが取れないよ」


「変なところで真面目だな。でも結局あのチーズはどういうものなんだ? 名前だけは聞いたことあるが」


「……知らないで居るほうが幸せなこともあるよ」


 そう言ったきりエルドは何も語らなかった。


「何はともあれ、お二人とも助かりました。なんとお礼を言って良いか」


 青年は助けられたことに感謝して、深々と頭を下げていた。


「まあ気にすんな。困っている人間を助けるのも騎士の務めだからな」


「なんと、お二人ともまだお若いのに騎士の方でいらっしゃいましたか」


「正確には従騎士だ。巡礼の儀も済ませてないし」


 本当は自分は違うのだが、とりあえずエルドは話を合わせることとする。


「いえ、それでもご立派なことです。しかも私のようなものまで気にかけていただいて」


 どうにも青年はへりくだるを通り越して、自嘲気味に物を言うことが多かった。


「ああいった人は珍しくないんですか?」


「以前はそれほどではなかったのですが、先日の水源の汚染騒ぎ以来、どうにも風当たりが強く……」


 そう言って青年は腕をさする。よく見ると薄っすらと彼の目の下に痣ができていた。もしかしたら、今回のように誰かに因縁を付けられ何らかの危害を加えられているのかもしれない。

 同じアルビオンの民として、エルドはそういった振る舞いに出る者がいることに対して申し訳なさを感じる。


「あ、僕はキシュワードと申します。あなた方は?」


 二人はそれぞれ名を名乗る。


「今回は本当に助かりました。機会があればお礼をさせてくださいね」


 キシュワードはそう言って再び一礼をすると店の奥へと去っていった。


「僕からも礼を言わせて欲しい。同じ元異邦人という境遇から彼を雇ったんだけど、ああいった侮辱的な言葉を吐き捨てる人が居て困っていたんだ。でも、君らイシュメル人に助けられて彼も少しは心が晴れたかも知れない」


 入れ替わるように現れた店主もまた深々と頭を下げた。


「おっと、あんまり待たせても仕方ないね」

「ああ、かぐわしい炭焼の香りだ。待ちきれない」


 しんみりとしてしまったが先程から食欲を誘う香ばしい匂いが漂っており、カイムは逸る心が抑えられずにいた。エルドもまた同様であった。

 そして逸る二人の前に店主がごとりと器を置いた。


 目を引いたのはアルビオンでは見慣れない底の深い黒い石の器、ぎっしりと詰められたライス、そしてそれがほとんど隠れて見えなくなるほどに盛り付けられた肉厚なステーキだ。

 ステーキは切り分けられており、切り口から漂う肉汁がライスを伝って石の器に注がれる度にジュージューと香ばしい音を奏でていた。


「これがアルマーレの名物……?」


「伝統料理は数あれどアルマーレ人のソウルフードと言えばこいつだ」


 これは料理といえるのだろうか? ライスに肉を乗っけただけの雑な盛り付け、胡椒にステーキソースといった簡素な味付け、アルビオンでは到底お目にかかるような見た目ではない。だが……


(ゴクリ……)


 エルドはゴクリと喉を鳴らした。目で楽しませる盛り付けや繊細な味の調和にこだわったアルビオン料理とはまるで異なり、インスタントに腹と舌を満たそうとする作りになぜだか無性に惹かれてしまう。


「さあ遠慮せずライスと一緒にかきこんでかきこんで」


 先程から立ち昇る肉の煙、まぶされたあらびきの胡椒、にじみ出る肉汁、ありとあらゆるものが食欲を刺激して止まない。

 今すぐにでもかぶりつきたいが、アルビオン男子としてはしたない食べ方は出来ない。


 逸る胸の鼓動を抑えながらエルドはゆっくりとスプーンを器に寄せる。そのまま肉をつつくと爆ぜるように肉汁が溢れ出してきた。肉を伝って滴るソースと肉汁が混ざり合ってライスを色づけていく。

 エルドはあわてて肉をすくい上げると口の中に放り込んだ。


(っ!!)


 じゅわっと肉汁がにじみ出て強烈な旨味が口いっぱいに広がった。予め切り分けて出されているが、何か旨味を閉じ込める工夫をしていたのだろうか?

 胡椒に臭みをかき消され、ダイレクトに肉の旨味が伝わってくる。


 ふと見ると店主が口の方へと手をくいっとさせている。どうやらライスも一緒にとのことらしい。

 未知の体験であったがその味わいどれほどのものだろうか、恐る恐るライスを口へと運ぶ。


(!!)


