流れる血の色は(1)

 アルビオンの食は豊かだ。

 西の大海で取れる海産物、海洋貿易によってもたらされるバラエティに富んだ食材の数々、そして東部の穀倉地帯の存在から長らく美食大国としての地位を築いてきた。

 そのためこのアーケードにも多彩な飲食店が軒を連ね、中には異国の料理店も多く出店している。


 エルドたちは魔導工房を後にすると、先ほどベンに紹介されたダカール料理の店を訪れていた。

 ログハウスのような外観の通り、店内は木造りの暖かな空間となっていた。


 暖色系の照明に照らされたテーブルがつややかに光って居心地の良さを感じる。内装には随分とこだわった店のようだ。

 昼前だと言うのに店内の席はそこそこ埋まっており、いくらか繁盛している様子であった。


「いらっしゃいませ。二名様でいらっしゃいますか?」


 入店した二人を背の高い黒髪の浅黒い肌の男が出迎えた。すらりと伸びた背筋に丁寧な物腰、とても紳士的な好青年だ。


「こちらへどうぞ」


 しかし彼が席に案内しようと背を向けるとそれはより際立った。自分たちのものとは明らかに異なる頭に生えた獣の耳、それは狼を祖先に持つイシュメル人に顕著な性質であった。よく見ると袖口から覗く手の甲にはふさっとした被毛が見て取れる。


「私のような者は珍しいですか?」


 エルドの視線に気付いたのか、青年が尋ねてくる。


「あ、いえ、その……すみません、じろじろと」


 どうやら知らず知らずのうちに食い入るような視線を向けてしまっていたようだ。しかし男はさして気にした様子もなく二人を空席へと導く。


「構いませんよ、慣れてますから。それではごゆっくり」


 爽やかな笑顔を浮かべてそう言うと店員は去っていった。


「さて、この後はどうする? 巡礼の儀に向けて準備することは山ほどあるぞ」


「カイム、そのことなんだけど……」


「なんだ?」


 いい加減、言わない訳にはいかない。エルドは卒業の件を告げようと口を開く。


「巡礼のことなんだけど――」


「いらっしゃい!!!」


 しかし、意を決したエルドの言葉は店主の大きな声でかき消された。


「僕はアルマーレ出身だからね。本場の味をごちそうするよ。さあさあメニューをどうぞ!」


 せっかちな気質なのか店主は早口でまくしたてながら、グラスに水を注いでいく。


「ま、話はあとにしようぜ」


「あ、うん。そうだね」


 また、言う機会を失った。


「おっさん、アルマーレ人なのか?」


「うん、帝国が侵攻してきた時に逃げてきてね。もう十年近くここでやってるよ」


 彼のような難民はこの国では珍しくない。

 かつてアルマーレに帝国が侵攻した際には数多くの難民が発生し、海や陸を渡って周辺の国々に逃れた。

 その後休戦を迎え、故郷への帰還を望む者は大勢いたが、経済的な事情から多くの難民が帰還を果たせずやむなくそれぞれの国に残留することとなった。

 彼もそのような難民の一人なのだろう。


「そいつは災難だったな。向こうは今でもレジスタンスが抵抗を続けているらしいが、いつか戻れると良いな」


「うんうん、ありがとう。いつか故郷に帰る日のためにいっぱい稼がないとね」


 会話中も癖なのか店主はやたらと手の甲をさすっている。どうにも落ち着きのない人物であった。


「さて、当店のオススメなんだけど――――」


「ふざけるな!」


 店主の言葉を遮って怒号が響いた。


「何故貴様の様な亜人風情の注いだ水を飲まねばならんのだ!」


 声の先では先程の青年が、男性の理不尽な誹りを受けていた。


「ご不快にさせて申し訳ございません……今、替えの物をお持ちいたします」


「そういう問題ではない。わしは栄えあるアルビオンの民であり、これでもロージアン伯始め貴族の方々とも懇意にさせてもらっている。それが、こうして下賤な種族と食の場を共有しているのが問題なのだ! 第一、この街の水に毒を混ぜた者達を雇うなど店主は一体何を考えておる」


 青年のへつらいにもかかわらず、男の怒りは欠片も収まりを見せることはなかった。

 あれやこれやと不満を喚き散らし、取り付く島もない。店長はエルド達に断りを入れると、慌てた様子で取り成しに向かった。


「見てて不愉快になるな。止めてくるか」


 その所業に憤りカイムが立ち上がろうとする。しかし、エルドはすぐさまそれを制した。


「なんで止める? ああいう手合はお前も許せないだろう」


「そうだけど、ああやって頭に血を上らせた人をカイムみたいな若いのが諭したって変にプライドを刺激して逆上させるだけだよ」


「そりゃそうかもしれんが……」


 カイムを宥め、座らせるとエルドはそれとなく怒鳴る男に目をやる。


「言動や服装からして貴族ではないみたい。服装はそれっぽいけどあのひらひらしたシャツは貴族風を売りにする少し高めのブランド品だ。王家から賜るジャボとは明らかに違う」


