第21話 英梨亜との約束

 英梨亜からのタイマン勝負を申し込まれた俺は現在、場所を移して空手部と柔道部が共用して扱う道場内にいた。


「それではこれより、英梨亜と神崎との一戦を始める!」


 畳が敷き詰められた道場の中心でそう宣言したのは三崎先生だ。

 放課後になり俺と詩音、そして、三崎先生と英梨亜以外の生徒たちは既に帰されており、道場もこの日だけは使用禁止とされていた。


 なにもそこまでしなくともと心の隅で思いながらも俺は空手着に着替えを済ませており、ジャージ姿で準備運動をする英梨亜を見据えていた。


「ニシシッ、ようやくこの時がきたなぁ〜!」


 俺を見つめる英梨亜は、どこか楽し気な様子で口元を笑ませている。

 しかし、その瞳には強い闘志の炎が宿っているようであり、今回のタイマン勝負に対する意気込みは本物のようだ。


「はーくんとの勝負をウチがどれほど楽しみにしていたのかって、言いたいたんだけど……」


 と、英梨亜は瞳を鋭く細めると、その視線を俺の背後に立つ詩音に向けた。


「……なんでその子がいんの? 部外者じゃね? ミクちゃんはわかるけど、ウチらの勝負にその子は関係なくねー?」


「か、関係あります! だって、私は!」


「あ? 誰もアンタにそんな説明してくれとか言ってねーんだけど?」


「は、はぅぅ〜!? は、ハガネくん……藤崎さんが怖いですぅ〜!」


 眉根を寄せてガン見する英梨亜に、詩音が小動物のように震えながら俺の背後に隠れた。

 しかし、そんな詩音の仕草を見ていた俺はほっこりとして頬を緩めていたりする。


 ……うむ、やはり詩音は可愛らしい。

 このような庇護欲に駆られてしまうのは、もはや正義感だけでなく、彼女の可愛さの前に抗えぬ男のさがではないだろうか。


 そんな緩みきった俺の顔を見て英梨亜は不満そうに舌打ちをすると、腕組みをして声をかけてきた。


「つーかさぁ〜、その子がいると気が散って集中できねぇから、さっさと出て行ってもらいたんだけど?」


「それは無理だぞ英梨亜。なにせ、豊崎は神崎のだからな」


「あっそ。その子がはーくんの彼女……って、カノジョ!?」


 豊満な胸を抱えるように腕組みをしながらこともなげにそう言った三崎先生の言葉に、英梨亜が絶句する。

 そして彼女はそのまま俯くと、両手の拳を握りしめてワナワナと震えだした。


「そこのちっこい地味な女が、はーくんの恋人……だとぉ〜!?」


「あ、あの、ハガネくん? なんだか藤崎さんからものすごく睨みつけられているんですけど、私がなにかしたでしょうか!?」


「いや、詩音はなにもしていない。だから安心しろ」


「……しかも、ちゃっかりはーくんを下の名前で呼ぶとかザッケンナよこのアマァ~ッ!」


「ひ、ひぇぇぇぇ〜!?」


 桜色の唇を戦慄かせ、恐怖にカタカタと震える詩音を睥睨する英梨亜の表情はまさに夜叉のようだった。


 どうして彼女が詩音に憎しみを込めたような視線を向けるのか理解しかねるが、ともあれ俺は怯える詩音の前に一歩踏み出すと、英梨亜の鋭い視線を遮った。


「藤崎。先程からキミが口にしているその約束についてわからないのだが、このような勝負をする意味は……」


「……ざっけんなよ」


「むぅ?」


「ウチとの約束がわからない……だとぉ~? はーくんは、ウチと交わしたあの約束を忘れたってーのかよ!?」


「そ、それほどまでに大切な約束……なのか?」


「すっとぼけんなコラッ!? あの日、ウチが別の街に引っ越す時、二人で約束しただろうが!」


「……むぅっ」


 ……正直、まったく思い出させなかった。


 遠い昔の幼き日に英梨亜となにかしらの約束事をしたような記憶は微かにあるのだが、その内容までは流石に思い出せなかった。

 もし、それを思い出せれば英梨亜が激怒する理由を掴めるかもしれない。

 とはいえ、どうにもこうにも思い出せないのは事実なのだが……。


「その顔からすっと、ウチとの約束をマジで忘れやがったなぁ〜!?」


「あ、いや、スマン」


「スマンの一言で済まされるわけねーだろっ!? ウチがこの再会にどんだけの運命を感じたことか……それなのに、ひとりで勝手にカノジョとか作りやがって殺すぞコラァッ~!」