 それは今まで味わったことがないほどもっちりした食感でほのかな甘味を感じるものであった。そしてその味わいがステーキとソースの塩気と混ざりあって、強烈な旨味を生み出していた。


(ああ、ライスがこんなに美味しいなんて)


 ベンは何故、やたらとライスなど勧めてきたのだろうとエルドは思っていた。

 しかしこの相性の良さを体験して、エルドは考えを改めた。


 間違いない。肉とはこのライスと共に食されるためにあったのだ。いや肉だけではない。

 ありとあらゆる食材はこのライスと出会うために生まれてきた、そう感じさせるほどに今目の前に出された一品からは無限の可能性が感じられた。


 向かいに座るカイムも夢中でこの料理をかきこんでいる。エルドも負けじと食べ進めた。


「どうやら気に入ってもらえたようだね」


「ええ。こんなに美味しいもの食べたことがありません!」


「ああ本当だ。一体なんていう料理なんだ?」


「これは炭焼きステーキ丼っていう料理で、アルマーレ田舎の牧夫がたちが生み出した料理なんだ」


 アルマーレで主流の米は大陸南部で生産される種であり、噛みごたえのあるもっちりとした味わいが特徴であると言われている。

 ライスはアルマーレ人にとっての主食であり、海上交易の盛んな沿海部などでは港湾労働者が短い時間で手間なく食事をするため、様々な食材を乗っけてソースや香辛料で味付けして食す丼というスタイルが確立されて愛されているそうだ。

 炭焼きステーキ丼はその丼を元に考案されたもので、今では国民食といえるほどメジャーな料理となっているとのことである。


「何と言っても肉が重要なんだ。闘牛って知ってるかい?」


「そうか。この肉、ミゼールの暴れうし」


「知ってるのか、エルド?」


「アルマーレの牛は気性が荒くて、繁殖期になると雌をめぐって角を突き合わせて争う性質があるんだ。それを管理して食に最も適した肉質を保つことを闘牛っていうんだけど、中でもミゼール地方で産出される肉牛は脂が少なく引き締まっていて、それでいて旨味の凝縮された上質な赤身肉が採られることで有名なんだ。それがブランド化してミゼールの暴れうしなんて呼ばれたりもしてるんだけど」


「なるほどな。だがお前はグルメのことになると妙に早口になるな」


 何故だろうか、エルドは酷く馬鹿にされたような気分がした。


「いやでもほんと詳しいね。うちの国のことをそんなに知ってもらえてるなんて嬉しいなあ」


 気を良くしたのか店主は様々なうんちくや故郷の話を語ってくれた。

 美しいビーチや古代の遺跡が数多くあり観光業で栄えていること、海向こうのロンディニア王国とアルビオンを結ぶ三角貿易で栄えたこと、ビーチで小さな宿泊所を経営していたことなど、客足が落ち着いたこともあって店主の語りは止むことはなかった。

 一方、外国の話を聞く機会のない二人もまた夢中で店主の話に耳を傾けた。


「僕のように帰国を望むアルマーレ人はたくさんいるけど、未だに帰国できてないんだ。帝国が入国規制をかけてるからね」


「レジスタンスへの参加や援助を断ち切るためですよね?」


「そうだね。帝国はアルマーレの支配を確実なものにしようと締め付けと懐柔を強くしている。今じゃアルマーレ王国って名前も奪われてしまったしね……」


「…………」


 アルマーレ直轄領、それが王国の今の名前だ。

 帝国の占領政策によって、アルマーレ人は確かに繁栄を手にした。しかし同時に民族としての誇りと拠り所は根こそぎ奪い尽くされていた。そのことはアルビオンの人間にとっても他人事ではないだろう。


 十年前の戦争で侵略を防ぐことが出来たのも様々な偶然が重なったためだ。その代償としてアルビオンは兵力の大半を失い、英雄と呼ばれた騎士も命を落とす結果となってしまった。


 貴族の専横、農地と鉱山に縛り付けられた地方の平民たち、重なる増税、王位を巡る争い、未だまとまらぬ国内に民の不安は募り、国の治安は悪化の一途を辿っている。

 その様な状況で停戦の努力が破綻し、再び戦端が開かれたら? アルマーレのことを思えば、そう危惧せずにはいられなかった。


「ごめんごめん。せっかくご飯を食べに来てくれたのに暗い話をしてしまったね……あ、そうそう。キシュワードくんを助けてくれたお礼にここのお代は――――」


 店主がそう言いかけると、突如轟音が響き渡った。見ると店の窓は砕け散り、店主の頭上の天井が崩れ落ちようとしていた。


「っ……」


 エルドは咄嗟に霊子を練り上げ、魔力を身体に巡らせる。人は体内の霊子を練り上げることで様々な現象を引き起こすことが出来る。身体の強化はその中でも最も基本的な魔術だ。


 エルドは床を蹴り上げると、店主を抱きかかえて救い出す。直後崩落した瓦礫が降り注ぎ、店主の立っていた床を陥没させた。


 打ち破られたドームの天井、倒壊するエンタシスの柱と螺旋階段、粉雪のように辺りを舞う爆ぜた硝子、そして空を覆いモールを襲う騎竜の数々。

 崩落してえぐれた天井と壁の穴から覗く光景を見てエルドは理解した。


 かくも美しく壮麗な公都は今蹂躙され、密かに燻ってきた民の悪意と憤懣を無視してきたツケを払わされる時が来たのだということを。

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