「そうなのか? 俺には見分けつかんぞ」


「見れば分かるけどジャボには王家から下賜されたことを表す刻印が刺繍されてるんだ。それに彼らはコートの刺繍なりブローチなりに家紋をあしらった装飾を用いるけど、あの人の服装にそういった物は見られない。もちろん貴族だっていつも身に着けているわけではないけど基本的に外を出歩く時に外す理由はないんだ」


「なるほどな。さすがは貴族のボンボン。大方、魔導器製造で需要の高まったフェリクサイトの採掘で財を成した成金ってところか」


「商人の中には下手な貴族よりも財産を持ってる人がいるけど、血脈や家格という抗えない差を付けられている。ああして自分と違う見た目の人を下とみなして恫喝するのは、支配欲とか成功を掴んでも越えられない壁への劣等感みたいなものの表れなんじゃないかな?」


「はぁ~、なるほどな。相変わらず大した観察眼だ。でも少し気持ち悪いぞ」


 一見感心したような口ぶりを見せるも、カイムは明らかに引いていた。


「うるさいな」


 無論、エルドにも自覚はある。それが正鵠を射てようが失していようが他人に自分のことを見透かされたように明け透けに言われたら、不快になるというものだ。

 エルドもそれを理解しているため、面と向かって今のような言及をすることはない。


「それで、そういった負の感情を抱えたやつはどうするんだ?」


「ん?」


「『ん?』じゃねえよ。どうあいつを諌めるんだよ」


「斥候は僕の仕事で策を考えるのはカイムの仕事だろ?」


「おいおい……」


 あっけらかんと言い放ったエルドに呆れたようにカイムはため息をついた。確かに学生時代の演習においては、エルドが斥候を請け負いカイムが策を考えるという分担が出来上がっていた。

 そういった経緯からエルドはカイムの策に全幅の信頼を寄せているのだが、その信頼は日常においてこのように丸投げという形で表れるのだ。


「まあ、そういう手合なら自分が上に見ている人間におだてられたら気分良くなって返ってくんじゃないか?」


「それだ!」


 合点がいったように勢いよくエルドは立ち上がった。


「あ、おい何だ急に」


 そして、カイムが何か言うのも聞かずにそそくさと男の元へ向かった。


「失礼いたします」


「なんだね君は?」


 店主に怒りをぶつけている最中であった男性は、突然の横槍に苛立ちを隠すことなく応じた。


「はい。私はイーグルトン伯爵家の嫡男、エルドと申します」


「ん? お、おお、王家の守りの翼の! 私はマイセン鉱山の採掘責任者を務めます、オニールと申します。よもやこの様なところでお会いできるとは光栄の至りです」


 しかしエルドの素性を知ると先程までの怒りはどこへやら、男はすぐさま立ち上がりうやうやしく礼をした。


「いやはや、これはお見苦しいところをお見せしました」


「いえいえ、卿はこの国の伝統と誇りを大切に思っていらっしゃる。その熱意は確かに伝わりました。貴方のその心魂はとても貴族らしいと思います」


 悪い意味でと付け加えそうになるのをぐっとこらえる。


「よもやイーグルトン伯爵家の方にその様に言っていただけるとは。もったいなきお言葉……」


 しかし、エルドの真意も知らずオニールは感涙に咽ばんという勢いであった。


「ですが彼らも今では栄光あるアルビオンの一員、その様な者達への寛容を示すのもまた貴族の在り方というもの。そうは思いませんか?」


「ええ、ええ、エルド様のおっしゃるとおりであります」


 果たして先程までの男と同じ人間なのだろうか。エルドの言葉を全面的に肯定するその様はいっそ滑稽にも思えた。


「聞けばアルマーレにはカース・マルツゥなる珍味があると聞きます。お近づきの印にご馳走致しましょう」


「ま、待ってよお客さん!? 正気ですか?」


「ご主人、早速二人分ご用意ください。それと別室に案内いただけますか?」


「いや、だけど……」


 エルドの提案に店主は戸惑っていた。しかし、そんなことは意に介さずエルドは話を進めていく。


「どうなっても知りませんからね……」


 そして二人は店の奥へと消えていった。カイムはそんな二人を見送っていた。


「カース・マルツゥ、それはアルマーレの地方の言葉で腐ったチーズを表す言葉だ」


 カイムはエルドの様子を見てぼそっと独り言をつぶやいた。


「なのにそれを二人分なんて、お前男だよ……」


 カイムの頬を一筋の涙が伝った。






 ――それから数分後、店内にはこの世のものとは思えない咆哮が響いたという。


 後にこの出来事から店の前の通りは地獄への片道という異名が与えられ、後世の歴史書にも記されたという。

 なお、この出来事の契機となったカース・マルツゥなる食材については後世のどの歴史家に尋ねても明確に正体を語ることはなく、皆墓場までそれを持っていったという。

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