「あのぅ、ハガネくん? 藤崎さんとの約束とは一体なんなのですか?」


 道場の畳の上で地団駄を踏んで怒り狂う英梨亜に困惑していると、詩音が後ろからひょこっと顔を出して問いかけてくる。

 とはいえ、その件について問われても俺自身も返答に困るのだが。


「うむ。それなのだが、あまりにも昔の事なので俺もまったく覚えていないのだ」


「まったく覚えてないだぁ!? だったら、ウチが嫌でも思い出させてやんよ――」


 眉根に深いシワを作ると、英梨亜が俺に向かい勢い良く駆け出してきた。

 すると彼女は、俺の手前で巧みなフットワークを使いこなして、凄まじい速度の拳打を無数に放ってきた。


「うーりゃりゃりゃりゃりゃぁぁぁっ!」


 百烈拳と言っても過言ではない英梨亜の凄まじい拳打が、俺に向かい襲いかかってくる。

 だが、俺はそれらの拳打を全て両掌で受け止めると、英梨亜から距離を取った。


「落ち着け藤崎! キミとの約束を忘れてしまったことは謝るが、この勝負にはなんの意味があるというのだ!」


「大アリなんだよ、はーくん! ウチからしてみれば、この勝負にこそ意味があるんだっ!」


「そ、それはどういうことなんだ?」


「るせぇっ! そんなもん、ウチの拳と蹴りで無理やり思い出させてやらぁいっ!」


 説得を試みる俺を他所に英梨亜は躊躇う素振りも見せず、今度は長くて綺麗な脚をしならせて強烈な蹴り技を放ってくる。

 その蹴り技を上手く受け流して、俺が彼女から再び距離を取ろうとしたその刹那、英梨亜が地面を蹴り上げ、空中に跳び上がった。

 

「はーくんと再会できてウチはホント嬉しかったのに……それをこの浮気者がぁぁぁぁぁっ!?」


「俺が浮気者だと!? 待ってくれ、それはどういう意味だ!」


「うるせぇって、言ってんだろがぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 鋭い飛び後ろ回し蹴りを繰り出してきた英梨亜の一撃を俺がギリギリのところで防ぐと、今度は立て続けに英梨亜がムーンサルトキックを放ってきた。

 その見事な連携技を紙一重のところで躱した時、俺の片頬にチクリとした痛みが走る。

 どうやら、今のムーンサルトキックが俺の片頬を掠めていたらしく、手の甲で拭ってみると僅かに血が付着していた。


「ウチの高速拳打と今の連携技を防ぐとか、あの頃の泣き虫はーくんとは別人みたいに強くなったみたいじゃんか。それなのに…………どうしてっ!?」


「待ってくれ藤崎!? 俺にはなにがなんだか!」


「ウチのことは、『エリちゃん』と呼べぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」


「え、あ、はい。エリちゃん! だから、俺はキミと戦うつもりは――」


「はーくんにその気がなくてもぉ〜、ウチにはあるんだよぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 間髪入れずに怒涛のラッシュを繰り出してくる英梨亜改め、エリちゃんに俺は防戦一方となる。

 だがその時、俺の着る空手着に無数の血が付着していることに気付いた。

 

「これは……エリちゃん!? キミの拳が!」


「るせぇ! ウチの拳なんて関係ねぇんだよぉっ!」


 俺の上半身に叩き込まれたエリちゃんの拳からは明らかに血が滲み出していた。

 おそらく、強烈な拳を打ち込み過ぎて皮が剥けてしまい出血しているのだろう。

 しかし、そんなハードパンチを受けている俺にダメージはない。

 いや、まったく効かないのだ。


「クソォッ……なんでウチの攻撃がヒットしてんのに倒れねぇんだよぉぉぉぉ!?」


 無我夢中で拳打の嵐を繰り出してくるエリちゃんに、いつしか俺は防御の構えを解いてその全てを受け入れていた。


 彼女の拳はとても重く、それでいて硬い。

 だがしかし、俺の肉体はそれすらも凌駕するほどに強化されていた為、全くダメージを受けないのだ。


「チクショウ! チクショウ! なにがなんでもあの時の約束を思い出させてさりたいのに、どうしてはーくんは思い出してくれねぇんだよ!?」

 

「エリちゃん……」


 その瞳からポロポロと涙を流して俺の上半身を殴りつけてくるエリちゃんの姿に胸の奥が疼いた。


 もとはといえば、彼女との約束とやらを忘れてしまった俺のせいでエリちゃんはその心と拳を傷めて涙を流している。

 だが、この痛々しい姿をこのまま見続けていられるほど、俺は冷徹な男ではない。


「エリちゃん、もういい」


「うるせぇ! ウチが嫌でも思い出させてやるって、何度も言って――」


「もういい!」


「――っ!?」


 拳の皮が破れ、血に染まったエリちゃんの両手を掴むと、俺は涙で濡れた彼女の顔を真っ直ぐ見つめた。


「……効かぬ。効かぬのだ、エリちゃん!」


「は……ーくん」


「キミがどんなに俺を殴ろうとも、この身体には効かんのだ……」


「そんな……」


「勝負あったな。この勝負、神崎の勝利とする!」


 三崎先生が片手を挙げてそう告げると、エリちゃんが脱力したようにその場にヘタレ込み、嗚咽を漏らして泣き始めた。


 その姿を心配してなのか、俺の背後に居た詩音が彼女に駆け寄り花柄のハンカチを差し出すと、エリちゃんがそれをひったくるように奪い取り鼻をかんだ。


「うぅ……ひっく……どうして思い出してくれないんだよぉ~……」


「キミとの約束を忘れてしまい本当にすまない。できればこの俺に、キミがそこまでして思い出させようとしているその約束を教えてはくれまいか?」


「うぅ……わかった」


 エリちゃんの前にしゃがみ込んで俺がそう訊ねると、彼女はジャージのポケットから綺麗に折りたたまれたシワシワの手紙を取り出してきた。


「ウチらがまだ小学校の低学年だった時、はーくんとウチはこういう約束をしたんだよ……」


「この手紙の中にその内容が?」


「そうだよ……。ホントはこの手紙を見なくても思い出して欲しかったけどな」


 口先を尖らせてそっぽを向いたエリちゃんが差し出してきたその手紙を広げて中身を検めてみると、そこには幼い頃の俺の拇印とエリちゃんのものらしき拇印が押されており、拙いひらがなで綴られたその内容はなにかの誓約書のようになっていた。

 その内容に俺が視線を落として読み耽っていると、三崎先生と詩音の二人も後ろから覗き込んでくる。


『はーくんとウチのせいやくしょ』


 もし、ウチらが大きくなってまた会えたとき、はーくんがウチよりも強くなっていたら、ふたりでタイマンしょうぶをする。そして、こと――と。


「…………っ」


「…………あの、ハガネくん?」


「…………神崎、流石にこれはマズいだろ」


「これで思い出せたろ? この誓約書通り、はーくんはウチに勝った。だから、ってことよ! つーわけだから――」


 と、エリちゃんは手紙を見つめたまま硬直して滝のような汗を額から流す俺に抱きついてくると、満面の笑顔で頬にキスをしてきた。


「ちゃんと『責任』取れよな。?」


「…………えっ?」


 エリちゃんの一言に、俺だけでなくその場にいた詩音と三崎先生の二人もポカンと口を開けて唖然としていたのは、言うまでもない……。


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